埼玉西武ライオンズのホーム球場であるベルーナドームのすぐ近くにありながら、観光客にはまだあまり知られていない歴史スポットが「狭山不動尊」です。
境内には、徳川2代将軍・秀忠の霊廟から移築された国指定重要文化財をはじめ、全国各地から集められた歴史的建造物が点在しています。
「なぜここに徳川将軍の門があるのか?」という意外な理由とともに、寺院の成り立ち自体も全国的に珍しく興味深いところ。
この記事では、狭山不動尊の歴史や見どころ、文化財の魅力などを、歴史散策の視点で詳しく紹介します。
目次
「狭山不動尊」ベルーナドーム球場の隣に静かに佇む寺院

狭山不動尊の最寄り駅は、西武鉄道の西武球場前駅。
駅の改札を出ると、西武ライオンズ本拠地のベルーナドームが目の前にドド~ンと現れます。訪問日はライオンズ戦の開催日だったため、多くの人が集まっていましたよ。
その賑わいを横目に東に歩くと1~2分で、駅前とは対照的な、静けさに満ちた狭山不動尊の入口が現れます。
【狭山不動尊】徳川秀忠ゆかりの重要文化財が残る、貴重な歴史スポット

狭山不動尊の正式名は「狭山山不動寺」で、不動明王を本尊とする天台宗の寺院です。
昭和50年(1975年)、当時西武グループのオーナーだった堤義明氏が開基。
以降、西武ライオンズが毎年シーズン開幕直前に必勝祈願を行う寺として知られています。
国指定重要文化財「勅額門」|徳川秀忠霊廟の正門が現存
【境内 東側】

その東側の入口にさっそく建っていたのが、国重要文化財指定の「勅額門(ちょくがくもん)」。
これは東京都芝の増上寺に建てられた、台徳院(たいとくいん)(徳川2代将軍・秀忠の戒名)の霊廟(墓所)の門が移築されたものです。
それって歴史的にめちゃめちゃ貴重な建築物じゃないですか!と思うと同時に、何故ここに?という疑問が湧きますが、それは一旦後ほどということで。

門は寛永9年(1632年)、徳川3代将軍・家光が、父・秀忠への報恩のために建立したもの。
勅額門と呼ばれたのは、扁額に書かれた文字が、当時の天皇であった後水尾天皇(ごみずのおてんのう)によるものだったためです。
その額に向かって、左右の柱側から添木部分が突き出ているのが特徴的。

色落ちや退色もだいぶ見られますが、至るところに彩色された細やかな彫刻が施されています。
勅額の横の彫刻は、獅子や牡丹などが題材となっていました。

梁には金色の龍や雲などが描かれ、各所に徳川家の葵の御紋が配されている。
かつて、鮮やかな極彩色に輝いていた姿が思い浮かんできます。

勅額門の右手に立つのは、樹齢500年といわれる銀杏の大木。
”太田道灌が構えた城山城趾にあったもの”と記されているので、どこの城?と思い調べてみたが、分からず終いだった。
将軍だけが通れた「御成門」|江戸初期の豪華な建築美に注目
【境内 東側】

勅額門の先の石段の上に、こちらも重要文化財指定の「御成門(おなりもん)」が建っています。そびえ立っている感じですね。

この門も勅額門と同時期の建築物で、やはり徳川家光が台徳院霊廟の門として建立したもの。
切妻造りですが、妻側(屋根の三角に見える方)から入る形になっているのが、門としては珍しい様式です。
蛇足ですが、この建造物は階段のキワに立っており、正面からの写真がチト撮りづらい。
カメラマン諸氏は、夢中になって階段を踏み外さないようにご注意願いたいところ。

増上寺の徳川家御霊屋は太平洋戦争で被災しましたが、被災前の写真や配置図から、当初の姿をうかがい知ることがことができます。
下記にて被災前の台徳院霊廟の建物配置と、残存状況をみてみましょう。

増上寺御霊屋パンフレットより
【増上寺 台徳院霊廟】被災前の建物配置と現存状況
■「惣門(芝公園に現存)」から参道を進むとあるのが、「勅額門(狭山不動尊に現存)」。
■勅額門を入った右手に崇源院(秀忠夫人)の霊牌所があり、入口には「丁子門(狭山不動尊に現存)」が建っていた。
■崇源院と並んだ北側に、透塀に囲まれた権現造りの「御霊屋」がある。
■御霊屋から南に進むと「御成門(狭山不動尊に現存)」があり、その先の「奥院」には拝殿・中門・玉垣があり、玉垣に囲まれて「宝塔(墓塔)」があった。
いくつもの建物を持つ、巨大な空間だったようですね。
墓所の宝塔は装飾華麗なものでしたが、木製だったため残念ながら焼失しています。

