
東京都江東区にある「富岡八幡宮」は、江戸時代には徳川将軍家の庇護を受けた江戸最大の八幡様です。
例祭の「深川八幡祭り」は江戸三大祭の一つとして知られます。
また、後に現在の大相撲にも繋がってゆく、江戸勧進相撲発祥の地でもあり、相撲に関連する記念碑が多く残ります。
地元では深川の八幡さまとして親しまれている、富岡八幡宮を紹介します。
『深川の八幡様・富岡八幡宮を参拝』
「江戸最大の八幡宮」 江戸随一の門前町

地下鉄・門前仲町駅から5~6分程歩いてゆくと、朱色の立派な大鳥居が見えてきます。
社殿に向かい真っすぐ伸びる参道は、えらく賑わっており活気がありますね!
毎月第3をのぞく日曜日は、骨董市の開催日だそうです。
のんびりのぞきながら進んでゆきます。

富岡八幡宮の由緒をご紹介。
その後、周辺が埋め立てられ社有地が広がります。
そして、徳川将軍家の庇護を受け江戸最大の八幡様となり、周辺も江戸随一の門前町に発展しました。
地元では「深川の八幡さま」として親しまれています。
「伊能忠敬像」 旅の無事を祈念

参道には石碑などが色々あり見るのが楽しい。
こちらは「伊能忠敬像」。
近代日本地図の始祖といわれる伊能忠敬は、50歳の時に現・千葉県より江戸に出て天文学・測量術を学びました。
その際、富岡八幡宮近くに住まいを構えていたそうなんですね。
全国の測量に出かける際、弟子たちと共に富岡八幡宮で旅の無事を祈念したのち、測量地点に向かって歩き出したそうです。
像は測量開始200年の節目の平成13年(2001年)に建てられたものです。
伊能忠敬ゆかりの地の記事はこちらにも!
「神輿庫と深川八幡祭り」 日本一の大神輿

参道を進むと、立派な神輿庫がど~んと現れます。
富岡八幡宮は、お祭りでも広く知られている神社なんですね。
日枝神社(赤坂)の山王祭、神田明神の神田祭とともに、富岡八幡宮の例祭としておこなわれる「深川八幡祭り」は江戸三大祭の一つに数えられます。
深川八幡祭りは8月15日を中心に開催される。
3年に一度の本祭りは特に盛大で、50数基の町神輿が勢揃いして町内を練り歩きます。

江戸時代、富岡八幡宮には深川に屋敷のあった豪商・紀伊国屋文左衛門が奉納した豪華な神輿3基があったそうだ。
しかし、残念ながら大正の関東大震災で全焼。
日本一の大神輿といわれます。
高さは4m39cm、重量は4.5トン、大輪幅1m51cm、屋根の最大幅は3m2cmとその大きさも凄いが、装飾の鳳凰や狛犬にはダイヤモンドやルビーが埋め込まれており、そのリッチな仕様にも驚きだわ。
ちなみに祭りの際に担がれるのは、一の宮神輿の後に製作された二の宮神輿とのこと。
「大関力士碑と釈迦嶽等身碑」 市川団十郎寄進碑

参道には歴代の大関を顕彰して、昭和58年(1983年)に建てられた「大関力士碑」があります。
富岡八幡宮は、江戸勧進相撲発祥の地としても知られます(詳細は後述)。

これは「釈迦嶽等身碑」。
江戸時代に活躍した力士・釋迦ヶ嶽(しゃかがたけ)は、身長2m26cm、体重172kgの雄大な巨体を誇ったそうだ。
この石碑はその身長と同じ高さにつくられたもの。
いやあ、デカいなあ~。
円柱の背後右手の石碑は、明治31年(1898年)に9代目市川団十郎が寄進した碑で、江戸時代の大関の力士名が彫られています。
「本殿」 社は徳川将軍家が手厚く保護

見るもの多い参道を寄り道しながら進んで行くと、やがて社殿に到着。
社殿の様式は重層八幡造りといわれるそうだが、お城の天守みたいな造りですなあ。立派だ。
御際神は八幡神である応神天皇(おうじんてんのう)が祀られます。
相殿神として、神功皇后(じんぐうこうごう)・仁徳天皇・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・常磐社神・武内宿祢命(たけうちのすくね)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・竈大神(かまどおおかみ)の、八柱の神が祀られています。

江戸時代に建てられた社殿は、残念ながら大正時代の関東大震災で焼失しています。
社殿はその後、昭和8年(1933年)に復興されましたが、これもまた昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失。
現在の社殿は昭和32年(1957年)に建立されたものです。

江戸時代には八幡神を尊崇した徳川将軍家の保護を受けました。
また、明治維新後には准勅祭社に定められました。
現在は、元准勅祭社の東京十社の一つに数えられています。

