埼玉県桶川市に残る「桶川宿」は、江戸時代に中山道6番目の宿場町として栄えた歴史スポットです。
江戸日本橋から約41kmという絶妙な位置にあり、多くの旅人や大名が宿泊したほか、徳川御三家や皇女和宮も利用したと伝わります。
また、全国有数のべに花の産地として発展した歴史を持ち、現在も本陣跡や旅籠の面影を残す建物、旧街道の風情ある町並みが残されています。
この記事では、歴史好きや街歩き好きにおすすめしたい桶川宿の見どころを紹介します。
目次
桶川宿とは?中山道6番目の宿場町、べに花で栄えた歴史を辿る
桶川宿は江戸日本橋から歩いて、ちょうど一日の距離

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つで、内陸部を通る約534kmの街道です。
同じく江戸と京都を結ぶ道には、太平洋側の海沿いを歩く東海道もあった。
総距離は約490kmと若干近道でしたが、大井川などの渡河が難所となっており、天候などによっても行程が左右されたんですね。
一方、山間部を経由する中山道は川止めの影響を受けにくいため、安定して往来できた道。
そのため大名や公家などの重要な通行にも利用されるなど、旅人や物流を支える重要な役割を果たしました。
そんな中山道には69もの宿場町が設置されましたが、桶川宿は日本橋から約10里(約41km)離れた6番目の宿場町。
この10里という距離は、だいたい江戸から1日で歩く距離にあたるため、桶川宿は宿泊地として大いに利用されました。
桶川宿に繁栄をもたらした”べに花”とは?
桶川宿の規模概要
■人口1,444人、家数347軒
■本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠36軒のほか、常備人馬として人足50人・馬50匹が置かれました
※データは天保14年(1843年)の「中山道宿村大概帳」などに基づくもの

桶川市のPRキャラクター”オケちゃん”
宿泊地として賑わった桶川宿ですが、それに加えて「べに花」の生産地・集積地としての発展が町に繁栄をもたらしました。
”べに花”と聞いてぱっと思い浮かぶのは、食用のべに花油(サフラワー油)ですよね?一方、江戸時代における栽培の主目的は、花びらから採れる赤色色素でした。
べに花から作られる「紅(べに)」は、口紅や頬紅、着物の染料として使われる高級品で、これが主な収益源となったんですね。
桶川のべに花生産の始まりは、天明・寛政年間(1781~1801年)に江戸商人が種子をもたらしたこと。
以降、町中でべに花畑が見られるほど生産が盛んになり、桶川産のべに花は「桶川臙脂(えんじ)」の名で全国に知られるようになりました。
宿場当初の戸数が58軒だったのが、江戸時代末期に300軒を超える町へと発展したのも、このべに花生産がもたらしたものです。
見逃せない、桶川宿の面影を残す3軒の国登録有形文化財
JR桶川駅の東口を出て200m程直進すると旧中山道にぶつかりますが、桶川宿はこの旧中山道沿いの約1kmにわたる範囲にありました。
武村旅館|国登録有形文化財。山岡鉄舟も宿泊した江戸時代の旅籠

その「桶川駅前」の交差点から旧中山道沿いに300mほど南側に戻った辺りが、江戸方面側の宿場の入口でした。
宿場町の出入り口には木戸が設けられており、日本橋方面は「木戸(下)」、反対側の鴻巣宿方面ものは「木戸(上)」とそれぞれ呼ばれていました。
木戸には木戸番がいて、明け六つ時に開門し、暮れ六つ時に閉門されていたとのこと。夕方六時には閉まってしまうというのは、結時早いですよね。

かつての木戸(下)にほど近い場所にあるのが「武村旅館」。
嘉永5年(1852年)に建てられた風格のある木造建築物が残っており、国登録有形文化財に指定されています。
旧宿場町の佇まいを感じさせる、雰囲気のある建物ですよね。
当時の武村旅館では、庶民が宿泊する旅籠(はたご)が営なまれていましたが、江戸時代末期の桶川宿における旅籠の数は36軒にも上ったとのこと。