御成門は朱色が基調の外観。
妻側の屋根下に一際目立つ金色に輝く天女の彫刻が施されており、この門は「天人門」とも呼ばれています。

絵の具を塗り上げた厚みで立体感を出すという、置上(おきあげ)彩色と呼ばれる高度な手法も使われています。

内部の格天井の中央には、独特の丸い鏡天井があるものも独特的。そこに天女が描かれていす。

御成門から入口側を振り返ると見えるのが、ベルーナドームを背景にした勅額門。
今昔の建物が同居するという、狭山不動尊ならではの景観に出会える、おすすの撮影ポイントですよ。
崇源院(秀忠夫人)霊廟の「丁子門」|秀忠夫人は浅井三姉妹の一人
【境内 西側】

続けて増上寺の台徳院霊廟に隣接して設けられていた、崇源院(すうげんいん)(徳川秀忠夫人)の霊牌所の通用門だった「丁子門」を紹介。
こちらも国重要文化財に指定されている貴重な現存門です。
位置的には勅使門・御成門とは少し離れており、境内中央に位置する本堂の裏手にあります。

こちらは、寛永12年(1635年)に徳川家光が建立したもの。

赤と緑の配色が独特の風合いをもつ、落ち着いた雰囲気のある建物です。
両脇についている花頭窓が、アクセントとなっています。

門の内部は、黒塗りの塗装がだいぶ色落ちしてますね。修復が必要なのでは。。。

崇源院は秀忠夫人の戒名ですが、生前は江(ごう)と呼ばれていました。
父は戦国大名・浅井長政(あざい ながまさ)で、母は織田信長の妹のお市の方。
浅井長政には三姉の江を含めて娘が3人おり、長姉の茶々(淀殿)は豊臣秀吉の妻に、次姉の初(常高院)は京極高次に嫁いでおり、浅井三姉妹の一人して歴史上よく知られています。
\ 増上寺の詳細についてはこちら!/
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【狭山不動尊の歴史とは?】ユネスコ村から誕生した全国でも珍しい寺院
不動寺総門|本堂入口に建つ、長州藩毛利家の江戸上屋敷門

御成門を後にして境内へ進むと本堂の正面にでる。その入口で見下ろすように建っているのは「不動寺総門」。
これは、長州藩主・毛利家の江戸にあった上屋敷の門を移築したもの。
かつての毛利家の上屋敷があったのは、現在の法務省と日比谷公園の一部にあたる場所。
江戸城の桜田門外の超一等地に、約1万7千坪の広大な屋敷地を構えていたといいます。

総けやき造りの門は、その直線的なデザインが武家屋敷門らしいゴツイ印象を与えます。
狭山不動尊の謎、増上寺・徳川秀忠霊廟の建物が移築された理由とは?

ここまで見た建物からすると、本堂が平成13年に建てられた新しいもの、というのが意外に映る。
以前は京都東本願寺から移築した七間堂が本堂でしたが、残念ながら焼失しています。

さて、ではこの狭山不動尊、なぜ増上寺にある徳川将軍・秀忠の霊廟にあった建物があるんでしょうか?その歴史を紐解いてみましょう。
狭山不動尊の歴史
~ 西武グループがユネスコ村を開園 ~
・西武鉄道が昭和26年(1951年)に、遊園地「ユネスコ村」を当地に設立。
これは日本のユネスコ加盟を記念したテーマパークで、オランダの風車をはじめ各国の建物が集められたものでした。
~ 増上寺が御霊屋地を西武グルーブに売却 ~
・徳川将軍家の菩提寺・増上寺には、徳川秀忠ほか計6人の将軍の御霊屋(墓所)があった。
しかし昭和20年(1945年)の太平洋戦争で被災し、建造物のほとんどが焼失して荒廃。再建のために、御霊屋だった本堂南北の敷地を西武グルーブに売却。
霊廟を発掘調査して遺体を火葬した後、現在の増上寺の徳川家墓所に埋葬された。
~ 増上寺建築物の一部をユネスコ村に移築 ~
・西武グループは昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックに合わせ、増上寺の御霊屋跡に東京プリンスホテルやゴルフ場施設を建設。
この際に残っていた建築物の一部を保存のためにユネスコ村に移築し、狭山不動尊が建立された。
・ユネスコ村自体はその後廃止され、狭山不動尊が寺院として残りました。
戦災を免れた貴重な江戸初期の霊廟建築を再開発による消失から守り、後世へ伝えるために狭山不動尊に移築・保存されたということ。
そのお陰で、現在もこうして貴重な建造物を見ることができるわけです。
【全国から集結!】境内に点在する、見逃せない歴史的建築物
境内には増上寺以外の場所にあった歴史的建造物も多く移築されており、そちらも見逃せません。
元井上馨邸|圧巻!建物を囲む無数の唐金灯籠
【境内 西側】

本堂西側にあるこちらの門は、明治時代に生糸相場で財を成した実業家・田中平八氏の、虎の門にあった旧宅から移築されたものとのこと。

門の先には入れないのですが、敷地内の中央にある「羅漢堂」が柵越しに見えます。
この羅漢堂は、明治の元勲・井上馨(こわし)の屋敷にあった建物です。
明治28年(1895年)の井上馨の還暦祝賀の際に、山縣有朋・伊藤博文・大隈重信等、そうそうたる発起人たちにより建立されたものとのこと。これまた貴重な建築物ですね。

