足利尊氏は室町幕府の創設者として良く知られますが、栃木県足利市はその足利氏の発祥の地といわれます。
鎌倉時代、足利には足利氏の館がありました。
そこに創設された寺院が今回紹介する「鑁阿寺(ばんなじ)」になります。
武家屋敷の名残が残る境内には鎌倉時代の貴重な建築物が残り、本堂は国宝指定されています。
そんな歴史を感じられ見どころも多い古刹を訪ねました。
目次
『鑁阿寺』 鎌倉時代の建築物が残る
「足利家のふるさと足利市」 足利尊氏公像
車の往来のある県道から、参道にあたる大日大門通りに入ります。
静かな佇まいを感じさせる小道が続き、その先に「鑁阿寺(ばんなじ)」が見えてきます。
参道を進んで行くと、鑁阿寺手前に「征夷大将軍 足利尊氏公像」があります。
足利市は足利氏発祥の地といわれます。
八幡太郎義家(源義家)の孫の義康が、足利氏を名乗りこの地を治めたことがその始まりとのこと。
当地ゆかりの足利氏を顕彰するために、良く知られる尊氏の像が平成元年(1989年)に建立されました。
足利尊氏は足利氏の8代目にあたります。
「足利氏宅跡として国指定史跡」 百名城の一つ
こちらの南側の山門が正面入口になります。
最初に鑁阿寺の概略をご紹介。
- 鑁阿寺の概略年表
- 鎌倉時代・建久7年(1197年):足利氏の館内に、足利義兼により真言宗大日派の本山として建立。
- 寛喜元年(1229年):本堂は落雷により焼失。足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修。
- 室町時代:室町将軍家・鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護される。
- 大正11年(1922年):足利氏宅跡として国の史跡に指定される。
- 平成25年(2013年):本堂が国宝に指定される。
寺域はほぼ正方形の約4万m2の敷地。
その周囲には土塁と堀がめぐらされ、鎌倉時代の武家屋敷の面影が残っています。
足利氏2代目の義兼がここに居館を置き、館がそののち寺院へと発展していった名残ですね。
大正11年(1989年)には、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されました。
現在は日本100名城の一つにも数えられます。
山門手前には、屋根付きの太鼓橋が掛かっています。
楼門との組み合わせで、独特で印象的な風貌を見せます。
楼門は室町時代の永禄7(1564年)に、13代将軍の足利義輝によって再建されたものとのこと。
楼門の両側には、仁王尊像が納められている。
像は楼門より古い築のもので、鎌倉時代の運慶作と伝わります。
正面には鑁阿寺の山号である金剛山の額が掛かります。
楼門の組細工は素朴な感じで美しい。
そして楼門は、どうやらハトの憩いの場にもなっているようですなあ。
ハトの落しモノに注意しつつ、門を抜けて境内へ。
「本堂(国宝)」 鎌倉期の中国式寺院建築
境内に入ると参道の先に、寺院の中心的建物で国宝指定されている「本堂」があります。
現在の本堂は、足利尊氏の父・足利貞氏(さだうじ)によって正安元年(1299年)に再建されたものです。
日本古来の建築様式に、中国渡来の禅宗様(ぜんしゅうよう)という新たな様式を取り入れ折衷させたものだそうです。
禅宗様初期の例として貴重で、そもそも鎌倉時代にはこの禅宗様建築自体類例が少ないようだ。
禅宗様の特徴は、木割が細く組物の装飾的な造りが多いのが特徴らしいです。
屋根下あたりがその特徴を現している箇所ですかねえ。
ちなみに、本堂正面の彫刻や装飾には、江戸時代に施されたものも含まれているようだ。
屋根にはシャチホコや鬼の顔の鬼瓦が載ってましたが、江戸時代のものかな?
本堂では御朱印の頒布や、御城印の販売がおこなわれていました。
日本100名城スタンプもこちらにありますよ。
「一切経堂」 足利満兼の再建
境内には、本堂以外にも多くの文化財があります。
ちなみに見学の入場料は特に発生しません(有難い!)。
一切経堂( いっさいきょうぞう)は経典を納めたお堂で、国指定の重要文化財です。
元は足利義兼の創建ですが、現存の建物は足利満兼により応永14年(1407年)に再建されたものとのこと。
堂内部の中央には一切経2千巻余りを収めた、高さ15m程の八角型の輪蔵(経棚)がある。
その取っ手を押して1回転させると、経典をすべて読んだのと同じ御利益が頂けるそうですよ!
