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城郭跡を歩いて楽しむ!の視点で独断で選んだ、埼玉の代表的な8城郭跡を紹介。
土塁や空堀の遺構が良く残り山城歩きが楽しめる比企城館群の代表的な菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡の4城と、鉢形城。
城跡然とした雰囲気を楽しめる忍城や、貴重な建造物が残る川越城。
街歩きの楽しさがある岩槻城など。
それぞれの歴史を交えながら、見どころ・歩きどころなどを紹介します。
比企城館跡群(菅谷館・杉山城・小倉城・松山城)
埼玉県中央部に位置する比企地域は、戦国時代に城郭が非常に多かったエリア。
これは、戦国時代前期は公方(くぼう)足利氏・山内(やまのうち)上杉氏・扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏らによる争乱の激化・長期化が背景にあります。
比企城館跡群のうち「比企城館跡群」と呼ばれ国指定史跡にもなっている代表的な4城館跡を紹介。
いずれも、土塁や空堀の遺構が良く残っており、歩くのにはオススメの城跡です。
『菅谷館跡』 畠山重忠の屋敷跡

嵐山町にある菅谷館跡は、平地の台地の上に造られた平城(ひらじろ)跡です。
元々は平安~鎌倉時代に活躍した坂東武士・畠山重忠の屋敷跡です。
現在の城郭跡としての姿は、その後の15世紀後半に山内上杉氏によって戦に対応すべく改修された姿といわれます。
16世紀後半には、小田原北条氏の軍事上重要な場所として使用されます。
城郭跡には当時の郭や土塁、空堀などが比較的綺麗な状態で残ります。
また敷地内に「埼玉県立嵐山史跡の博物館」を併設。
畠山重忠公の銅像もあり、見どころの多い城郭跡です。

住所:埼玉県比企郡嵐山町菅谷757(GoogleMapで開く)
『杉山城跡』 戦国の築城の教科書

杉山城跡は嵐山町にある山城跡で、城ファンからは「築城の教科書」とも呼ばれてますよ。
山の高低差を巧みに利用した縄張には、戦国時代の様々な城の技巧が見て取れます。
敵になったつもりで侵入すると、常に上からの攻撃を受ける構造になっており、ヒヤヒヤもの。
また、遺構の主要箇所は高木が伐採されており、造りが非常に見やすいのもオススメポイントが高いです。
歩道も歩き易く管理状態は素晴らしいですよ!
見学者にやさしい城郭跡で、山城歩き初心者が教科書を広げるには特にオススメしたいですね。

住所:埼玉県比企郡嵐山町杉山513ほか(GoogleMapで開く)
『小倉城跡』 石積みのある小田原北条氏の城

小倉城(おぐらじょう)跡はときがわ町にある山城跡です。
戦国時代の幹線道路の要所にあたり、河川・陸路の交通監視のために造られた城とされます。
16世紀半ばから最盛期を迎え、16世紀後半まで使われた模様。
小田原北条氏の重臣・遠山氏、あるいは上田氏が城主だったとされます。
小倉城は関東では珍しい石積みを使った山城なのが特徴。
郭や土塁なども分かりやすい形で残っています。
城跡がある山は約140mの高さの低山。
散策路は良く整備されておりハイキングを楽しむ観点でも最適!
景勝地・嵐山渓谷も比較的近い場所にあります。

住所:埼玉県ときがわ町大字黒田字城山1184(GoogleMapで開く)
『松山城跡』 越後上杉氏・甲斐武田氏とも争う

松山城跡は吉見町にある平山城(ひらやまじろ)跡です。
比企丘陵地帯のヘリに位置して、荒川の支流・市野川(いちのかわ)を天然の堀として利用しています。
15世紀後半、扇谷上杉氏側の拠点として築城されたといわれます。
16世紀後半には、城を巡り小田原北条氏・越後上杉氏・甲斐武田氏による合戦が繰り広げらました。
主に小田原北条氏勢力下の上田氏による支配が長く続きました。
曲輪や土塁などの遺構が比較的綺麗に残り、山城歩きを体感できるスポットです。
空堀の中を歩けたりもできますよ。
近隣には史跡・吉見百穴もあり、近隣含め一日中歴史トリップができるスポット。

住所:埼玉県比企郡吉見町北吉見298(GoogleMapで開く)
『鉢形城跡』 断崖絶壁の小田原北条氏の城

寄居町にある鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡。
国指定史跡で、日本100名城の一つにも数えられます。
主に小田原北条氏が長らく支配した城。
荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれた平山城で、まさに自然の地形を生かした城郭です。
二の曲輪と三の曲輪間の巨大空堀跡や、小田原北条氏の城郭の特徴である角馬出など多くの遺構が残ります。
また、石積土塁や門の一部の復元により、当時の様子が再現されてます。
自然に囲まれた広大な敷地を、山城を体感しながら歩ける城郭跡です。

住所:埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2(GoogleMapで開く)
『忍城跡』 石田三成の水攻めに耐えた城

忍城は現在の行田市にあった平地の城。
かつて関東七名城の一つといわれ、現在は続日本100名城の一つに数えられます。
北に利根川、南に荒川の天然の要害を持った攻めずらい立地にあったといわれます。
歴史上良く知られるのは、戦国時代に豊臣秀吉軍だった石田三成の水攻めにあい、これに耐えたこと。
浮き城の異名を持ち、映画・のぼうの城の題材にもなっています。
城址公園内には御三階櫓が復元されており、城跡然とした雰囲気を楽しみたければおススメ。
公園内には行田市郷土博物館が併設されているので、こちらも是非立ち寄ってみたい。

住所:埼玉県行田市本丸17-23 (GoogleMapで開く)
『岩槻城跡』 江戸の北側の防御拠点

室町時代末に築城された城で、当初は太田氏が城主でした。
その後、小田原北条氏の城になります。
小田原北条氏滅亡後には徳川家康の配下の城となり、江戸の北側の守りとして重要視されました。
曲輪の一部は城址公園になっており、公園内では空堀や土塁などの遺構も見られます。
また、かつての城門の一部も残されています。
岩槻城は、大構(おおがまえ)と呼ばれる外郭が城下を囲んでいました。
主要な曲輪跡は近代化した街中に埋もれてますが、跡地には標柱や案内板があり、それらを巡ってみるのも楽しい。

住所:埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4 (GoogleMapで開く)
『川越城跡』 貴重な現存本丸御殿

室町時代に扇谷上杉家の家臣だった、太田道真・太田道灌親子が縄張りを構築した。
戦国時代の小田原北条氏支配だった時代に扇谷上杉家の反撃を受けますが、それを奇襲により返り討ちにした河越夜戦は歴史上良く知られます。
川越城は日本100名城の一つに数えられます。
遺構としては全国的に見ても非常に貴重な本丸御殿が現存しており、一般公開されています。
その他は中ノ門堀跡などが主だった遺構ですが、街中の曲輪や門跡だった場所を示す標柱を巡るのも楽しいです。

住所:埼玉県川越市郭町2丁目13番地1(GoogleMapで開く)
埼玉の城跡にでかけませんか?
埼玉にある歩くのにオススメの城郭跡を紹介しましたが、いかがでしたか?
ご紹介した城郭跡には忍城の御三階櫓をのぞくと、櫓や天守閣がど~んとある様な城郭跡はありません。
でも、戦国時代の城の仕掛けを感じられる山城や、街中にある城の痕跡を実際歩いてみると「なるほど!」と思う楽しさを感じて頂けると思います。
是非、埼玉の城郭跡を歩いてみて下さい!