明治末期に一部改築されていますが、間取りは江戸時代当時のものがほぼ引き継がれているそうだ。
宿場に入ってすぐの好立地にあるため多くの旅人に利用されましたが、山岡鉄舟も皇女和宮の下向(後述)に侍者として同行した際、この宿に宿泊しています。
山岡鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛の会談(江戸無血開城)の道筋を開き、明治天皇の侍従も務めた人物です。
現在はこの建物には宿泊できません。
浄念寺| かつて時の鐘が桶川宿中に時を告げた

武村旅館の裏手にある「浄念寺」は、雰囲気のある入口の山門が印象的。室町時代後期に開創された歴史ある寺院です。
江戸時代初期に当地を治めていた武将・西尾吉次が、こちらに地蔵菩薩像・薬師如来像を奉納していることからも、重要視されていた寺院だったことが伺えます。
ちなみに、西尾吉次は織田信長の家臣だった武将で、天正10年(1582年)の本能寺の変の際には徳川家康の護衛して伊賀越えに同行。以後、家康の家臣として使えた人物です。
かつて山門の2階には、桶川宿の隅々にまで時を知らせたという梵鐘が架かっていましたが、当時の梵鐘は第二次大戦時に供出されており、残念ながら現存せず。
島村老茶舗|江戸末期の商家の面影を今に伝える国登録文化財
一旦、桶川駅前交差点に戻り、今度は次の宿場・鴻巣宿方向へと歩いてゆきます。

島村老茶舗
歩き始めると時代を感じさせる建物が、背の高いコンクリート造りの建物に挟まれてひっそりと建っていた。
こちらの「島村老茶舗」は、嘉永7年(1854年)創業の160年以上の歴史を持つ老舗茶商。現在も現役で商売をされています。
通りに面した木造2階建ての店舗部分は、大正15年(1926年)に建てられたもの。
切妻造の建物で、大黒柱には六寸五分(約20cm角)の欅(けやき)が使われ、2階の戸袋鏡板には欅の一枚板が使われているなど、各所に上質な木材が使われています。
建物の奥には木造平屋造りで入母屋造の主屋が続いており、そちらは嘉永7年の築造創業当時に建てられたもの。
島村老茶舗は桶川宿の面影を今に伝える貴重な建造物として、国登録有形文化財に登録されています。
矢部家住宅|桶川宿唯一の土蔵造り。”烏おどし”の珍景にも注目!

その先に島村老茶舗とは対照的な重厚な雰囲気の建物、黒漆喰塗りの「矢部家」が現れます。
こちらは桶川宿に唯一現存する土蔵造りの店蔵で、明治38年(1905年)に建てられたもの。
「木半」の屋号を名乗ってた矢部家は、主に穀物問屋を営んでいましたが、紅花の商いもおこなっていた商家。
客を迎えるために大きくせり出した1階部の軒先が、商家らしい造りを感じさせる。
店蔵の奥には、塗屋造りの住居、土蔵造りの文庫蔵、切妻造りの勝手場などの建物が続く。
間口が狭く奥に長い短冊状の家割りは、宿場町ならではの特徴ですね。

矢部家の造りで面白かったのが、屋根上の「烏おどし」と呼ばれる鳥よけの飾り。
トゲ状の鋳鉄物が突き出ている、かなり攻撃的な形状の鳥よけですが、結構効果があったのかどうか?
気になるところである。

屋根周りの細部のデザインも意匠性が感じられる凝ったもので、矢部家がかなり財を成していたことが伺える。
小林家住宅主屋|レトロ空間でくつろげる、国登録文化財の歴史カフェ

