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鎌倉幕府御家人・畠山重忠ゆかり地巡り!「重忠公史跡公園」ほか【埼玉・深谷市】

鎌倉幕府御家人・畠山重忠ゆかり地巡り!「重忠公史跡公園」ほか【埼玉・深谷市】

大河ドラマ・鎌倉殿の13人でも取り上げられた鎌倉幕府の有力御家人の一人、畠山重忠。その重忠が生誕した埼玉県深谷市のゆかりのスポットを巡ります。

畠山重忠の墓がある屋敷跡「畠山重忠公史跡公園」をはじめ、菩提寺や伝承の地を巡りながら重忠の略歴や関連エピソード、人物像も紹介してゆきます。

『鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠と深谷市』

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

鎌倉幕府内の権力の座を巡る争いを描いた、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。ドラマの舞台は鎌倉を中心に関東圏であり、有力御家人たちの多くも関東の武士達だ。

武蔵国に住む私の身としては、比較的近場で登場人物ゆかりの地を発見する楽しみがあったりする。

そんなわけで、鎌倉殿の13人でも重要人物として取り上げられた有力御家人の一人、畠山重忠ゆかりの地である埼玉県深谷市を訪ねたので紹介します。

『畠山重忠公史跡公園』 屋敷跡の重忠公墓

「重忠と愛馬三日月の像」 一ノ谷の戦いの逸話

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

畠山重忠は、平安時代末から鎌倉時代初めにかけて活躍した武将です。文武両道に秀でて、人柄も謹厳実直な優れた武将で「武蔵武士の鑑」ともいわれています。

そんなキャラなんでドラマ以前から、元々人気があった武将だと思いますよ。

畠山重忠の生誕地は現在の埼玉県深谷市畠山で、重忠の館がこの地にありました。館だった場所は現在「畠山重忠公史跡公園」として整備され、公園内には畠山重忠の墓所があります。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

公園に到着して駐車場から入口に向かうと、愛馬・三日月を背負ってどど~んと立っている畠山重忠の銅像が出迎えてくれます。

なかなか勇ましく、迫力ありますなあ~。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

ここで、畠山重忠の誕生から源頼朝に仕えた辺りまでの概略を紹介。

  • 畠山重忠関連概略年表(1) ~誕生から源頼朝の軍門へ~
  • 1164年(長寛2年):畠山重忠は現在の深谷市畠山の地に生誕。父は秩父氏の一族の畠山重能(しげよし)、母は三浦義明の娘もしくは江戸重継(しげつぐ)の娘。幼名は氏王丸(うじおうまる)。
  • 1180年(治承4年):
  • ・源頼朝が伊豆で打倒平氏を目指し挙兵するが、石橋山の合戦に敗れ安房に逃れる。
  • ・17歳の重忠は不在の父・重能に代わり、仕えていた平氏方として挙兵・鎮圧に向かう。
  • ・頼朝は安房国で再起をはかり、約1ヶ月後に2万7千騎の大軍を味方にした。
  • ・重忠は頼朝の軍門に降ることを決め、頼朝から受け入れられる。武蔵国から鎌倉へ向かう頼朝軍勢の先陣を任される。以降、源頼朝に仕えて木曽義仲追討、平氏追討、奥州合戦などの数多くの戦いで活躍。
  • 1190年(建久元年):源頼朝の京都上洛の同行の際も、重忠は先陣を任される。
  • 1192年(建久3年):源頼朝が征夷大将軍に任じられる。

最初に重忠と対面した源頼朝は、重忠の堂々とした態度や受け答えに感心したといわれます。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

この勇ましい銅像の元ネタは、源義経率いる平家攻略軍として参戦した一の谷の戦い(現兵庫県神戸市)。

義経軍は敵陣背後の断崖絶壁・鵯越(ひよどりごえ)から平家軍を急襲しました。この際、重忠は愛馬三日月を思いやり背負って下りた、という逸話が題材になっています。

また、木曽義仲を討つための宇治川の戦い(現京都府宇治市)では、冬の宇治川を歩いて渡り敵のいる対岸へ味方の武将を投げ上げた、というなんとも勇ましい話が伝わります。

そんな感じで、どえらい怪力ぶりを発揮した逸話が多く残っているんですよ!

