日光街道と奥州街道の追分にあたる交通の要所だった宇都宮城は、徳川将軍が日光東照宮への社参をする際の宿泊地としても重要拠点でした。
そして、徳川家康側近として知られる本多正純が城主の時代におこなった城下町の整備は、現在の宇都宮の街の基盤にも繋がっています。
戊辰戦争や都市化に伴い消失した宇都宮城ですが、平成になり宇都宮城址公園としてその姿を再び蘇らせました。その城址公園をめぐりながら、かつて関東七名城の一つにも数えられた宇都宮城の歴史をたどります。
目次
「宇都宮城址公園」で宇都宮城の歴史をたどる
市役所展望室から宇都宮城址公園を望む

JR宇都宮駅から宇都宮城址公園までは路線バスも使えるが、今日はのんびり歩いてみた。距離は2km弱なので、散歩がてらには程好い距離だ。
まずは城址公園西側にある、宇都宮市役所にやってきました。
んっ?城跡に行くんじゃないのか?とツッコまれそうですが(苦笑)、まずビルの上から城址公園の全景を眺めてみようと思いついた次第。

はい。現れたのは市役所の16階展望室から見た、宇都宮城址公園全景の眺望です。
江戸時代中期の土塁・堀・櫓・土塀などの復元により本丸の姿を再現した、平成18年(2006年)に開設された城址公園。
復元の元資料となっているのが「宇都宮城本丸将軍家御泊城ノ節ノ建物ノ図」というもの。これは本丸の土手の高さから囲塀の銃丸の数に至るまで記されているという、かなり精密な絵図だ。これは貴重ですね。

宇都宮市教育委員会作成の「宇都宮城」パンフレットより
城跡のイメージが湧きやすいように、写真と同じ方向で江戸時代の「御城内外絵図」を置いてみた。今いる市役所は西側に位置しています。
宇都宮城の特徴
宇都宮城は城の東側を流れる田川の段丘上に立地しており、別名・亀ヶ丘城とも呼ばれた。
城の配置は本丸を囲むように二の丸が造られ、その北側に三の丸、西側に西館曲輪、南側に南館曲輪を配置させた、輪郭梯郭複合式平城と呼ばれる縄張りです。
さらにその外側も、堀と土塁で防御していました。
自然の要害に守られた立地だった様です。

展望台の様子はこんな感じ。景色が良いので、訪問時には立ち寄ってみて下さい。
「宇都宮城址公園」は宇都宮城の本丸を再現した公園

宇都宮城址公園にやって来ました。
まず目に入ってきたのは土塁上に立つ、白漆喰塗りのお城然とした櫓。青空をバックに良く映える景観ですね。

そしてこちらが城址公園の入口。
おほり橋の先が公園ですが、本丸を囲む土塁はなんとコンクリート製だった。こんな大規模なコンクリートの土塁なんて初めて見たなあ。
城門や橋は城らしい特徴や雰囲気を表現しやすい箇所だと思いますが、この無機質な入口に関しては正直ちょっと残念な感じ。
都市防災公園の側面を持っている事情を理解しつつも、絵図に基づいた史実を感じさせる部分が欲しかったところです。
「本丸堀」が本丸周囲を囲む

かつての宇都宮城は、多くの水堀に囲まれていたのが特徴だった。
そのうち最大幅が27mあったという、本丸周囲の水堀が復元されています。堀の深さは、当時は最大7mあったとのこと。

おほり橋の南側は水堀の姿が楽しめたのだが、それ以外の箇所は水が干上がって空堀状態だった。はて、これは??
後で確認したのだが。。。
堀はポンプで汲み上げた地下水により、深さ1~2mの満水状態を作る仕組みだった。しかし、地下水に含まれていた多くの鉄分によりパイプやポンプが錆びつき、その器機対応が困難となったそうだ。
それにより現在は雨水のみが頼りとなっているらしい。
う~ん、という感じですが、これは何とか水を溜める仕掛けを作って欲しいですね。
徳川家康側近の本多正純が宇都宮城下町を整備

