2024年7月に発行される新1万円札の図柄に採用された渋沢栄一。
渋沢栄一は埼玉県深谷市の出身で、生誕地には旧渋沢邸 「中の家(なかんち)」があります。
その「中の家」は2023年8月10日にリニューアルオープンされ、建物内部が初公開されました。
新しい「中の家」の見どころを紹介しつつ、渋沢栄一の横顔に迫ります。
近隣のゆかりの神社や、栄一の好きだった煮ぼうとうの紹介もありますよ。
目次
リニューアルオープン!旧渋沢邸「中の家」を見学
まずは、「中の家(なかんち)」って呼び名は何ですかね?
渋沢家は血洗島という地域を開拓した一族で、複数の分家に分かれました。
各家はその位置関係により、呼び名がついたそうです。
渋沢栄一の生まれた家は、真ん中に位置したことにより「中の家」と呼ばれました。
そのまんまな感じですなあ。
若き日の渋沢栄一像が出迎え
入口には、青淵翁(せいえんおう)誕生之地の標石。
中の家は渋沢栄一の生誕地として、埼玉県の旧跡に指定されています。
薬医門の扉は、ケヤキの大木による一枚板で作られているそうです。
正門を抜け敷地内に入ると、若き日の渋沢栄一の像が出迎えてくれます。
渋沢栄一の概略をふり返っておきましょう。
渋沢栄一(1840年~1931年)の概略
・天保11年、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に誕生。
家業を手伝う一方、父の学問の手解きを受け、従兄弟・尾高惇忠(あつただ)から論語を学ぶ。
・江戸時代末期には、幕臣としてパリの万国博覧会を見学するなど、欧州諸国の実情を見聞。
・明治維新後、大蔵省の一員として国づくりに参画。
・明治6年(1873年)に大蔵省を辞し、第一国立銀行の総監役(後,頭取)になる。
以降、鉄道・銀行・保険・通信・繊維産業等、多くの分野で事業を展開。
生涯に約500もの企業に関わり、日本の産業基盤の構築に寄与しました。
また、教育・文化・慈善事業に関して、多くの施設設立や支援にも取り組みました。
「主屋」 養蚕農家式の家屋
渋沢栄一は文久元年(1861年)に、江戸に移ります。
その後、渋沢家の親戚であった渋沢市郎が、栄一の妹・てい(貞)の婿として「中の家」へ入りました。
そして明治28年(1895年)、渋沢栄一の生家の跡地に建てた建物が、現在残る「中の家」の主屋となります。
主屋はこの地方の典型的な養蚕農家の建物。
屋根の上の高窓と呼ばれる換気窓が、建築的な特徴だそうです。
渋沢栄一は帰郷の際には、こちらに滞在しました。
多忙の合間も時間をつくり、年に数回は帰郷したそうです。
血洗島や青淵の由来を知る
まずは敷地内の建築物をめぐってみます。
こちらは正門隣にある建物で、副屋と呼ばれてます。
明治44年(1911年)築の建物で、お店として使用されたそう。
深谷市の利根川沿いの地域では、江戸時代より染料となる藍の栽培が盛んになります。
中の家も藍の栽培や、染料となる藍玉(あいだま)の製造をしていました。
こちらではさらに、農家からの藍の買付けや、藍玉の販売もおこなっていたそうです。
右手には、江戸末期から明治初期頃に築造された、蔵造りの建物が並びます。
土蔵Ⅱと呼ばれる建物は、藍玉づくりの作業場として使われたそう。
土蔵の前には、この地「血洗島」の地名の由来に関する説明があった。
かなりオドロしい響きの地名で、以前から気になってたんだわ。
江戸時代には、既に血洗島村の地名があったそう。
血洗は”地荒れ”や、川の氾濫が多い”地洗れ”が由来ではないか?って説があるそう。
渋沢栄一が語るには。。。、昔、赤城の山霊が他の山霊と闘い怪我をした。
その際、この地で傷を洗ったため「血洗島」となった。
な~んて伝承を語っていたらしいです。
そんな感じで、はっきりした由来は不明みたいですねぇ。
奥の土蔵Iと呼ばれる建屋は、米蔵だったようです。
あと、渋沢栄一が書画・俳諧などに用いた雅号(がごう)、「青淵(せいえん)」の由来についての説明書きもありました。
かつて中の家の裏には「上の淵」と呼ばれる、青々と水をたたえた美しい淵があったそう。
これにちなみ、従兄で学問の師でもある尾高惇忠が付けたものとのこと。
淵とは泉みたいなものですかね?