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

公園は特段大きくも立派でもないですが、小綺麗に整備されている感じが伝わってきます。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

比較的新しそうな慰霊碑もあり、史跡としても大事に扱われている様子ですね。

重忠の父・重能は、武蔵国秩父郡を居住地とする秩父家の家系でした。武藏国男衾(おぶすま)郡畠山と呼ばれていたこの地に移り、畠山氏を称したのが畠山姓の始まりとされます。

地元ゆかりの武将と呼ぶにふさわしい家系ですな。

「畠山重忠公の墓」 最期は北条義時に討たれる

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

畠山重忠の墓は公園の南側にあります。

神社のような雰囲気の建物は昭和の終わりに造られたもの。墓石保護の目的とともに、館跡の雰囲気を出す役割も担ってる感じなのかな。

以下に、源頼朝亡き後から最期を迎えるまでの重忠の概略を紹介します。

  • 畠山重忠関連概略年表(2) ~頼朝亡き後から、重忠の最期まで~
  • 1199年(正治元年):頼朝死去。息子・頼家が2代将軍となる。その後、鎌倉幕府の有力御家人・北条時政が比企能員(ひきよしかず)を滅ぼし絶大な権力を握る。
  • 1204年(元久元年):重忠の息子・重保(しげやす)が、時政の妻である牧の方の娘婿・平賀朝雅(ともまさ)と口論になる。これが発端で重忠父子に謀反の疑いが掛けられる。
  • 1205年(元久2年):
  • ・重保が由比ヶ浜で討ち取られる。
  • ・重忠、二俣川(ふたまたがわ)(現神奈川県横浜市旭区)で北条義時・時房率いる大軍に襲われ、重忠以下134名討死。重忠は42年の生涯を終えた。

畠山重忠は鎌倉幕府内の権力争いの中で謀反の疑いをかけられ、若くしてその生涯を閉じました。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

社の中には現在6基の五輪塔が残されています。

元々この場所には4基の五輪塔があり、残り2基は近隣の満福寺から移されたものと推測されています。

正面傍らにあるボタンを押すと音声ガイドが流れます。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

江戸時代の地誌によると、畠山次郎重忠墓は満福寺にあったとのこと。

移動してきた2基がどれかは不明だが、調査により造立時期が分かっている。それにより、鎌倉時代後半までに造られた中央の五輪塔が伝畠山重忠墓とされています。合掌。

ちなみに、左手の五輪塔は重忠の家臣・本田近常(ちかつね)の墓と伝わります。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園
板石塔婆

社の傍にある「板石塔婆(いたいしとうば)」は供養塔で、嘉元2年(1304年)の記銘がある。

重忠の二股川での戦死後100年忌にあたって、供養のために建てられたものとされています。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

この公園は市街地からは少し離れた場所ですが、入れ替わり立ち代わりの訪問者が絶えないですねー。

地元に根差した人気の武将なんでしょうが、やはり大河ドラマの波及効果が大きいのでしょうね。かくいう自身も、ドラマを見てて訪問したくなったクチだからねえ。

「重忠公ゆかりの石、句碑・歌碑」 松尾芭蕉の句も

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園
重忠公ゆかりの石

その他にも公園内には重忠ゆかりの碑などがいくつかあります。

公園入口の重忠像の袂にあった「重忠公ゆかりの石」。

重忠が投げたといわれる3つの岩塊があったと伝わり、その内唯一残る一つがこの石とのこと。

それでもって、この石の上に物を置いたり座ったりすると直ちに頭痛などが起こる、などとちょっと怖い伝承があるそうなんだわ。

それにしても丁度座り心地良さそうな形の石だな。。。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園
松尾芭蕉の句碑

こちらは昭和に造られた、重忠を詠んだ松尾芭蕉の句碑。

「むかしきけ 秩父殿さえ すまふとり(=相撲取り)」。

秩父殿は秩父氏の裔である重忠のことで、その怪力ぶりを称えた内容の句だ。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

こちらは元埼玉県知事・畑和(はたやわら)氏作詞の重忠節の石碑。

「国は武蔵の畠山 武者と生まれて描く虹 剛勇かおる重忠に いざ鎌倉のときいたる」

こちらの碑は、隅っこで若干草むらと同化しかかってましたが。

「畠山重忠公 産湯ノ井戸」

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

公園の東側には当時の井戸の跡があります。

埼玉県深谷市 畠山重忠公史跡公園

重忠はこの地で父・重能の次男として生まれました。その際、この井戸の水が産湯として使用されたとされ「重忠公産湯ノ井戸」と呼ばれています。

畠山重忠公史跡公園
住所:埼玉県深谷市畠山510-2(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)秩父鉄道「武川駅」から3Km(車で約10分)
車)関越自動車道「花園IC」から約2km

嵐山町にあった畠山重忠館跡もあわせてチェック!

