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歴史に興味がある貴方に是非訪問して欲しい、埼玉県行田市の「前玉神社」をご紹介。
平安時代の延喜式にも載るこの古社は、県下最大の古墳群・埼玉古墳群に隣接します。
この地は県名発祥地といわれていますが、前玉神社が県名発祥の神社だったともいわれるんですね。
そんな歴史ロマンあふれる神社には、猫ちゃんが境内を案内してくれるという楽しげな話題も。
歴史好きも猫好きも、本記事を見て参拝に出かけませんか?
『前玉神社』 埼玉古墳とも関連深い式内社
埼玉古墳群に隣接した鎮座地

埼玉県行田市には埼玉(さきたま)という地名があり、この地は県名発祥の地といわれています。
埼玉の地にはそんな歴史を象徴するように、県内最大の古墳群「埼玉(さきたま)古墳群」があります。
古代よりの歴史ロマンを感じさせるエリアなんですね。
そして「前玉神社」は、その埼玉古墳群に隣接して鎮座します。
神社境内の裏手にまわると、なんと古墳群の南側にある鉄砲山古墳が見えちゃうくらい近い!
そんな前玉神社は、埼玉古墳群とも深い関わりがある神社といわれています。
\ 埼玉古墳群の詳細紹介はこちら! /
忍城城主家臣が奉納した石鳥居

前玉神社は、平安時代に編纂された全国の官社神社一覧である、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも記載がある歴史のある神社です。
また、奈良時代の文献には武蔵国前玉郡の表記があり、その中心にあったのがこの前玉神社。
700年代半ばに前玉から埼玉へと漢字の変化があったことから、当社が県名発祥の神社であるともいわれています。

参道入口には年代を感じさせる石鳥居。
扁額には富士山の文字が見えます。
富士山信仰があった神社なのがうかがえますね。
この大鳥居は、江戸時代の延宝4年(1676年)、忍城(おしじょう)の城主である阿部正能の家臣と氏子によって建立されたものだそう。
柱に由来を示す銘文が刻まれているのが貴重で、市指定の文化財となっています。

城下町の神社として、忍城とのつながりもあったようですね。
様々な時代との繋がりを感じさせる神社で、歴史好きの心をくすぐりますね。
落ち着いた雰囲気の参道が、境内へと続いています。
二の鳥居・三の鳥居を抜けて境内へ

こちらの二の鳥居には、前玉神社の額が掛かります。
鳥居の右側に社務所があります。

次に三の鳥居が現れ、その先にこんもりとした小山が現れます。
この上に社殿があります。
江戸時代はこの小山を富士山に見立てて、信仰がおこなわれたんでしょうね。
で、ちょっと蛇足ですが、この先は季節によっては、虫除けスプレーの持参を強く推奨します!マジで(苦笑)。
本殿は古墳の上に鎮座!?

そして、その創建は400年代後半~500年代前半の古墳時代ではないか、ともいわれます。
そして、前玉神社は埼玉古墳群と関連性が深いとも考えられています。
建立されている方角も、古墳群に向かい祈願していた名残だとも。
これだけ古墳群に近いと、そういった説に実感を感じますなあ。

そして実は。。。、社殿があるこの小山も「浅間塚古墳」と呼ばれる古墳だったりします!
「本当に古墳か?」と言われてたらしいですが、平成9・10年の発掘調査により、幅10mに及ぶ周溝が確認され古墳であることが判明。
形状は、直径約50m・高さ8.7mの円墳だそうです。
石室の石材と思われる角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)も発見されてるそう。
埼玉古墳群終焉期である、7世紀前半頃のものと時代考察されています。
この辺はつくづく古墳に囲まれた地域なんですなあ。

こちらが墳丘の上にある社殿です。
前玉神社の御祭神は、出雲系の神様である前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱。
男女一対の御祭神であることから、恋愛成就や夫婦円満、縁結びの祈願をする参拝者が多いそうですよ。
社殿のある敷地はとにかく狭い。
写真はこれでも一番引いて撮ってます。

拝殿をのぞかせて頂くと奥に本殿の一部が見えますが、外側からは本殿は見えないような造りでした。
万葉集歌碑は全国的にも最古の一つ

本殿の石段両脇には、江戸時代の元禄10年(1697年)に奉納された「万葉灯籠」が建っています。

日本最古の現存歌集である万葉集のなかの、埼玉の地について詠んだ歌が刻まれています。
万葉集の歌碑としては全国的にも最も古いものの一つ、だといわれています。

こちらは平安末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、僧侶・歌人である西行の歌碑。
西行が、当時の前玉の宮の栄華を詠った歌が彫られています。
碑は昭和に奉納品されたもの。
浅間神社は”下の宮”と呼ばれていた