公園内には芝地が続く気持ちの良い空間が広がっており、緑地公園として市民の憩いの場となっています。ちなみに、公園内には遺構はほとんど残っていない様です。
ここで宇都宮城の歴史をふり返ってみましょう。
宇都宮城の主な出来事
~平安時代~
■ 平安時代末期:藤原秀郷、もしくは宇都宮氏の祖とされる藤原宗円(そうえん)が築いた館が、宇都宮城の元にあたると伝わる。以降、約500年にわたり宇都宮氏の統治が続く。
~安土桃山時代~
■ 天正18年(1590年):豊臣秀吉は小田原征伐後、宇都宮城で「宇都宮仕置」と呼ばれる関東と奥羽についての仕置をおこなった。
■ 慶長2年(1597年):秀吉の命で宇都宮国綱が改易。翌年、蒲生秀行が城主となり城と城下町を改修。慶長5年には徳川秀忠が宇都宮城に在陣した。
■ 慶長6年(1601年):宇都宮藩の初代藩主として奥平家昌が宇都宮城主となる。
~江戸時代~
■ 元和5年(1619年):奥平忠昌が古河に転封。小山より本多正純が15万5千石で入封し、宇都宮城や城下町の改修・整備をおこなった。
■ 元和8年(1622年):本多正純改易。奥平忠昌が再入封。
奥平氏入封以降は譜代大名が城主として目まぐるしく入れ替わり、江戸時代後期に戸田氏が治め幕末を迎える。
■ 慶応4年(1868年):戊辰戦争により城と城下町が焼失。
戦国時代に堅城振りを誇った宇都宮城は、「関東七名城」の一つに数えられました。
※関東七名城:宇都宮城、忍城(埼玉県行田市)、金山城(群馬県太田市)、川越城(埼玉県川越市)、唐沢山城(栃木県佐野市)、多気城(茨城県つくば市)、前橋城(群馬県前橋市)
江戸時代になると、日光街道と奥州街道の追分の地にある宇都宮は交通の要所となります。
そして、現在の宇都宮市の基盤にも繋がる整備をしたのが、徳川家康の側近として知られる本多正純。
わずか3年の統治でしたが、城の改修のほかにも奥州街道の付替え、日光街道や城下町の整備を急速に進めました。
「御成御殿」日光社参の際に徳川将軍が宿泊

江戸時代の本丸には南北2つの門があり、周囲の土塁の上には5つの櫓がありました。
そして、本丸内には「御成御殿」が建てられており、徳川将軍が日光社参をする際の宿泊所として使用された。ちなみに城主は二の丸の御殿に居住しました。
日光社参と宇都宮
日光社参は徳川家康公を祀る日光東照宮を、将軍家が参拝する巡礼行事です。その際、日光街道上にあった宇都宮城は、将軍一行が宿泊し休息を取ることが多かった重要拠点でした。
江戸時代を通じて、社参は合計19回実施された。
6名の徳川将軍が社参をしており、それぞれ、2代将軍秀忠が4回、3代将軍家光が10回、4代将軍家綱が2回、8代将軍吉宗が1回、10代将軍家治が1回、12代将軍家慶が1回となります。
日光社参は幕府の威信がかかる一大イベントで、その行列の人員はなんと!10万人を超えたそうだ。伴い、それに掛かる費用も膨大だったとのこと。
それゆえ江戸幕府が財政難になるにつれて社参回数が減ってゆくのは、将軍ごとの回数が示す通りですね。
\ 家康公を祀る日光東照宮についてはこちら!/
「富士見櫓」木造復元された櫓

城址公園内には、かつての土塁の一部が残っているそうです。
復元土塁への南側の登り口に土で盛られた小山があるので、あれが土塁跡ではないかと思われる。

これがその土塁遺構っぽい小山。
特に看板も無かったのだが遺構だと信じつつ、ありがたがって上がって行きましたよ(苦笑)。

土塁の上には2基の櫓が、伝統的な工法を用いて木造復元されています。
南側にあるのは「富士見櫓」で、2階建ての瓦葺きの建物。

屋根には鯱(しゃちほこ)が載っていました。

内部の見学もできます。広さは三間(5.9m)x 四間(7.9m)。壁の下側には、銃を撃つための穴「狭間」が再現されています。
当時はその名の通り、ここから富士山まで見通せたとのこと。
ちなみに訪問日は、2階には上がれませんでした。
本多正純の改易事件と釣り天井伝説

そして宇都宮城というと代名詞的に必ず挙がるエピソードが、本田正純の改易事件と「釣天井事件」。
本多正純の改易事件
本多正純が宇都宮藩主だった元和8年(1622年)に、徳川秀忠が日光社参をした。
その際、往復とも宇都宮城に宿泊する予定だったが、帰路は急遽予定を変更して宇都宮城に寄らずに帰還した。これは宇都宮城の普請に不備がある、という密訴を受けてのものだった。
後日、正純が幕府命で山形城の受取りに出向いた際、宇都宮城の釣天井に仕掛けを施し秀忠を圧死させようとした、などの疑いの罪状嫌疑が突き付けられた。
これを機に不在中に宇都宮城及び所領を召し上げられ、後日改易・流罪につながったという事件。
釣天井の事実はなく事件の明確な理由も不詳ですが、徳川家康側近として幅を利かせた正純を疎ましく思った秀忠側近(及び秀忠?)による画策だったと考えられています。
地元宇都宮ではこの話に、吊り天井の仕掛け作りに関わった若き大工の恋物語を加わえた「民話 つり天井」が語り継がれているそうだ。事実じゃないっていうのに。。。(苦笑)。
「清明台」天守の代わりの役割だった櫓