矢部家住宅の向かいに建つ「小林家住宅主屋」は、江戸時代末期の旅籠だった建物。こちらも国指定有形文化財です。
建物は、二間半(=約4.6m)の幅で2本建てられた大黒柱によって支えられている造り。
2階部正面には、六間(=約11m)にわたる出窓に、格子が嵌め込まれているのが特徴。
建物は現在も使用されていますが、外観は当時の姿をとどめており、宿場町の面影を感じさせる貴重な建物です。

現在は「ブラッドベリ」というギャラリー併設の喫茶店の店舗として使われています。
国の文化財に指定されている建物で喫茶できるなんて、なかなか素敵ですよね。街道歩きの休憩スポットとしておすすめ。
桶川宿本陣跡|埼玉県内唯一の現存本陣、徳川御三家や皇女和宮も宿泊
皇女和宮の降嫁は中山道における一大事件!

矢部家住宅と小林家住宅の先には「桶川宿 府川家本陣跡」がありますが、これは中山道における県内唯一の本陣遺構という大変貴重なもの。
本陣は公家・大名・幕府の役人などが宿泊・休憩するための、いわば高級宿。一般の旅籠と違い、門・玄関・書院を設置できる特権がありました。

桶川宿府川家本陣、明治天皇御巡幸の碑が立つ
江戸時代末期に起きた中山道における一大事といえば、文久元年(1861年)の「皇女和宮の降嫁(こうか)の旅」。この際、府川家本陣も皇女和宮(こうじょ かずのみや)の宿泊所として使用されました。
24泊25日の長旅だった皇女和宮の降嫁
仁孝天皇の第8皇女の和宮が徳川14代将軍・家茂に嫁いだ降嫁は、幕末期の中山道における最大のイベントとなりました。
■文久元年(1861年)10月、和宮を乗せた輿が中山道経由で江戸に向かい京を出発。約530kmの道中を各地の宿場に宿泊するという、24泊25日の長旅のスタートとなります。
■千数百人を引き連れての出発でしたが、道中で3万人余りの行列へと膨れ上がる。
■桶川宿に宿泊した際は、全人馬の乗り換えや荷物の継ぎ送りが必要となりますが、その数なんと人足3万6,450人、馬1,799頭!通常参勤交代で必要とされる人足は3千人程度で、これはその約12倍の規模だった。
大変な騒ぎとなった様子が目に浮かんできます。。。
水戸藩藩主・徳川斉昭も日光社参の際に宿泊

説明板にある本陣外観イメージ
徳川御三家(尾張・紀州・水戸)が日光社参に向かう場合は、中山道が利用されました。
そのため、天保14年(1843年)4月10日、水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭(なりあき)が徳川12代将軍・家慶の日光社参に随行する途中、この桶川宿本陣に宿泊しています。
徳川斉昭は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父で、幕末期の名君の一人に数えられる人物。
その斉昭がこの地で旅装を解き、翌朝には日光を目指して出立したことを思うと、現在残る本陣遺構に一層歴史の重みが感じられる。
明治11年(1878年)には、明治天皇御巡幸の際の行在所にもなっています。
なお、本陣遺構は現在も住居として使用されているため一般公開されていませんが、案内板の写真で建物の雰囲気は伝わってきます。
日光社参時、徳川御三家は日光街道を利用
■将軍が日光へ社参する場合は、中山道の本郷追分(現東京都文京区)から日光御成道に入り、幸手(現埼玉県幸手市)で日光街道に入って日光に至るルートが一般的でした。
■一方、徳川御三家(尾張・紀州・水戸)が日光に向かう場合は、それとは違う独自ルートだった。
江戸の屋敷を出て中山道を鴻巣宿(現埼玉県鴻巣市)まで進み、そこから分岐して館林方面に北上。天明宿(現栃木県佐野市)から例幣使街道に入って日光を目指しました。
一里塚と宿場木戸跡の痕跡を探し歩く
辻村みちよ顕彰碑|日本初の女性農学博士。緑茶成分を発見した偉人
街道沿いには「お茶博士・辻村みちよ 顕彰碑」なるものがあった。