社殿側からの全景。
賑わって楽し気な雰囲気ですね。
「大鳥神社・恵比寿社ほか」 酉の市や深川七福神

社殿の西側にある境内社。
右から大鳥神社・鹿島神社の合祀社、中央が恵比寿社・大国主社の合祀社 、左が金刀比羅社・富士浅間社の合祀社です。
大鳥神社では、11月の酉の日に酉の市が開催されます。
恵比寿社には、「深川七福神」の恵比寿神が祀られてます。
「横綱力士碑」 江戸勧進相撲発祥の地

社殿東側の奥まった場所には、巨大な「横綱力士碑」があります。
大きさは高さ3.5m、幅3m、重量20トンと、石碑もまさに横綱級のドデかいもの!
これは第12代横綱・陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう)が発起人になり、明治33年(1990年)に建立された碑。
歴代横綱を顕彰するもので、横綱の力士名が刻まれています。
富岡八幡宮に相撲関連の石碑が多いのは、現在の大相撲の基礎が富岡八幡宮で築かれた、という由縁によります。
- 江戸勧進相撲発祥の地について
- 興行としての相撲は、江戸時代初期から主に勧進(かんじん)相撲としておこなわれた。
これは社寺が建立や移築の資金を集めるための興行でした。 - しかし勝敗をめぐる喧嘩等のトラブルが多く、幕府がたびたび禁止令を出す。
- 一方、明暦3年(1657年)に江戸に起きた明暦の大火後、多数の寺社再建が急務となる。
寺社奉行の管理下で、職業相撲の団体結成等を条件に勧進相撲の興行が許可された。 - 貞享元年(1684年)、幕府公認の勧進相撲が富岡八幡宮境内で最初におこなわれた。
- その後, 明和年間(1764~1771年)には、春・秋2場所のうち1場所がこの地で開催され、享和元年(1801年)までに、本場所31回が開催された。
- それにより富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥地とされています。

近年の横綱の方々の名も刻まれてますよ。
新横綱誕生時には、こちらで相撲協会立会いのもとに刻名式がおこなわれるそうです。
その際、新横綱の土俵入りが奉納されるそうですよ!
相撲好きにはたまりませんな。
碑の両側に刻まれている当時の賛同者の名には、伊藤博文・大隈重信といった著名人の名もありました。
「永昌五社稲荷神社」 東京大空襲の傷跡

社殿東側にも境内社があり、巡ってみます。
合末社入口にあたる鳥居は上部が欠落しており、何やら中途半端な形状。
これは東京大空襲の際、焼夷弾の直撃を受けて上部が崩れ落ちたものだそう。
戦争の痕跡を後世に伝えるために、あえてこの状態で残しているそうなんですね。

「永昌五社稲荷神社」のミニ鳥居。

「永昌五社稲荷神社」は、東京大空襲の焼失を免れた数少ない建物の一つとのこと。
「七渡神社と弁天池」 静けさ漂う

「七渡(ななわたり)神社」には八幡宮創設以前からの地主神が祀られ、七渡弁天さまと呼ばれてるそうです。
七渡神社近くは「弁天池」があります。
こちらでは、参道・社殿側とはうって変わって、静かな散策が楽しめました。

歌碑や石碑なども色々ありました。
こちらは、東京都無形民俗文化財指定の「木場の木遣りの碑」。
木場は材木置場(貯木場)のこと。
江戸で木材の需要が高まった時期、木材の置場がこの地・永代島に集められたそう。
木場の作業の時に木遣り(きやり)と呼ばれた掛け声があり(仕事唄みたいなもだと思うが)、それが無形文化財に指定されているそう。
一度聞いてみたいものだ。
御朱印

アクセス
住所:東京都江東区富岡1-20-3(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東京メトロ東西線「門前仲町駅」より徒歩3分
・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」より徒歩6分
・JR京葉線「越中島駅駅」より徒歩15分
・JR「東京駅」より車で15分
車)
・首都高速「箱崎IC」より10分、「木場IC」より5分、「枝川IC」より7分
富岡八幡宮にでかけてみませんか?

富岡八幡宮を紹介しましたが、いかがでしたか?
本文では紹介しませんでしたが、実は富岡八幡宮は、近年に宮司の地位継承や金などに起因する事件がありました。
現在は体制が一新され、運営の健全化が目指されているようです。
最後に負の話題も紹介させて頂きました。
江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」が行われる神社。
そして、江戸勧進相撲発祥の地であったり、伊能忠敬にもゆかりがあったりと見どころの多い神社でした。

サステナブルにお得な買い物ができるって、いいんじゃない。
【記事の訪問日:2022/5/8】