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息障院、源頼朝の弟・範頼の館跡で謎めいたその生涯に触れる【埼玉・吉見町】

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埼玉県吉見町の息障院という寺院がある場所は、源頼朝の異母弟だった源範頼のかつての屋敷跡だったと伝わります。

当時この周辺は「御所」と呼ばれており、現在の地名もそれが残ったものといわれます。
また、息障院周囲には今も、かつての屋敷の名残りといわれる空堀が残っています。

境内をめぐりながら、NHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人でも取り上げられ注目を集めた、源範頼という人物についてたどってみます。

目次

「伝範頼館跡」 御所と呼ばれた源範頼の居地

空堀が範頼館跡の面影を残す

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

息障院がある場所は木々に囲まれた静かなエリアで、幼稚園に隣接していました。
寺院は「岩殿山 息障院光明寺」が正式名称です。

入口門前の石碑には「県指定重要文化財・本尊不動明王坐像」「室町時代重要建築物・地蔵堂一宇」と併せて、「県指定史跡・源範頼館跡(みなもとの のりより)」の銘記があります。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

さっそく正面左手には、かつての館の痕跡といわれる空堀の跡がありました。

空堀は、かつては敷地の四方を囲っていたようです。
正面以外はあまり整備されておらず、草むら状態なのでちょっと確認しづらい。
また、幼稚園側の敷地は整地されてしまっているようです。

館の主だったとされるのは、源範頼(みなもとの のりより)

父は河内源氏の流れを汲む源義朝で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟となります。
頼朝は正室の子で三男にあたり、範頼は側室の子で六男でした。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

平治元年(1160年)の平治の乱で源氏が平氏に負けた後、源範頼は吉見町の岩殿山の息障院・安楽寺に身を隠したと伝わります。
後に鎌倉幕府の有力御家人の一人となる、武蔵国の比企氏の庇護を受けます。

\ 比企氏の詳細についてはこちら!/

源頼朝が鎌倉で勢力を持った後も、範頼は現在は息障院がある場所に館を構えて住んだとのこと。
一帯は御所と呼ばれ、現在の御所という住所もその名残だといわれていますよ。

繊細な山門の彫刻は必見!

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

山門には素木による細やかな彫刻が施されており、思わず目を奪われますなぁ。

息障院の元々の所在は、1km程北西に離れた安楽寺の近くだったそうです。
室町時代になり、現在地に移転してきたと伝わります。

戦国時代にはこの地には松山城があったため、その戦火を安楽寺ともども受け、伽藍の多くは焼失しています。
在残っている建物の多くは、江戸時代以降のものだと思われます。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

中国の僧が題材だと思われる、人物の彫刻。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

こちらには籠彫という技法が見られます。
外面のみならず、内部も透かし彫を施こして立体的に仕上げたもの。

手がかかったものですねぇ、見応え応えがありますわ。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

孔雀ですかね。
右手の花の立体感にも目がゆきます。

範頼の子孫がこの地で吉見氏を名乗る

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

山門をくぐると、本堂に向かい石畳みが続く。

息障院の開創は天平年中(730年頃)に行基によるとも、大同年中(806年頃)の坂上田村麻呂の開祖ともいわれる、古い時代に創建された寺院です。

最盛期は戦国時代から江戸時代にかけてで、息障院と安楽寺で大規模な大寺院を形成したとのこと。
末寺は120にのぼったそうだ。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

本尊は県指定重要文化財にもなっている不動明王坐像。
12世紀頃に作られたもので、県内最古の不動明王なんだそうだ。

さて、再び源範頼の話に戻します。

平氏政権を打倒に至たらしめた源平の合戦。
ここでは源頼朝の代官となり、異母弟・源義経と共に平氏追討軍を指揮して活躍します。

しかし、源頼朝が征夷大将軍になった後の建久4年(1193年)、範頼は謀反の疑いにより伊豆の修善寺に流刑にされてしまいます。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)
香炉には源氏の代表的な家紋である、笹竜胆(ささりんどう)の紋

流罪後の消息については、諸説あるようです。

「修善寺で自刃」「現横浜市の太寧寺(だいねいじ)で自刃」「伊予国(現、愛媛県)の河野氏を頼り、そこで没した」「北本市石戸宿で没した」等々。

大河ドラマ・鎌倉殿の13人では、頼朝の命により伊豆で暗殺されました。
さて真実はいかに。。。

源頼朝の兄弟というネームバリューがあった割には、兄弟の源義経とは対照的に不詳部分が多いミステリアスな人物といえますねぇ。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)
本堂の脇には真言宗開祖・弘法大師(空海)の銅像

