MENU

新着記事

おすすめキーワード
社寺 / 歴史スポット / 街歩き / 神社 / / / 古い町並み / 埼玉県の社寺 / 東京都の社寺 / 埼玉県 / 東京都

タグ

島根県 (2)東京都 (47)埼玉県 (104)千葉県 (9)神奈川県 (2)群馬県 (5)栃木県 (9)茨城県 (4)長野県 (3)静岡県 (3)三重県 (1)山梨県 (2)京都府 (2)和歌山県 (2)福岡県 (2)北海道 (1)神社 (58) (22)七福神巡り (2) (37)古墳 (6)古い町並み (17)ハイキング・登山 (11)川・湖・滝 (14) (1)鍾乳洞 (2)ジオパーク (1) (29)紅葉 (6)ダム (1)博物館 (18)美術館 (1)動物園 (2)遊園地 (1)世界遺産 (7)夜景 (3)サイクリング (2)食べたり飲んだり (4) (20) (5) (10) (1)特集記事 (10)ピックアップ (3)旅のキーワード (2)

なぜここに徳川秀忠の霊廟の門が!?狭山不動尊は博物館のような寺院だった【埼玉・所沢市】

本ページには広告が含まれています

埼玉県所沢市をホームとするプロ野球チームの西武ライオンズが、毎年開幕前に必勝祈願をおこなうのが地元の狭山不動尊。なんですが、この狭山不動尊、実はとっても不思議な寺院なんです。

なぜか徳川2代将軍秀忠の霊廟(墓所)にあった門が境内に移築されており、重要文化財指定されています。そのほかにも、各地の歴史的な建造物が境内に多数残っているのに驚かされます。

そんな不思議な境内をめぐりながら、謎多き狭山不動尊の成り立ちや歴史を紐解きます。

目次

「狭山不動尊」徳川2代将軍秀忠霊廟の門が残る不思議な寺院

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

狭山不動尊の最寄り駅は、西武鉄道の西武球場前駅。

改札を出ると駅名に偽りなしという感じの目の前に、西武ライオンズ本拠地のベルーナドームがドドンと現れます。ライオンズ戦の開催日であったこの日は、多くの人々でにぎわっていました。

そんな楽し気な雰囲気を横目に東に向かうと、5分も掛からずに狭山不動尊入口に到着。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

狭山不動尊の正式名は狭山山不動寺で、不動明王を本尊とする天台宗の寺院です。
昭和50年(1975年)、西武グループの当時のオーナーだった堤義明氏が開基しました。

「台徳院霊廟 勅額門(重要文化財)」 徳川将軍秀忠墓所の門

狭山不動尊 徳川家台徳院勅額門(埼玉県所沢市)

入口を入るとさっそく現れるのが、国重要文化財指定されている「勅額門(ちょくがくもん)」です。

徳川家台徳院(たいとくいん)(徳川2代将軍秀忠の戒名)の霊廟(墓所)の門として、東京都芝の増上寺に建てられたものが移築されています。って、めちゃめちゃ貴重な建築物じゃないですか!

狭山不動尊 徳川家台徳院勅額門(埼玉県所沢市)

3代将軍徳川家光が、父・秀忠への報恩のために寛永9年(1632年)に建立。当時の天皇だった後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が額の文字を書いているため、勅額門と呼ばれます。

額に向かって伸びている、左右の柱から突き出た添木部分がちょっと独特です。

狭山不動尊 徳川家台徳院勅額門(埼玉県所沢市)

だいぶ退色や色落ちも見られますが、彩色された細やかな彫刻に目がゆきます。
勅額の横には、獅子や牡丹の彫刻が彫られている。

狭山不動尊 徳川家台徳院勅額門(埼玉県所沢市)

梁には金色の龍や雲などが描かれ、各所に徳川家の葵の御紋が配されている。元々は極彩色に輝いていたんだろうなあ、と当時に思いを馳せます。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

ちみに勅額門の右手には、樹齢500年とされる銀杏の木大が立っていた。
太田道灌が構えた城山城趾にあったと説明されていたので、どこの城趾?と興味深々だったが、調べても分からずじまいだった。

「台徳院霊廟 御成門(重要文化財)」徳川家光が築造

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

その先の石段上に、こちらも重要文化財の「御成門(おなりもん)」がそびえ立ちます。

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

この門も勅額門と同時期の建築物で、やはり徳川家光が増上寺の台徳院霊廟の門として建立したもの。
切妻造りですが、妻入り(屋根が三角に見える方から入る)なのが門としては珍しいですね。

