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中山道「碓氷関所跡と旧坂本宿」、時が止まった峠の町を歩く【群馬・安中市】

本ページには広告が含まれています

群馬県安中市にある「碓氷関所跡」と、中山道の旧宿場町「坂本宿」を歴史散歩します。

江戸時代、坂本宿は碓氷峠麓の町にあり、かつては峠越えを控える旅人達で賑わった街道交通の要所でした。

そんな、いにしえの歴史の面影を追って、かつて宿場町だった静かな町を歩きます。

目次

碓氷関所跡と中山道・旧坂本宿歩きについて

今回散策を紹介する碓氷関所跡と中山道・旧坂本宿は、JR高崎駅から信越本線で30分程の横川駅が最寄りとなります。

ここでは碓氷関所跡と旧坂本宿の訪問を中心に紹介しますが、実は日中は廃線跡を整備した散策路「アプトの道」のハイキングに出かけてました。
その行きに碓氷関所跡に立ち寄り、帰りはアプトの道から外れて旧坂本宿を歩いたルートです。

アプトの道の訪問記もありますので、これからお出かけになる方のプランの参考になれば幸いです。


\ アプトの道の記事はこちら! /

『碓氷関所跡』 復元された東門

群馬県安中市 碓氷関所跡

「碓氷関所跡」は、碓氷峠のふもとの旧中山道沿いにあります。

横川駅から、旧中山道沿いを西に少し歩いた場所。
古い造りの民家もあり、旧街道の雰囲気がなんとなくあります。

「碓氷関所跡」 安中藩と江戸幕府で管理

群馬県安中市 碓氷関所跡

まず碓氷関所跡手前で、「東門の位置」の標柱が現れます。
元々、関所の東側の門がここにありました。

群馬県安中市 碓氷関所跡

東門の標柱を過ぎると石段が現れ、その上にあるのが「碓氷関所跡」です。

群馬県安中市 碓氷関所跡

石段を上がると復元された「東門」がありました。

門柱2本と金具を用いた門扉は当時使用されていたものです。
ケヤキ材で堅牢に造られています。

門はさほど大きくは無く、色々な意味で狭き門かと。

群馬県安中市 碓氷関所跡

現在残る関所跡は江戸幕府によって設置された関所の跡です。
当時は「入鉄砲と出女(でおんな)」が厳しく監視されました。

入鉄砲は文字通り軍事的な監視のこと。

一方、”出女”とは大名の謀反対策として江戸に住まわせていた、大名の妻子などの出入りの監視のことです。

群馬県安中市 碓氷関所跡

碓氷関所の特徴が書かれています。

  • ■中山道を「西門」と「東門」で区切った約100mの区間にあった。
  • ■「東門」は安中藩の管理、「西門」は江戸幕府管理の門だった。
  • ■関所四方は木柵で囲まれ、その外は自然の林により忍び通ることは不可能。
  • ■関所内は総勢20名の役人で、通行の監視が行われていた。

山が迫る環境のこの地は、関東の境目を取り締まる要所としてはうってつけだったようですね。

群馬県安中市 碓氷関所跡

通行人はこの「おじぎ石」に手をついて手形を差し出し、通行の許可を受けたそうです。
なんか生々しいなあ。。。様々な喜怒哀楽が生じた場所だったことでしょう。

群馬県安中市 碓氷関所跡

関所跡の脇から、八幡社跡がある小高い丘に登れます。
丘から近隣を望むと。。。ホント、一帯が峠手前の町であることが良くわかります。

碓氷関所跡

住所:群馬県安中市松井田町横川573(GoogleMapで開く
アクセス: 電車)JR「横川駅」より徒歩8分

「観光案内所」 碓氷関所のミニ資料館

群馬県安中市 安中市観光機構

碓氷関所跡と横川駅との中間地点には、「観光案内所(安中市観光機構)」があります。
ここに碓氷関所のミニ資料館があるので、立ち寄ってみましょう。

群馬県安中市 安中市観光機構

周辺の観光パンフなどもあります!