そして羅漢堂の周囲にずらっと並ぶのが、無数の青銅の唐金灯籠。

これらは全国の大名が、増上寺の台徳院霊廟に献納したもの。もの凄い数に圧倒される景観だった。。。
大黒堂|寛永寺とも繋がりがあった西武グループ
【境内 西側】

こちらの「大黒堂」は、奈良の極楽寺境内の歌塚堂が移築されたもの。
飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂ゆかりの地にて、歌人たちの歌会の場として使われた堂宇と伝わります。

一方、堂内に祀られている本尊は、上野の「東叡山 寛永寺」山内より迎えた大黒天とのこと。
ここでもう一つの徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の名もでてきましたが、実は寛永寺と西武グループは以前より繋がりがありました。
寛永寺は昭和33年(1958年)、浅間山の鬼押出しに、天明の大噴火や自然災害の犠牲者を弔うための別院「浅間山観音堂」を創建しています。その鬼押出し園を運営していたのが、西武グループだったんですね。
狭山不動尊の開山に際しても、寛永寺の助力があったとされます。
第二多宝塔|室町時代に播磨国守護・赤松教康が建立
【境内 西側】

境内の西側にある「第二多宝塔」は、兵庫県東條町天神の椅鹿寺(はしかじ)から移築されたもの。
播磨国守護だった赤松満男教康(のりやす)が、室町時代の永享7年(1435年)に建立した塔と伝わります。
室町時代中期の建築様式の特徴が良く残っている点で貴重な建造物。

赤松教康は嘉吉(かきつ)元年(1441年)に父・赤松満祐(みつすけ)らと共に、時の将軍・足利義教(よしのり)を暗殺した「嘉吉の乱」を起こしたことで知られています。
桜井門|幕末に天誅組が本陣にした奈良・桜井寺の山門
【境内 西側】

西側入口の「桜井門」は、奈良県十津川にある桜井寺の山門だったもの。
桜井寺は幕末の倒幕急進派だった天誅組(てんちゅうぐみ)が文久3年(1862年)に挙兵した際、本陣として利用されました。
ちなみに駐車場はこの桜井門の外側にあるので、車で訪問した場合は、ここから参拝が始まるのが一般的かと思われます。

桜井門から続く参道では、その両脇にずらっと並ぶ重厚な石灯籠にも注目したい。

石灯籠の一つの銘文を見てみると、清揚院(せいよういん)殿とあった。
清揚院は甲斐国甲府藩主だった徳川綱重の戒名。徳川綱重は徳川家光の3男で、第6代将軍・家宣の父にあたります。
徳川綱重の墓所も増上寺なので、これらの石灯籠も増上寺から移築されたもののようですね。
弁天堂|徳川四天王・井伊直政の墓所がある、彦根の清涼寺から移築
【境内 西側】

六角の形状が印象的な、こちらの雰囲気のある「弁天堂」は、滋賀県彦根市の清涼寺から移築されたもの。
清涼寺は彦根藩3代藩主 井伊直孝が、井伊家の菩提寺として開基した寺院で、徳川四天王の一人として知られる、彦根藩初代藩主・井伊直政の墓所でもあります。

弁天堂は万治2年(1659年)から元禄6年(1693年)の間の頃に、直孝の息女が父の供養のために建立したもの。
現在堂内に納められている弁天像も、元々は寛永寺山内でお祀りされていたものとのこと。
第一多宝塔|大阪の畠山神社から移築した、安土桃山時代の色濃い建築物
【境内 東側】

本堂の右手(東側)にあるのは、大阪府高槻市の畠山神社から移築された「第一多宝塔」。
境内に多宝塔が二基あるのも、なかなか凄いですね。

慶弔12年(1607年)の建築物で、装飾や建築手法には安土桃山時代の特色が良く表れているとのこと。
第一多宝塔の造りと見比べてみるのも楽しいですね。
桂昌院の宝塔|徳川綱吉生母のものといわれる宝塔

その第一多宝塔の脇にポツンと青銅製の宝塔が置かれていましたが、後で調べたらどうやらこれは増上寺の桂昌院(けいしょういん)墓所にあった宝塔らしい。
無論ここにあるのは宝塔だけで、墓所は増上寺にあります。
桂昌院は徳川3代将軍家光の側室で、5代将軍綱吉の生母です。
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
タモリさんならではの視点で、川越の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
狭山不動尊のアクセス、周辺の立寄り情報
狭山不動尊の詳細情報・アクセス
狭山不動尊
公式ページ
住所:埼玉県所沢市大字上山口2214(GoogleMapで開く)
拝観時間:9時~16時
アクセス:
電車)
・西武狭山線・山口線(レオライナー)「西武球場前駅」から徒歩約5分
車)
・桜井門前に無料駐車場あり(15台分)
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住所:埼玉県所沢市上山口2203(GoogleMapで開く)
※「西武球場前駅」から徒歩約7分
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記事の訪問日:2024/8/13
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