蛇足ですが、階段のキワに立っているので、正面からの写真が撮りづらい場所ですわ。

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

増上寺の徳川家御霊屋は太平洋戦争で被災しましたが、被災前の写真や配置図などにより当時を知ることができます。かつての台徳院霊廟の建物配置と、現存状況を確認してみましょう。

増上寺台徳院霊廟の被災前の建物配置
・「惣門(芝公園に現存)」から入り参道を進むと、「勅額門(狭山不動尊に現存)」がある。
・勅額門を入った右方・北隣に崇源院(秀忠夫人)の霊牌所があり、その入口には「丁子門(狭山不動尊に現存」があった。
・参道を進むと、透塀に囲まれた権現造りの「御霊屋」がある。
・御霊屋の本殿北側に奥院(墓所)があるが、その途中に「御成門(狭山不動尊に現存)」がある。
・奥院には拝殿・中門・玉垣があり、玉垣に囲まれて「宝塔(墓塔)」があった。

写真にも残っている装飾華麗だった墓所の宝塔ですが、木製だったため残念ながら戦火で焼失しています。
狭山不動尊に残る「丁子門」は後ほどご紹介。

\ 増上寺の詳細についてはこちら!/

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

御成門の話に戻って、朱色が基調の外観。そして屋根下中央にあり一際目立つのが、金色に輝く天女の彫刻です。内部の天井にも天女が描かれており、「天人門」とも呼ばれています

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

装飾には、置上(おきあげ)彩色と呼ばれる手法も使われているようです。これは絵の具を塗り上げて厚みをつくり立体感をだすという、実に繊細な技術。

狭山不動尊 徳川家台徳院御成門(埼玉県所沢市)

内部の格天井の中央に独特の丸い鏡天井があり、そこに天女が描かれています。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

御成門から振り返って勅額門を見下ろす。
背後にはベルーナドームがあり、今昔の建物が同居するなかなか楽しい眺めだ。

「不動寺総門」長州藩毛利家の上屋敷門

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

御成門を後にして境内へ進む。
見下ろしてくるような、なかなかの威圧感を持つ「不動寺総門」が本堂正面に立つ。これは長州藩主・毛利家の江戸屋敷の門が移築されたもの

かつて江戸城桜田門外にあった長州藩上屋敷は約1万7千坪の広大な敷地で、現在の法務省と日比谷公園の一部にあたります。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

総けやき造りの門で、武家屋敷らしい直線的なデザインが特徴的。

江戸にあった武家屋敷の建物の遺構なんてそうそうないと思いますが。。。意外な場所に残っていたのですね。

\ 日比谷公園の江戸城遺構についてはこちらへ!/

狭山不動尊はユネスコ村から発祥した寺院

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

狭山不動尊の本堂自体は意外にも比較的新しい建物で、平成13年に建立されたものです。
というのも、以前は京都東本願寺から移築された七間堂を本堂として使用していましたが、残念ながら焼失しています。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

なぜ寛永寺などにあった歴史的建物が、狭山不動尊にあるのか?ここで、その歴史を紐解いてみましょう。

~ 西武グループがユネスコ村を開園 ~
・西武鉄道が昭和26年(1951年)に、「ユネスコ村」という遊園地を当地に設立。
これは日本のユネスコ加盟を記念したテーマパークで、オランダの風車をはじめ各国の建物が集められた。

~ 増上寺が御霊屋地を西武グルーブに売却 ~
・徳川将軍家菩提寺の寛永寺には、2代将軍秀忠ほか6人の将軍の御霊屋(墓所)があった。
しかし昭和20年(1945年)の太平洋戦争の被災により、建造物のほとんどが焼失し荒廃。再建のために本堂南北の御霊屋だった敷地は、西武グルーブに売却された。
霊廟は発掘調査され、遺体は火葬された後に現在の増上寺徳川家墓所に埋葬された。

~ 増上寺建築物の一部をユネスコ村に移築 ~
・西武グループは昭和39年(1964年)の東京オリンピックに合わせ、増上寺の御霊屋跡に東京プリンスホテルやゴルフ場などの施設を建設。
この際に残っていた建築物の一部を保存のためにユネスコ村に移築し、狭山不動尊が建立された。
・ユネスコ村自体はその後廃止され、狭山不動尊が寺院として残っている。