資料館内は撮影不可でしたので、配布されていた通行手形のサンプルをアップしてます。
(クリックすると大きめの画像で見れます。)

手形を書いた方々は、達筆だったようですなあ。

安中市観光機構(観光案内所)

住所:群馬県安中市松井田町横川441-6(GoogleMapで開く
営業時間:9時~17時
アクセス: 電車)JR「横川駅」から徒歩3分

『中山道・旧坂本宿を歩く』

中山道と坂本宿について

群馬県安中市 坂本宿

中山道は江戸時代を中心に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ132里(約540km)の街道。
街道沿いには69ヶ所の宿場が設置されました。

「坂本宿」は中山道の宿場町で、江戸から数えて17番目の宿場町。
次の軽井沢宿との間には、中山道の中でも有数の難所の一つである碓氷峠が控えていました。

坂本宿は峠手前の宿として多くの宿泊客でにぎわった、比較的規模の大きい宿場町でした。

群馬県安中市 坂本宿

本日は、長野方面から江戸方面に向かい、碓氷峠を抜けた辺りから歩き始めます。

「八幡宮」 芭蕉句碑が残る

群馬県安中市 坂本宿

峠を下りきったあたりに「八幡宮」が現れました。

群馬県安中市 坂本宿

石段を登ると、静けさ漂う境内に本堂がひっそりと建っています。
創立年代は不詳ですが、碓氷郷の鎮守産土神として崇敬されているとあります。

群馬県安中市 坂本宿

芭蕉句碑があります。

「ひとつ脱てうしろに負ひぬ衣かへ」。

寛政年間(1790年頃)に、芭蕉が奈良の吉野山を訪れたときに詠んだ句とのこと。
遠方で読まれた句がこの地で句碑になっていることから、宿駅文化を残すものとして貴重なんだそう。
市の指定文化財です。

八幡宮

住所:群馬県安中市松井田町坂本915(GoogleMapで開く

「上木戸跡」 宿場町の入口

群馬県安中市 坂本宿

八幡宮を抜けると、旧宿場町の西側の入口が見えてきました。
軽井沢側(=京都側)の入口に建つ「上木戸跡」の標柱が、宿場町の雰囲気を感じさせます!

坂本宿の両端には、宿場保安の為の”木の戸”が設置されていました。
京都側は「上木戸」・江戸側は「下木戸」と呼ばれ、その一部が復元されています。

宿内の長さは392間(約713m)で、木戸の開閉は明け六ツ(現在の午前6時)から暮れ六ツ(現在の午後5時)までだったそうです。

案外閉まるのは早かったですね。。。

群馬県安中市 坂本宿

旧坂本宿内に入ると、道がえらく綺麗に一直線なのに気づきます。
どうやら、ここは元々の集落が宿場町に発展したわけではない様です。

宿場町を作った後、幕府の命で近隣の高崎藩領と安中藩領から住民を移住させて作った宿場町とのこと。
結構力技で造られた宿場町ですな。

上木戸跡

群馬県安中市松井田町坂本936-1(GoogleMapで開く

「たかさごや」 小林一茶の定宿

群馬県安中市 坂本宿
たかさごや

江戸時代の俳人・小林一茶が、江戸と郷里の信濃国(長野)を中山道で往来した際、ここにあった「たかさごや」を定宿としていたそうだ。

群馬県安中市 坂本宿
たかさごや

一茶が宿泊すると、俳句好きが集まってにぎわったそうですよ。
旧宿場内の所々にこの様な説明看板があり、その場所ゆかりの歴史を知ることができます。

群馬県安中市 坂本宿
つたや

一方、明治・大正時代に活躍した歌人・若山牧水が明治41年(1908年)に訪れた際は、鉄道開通に伴い宿場町も寂れていたそう。
ただ一軒だけ残る宿屋「つたや」に、無理を言って泊めてもらったと説明されています。