便利な、いや、ありがたい物があるんですねえ。
初詣の時期や春秋の大祭には、一般に公開されるそうです。
「多宝塔・蛭子堂・大黒堂・大西堂」 徳川家とゆかりも深い
「多宝塔」には、金剛界大日如来本尊前と勢至菩薩(二十三夜尊)が祀られます。
建物は県指定文化財です。
現在の建物は徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院により、元祿5年(1692年)に再建されたものと伝わっていました。
しかし、調査時に寛永6年(1629年)銘のものが発見され、築年代は更にさかのぼることが判明したそうです。
ちなみに徳川家は上野国新田の一族徳川氏を遠祖としており、近隣の徳川郷(現、群馬県太田市)をその祖先の地としています。
塔内には足利家の大位牌と、徳川歴代将軍の位牌が祀られます。
多宝塔の近くには、県指定の天然記念物である大銀杏が青々と生い茂っていました。
樹齢550年前後といわれます。
秋の訪問も良さそうですね!
北側にはお堂などが並びます。
「蛭子(えびす)堂」 には、足利義兼の妻・北條時子(源頼朝の妻・北條政子の妹)が祀られています。
同じ並びにある 「大黒堂」は、宝暦2年(1752年)に再修されたれた校倉(あぜくら)風の建物。
宝物が収蔵されていた建物です。
「大西堂(おおとりどう)」は、足利尊氏を祀るために建立された堂。
明治中期からは、大酉大権現を本尊とするようになりました。
「御霊屋」 足利義兼の父・祖父の墓所
そして境内北西の奥まった場所にあるのが、板塀で囲まれ特別感感じる「御霊屋(おたまや)」。
こちらは先祖の霊をお祀りするための施設。
現在の建物は、徳川11代将軍家斉の寄進により再建されたもの。
中には拝殿と本殿が配され、正面に棟門が設けられています。
本殿には源氏の祖を祀り、拝殿には足利15代将軍像が祀られています。
本殿裏手には足利義兼の父・義康と祖父・義国の墓があります。
屋根部には徳川家の家紋である三つ葉葵が輝いていましたよ!
御霊屋の境内に入ることはできませんでした。
「足利義兼建立の鐘楼」 国重要文化財
場所が変わって、南東エリアでは庭園風の造りによる緑が楽しめます。
そしてこちらにある「鐘楼」は、鎌倉時代の建久7年(1196年)に足利義兼が建立したものが現存。
国重要文化財です。
こちらの建築も鎌倉時代の和様と中国式の折衷様式で、禅宗様式の代表的な建造物とのこと。
元祿時代に再鋳された梵鐘も、戦時の供出を免れて残っているそうですよ。
境内周囲の土塁上から、外側周囲に水堀を望む。
昔の館跡としての形態が残ってるのが良く見てとれました。
「太平記館」 大河ドラマのロケ地の名残
本日はとても暑い日でして、見学後、参道にあった「甘味処鎌倉」に一時避難。
甘酸っぱいイチゴのわらび餅ドリンクで一服。生き返ったわあ~。
こちら鑁阿寺からは2~3分程の近場にある、観光案内所「太平記館」。
平成3年(1991年)にNHK大河ドラマ「太平記」が放映されましたが、これは真田広之氏主演で足利尊氏を描いたものでした。
その際、足利市に鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、撮影がおこなわれたんですね。
その放映を記念して建てられた施設が太平記館で、現在も観光施設として活用されています。
訪問時は、休憩や当地のお土産を探しに立ち寄ってみて下さい。
鑁阿寺(足利氏宅跡)の詳細情報・アクセス
鑁阿寺(足利氏宅跡)
公式ページ
住所:栃木県足利市家富町2220(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR両毛線「足利駅」から徒歩約10分
・東武伊勢崎線「足利市駅」から徒歩約10分
車)
・北関道自動車道「足利IC」から約15分
・境内無料駐車場50台
鑁阿寺(足利氏宅跡)に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2022/8/19
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