栄一が大人になったころには、淵の水は枯れてしまっていたそうだ。
「栄一家族の3石碑」 渋沢平九郎碑ほか
土蔵のさらに奥手には、渋沢家家族の招魂碑が3碑あります。
右の「晩香渋沢翁招魂碑(しょうこんひ)」は、栄一の父・渋沢市郎右衛門の招魂碑。
撰文は尾高惇忠によるもの。
左の「先渋沢氏招魂碑」は栄一の母・渋沢えいの招魂碑。
撰文は栄一によるもの。
そしてこちらは渋沢平九郎の追懐碑。
平九郎は尾高惇忠の弟で、栄一の養子であった。
若くして、戊辰戦争の地域戦である飯能戦争で亡くなりました。
追懐文は義父である栄一によるもの。
\ 渋沢平九郎詳細についてはこちら!/
「主屋・主屋の改修工事概要」 新発見のカマド跡
さて、本日の見学の目玉でもある、リニューアルで初公開された、主屋内部の見学になります。
主屋は建設後から約120年が経過しており、耐震性の確保ができてなかったんですね。
深谷市は、令和元年度(2019年)から改修の準備を開始。
令和4年2月に工事を開始、令和5年4月末に改修が終了しました。
本年、令和5年8月10日にリニューアルオープンしました。
本日は8月20日の訪問なので、出来立てホヤホヤでの訪問となります。
整備費用は、総額約3億8,545万円。
資金集めには、企業版ふるさと納税による寄附金を活用。
また、屋根改修費用にクラウドファンディングを利用したりと、現代的な調達方法が利用されています。
建物に入り、まず目に入るのがこちらのカマド跡。
今回の改修工事で新発見されたものだそう。
カマドに使用されている煉瓦は、栄一が初代会長も務めた、日本煉瓦製造株式会社製だそうだ。
製造場所である、上敷免製(深谷市上敷免)の刻印も確認できたそうです。
発見された状態を生かした展示方法は良いですね。
「主屋・渋沢栄一アンドロイドシアター」 大河ドラマ衣装も!
渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が、令和3年に放映されました。
その出演者だった、渋沢栄一役の吉沢亮さんと、その妻・尾高千代役の橋本愛さんが撮影で使用した衣装の展示がありました。
衣装を使った一家団らんのシーンが紹介されています。
1階の屋敷に上がったところ。
実はこの右手の部屋が、「渋沢栄一アンドロイドシアター」になっています。
和装の渋沢栄一のアンドロイドが、スクリーンの映像にあわせエピソードを解説してくれます。
このアンドロイドの動きや表情が、実にリアル!
新装された中の家の目玉の一つですが、残念ながらこちらは撮影禁止でした。
是非、生で見にきて下さい。
栄一アンドロイドは、中の家と渋沢栄一記念館にあります。
ともに、深谷市出身のドトールコーヒーの名誉会長、鳥羽博道氏からの資金寄附によって製作されたものなんですって。
「主屋・栄一が滞在した上座敷」
栄一が帰郷した際に滞在したのは、この上座敷でした。
養蚕農家では、通常2階に蚕室(さんしつ)を設けます。
ですが、1階で過ごす栄一に物音が届かぬよう、上座敷部分の2階には蚕室を設けぬよう配慮がされたそうなんですね。
1階の他の部屋より天井が高い。
さらに、銘木とされる鉄刀木(たがやさん)を床柱に使用するなど、特に念入りに造られた部屋となります。
滞在中は開放感ある窓枠越しに、庭園の風景を楽しんだことでしょう。
栄一は学問のかたわら家業に興味を持ちました。
14歳の時に藍葉鑑定をおこなったのが、商業活動の始まりとなります。
写真は栄一が相撲番付を模して作った、藍栽培農家の番付「武州自慢鑑藍玉力競」。
文久2年、栄一が22歳だった当時、すでに行司を務められるほどの目利きだったようですなあ。
「主屋・2階は展示室」 大河ドラマ使用品
2階の上座敷の上に位置する部屋。
こちらも素敵なデザインの棚や襖に目がゆきます。
蚕室だった空間は、展示室になっていました。
今回の建屋補強の概要や、渋沢栄一に関連したエピソード紹介など。
実物の大黒柱や梁により、建物の構造も知ることができます。
来年発行される新紙幣の紹介もありましたわ。
こちらのドキッとする血生臭い展示品は、横浜焼き討ち計画の血判状のレプリカ。
大河ドラマ・青天を衝けで使用された物とのことです。
栄一らは文久3年(1863年)に尊王攘夷の思想から、高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを企ててました。
未遂で終わりましたが、実行されていればその後の栄一の活躍は無かったでしょうね。
「諏訪神社」 栄一とゆかり深い血洗島の鎮守
中の家見学後、歩いて5分程度の場所にある、旧血洗島村の鎮守「諏訪神社」に立寄りました。
創建時期は不詳ですが、古来より武将の崇敬が厚かった神社といわれます。
渋沢栄一が少年時代から親しんだ神社で、帰郷の際もまずこちらを参詣したそうです。
なかでも、秋の獅子舞を楽しみにしていたそうだ。
木造の鳥居の扁額の上には唐破風がついており、古風な風格を感じる。
扁額には渋沢栄一謹書、と記されていますね!
境内の「渋沢青淵(せいえん)翁喜寿碑」。
これは大正5年(1916年)に、栄一の喜寿を祝い、氏子により建立されたもの。
そして喜寿碑に応える形で、栄一は現在の拝殿を造営・寄進しました。
本殿は明治40年(1907年)に、渋沢栄一と血洗島村民の費用折半により、造営されたものだそうだ。
煮ぼうとう店「麺屋忠兵衛」でランチ!