狭山不動尊設立の背景には、昭和の激動期の歴史があったというわけですね。

「第二多宝塔」嘉吉の乱の赤松教康が建立

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

境内の西側には、「第二多宝塔」と呼ばれる立派な多宝塔。こちらは兵庫県東條町天神の椅鹿寺から移築されたもの。

播磨国守護の赤松満男教康(のりやす)が、室町時代の永享7年(1435年)に建立したと伝わります。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

室町時代中期の建築様式の特徴が良く残っている点で貴重。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

赤松教康は、嘉吉(かきつ)元年(1441年)に嘉吉の乱を起こしたことで知られます。父・赤松満祐(みつすけ)らと共に、時の将軍 足利義教(よしのり)を暗殺した事件です。

「桜井門」増上寺から移築の石灯籠が並ぶ

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

西側の入口に立つ「桜井門」は、奈良県十津川の桜井寺の山門として建立されたもの。
桜井寺は、幕末の倒幕急進派だった天誅組(てんちゅうぐみ)が文久3年(1862年)に挙兵した際、本陣として利用されました。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

桜井門の先に続く参道の両脇には、重厚な石灯籠がずらっと並びます。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

その一つの石灯籠の銘文を見ると、清揚院(せいよういん)殿とありました。

清揚院は甲斐国甲府藩主だった徳川綱重の戒名。徳川綱重は徳川家光の3男で、第6代将軍・家宣の父にあたります。これらの石灯籠も増上寺から移築されたもの。

西武グループと繋がりがあった寛永寺

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

こちらの「大黒堂」は、奈良の極楽寺境内にあった歌塚堂が移築されたもの。
飛鳥時代の歌人であった柿本人麻呂のゆかりの地において、歌人たちが歌会を開くのに使った堂宇と伝わります。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

本尊は上野の東叡山寛永寺山内より迎えた大黒天とのこと。

ここでもう一つの徳川将軍家の菩提寺、寛永寺の名がでてくるのも凄い!狭山不動尊の開山に際しても、寛永寺の助力があったそうだ。

昭和33年(1958年)に寛永寺は、浅間山鬼押出しに天明の大噴火や自然災害の犠牲者を弔うための別院、「浅間山観音堂」を創建しました。その鬼押出し園を運営していたのが西武グループだったので、それにより両者がつながったのではないかと思われます。

元井上馨邸建物を囲む無数の唐金灯籠は圧巻!

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

こちらの山門は明治時代に生糸相場で財を成した実業家、田中平八の虎の門の旧宅から移築されたもの。門に徳川家の葵の紋が付いていたのが、ちょっと謎だが。。。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

門は閉ざされており中に入れませんが、柵の間から敷地中央にある「羅漢堂」が見えます。

「羅漢堂」は、明治の元勲・井上馨(こわし)の屋敷にあった建築物です。明治28年(1895年)の井上馨の還暦祝賀の際に、山縣有朋・伊藤博文・大隈重信等を発起人として建立されたもの。そうそうたるメンバーですね。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

その周囲にずらっと並ぶ、無数の唐金灯籠がなんとも圧巻!唐金とは青銅のことです。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

これらは増上寺の台徳院霊廟に、全国の大名が献納したもの。この数は凄いな。

井伊家菩提寺にあった「弁天堂」

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

六角の形状が特徴的な「弁天堂」は、滋賀県彦根市の清涼寺からの移築。

清涼寺は彦根藩3代藩主 井伊直孝が井伊家の菩提寺として開基した寺。徳川四天王の一人として知られる、彦根藩初代藩主 井伊直政の墓所でもあります。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

この弁天堂は万治2年(1659年)から元禄6年(1693年)の間の頃に、直孝の息女が父の供養のために建立したとされる。元々は寛永寺内にお祀りされていた尊天が、弁天様として堂内に祀られています。

「第一多宝塔」安土桃山時代の色濃い

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

本堂の右手(東側)の「第一多宝塔」は、大阪府高槻市の畠山神社から移築されたもの。

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

慶弔12年(1607年)の建築物で、装飾や建築手法には安土桃山時代の特色が良く表れているとのこと。

境内に多宝塔が二基あるのも凄いですね。寺院の境内を巡っているというよりは、野外博物館を見学している感覚になってきています。

「桂昌院の宝塔」徳川綱吉生母の宝塔

狭山不動尊(埼玉県所沢市)