辻村みちよ博士(1888-1969年)は、緑茶の中にカテキンが含まれることを世界で初めて発見。その論文により、日本初の女性農学博士となっています。
その功績を称えて、出身地としてのゆかりがある桶川に顕彰碑が立てられたもの。
一里塚跡・木戸(上)跡|宿場の境界線。江戸時代の街道の面影を探す

かつてこの辺りには一里塚がありましたが、歩道橋に貼られた説明板が現在の唯一の痕跡。
一里は約4kmで、ここには江戸から10里(約40km)にあたる地点でした。
かつて道両側にあった塚の上には杉の木が植えられ、その根元には石の妙見菩薩が祀られていたとのこと。塚は明治9年(1878年)に取り壊されています。
一里塚は場所を取るので、街中で残すのはなかなか難しいですよね。

旧日光街道が川越栗橋線(埼玉県道12号)にぶつかると、ここが桶川宿の北側の終点。
県道手前のトリミングサロン前の一角に立つ「中山道桶川宿」と「木戸址」の石標が、その痕跡を残しています。
「桶川稲荷神社」紅花商の歴史と日本一重い力石に出会う
べに花商人寄贈の灯籠|24人のべに花商人の名が残る

次に、本陣跡から北東に300m程歩いた、旧中山道からは少し外れた場所にある「桶川稲荷神社」へ。
こちらは桶川宿がべに花で栄えた時代とゆかりのある神社で、静かで落ち着いた雰囲気の境内でした。

宿場町創設以前よりあった神社で、その創建は長承3年(1134年)か嘉禄年間(1225~1227年)と伝わるもの。
江戸時代になると、桶川宿の鎮守として崇敬を受けます。

社殿前の両脇にある石の灯籠が、べに花で栄えた歴史と関連するもの。これは桶川宿とその周辺のべに花商人たちが安政4年(1857年)に寄進したものなんですね。
もともとは宿場側の不動堂に奉納されたものですが、明治時代の神仏分離によりこちらに移設されました。

台座には計24人のべに花商人の名が刻まれており、当時の繁栄を伝える貴重な文化財となります。
台座の一番右側に、先ほど店蔵を拝見した矢部家の名前があるのも発見できました。
日本一重い力石|これはでかい!江戸一番の力持ち三ノ宮卯之助が持ち上げた石

境内には若者が力くらべなどに使った力石があった。
力石自体は神社では時々見かけるので特に珍しくないですが、ここの力石の置き場には屋根までついており、なにやら特別感が漂っていますよ。

これまたでかい力石ですね。。。
日本一重い力石
この力石は長さ1.25m、厚さ0.4m、重さ610kgの楕円形のもので、力比べに使った力石としては日本一重いといわれるもの。
石には、嘉永5年(1852年)に岩槻の三ノ宮卯之助がこれを持ち上げたことと共に、当時の桶川宿の有力商人だった石主と世話人達の名と共に刻まれています。
これは伝説の力持ち・三ノ宮卯之助と桶川宿の歴史が共存した、なかなかに貴重な力石じゃないですか!へぇ~って感じですね。
旧岩槻藩三野宮村(現、越谷市)出身の三ノ宮卯之助(1807-1854年)は江戸で勧進相撲をおこない、江戸一番の力持ちと評判になった力士です。
三ノ宮卯之助の名が刻まれている力石は、各地に残っています。
\ 勧進相撲の詳しい歴史についてはこちらへ!/
あわせて読みたい
大相撲ゆかりの富岡八幡宮、建ってる石碑も横綱級!【東京・江東区】
深川の八幡さまとして親しまれてきた、江戸最大の八幡神社「富岡八幡宮」。例祭の深川八幡祭りは、江戸三大祭りの一つに数えられることでも知られます。また、現在の大…
散策の立寄りに最適!「べに花ふるさと館」でべに花文化と農家建築に触れる
明治時代の母屋や長屋門に残る繁栄の証