富士見櫓から土塁北側の清明台を望む。

土塁上にはエレベーターで上がることができます。

北側の「清明台」は、本丸正面入口の「清水門」を見下せる位置にあった櫓。
土塁が他の櫓よりも高く盛られており、天守の役割だった櫓と考えられています。

内部は三間 (5.9m) x 三間半(6.9m)で、富士見櫓よりもやや小さめ。

清明台のある場所からは、市街地方面の眺めもなかなか良い。NTTの電波塔が良く見えた。

■毎月第3日曜日は櫓の2階を特別開放。
■毎週金・土・日は櫓・土塀のライトアップを実施(日没から21時迄)。
訪問の時間帯や曜日によっては、見学の楽しみの幅が広がりそう。ライトアップされた中の散策も良さそうですね。

管理用の出入口を巧く隠せていれば、もう少し情緒のある景色になったと思うのだが。。。
石碑「天皇観臨賜甫処」「贈従三位戸田忠恕之碑」

公園内には2つの石碑が立つ。こちらは「天皇観臨賜甫処」の石碑。
明治25年(1825年)に、明治天皇が宇都宮師団の大演習のために行幸された際の記念碑。

「贈従三位戸田忠恕之碑(ぞうじゅんさんみ とだただゆきのひ)」は、宇都宮藩戸田家12代藩主・戸田忠恕の功績を称える碑。
荒れ果てていた歴代天皇陵の修復に尽力。明治30年(1897年)に従三位が贈られた翌年に、旧藩士や有志によって建てられたもの。
「宇都宮城ものしり館」と「まちあるき情報館」

そしてコンクリート製の土塁の中には、「宇都宮城ものしり館」と「まちあるき情報館」という2つの展示スペースがある。
「宇都宮城ものしり館」には、絵図をもとに復元された本丸のジオラマ模型のほか、城下町から発展してゆく宇都宮の歴史に関するパネル展示などがあり興味深く見学できた。

「まちあるき情報館」の方には、明治時代に製作された桃太郎山車を展示。
桃太郎像は各地の山車の意匠として、明治時代に好んで取り上げられたキャラなんだそうだ。
宇都宮城ものしり館・まちあるき情報館
休館日:年末年始 / 時間:9時~19時(年末年始は休館)
「清明館」宇都宮の歴史が学べる施設、トイレも完備

さらに公園内には清明館という施設があります。

館内には無料で見学できる宇都宮の歴史に関する資料展示室と、有料で使用できる和室がある。
宇都宮城の御城印も販売されていました。1枚300円ナリ。
トイレも完備されているので、休憩がてら立ち寄ると良さそうですよ。

清明館の前には「金剛桜」の古木がある。宇都宮城復元を記念して、日光山輪王寺より寄贈されたもの。
公園内にはそのほか河津桜・大山桜・染井吉野・しだれ桜の4種の桜が植えられており、それぞれ開花時期が異なり長い期間花が楽しめるそうだ。

清明館で購入した御城印。
清明館
休館日:年末年始
駐車場:約9台(公園南側)
歴史展示室)入場料:無料 / 開館時間:9時~17時
和室)
利用時間・利用料:9時~正午 300円、12:30~17:00 460円、17:30~21:30 410円
利用方法:予約制 ※直接または電話で清明館へ(清明館 電話番号:028-638-9390)
宇都宮城三の丸の土塁跡と大いちょう

宇都宮城址公園の見学は以上ですが、最後に帰りに通りがかった宇都宮市指定天然記念物の大銀杏を紹介。ここは城址公園から市街地に向かって7~8分歩いた場所。
宇都宮市は戦中の昭和20年に空襲を受け、多くの犠牲者が出た。その際、この大銀杏も被災しましたが、翌年には見事芽吹き再生した。そのことから、戦後復興のシンボルとして市民に親しまれている名木です。
そしてこの木が立つ場所は、かつての宇都宮城の三の丸の土塁跡でもあります。
数少ない現存の土塁遺構に建つ大銀杏を見ながら、都市化する街中で史跡を残してゆくことの難しさを感じました。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
宇都宮城址公園の詳細情報・アクセスなど
宇都宮城址公園
住所:栃木県宇都宮市本丸町1−3520外(GoogleMapで開く)
清明台・富士見櫓の公開時間:9時~19時(内部見学は1階部分のみ) *年末年始除く
アクセス:
電車)
・JR「宇都宮駅」より徒歩約25分
・JR「宇都宮駅」西口より、関東バスの市内循環線(きぶな)乗車で約15分、「宇都宮市役所」又は「宇都宮城址公園入口」下車。
車)
・東北自動車道「鹿沼IC」より20分
・駐車場は市役所東側の城址公園駐車場や市役所の東第2駐車場の利用が可。いずれも無料。
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宇都宮城址公園に出かけてみませんか?
ほぼ消滅してしまった宇都宮城を現代に蘇らせて、再びその城郭の姿が見れるということは喜ばしい事だと思います。かつての名城、宇都宮城に思いをめぐらせることができた。
また、広々とした芝地や市街地を望む眺望もあり、市民の憩い場として好スポットだと思います。
その一方、宇都宮城の歴史を伝える施設としては、やはり残念な部分が多かった。水堀の水対策をはじめ、今後も歴史を伝える公園としての進化に期待したい。
記事の訪問日:2023/8/24



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