範頼の没後は、子である範円(のりかど)から、為頼(ためより)、義春(よしはる)、義世(よしよ)に至る5代が、吉見氏を称してこの館に居住してたといわれます。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

本堂の右手手前にある鐘楼。
築年代は不詳だった。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

境内社の天満宮。

「地蔵堂」 室町時代の建築物

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

こちらの「地蔵堂」が、室町時代の重要建造物となる。
松山城の戦火をま逃れた建造物、ということですかね。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

建物としては質素な感じの造りですね。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)
宝篋印塔

地蔵堂の裏手の方には、江戸時代の年代が刻まれている供養塔が並ぶ。

岩殿山 息障院光明寺(埼玉県吉見町)

とても静かな境内だった。
それぞれの建築物に関しては特に解説板もなく、情報も少なかった。

息障院光明寺の詳細情報・アクセス

息障院光明寺

住所:埼玉県比企郡吉見町大字御所146-1(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・東武東上線「東松山駅」よりタクシー約15分
・東武東上線「東松山駅」(東口)より、川越観光バスの鴻巣免許センター線乗車約12分、「久保田」バス停下車、徒歩約30分
・JR高崎線「鴻巣駅」よりタクシー約20分
・東武東上線「鴻巣駅」(西口)より、川越観光バスの鴻巣免許センター線乗車約13分、「久保田」バス停下車、徒歩約30分
川越観光自働車のページにて路線バスの時刻表が見れます。
車)
・関越自動車道東松山ICより15~20分程度
・駐車場あり

三谷幸喜脚本の鎌倉幕府を中心とした、権力争いをテーマにした大河ドラマ。 ドロドロとした駆け引き渦巻く人間ドラマを描いた快作!

周辺情報 ~岩殿山 安楽寺ほか~

~食事処~

名代 四方吉うどん

名代 四方吉うどん(埼玉県吉見町)

食事処で迷ったらこちらへ。
息障院から約1.2kmの近隣にある、人気のうどんや「四方吉(よもきち)」。

名代 四方吉うどん(埼玉県吉見町)

太くコシが強い麺を、アツアツのつけ汁で頂くのが武蔵野うどんスタイル。
一番人気の「肉汁うどん」を頂く。ボリュームもあり満腹!

土日ともなると混み合いますが、お店の回転は良い方です。

四方吉うどん

公式ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町中新井990-3(GoogleMapで開く

~近隣スポット~

岩殿山 安楽寺
源範頼が幼少期に身を隠したのがこちらといわれる。
江戸時代には、息障院ともに大寺院を構成していたという。
約1.5kmの近隣にあるので、こちらも是非立ち寄ってみたいスポット。

岩殿山安楽寺(吉見観音)

住所:埼玉県比企郡吉見町御所374(GoogleMapで開く

吉見百穴
吉見町の名所として良く知られる、横穴式の古代の墓所。

吉見百穴

住所:埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324(GoogleMapで開く
※バスによる移動:「久保田」(息障院最寄りバス停)から、最寄りの「百穴入口」までの乗車時間は約7分

松山城跡
戦国時代の城郭跡。
吉見百穴の向かいの高台にあり、百穴訪問の際にあわせて歩いてみるのも一考。

松山城跡

住所:埼玉県比企郡吉見町北吉見298(GoogleMapで開く

岩室観音堂
吉見百穴の向かいにある観音堂。
懸造りと呼ばれる建築物で、崖にもたせかけて造られたその様相にはビックリ!

岩室観音堂

住所:埼玉県比企郡吉見町北吉見309(GoogleMapで開く

~お土産・休憩処~

道の駅 いちごの里よしみ
農産物の直販所や、お土産屋などがある。
名産の吉見産の苺を使った加工品もあります。

道の駅 いちごの里よしみ

公式ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町大字久保田1737番地(GoogleMapで開く

・※バスによる移動:「久保田」(息障院最寄りバス停)から、最寄りの「よしみの里」までの乗車時間は約5分

吉見周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!

\ コカコーラの工場があるので、缶チューハイなんかがあったり! /

息障院光明寺にでかけてみませんか?

伝範頼館跡といわれる息障院を紹介しました。
源範頼の館跡だと伝わりますが、なにぶん800年以上の昔の話で記録も少なく、正直真実のほどは不明。
ですが、歴史を感じさせる雰囲気のある境内でした。

近隣には、源範頼が身を隠していたと伝わる安楽寺もあるので、併せての訪問がオススメです。

記事の訪問日:2023/7/2

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