
東京都品川は昔より海に近く交通の便が良かったため、品川神社は創始したとされる源頼朝をはじめ、徳川家康が関ヶ原の戦いの際に戦勝祈願をおこなうなど、武将達からの崇敬を受けました。
そんな品川神社は、富士塚と呼ばれるミニチュア富士山に登れたり、多くの狛犬や珍しい鳥居に出会えるなど、見どころも多い神社です。
東京十社の一つでもある品川神社を紹介します。
『品川神社』 東海道北品川の鎮守
「昇龍・降龍の鳥居」 大黒天が出迎え

品川神社は品川駅から京浜急行で2駅目の新馬場(しんばんば)駅が最寄り駅です。
駅を出ると国道15号線を挟んでボコっとした台地があり、その上に神社が鎮座しているのが良くわかります。

入口鳥居の脇には、七福神の一人である大黒天の石像があります。
品川近隣の旧東海道沿いを歩く「東海七福神巡り」が設定されており、品川神社の大黒天はその一神に数えられます。
こちらの大黒さまは、かなり力が入った表情が印象的。ふと、近くの大井競馬場を思いだしまして「差せ!差せ!」とか叫んでるのかな、とちょっと思っちゃいました。早々、下世話でスミマセン。

入口の鳥居は非常に特徴的で、石の鳥居に龍が彫られています!珍しいなあ~。
左右に分かれて昇龍・降龍が装飾されています。右側は尾が下向きなので、昇っている様に見えますが。
日光東照宮・唐門の木造柱の昇龍・降龍を思い出しましたが、石の鳥居のは初めて見たかも。

こちらは左側の柱の龍。鳥居は大正14年(1925年)に建造されたものです。
入口からして見どころ多く、しばし左右行ったり来たり(笑)。
「境内」 鳥居や狛犬多し

入口の鳥居脇に狛犬がいましたが、石段登った所にも狛犬がいました。
品川神社には狛犬が多くあり、見て回るのもなかなか楽しい。
こちらは江戸時代初期の寛政4年(1789年)に奉納された、古い狛犬でした。

ツノがある狛犬です。日本の狛犬の始まりとされる平安時代では、ツノがあるのが正統派スタイルだったらしいですよ。

「包丁塚」は使い古された庖丁と鳥獣魚介慰霊のために、品川区鮨商環衛組合連合会が建てたもの。
江戸時代より品川は江戸出入り口の要所となる宿場町だったため、飲食関係の店が多いそうだ。

約4.5Km位を歩くコースになり、七福神詣の元旦から1月15日までの期間には宝船と七福神像の授与があります。
品川神社のホームページにマップ(おめぐり図)があるので、挑戦してみてはいかが?

右手奥には「御岳神社」。
山に見立てたと思われる2m程度の高台に祀られている。

境内中程の鳥居を抜けるとまたまた狛犬がいますが、こちらは備前焼の狛犬でしたよ!

江戸時代後期の文政13年(1830年)年に奉納されたもの。焼かれた備前(現、岡山県)の窯元の名前も彫られているんですねー。
まるっとした雲みたいな台座もちょっと変わっている。江戸時代に遠方から取り寄せしていることからも、かなりのこだわりの逸品とみた。
「都内で2番目に古い鳥居」

社殿の前にある鳥居は、江戸時代初期の慶安元年(1648年)に造られたもの。
3代将軍・徳川家光公の側近・堀田正盛公が奉納した石鳥居だそう。

鳥居としては、都内で上野東照宮に次いで二番目に古いそうです。 品川区の指定有形文化財。
「社殿」 源頼朝の勧請

こちらが社殿です。現在の社殿は、老朽化により昭和39年(1964年)に新築されたものです。
御祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)・宇賀之売命(うがのめのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の3祭神です。

ここで品川神社の由緒を紹介。
- 品川神社の由緒
- 平安時代末期・文治3年(1187年):源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座)の天比理乃咩命をお迎えして、海上交通安全・祈願成就されたのが創始。
- 鎌倉時代末期・元応元年(1319年):二階堂道蘊(どううん)公が「宇賀之売命(お稲荷様)」をお祀りした。
- 室町時代中期・文明10年(1478年):太田道灌(どうかん)公が「素盞嗚尊(天王様)」をお祀りした。
- 慶長5年(1600年):徳川家康公が関ヶ原の戦い出陣の際に当社へ参拝し、戦勝祈願した。その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などが奉納される。
- 江戸時代・寛永14年(1637年):徳川3代将軍・家光公により品川東海寺が建立され、その鎮守に定められる。以後、元禄7年(1694年)・嘉永3年(1850年)の社殿の焼失の際には徳川将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けた。
- 明治元年(1868年):明治天皇が「准勅祭神社」の一つに定められた。

昔より海に近いため交通の便が良く、さらに江戸時代には江戸に近い要所の宿場町となった品川。
そんな場所にあった品川神社は、それぞれの時代において武将や将軍家と深い繋がりがあったようですね。
現在は元准勅祭神社として、東京十社に数えられています。