第一多宝塔の脇に、青銅製の宝塔がポツンとありました。

特に案内板も無かったのですが、後で調べたらこれは増上寺の桂昌院(けいしょういん)墓所にあった宝塔らしい。無論ここには宝塔が残るだけで、墓所は増上寺にあります。

桂昌院は徳川3代将軍家光の側室で、5代将軍綱吉の生母です。

「丁子門(重要文化財)」徳川秀忠夫人霊牌所の門

狭山不動尊の丁子門(埼玉県所沢市)

本堂東側の奥まった場所にひっそりとたたずむのが、徳川家崇源院(すうげんいん)(徳川秀忠夫人)の霊牌所の通用門だった「丁子門」。こちらも重要文化財です。

狭山不動尊の丁子門(埼玉県所沢市)

徳川家光により寛永12年(1635年)に建立されました。

狭山不動尊の丁子門(埼玉県所沢市)

赤と緑の配色により独特の風合いを感じさせる。花頭窓がアクセントですね。

狭山不動尊の丁子門(埼玉県所沢市)

黒塗りの塗装部分はだいぶ色落ちしてました。

狭山不動尊の丁子門(埼玉県所沢市)

崇源院は秀忠夫人の戒名ですが、一般には江(ごう)と呼ばれていました。父は戦国大名・浅井長政(あざい ながまさ)で、母は織田信長の妹のお市の方。

浅井長政には三姉の江を含めて娘が3人おり、長姉の茶々(淀殿)は豊臣秀吉の妻に、次姉の初(常高院)は京極高次に嫁いでおり、歴史上は浅井三姉妹としてよく知られています。

徳川家墓所の移築時に調査された御遺体を中心にした、数々の貴重な記録。
骨からわかる将軍の生活や特徴が記され、非常に興味深い。

狭山不動尊の詳細情報・アクセス

狭山不動尊

公式ページ
住所:埼玉県所沢市大字上山口2214(GoogleMapで開く
拝観時間:9時~16時
アクセス:
電車)
・西武狭山線・山口線(レオライナー)「西武球場前駅」から徒歩約5分
車)
・桜井門前に無料駐車場あり(15台分)

所沢ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!

周辺おすすめスポット(山口観音ほか)

山口観音(金乗院
こちらも西武球場前駅近くにある、エキゾチックな雰囲気を感じさせる寺院です。
六角形の珍しい五重塔のほか、石洞や竜の石段など境内の見どころが多いです。

山口観音

住所:埼玉県所沢市上山口2203(GoogleMapで開く
※「西武球場前駅」から徒歩約7分

多摩湖・狭山公園
ダム湖百選に選定されている多摩湖と、都選定歴史的建造物に選定されている取水塔の組み合わせがとても美しい景観をつくります。
武蔵野の面影を残す狭山公園の自然も貴重。

狭山公園

住所: 東京都東村山市多摩湖町3-17-19 (GoogleMapで開く
※西武球場前駅から西武山口線に約7分乗車、多摩湖駅下車。

角川武蔵野ミュージアム
隈研吾氏が設計した、驚くべき形をした建物のミュージアムに度肝を抜かれる。
ショップやレストラン施設のあるサクラタウン内にあるので、ミュージアム以外も色々楽しめる。
西武球場前駅からは離れていますが、行き帰りに立ち寄ってみるのはいかが?

角川武蔵野ミュージアム

住所:埼玉県所沢市東所沢和田3-31-3 (ところざわサクラタウン内)
アクセス: 電車)JR武蔵野線 東所沢駅から徒歩10分

さらに「埼玉県」に関する記事を探す

所沢の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!

狭山不動尊へ出かけてみませんか?

不思議ワンダーランドな寺院、狭山不動尊をご紹介しました。

増上寺の貴重な建築物が残っている背景には、ビジネスが絡んでいました。純粋な寺院建築物として見た場合どうか?という疑問も少し残りました。

ですが戦後の増上寺の再建につながり、それにより貴重な建築物が残された事を考えると、文化財として有難く見学させて頂ければ良いのかなと考えています。

重要文化財3点に関しては、今後の保護・修復についても期待したいですね。

狭山不動尊を訪問してみませんか?

記事の訪問日:2024/8/13


関東近郊へは、気軽なバス旅で出かけてみない?

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次