最後に「べに花ふるさと館」に立寄りました。
桶川駅からは約3kmと少し離れているので、公共交通機関で訪問した際はバスを利用するのが良さそうです。
べに花ふるさと館は明治後期の民家を改築した文化施設。入口には立派な長屋門が建ち、農家のお屋敷に訪れたような雰囲気にさせてくれます。

施設の中心となる母屋は、当時の民家建築様式を伝える貴重な文化資産。
施設ではそば打ち教室や木工教室などの様々なイベントの開催により、市民の憩いや学びの場となっています。
併設されている食事処では地粉100%の手打ちうどんが味わえるなど、桶川の歴史とグルメを楽しむことができるスポットとなっています。
【記事の参考にした情報】
・文化遺産オンライン「武村旅館」 文化庁
・文化遺産オンライン「島村老茶舗店舗兼主屋」 文化庁
・文化遺産オンライン「小林家住宅主屋」 文化庁
・歴史浪漫満載!徳川秀忠・皇女和宮・新撰組が通った中山道「桶川宿」 国土交通省関東運輸局観光部
・べにばな物語 桶川市
中山道六十九次を徹底的に歩きたい人向けの頼れる本。
コンビニ、トイレ、宿泊施設情報などもあり実践的な一冊!
タモリさんならではの視点で、川越の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
桶川へのアクセスと周辺の立寄りどころ
桶川へのアクセス
東京方面からの主なアクセス方法は下記のとおりです。
電車でのアクセス(JR線)
都心の主要ターミナル駅から直通(乗り換えなし)でアクセス可能です。
■東京駅・上野駅から:JR上野東京ライン(高崎線直通)、東京駅から約45〜50分、上野駅から約40〜45分
■新宿駅・池袋駅・渋谷駅から:JR湘南新宿ライン(高崎線直通)、新宿駅から約45〜50分、池袋駅から約40分
車(高速道路)でのアクセス
首都高速・関越道・東北道などの主要高速道路から、圏央道を経由して市内へアクセスできます。
■都心環状線・5号池袋線方面からルート:首都高速5号池袋線・埼玉大宮線 → 与野IC → 国道17号(新大宮バイパス・上尾道路)を北上、都心部から約60〜80分(道路状況による)
■圏央道を利用する場合:関越自動車道(鶴ヶ島JCT経由)または東北自動車道(久喜白岡JCT経由)→ 首都圏中央連絡自動車道(圏央道)、最寄IC: 桶川加納IC、または 桶川北本IC
桶川市内の移動情報(バス)
桶川市内には循環バス「べにばなGO」が運行されているので、利用するのも良いと思います。
市内循環バス「べにばなGO」の運行内容のサイト(桶川市)
中山道宿場館|桶川市観光協会に立寄って各種マップを入手

本陣跡の向かいには中山道宿場館(桶川市観光協会)があるので、先にこちらで桶川宿歩きに便利な各種マップを入手するのもオススメですよ。
桶川市観光協会
住所:埼玉県桶川市寿1丁目11-19(GoogleMapで開く)
営業時間:9時~16時、休館日:お盆・年末年始
道の駅 べに花の郷おけがわ|地場野菜や限定グルメが楽しめるスポット

「道の駅 べに花の郷おけがわ」では特産の「べに花」をモチーフに、新鮮な地場野菜や限定グルメが楽しめます。
2025年3月にオープンした注目のスポットで、ドライブの休憩のみならず地域の魅力が詰まっています。
桶川駅からは4km程離れているので、車でない場合は駅からバスでアクセスしましょう。
公式サイト
住所:埼玉県桶川市川田谷4324番地の1(GoogleMapで開く)
桶川のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
埼玉で古い町並み歩きをするなら、「桶川宿」へ出かけてみよう!
かつて中山道の宿場町として、そして紅花商人たちの活気で大いに賑わった「桶川宿」。
埼玉県内で唯一現存する貴重な「本陣遺構」をはじめ、江戸〜明治の面影を残す旅籠や土蔵造りの建物、さらには旧旅籠の雰囲気を味わえる歴史カフェまで、徒歩圏内にたくさんの見どころがギュッと詰まっています。
都心からのアクセスも良く、2時間〜半日ほどで手軽にレトロな街道散策を楽しめるのも桶川宿の大きな魅力。
次の週末はぜひカメラと歩きやすい靴を用意して、江戸の風情が今なお息づく桶川宿の街歩きに出かけてみてはいかがでしょうか?
記事の訪問日:2022/1/30 *2026年8月、情報追記




