
東京都江東区にある「亀戸天神社」は、太宰府天満宮の神官が東の地の天満宮としてこの地に建立しました。
江戸時代には徳川幕府より社地の寄進を受けるなど由緒ある神社で、現在は東京十社にも数えられます。
境内は本家・太宰府天満宮を模して造営されており、菅原道真公の御神徳を頂けるスポットが沢山ありますよ!
そんな、亀戸天神社の見どころや歴史を紹介します。
『亀戸天神社』 亀戸の天神さまを参拝
「大鳥居」 菅原道真公を祀る

東京都江東区にある「亀戸天神社(かめいどてんじんじゃ)」は、学問の神様と呼ばれる菅原道真公を祀る神社です。

江戸時代に太宰府天満宮の神官がこの地で東の地の天満宮として建立し、九州の太宰府天満宮の境内を模して造営したそうですよ。
東京に居ながらにして、太宰府天満宮参拝気分が味わえそうですね!
「男橋・平橋・女橋」 太宰府天満宮を模す

まず鳥居をくぐって境内に入ると男橋と呼ばれる太鼓橋がありますが。。。おおっー、ご覧の通り東京スカイツリーの絶好の撮影スポットになってますね!
スカイツリーは若干2km程度の場所にあります。境内各所で見え隠れするツリーを追っかけるのも、亀戸天神社参拝の楽しいところだったりします。

境内には「心字池(しんじいけ)」という池があり、そこに橋が架かっています。
心字池は「心」の文字にかたどって造られた池だそうですね。確かに境内図を見ると心の文字が見えてくるような、こないような。。。。
池周囲には梅の木や藤棚があります。亀戸天神社は花の名所としても知られ、梅まつり・藤まつりの時期には多くの参拝客が訪れます。
菅原道真公と関係が深い梅の木は約200本が植えられているそうで、太鼓橋との組み合わせも映えそうですね~。

最初の太鼓橋(男橋)は過去の人生を、次の平橋(ひらばし)は現在を、つぎの太鼓橋(女橋)は希望の未来を現すそうです。
そして3つの橋を渡るごとに心が清められながら神前へ進める、ということになります。なるほど、深い。

池をのぞくと。。。ちょっと気持ち悪いくらいの数の亀が!亀戸つながりで亀が大事にされているのかな。
ちなみに亀戸の地名の由来ですが、昔はこの一帯は島になっていてそれが亀のような形をしていた、ということらしいですよ。

そんな感じで女橋まで進んで行くと、道中見え隠れしていた社殿が徐々に見えてきます。
「社殿・神楽殿」 徳川家綱公が社地寄進

3つの橋の山あり谷ありを抜けると、視界が広がり社殿が現れます。

亀戸天神社には天満大神として菅原道真公が祀られ、 相殿で菅原家の祖神である天菩日命(あまのほひのみこと)が祀られています。

- 亀戸天神社の由緒
- 正保3年(1646年):九州の太宰府天満宮の神官で菅原道真公の末裔・菅原大鳥居信祐公が天神信仰を広めるため、亀戸村の小さな祠に御神像をお祀りしたのが始まりとされる。(菅原大鳥居信祐公は亀戸天神社初代別当。)
- 徳川幕府は本所を明暦大火(1657年)の被害の復興事業地とさだめ、4代将軍・家綱公がその鎮守としてお祀りするよう現在の社地を寄進。
- 寛文2年(1662年):菅原大鳥居信祐公が地形を始め社殿や楼門・心字池・太鼓橋など、境内の多くを太宰府に倣って造営したのが現在の境内の起源。当時は亀戸宰府天満宮と称した。
- 明治6年(1873年):東京府社となって亀戸神社と改名。
- 昭和11年(1936年):現在の亀戸天神社へ改名。
現在は、元准勅祭神社として東京十社にも数えられます。
江戸時代の建造物に関しては、昭和20年(1945年)の空襲で残念ながら境内ほぼ焼失。社殿は昭和54年(1979年)に再建されたものです。

社殿向かって右手側には「神楽殿」があります。

道真公が題材と思われる彫刻が彫られていた。梅の花が一杯!
「御神牛・五歳菅公像・鷽の石像」 道真公ゆかりの像

社殿の左手に「御神牛(ごしんぎゅう)」の像があります。触れた部分の病を治し、知恵を授かるとされます。
部分的に色が変わっている部分が、願掛けの人気箇所なんでしょうなあ。
菅原道真公は、承和12年(845年)の乙丑(きのとのうしの)年に生まれて以来、牛とはゆかりが深かったようです。
それが、菅原道真公の意志とされその地を埋葬地とした。それが太宰府天満宮建立の起源とされています。