通り沿いの家々では、木札に当時の屋号が掲げられているのが興味深い。

「かぎや」 特徴的な旅籠建物

群馬県安中市 坂本宿

「かぎや」は宿場時代の面影を残す旅籠建物。
他の建物と違い、妻入りで奥行きのある特徴的な造りだ 。

*妻入り:屋根の三角の形が分かる側が正面入口になっている建物

群馬県安中市 坂本宿

板や屋根下の彫刻も凝った感じがする。

群馬県安中市 坂本宿

”かぎや”の看板に付いている、唐破風の屋根も洒落てる。

「酒屋脇本陣跡・永井脇本陣跡」 門構が残る

群馬県安中市 坂本宿

「酒屋脇本陣」だった建物は、坂本地区の公民館として使用されています。

群馬県安中市 坂本宿

「酒屋脇本陣跡」の前には、「中山道坂本宿屋号一覧」があった。

坂本宿には、勅使・公家・大名・幕府の役人などが宿泊する施設である本陣が2軒、脇本陣が4軒あり、籠は最盛期には40軒ありました。

道の真ん中に用水路があるのは特徴的。
現在用水は道路下に埋められ、道の端に移動された用水が一本通っています。

群馬県安中市 坂本宿
永井脇本陣跡

白壁と屋敷門が印象的な「永井脇本陣跡」。
門構えは宿場町当時のままのものだとか。

群馬県安中市 坂本宿
永井脇本陣跡

本陣と脇本陣は一般の旅籠屋と違い、門や玄関を付けられる特権が認められていました

群馬県安中市 坂本宿
永井脇本陣跡

お屋敷も立派な宿屋風の建物だが、当時の物なのだろうか?

「佐藤本陣跡・ 金井本陣跡」 和宮親子内親王宿泊

群馬県安中市 坂本宿

2つある本陣の内、こちらの「佐藤本陣」は”上の本陣”と呼ばれていました。

江戸時代の文政年間には、31もの大名が坂本宿を往来してたそうですよ!
そんなことで大名の宿泊が重なるケースもあり、2つの本陣が活躍しました。大盛況でしたね!

群馬県安中市 坂本宿

「坂本小学校発地の地」の碑。
明治初期に佐藤本陣が仮校舎にあてられ、坂本小学校が開校されたそうです。

佐藤本陣跡

住所:群馬県安中市松井田町坂本429(GoogleMapで開く

群馬県安中市 坂本宿

こちらは”下の本陣”と呼ばれた「金井本陣跡」。

現在は普通の民家なので「あれ?」でしたが、当時は間口10間半(約19m)・建坪180坪(約594m2)・屋敷360坪(約1200㎡)で、玄関・門構え付きの建物だったそうです。

そして。。。、

江戸時代に末期の分久元年(1861年)、仁孝天皇の第八皇女・和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)が14代将軍・徳川家茂に嫁ぐために京都から江戸へ移動しました。
その際、金井本陣に宿泊されたそうです。

付き添い・迎えなどで都合3万人の人が集まったとのこと!

坂本宿史上、最大のビッグイベントだったことでしょう。

「下木戸跡」 江戸側の入口

群馬県安中市 坂本宿

こちらが江戸方面側の宿場町入口にあたる「下木戸跡」で、旧坂本宿歩きが終了。

歩いて来た旧中山道は、車の往来も人の往来も少なかった。
現在、自動車による碓氷峠越えのメインルートは、上信越自動車道に取って代わっているのだろう。

そんなこともあり、時が止まったような静かな町だった。

群馬県安中市 坂本宿

下木戸跡近くの派出所も、レトロな感じでした。

下木戸跡

住所:群馬県安中市松井田町坂本乙591(GoogleMapで開く

中山道六十九次を徹底的に歩きたい人向けの頼れる本。
コンビニ、トイレ、宿泊施設情報などもあり実践的な一冊!

『名物・峠の釜めし おぎのや』 横川駅前

群馬県 峠の釜めし おぎのや

横川の名物といえば「峠の釜めし」です。

峠の釜めしの元祖で有名な「おぎのや・本店」が横川駅前にあります。
創業は明治18年、峠の釜めしが誕生したのは昭和33年だそうです。
本店では店内で食事ができます。

時間が無い方向けには、駅に売店もありますよ。
お土産にいかがですか?

峠の釜めし「おぎのや(横川本店)」

公式ページ
住所:群馬県安中市松井田町横川399(GoogleMapで開く
営業時間:10:00~16:00(L.O 15:30)、定休日:毎週火曜日
アクセス: 電車)JR「横川駅」出てすぐ

碓氷関所・坂本宿歩きマップ、アクセス情報

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