桶川周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
近隣スポットもチェック!
あわせて読みたい
鷲宮神社は鎌倉幕府・後北条氏など、関東武士との繋がりが深かった古社【埼玉・久喜市】
「鷲宮神社」は明治時代に明治天皇が定めた准勅祭社の一社にも選ばれている、関東を代表する一社です。鎌倉時代には源頼朝や執権北条氏から尊崇を受け、歴史書・吾妻鏡…
あわせて読みたい
【開運神社巡り】鴻巣前玉三社巡り|御朱印を集めながら埼玉の古社をめぐる(鴻巣市・行田市)
埼玉県鴻巣市と行田市にまたがる、知る人ぞ知る開運ルート「鴻巣前玉(さきたま)三社巡り」をご存知ですか?3つの神社を巡ると「厄が去り、福を招き、願が叶う」とされる…
あわせて読みたい
正岡子規も訪れた、岩肌に並ぶ219基の異容「吉見百穴」の正体とは!?【埼玉県吉見町】
もし目の前の崖に200以上の穴が空いていたら、あなたは何を想像しますか?明治時代、日本の考古学の父・坪井正五郎氏はここを”コロボックル(小人)の住居”だと信じ、大…
あわせて読みたい
金笛しょうゆパーク、老舗の醤油蔵で楽しい工場見学【埼玉・川島町】
埼玉県川島町はその名の通り川で囲まれた町。その川島町にある「笛木醤油」は、江戸時代の創業以来、豊かな水源を生かした昔ながらの醤油製造をおこなっている老舗の醤…
さらに「埼玉県」に関する記事を探す

レトロな雰囲気が楽しめるスポットをチェック!
あわせて読みたい
日光街道 埼玉六宿場、草加・越ヶ谷・粕壁・杉戸・幸手・栗橋を歩いてみよう!
江戸時代の五街道のひとつである日光街道は、江戸日本橋から徳川家康公を祀る日光山東照宮への主要道路として整備された、全長約142kmに及ぶ街道です。日本橋を出て千住…
あわせて読みたい
【日光街道・千住宿】松尾芭蕉が旅立った宿場町を歩く。河岸と市場の歴史散策(東京都足立区)
「行く春や鳥啼き魚の目は泪」。元禄2年、深川から舟を出した松尾芭蕉は、千住の地で陸へと上がり、いよいよ果てしない”おくの細道”への第一歩を踏み出します。芭蕉が矢…
あわせて読みたい
江戸東京たてもの園を歴史散策、江戸から昭和まで東京建築史を歩く【東京都小金井市】
今回ご紹介する「江戸東京たてもの園」は、単なるレトロな観光地ではありません。関東大震災の後に商人たちが復興の夢を託した看板建築や、人々を元気づけた東京型銭湯…
あわせて読みたい
武士の暮らしが体感できる佐倉武家屋敷で、江戸時代にタイムスリップ!【千葉・佐倉市】
江戸時代の武士たちは、どんな家でどんな暮らしぶりを送っていたのでしょう?それを体感できるのが、日本100名城の一つである佐倉城の城下に残る「佐倉武家屋敷」です。…
<a href=”//ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=3694017&pid=890454465″ rel=”nofollow noopener” target=”_blank”><img src=”//ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=3694017&pid=890454465″ border=”0″></a>
クラブツーリズムはバスツアーやテーマ旅行が充実!