「五歳菅公像(ごさいかんこうぞう)」の台座には、道真公が5歳の時に庭の紅梅について詠んだ和歌が刻まれています。
5歳で和歌を詠われるとは!さすが、後に学問の神様といわれるだけあって早熟ですなあ。

亀戸天神社では「うそ替え神事」という神事が1月に行われるそうだ。
この鷽を嘘に見立て、鷽(嘘)を取り(鳥)替えるということで、幸運・開運を招こうという習わしだそうです。
神事当日は神社の神職が彫った鷽が境内に並び、参拝者は古い鷽を新しい鷽と交換してお参りするとのことです。
主に菅原道真を祭神とする神社・天満宮において行われる特殊神事のようです。
「御嶽神社・紅梅殿・弁天社」 境内社

「御嶽(みたけ)神社」は、道真公の教学・御祈の師として縁が深かった法性坊が祀られています。
寛文9年(1669年)に、九州太宰府御嶽山より勧請し建立されました。現在の社殿は昭和51年(1976年)に再建されたもの。

天明元年(1781年)に奉納された、御嶽神社内にある石灯籠。

心字池の中央、女橋のたもとあたりにある 「弁天社」は、太宰府天満宮の心字池の畔に鎮座する志賀社を勧請したもの。
だが、当時の文人が不忍池の弁天堂に見立てたことから、弁天社と呼ばれるようになったそうな。

心字池の西側にある「紅梅殿」は、寛文2年(1662年)に太宰府天満宮の御神木・飛梅の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのが起源です。
「スカイツリーと社殿」

参拝最後に余談ですが。。。、訪問日はコロコロと変わりやすい天気で、雲の流れが速い日でした。
そんな中で、社殿の背景でそそり立ち雲間に見え隠れするスカイツリーを眺めるのが楽しかった。

あっ、クッキリ見えてきたよ!ってな感じに。
「御朱印」

アクセス
住所:東京都江東区亀戸3丁目6番1号(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR「亀戸駅」北口から徒歩約13~15分
・JR・東京メトロ「錦糸町駅」北口から徒歩約15分
車)
・駐車場あり
亀戸天神社周辺の立ち寄りスポット
参拝の行き帰りに立ち寄った周辺スポットをいくつか紹介。
「亀戸梅屋敷」 江戸切子のギャラリーも

名産品販売や各種イベントをおこなっている観光施設です。亀戸天神社の行き帰りに寄れるので、ちょっとのぞいてみるのも良いかも。

江戸切子を展示販売するショップ・ギャラリーがあり見学できる。
「船橋屋」 くず餅の元祖の店

亀戸天神社の近くに本店を構える老舗「船橋屋」。江戸時代の文化2年(1805年)開業の、くず餅の元祖の店として知られます。
伝統の製法で作られたくず餅は、しなやかかつ弾力ある独特の歯応えが楽しめましたよ!イートインもあります。
「亀戸ぎょうざ」 下町の名店

JR亀戸駅からは徒歩すぐ、ちょっと裏路地に入った所に地元名物「亀戸ぎょうざ」があります。
”街角の名店”の呼び名が似合う店構えがイイ。

店の前には列は長い列ができてましたが、比較的回転良く程なく入店。
餃子1人2枚がお約束で、デフォルトでオーダーが入る。練りからしが付いてくるのが珍しい。
ちょっと小振りでカリカリッという食感が良く、重くないので何枚でもイケそうだ。思わず一皿追加。
ちなみに、メニューにライスは無く文字通り焼き餃子専門店。店内も活気があり雰囲気も楽しい。
亀戸天神社へ出かけてみませんか?

東の太宰府天満宮と呼ばれる亀戸天神社を紹介しましたが、いかがでしたか?
九州の太宰府天満宮を模した境内は、色々と見どころも多く沢山の御利益が頂けた気がします。花の天神様とも呼ばれていますので、今度は梅か藤の花の季節に訪問してみたいです。
亀戸天神社に参拝に出かけてみませんか?

サステナブルにお得な買い物ができるって、いいんじゃない。
【記事の訪問日:2022/7/17】