手水舎の額には、例大祭で神輿の屋根に付けられている「天下一嘗の面」が描かれています。例大祭は例年6月に開催され、現在は神輿にはレプリカの面を付けているようです。
宝物殿は正月期間、6月の例大祭期間中、11月中の土・日・祝日に公開。それ以外の期間は、事前予約にて見学できるようですよ!
「阿那稲荷社」 御神水で銭洗い

本殿の横にある境内社「阿那稲荷社」を巡ってみます。
稲荷社らしい小さな鳥居の並びをくぐり、中へ。

真っすぐ進むと阿那稲荷社の社があります。
こちらは上社と呼ばれ「天の恵みの霊」を祀っているそうです。

で、阿那稲荷社は上社・下社の2社で構成されてまして、上社の横に下社へ通ずる道があります。
台地の地形を生かした不思議な配置ですなあ。何やら秘めやかな雰囲気ですよー。

こちらが下社ですね。 額には「一粒萬倍」と書かれていますが、どういうことでしょう??

それでもって、こちらがありがたい「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の御神水」。湧き水ですかね?
一粒の米が萬倍の稲穂となるがごとく、大きな御利益が頂ける水のようですよ!特に印鑑・銭にこの水をそそぐと吉とあります。本日は生憎印鑑を持ち歩いてないなあ。。。あっ、いつもですがね。
小銭をザルに入れて洗いました。100円を洗ったから萬倍で100万円か、よしよし。その際、銭を地元商店街で使用した場合、という条件があるようです。その点チト注意ですな。
「浅間神社」 三遊亭円丈奉納の狛犬

「浅間神社」は入口の石段を登ったすぐの所にある境内社。
この裏手にある後述の富士塚とセットの存在になる、富士山信仰の神社です。

社殿の前の勇ましい狛犬は、台座も凝っている。色のついた富士山が描かれており、その上に敷かれた雲に狛犬が乗っている。
これ、実は落語家だった故・三遊亭円丈(さんゆうてい えんじょう)氏が、平成16年(2004年)に奉納したもの。「くも狛犬」と命名されています。
三遊亭円丈氏は、日本参道狛犬研究会(通称・狛研(こまけん))なる会を発足する程の狛犬好きとして知られてたんですよ~。

交通旅行安全守護「ぶじかえる」の蛙の石像。どうも、富士+蛙で”ふじ蛙”から来ている気がするが。。。如何に?
「富士塚」 ミニ富士登山!

最後に、都内でも有数の大きさといわれる品川神社の「富士塚」を紹介します。
富士塚は、江戸時代に大変盛んになりました。
これ、実は登るのがちょっと楽しみだったんだよね。富士塚の登山道入口は、神社入口の石段途中にあります。

1合目から9合目までの標石も配置されており、まさに本格的なミニチュア富士山!
毎年7月上旬には、現在も講社による山開きの神事がおこなわれているそうです。神事が継続されている富士塚は少ないそうですよ。

2合目ではちょっと怖そうな者達が見守ってくれてます。鬼かな?
- 品川神社 富士塚の変遷
- 明治2年(1869年)、北品川宿の丸嘉講社(まるかこうしゃ)の講中300人により造築。
- 神仏分離政策で一時破壊、明治5年(1872年)に再築。
- 大正11年(1922年)、国道第一京浜建設のため現在地に移築。
紆余曲折あって、現在地に落ち着いたようですね。

山肌広範囲に溶岩(本物?)が施され、リアルな仕上がり。
頂上近くの7合目の先は、ちょっぴり険しくなります。(頂上はすぐそこです!)

最後の石段を登ると、はい!眺めの良い山頂に到着です。
第一京浜(国道15号線)を眼下に、そして高架を走る京急の電車をも見下ろせる眺めはプチ絶景。地上からは約15m程の高さになります。
昔はビルも無く、もっと遠くまで見通せたのでしょうなあ。
富士塚は品川区指定有形民俗文化財になっています。
御朱印

![]() | 価格:2,640円 |

アクセス
住所:東京都品川区北品川3丁目7-15(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・京浜急行「新馬場駅」北口から徒歩1分
・JR「品川駅」から徒歩15分(800m)
・JR・東急「大井町駅」から東急バス(品94・渋41)で、「新馬場駅」下車徒歩3分
車)
・駐車場あり(国道15号側から入場)
品川神社へでかけてみませんか?

品川神社を紹介しましたが、いかがでしたか?
新旧様々な興味深い奉納物があり、歴史の由緒を感じたり物珍しさで興味津々になったりと、見どころの多い神社でしたよ。
富士塚については、地元で気軽に富士山参拝を可能にしちゃうシステムを編み出した、江戸庶民の知恵を感じますね。
そんなことで、時間をかけてゆっくり参拝することをオススメしたい神社でした。
品川神社に参拝に出かけてみませんか?

サステナブルにお得な買い物ができるって、いいんじゃない。
【記事の訪問日:2022/7/10】