再び中の家の方に戻り、今度は隣接するこちらの古民家へ。
渋沢栄一も好物だったという深谷の郷土料理、煮ぼうとうの専門店「麺屋忠兵衛」です。
こちらでランチを。
席に着き、店員さんが注文を取りにくる。
「当店は初めてですか?」と尋ねられる。
「ええ。。。」。
「床の間に渋沢栄一直筆の掛け軸があるので、是非見てってください。」
えっ、ここに?
ということで料理を持つ間に、掛け軸を拝見。
「人の一生に、おろそかにして良いという時はない。人間晩年が美しければ、その価値は上がるものだ。」
そんな含蓄のある内容が、とても美しい字で書かれていました。
こちらが深谷の煮ぼうとう。
ほうとうといえば山梨も有名だが、あちらは味噌仕立て。
深谷では、醤油仕立てなのが特徴。
素朴な食べ物だが、ちょっと濃いめの味付けが食欲をそそり旨い。
深谷ネギの産地で知られるだけあって、厚みがあるネギも準主役で健闘。
セットのとろろご飯がこれまた絶品!訪問した際にはススメしたいお店です。
至るところで深谷の人気のゆるキャラ、見え隠れするふっかちゃんに出会った。
麺屋忠兵衛 煮ぼうとう店
公式ページ
住所:埼玉県深谷市血洗島247-1
営業時間:11時~14時
定休日:無休(年末年始除く、臨時休業あり)
アクセス:「中の家」のすぐ隣り
新一万円札のデザインとして注目される渋沢栄一。
その若き日の栄一を中心にドラマティックに描いたNHK大河ドラマで、その人物像に迫ろう!
旧渋沢邸「中の家」の詳細情報・アクセス
中の家
公式ページ
住所:埼玉県深谷市血洗島247-1(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~17時(入場は16:30まで)
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
アクセス:
電車)
・JR「深谷駅」からタクシーで約20分
・JR「深谷駅」から深谷市コミュニティバス・くるりん・北部シャトル便渋沢栄一記念館行(1日5便)で約25分乗車、「渋沢栄一記念館」下車、徒歩約10分
時刻表・運賃は深谷市コミュニティバス「くるリン」のHPで確認願います。
車)
・関越自動車道「本庄児玉IC」から約20分
・無料駐車場有り
深谷のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
周辺おすすめスポット(渋沢記念館ほか)
~近隣スポット~
渋沢記念館
渋沢栄一記念館では渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などの多くの資料を通して、その偉業に触れることができます。
また、とってもリアルな渋沢栄一のアンドロイドが見学者に講義をおこなう、というのが記念館の目玉。
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渋沢栄一記念館
住所:埼玉県深谷市下手計1204(GoogleMapで開く)
※中の家から徒歩約10分(900m)。コミュニティバス”くるリン”北部シャトル便の最寄りバス停は「渋沢栄一記念館」
誠之堂・清風亭
大正5年、渋沢栄一は初代頭取を務めていた第一銀行を、喜寿(77才)を機に辞任しました。
その際、同行行員たちが喜寿のお祝いの記念として建てられた「誠之堂」が、一般公開されています。
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誠之堂・清風亭
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※中の家から徒歩約40分(約3km)。コミュニティバス”くるリン”北部シャトル便の最寄りバス停は「誠之堂・清風亭」
尾高惇忠生家
若き渋沢栄一が学問を師事した、尾高惇忠の生家が一般公開されています。
栄一はかつて惇忠らと高崎城の乗っ取り計画を謀議しましたが、その話合いの場所がここの2階だったといわれています。
鹿島神社
渋沢栄一らが建てた、尾高惇忠の業績を伝える藍香尾高翁頌徳碑があります。
神社の社名の扁額は、渋沢栄一の筆によるもの。
鹿島神社
住所:埼玉県深谷市下手計1145(GoogleMapで開く)
※渋沢栄一記念館より徒歩約4分(約300m)、尾高惇忠生家より徒歩約10分(約600m)
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深谷市内移動に便利なコミュニティバス「くるリン」
中の家などがあるエリアは、深谷駅からは5~6km程離れています。
電車で訪問の場合は駅からタクシーの移動でも良いですが、市内を循環するコミュニティバス・くるリンを上手く使うと安く移動できます。
深谷市コミュニティバス「くるリン」
北部シャトル便では、深谷駅(北口)と渋沢栄一記念館間を折り返し運行する便があります。
運賃は1km以内は100円、2km以上は200円(1乗車あたり)。
ホームページでコースマップや時刻表が見れます。
深谷市・コミュニティバス「くるリン」のページ
深谷周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
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渋沢栄一生誕地で、リニューアルした旧渋沢邸・中の家を紹介しました。
いかがでしたか?
渋沢栄一は、若かりし頃から家業の手伝いを通し商才を発揮してたようですね。
また、渋沢一族のつながりの深さを感じました。
渋沢栄一の私邸は東京飛鳥山(北区王子)にありましたが、空襲で焼失しています。
そのため中の家は、栄一が親しく立ち寄った数少ない場所として貴重なんですよ。
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記事の訪問日:2023/8/20
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