墳丘の中腹にあるこちらは「浅間神社」。
元々は忍城の城中にあった浅間神社が、こちらに勧請されたそうだ。
当時は、頂上の社を「上の宮」、中腹のこちらを「下の宮」と呼んでいたとのこと。
明治になり上の宮は前玉神社に、下の宮は浅間神社の名で境内社となりました。
御祭神は「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)」で、子育て・安産・産業の神様として崇敬されています。

「浅間神社」では、当歳児から3歳児の額に朱印を押して成長を祈る、「初山」のお祓いが有名なんだそうだ。
想像しただけでも、お子様本人は激しく嫌がりそうな儀式だわ(苦笑)。

浅間神社の向かいにも、古そうな石碑がありました。
菅原道真を祀る天神様、そして恵比須様・大黒様

こちらには小さな祠の末社。

左は「天神様」で、学問の神様である菅原道真公が祀られていました。

右の祠には、恵比須様と大黒様。
左側が打ち出の小槌をお持ちの大黒様で、右の太っ腹な感じなのが恵比寿様です。

三の鳥居手前にある「明治神社」には、明治41年(1908年)より埼玉地区の神社が合祀されました。
16もの神様が祀られているんですよ。
御神木は県内最大のマキの木

敷地内には「龍泉池」がありました。
名前より龍の伝承がありそうな池ですが、由緒の確認を失念しました。
池の中に前方後円墳が!と思ったのは私だけかな?

入口の駐車場脇には御神木。

イヌマキと称される常緑の高木です。
推定樹齢600年・樹高20m、目通り幹周4m、根回り5.5mで、現存するマキとしては県内最大のものだそうだ。
看板猫と猫の御朱印が可愛い!

ここまでは歴史好き向けの神社紹介が続きました。
ここからは前玉神社のもう一つの魅力である、ゆるい魅力を紹介。
この神社には4匹の看板猫が住んでおり、境内で参拝客を案内してくれるのが人気なんです。
お気に入りの猫に会うのを楽しみに参拝に来る方も多いとか。
絵馬も猫の形で可愛らしい!
猫の顔は、皆さん自分で書いているようですね。
そういえば本日は境内で猫に会わなかったなあ。残念だ。

一通り参拝が終わったので、社務所で御朱印を頂きます。

おお、こんなところに猫が!
文字通り看板猫状態だわ。
この子の名前は「きなこDX(デラックス)」。
マツコデラックスみたいなネーミングだな。。。とても人懐っこい猫でした。

7年前にこのメスの”きなこDX”が神社に住み着き、その後、メスの”さくら”、オスの”ガガ”、オスの”ミント”がメンバーに加わったそうですよ。
いやあ、楽しいですなあ。

リアルの猫も人気なのですが、毎月22日前後(ニャンニャンの日!)に頒布される限定御朱印も人気。
4匹の猫のスタンプが月替わりで押される、という楽しいもの。
実は本日も折角だからと、ニャンニャンの日に併せての参拝でした。
左が前玉神社の通常の御朱印。
右が浅間神社の限定御朱印で、”さくらちゃん”のスタンプ入りのもの。
台紙も良く見ると、猫ちゃんの形の浮き出し加工がされています。
限定御朱印は、22日を含む7日間で対応されています。
折角だから頒布日に訪問すると、楽しいと思いますよ!
神社に参拝に行くと、神々についてや神社施設の呼び名・役割について知りたいけど、聞ける相手もいない!
ってことありません?そんな時、網羅範囲が広い本書は結構頼もしいですよ!
前玉神社の詳細情報・アクセス
公式ページ
住所:埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450(GoogleMapで開く)
アクセス)
電車:
・JR「行田駅」から市内循環バスで15分、「埼玉古墳公園前」下車で徒歩7分
・秩父鉄道「行田市駅」から市内循環バスで21分、「埼玉古墳公園前」下車で徒歩7分
車:
・駐車場あり
\ 行田市は埼玉有数の米どころですよ! /
前玉神社に参拝にでかけてみませんか?
前玉神社を紹介しましたが、いかがでしたか?
歴史の重みがあり興味深い神社で、関連する市内の史跡である埼玉古墳群や忍城なども訪たくなってきます。
一方で人懐っこい猫と出会ってほっこり、猫の御朱印をもらってニッコリ、そのギャップが前玉神社の楽しいところだと思います。
前玉神社をのんびりと参拝しませんか?
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