『満福寺』 畠山重忠の菩提寺

埼玉県深谷市 満福寺

「満福寺」は、畠山重忠公史跡公園から500~600m程の近隣にあります。

元々こちらの寺院に重忠の五輪塔があったわけですね。

埼玉県深谷市 満福寺

満福寺は真言宗の寺院で、その歴史は古く平安時代の1110年頃の開基とされます。

寿永年間(1182~1184年)に重忠が再興し菩提寺としました。現在の本堂は江戸時代の寛政4年(1792年)に建立された建物だそうです。

埼玉県深谷市 満福寺

本堂の東側に「重忠廟の碑」があります。

いつの時代に造られたものかは確認できませんでした。

埼玉県深谷市 満福寺

少し離れた西側には「観音堂」があります。

埼玉県深谷市 満福寺

この観音堂には、重忠等身大の千手観音立像が守本尊として納められているそうです。

大きさは高さ6尺3寸とあるので、約1.9m。重忠は身長もかなりデカかったんですね!

満福寺
住所:埼玉県深谷市畠山931-1(GoogleMapで開く

鎌倉幕府の有力御家人だった、比企能員ゆかりの寺はこちら!

『井椋神社と鶯の瀬』 重忠ゆかりの逸話が

埼玉県深谷市 井椋神社

満福寺から更に北約200mの場所に、畠山家ゆかりの「井椋神社(いぐらじんじゃ)」があります。

この神社の北側は荒川で、川沿いのへリに鎮座する神社です。

埼玉県深谷市 井椋神社

井椋神社は秩父吉田郷の地にて、畠山氏先祖の代から敬ってきた神社。重忠の父・重能が館を畠山に移した時、分祀・勧請された神社です。

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)が主祭神として祀られます。

埼玉県深谷市 井椋神社

畠山氏の文字が見える石碑がありましたが、その他の文字は判別できず碑の内容は未確認。

石碑に線が入ってますが、光の具合ですね。怪現象などではないので念のため。

埼玉県深谷市 井椋神社

源氏の白旗を祭った境内社「白旗八幡神社」。

埼玉県深谷市 鶯の瀬
史跡・鶯の瀬

神社の北側には「史跡・鶯(うぐいす)の瀬」の石碑があり、ここには重忠にゆかりの逸話が残ります。

昔、畠山重忠公が川向うの乳兄弟・榛沢六郎成清(はんざわろくろうなりきよ)のもとに行った帰路、豪雨により洪水で川が渡れなくなった。

その時、一羽の鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれた、という言い伝えがある場所だそうだ。それに関して、重忠が詠んだとされる歌があります。

「時ならぬ 岸の小笹(おささ)の鶯は 浅瀬たずねて鳴き渡るらん」

榛沢六郎成清は、二俣川の戦いの中で重忠と共に討死しています。

埼玉県深谷市 鶯の瀬

鶯の瀬の碑がある場所には、あずまや風の休憩所があります。

車での訪問なら、満福寺に車を停めたまま歩くのが良さそうな感じかな。鶯の瀬付近にも駐車スペースがありますが、至るまでの道がチョイ狭めでした。

埼玉県深谷市 鶯の瀬

近辺から見える荒川の流れ。

この辺は増水の時でも川瀬が変わらず浅瀬になっているそうで、重忠が川を行き来したと伝わります。

少し上流には平成に造られた巨大な灌漑用の堰・六堰頭首工(ろくせきとうしゅこう)がありますが、架かる橋には重忠橋の名が付いています。

井椋神社
住所:埼玉県深谷市畠山942(GoogleMapで開く

『鎌倉街道』 北武蔵に向かう上道

埼玉県深谷市 鎌倉街道の標柱

帰り際、鎌倉街道の面影が残る場所があるとのことで、車で立ち寄ってみた。

場所は井椋神社から荒川沿い2~3km上流に向かった場所だが、ちょっとわかりずらかった。

アイリスオーヤマの大きな工場が目印になるのだが、幹線道路から外れぐるっと大回りした裏手にあるんだわ。

埼玉県深谷市 鎌倉街道の標柱

道端には史跡・鎌倉街道の標柱と、鎌倉街道上道(かみつみち)の説明板がありました。

鎌倉街道は「いざ!鎌倉」と、御家人たちが鎌倉に駆けつけるためにつくられた街道ですね。

上道は畠山重忠をはじめとする、有力御家人が多い北武蔵に向かう主要な道筋だったとされます。

埼玉県深谷市 鎌倉街道の標柱

それはともかく、こちらが標柱周囲の様子ですが、はて、鎌倉街道ってどれのこと?しばし周辺をウロウロ。。。

埼玉県深谷市 鎌倉街道の標柱

説明板には「道幅が4~6m の掘割状となり、下り始めると幅が広がり自然地形に沿った切り通しとなる」とあります。

森の中にうっすらと窪地が見えます。道はこの中にあり、藪に覆われて見えなくなっている状態と判断しました。

かつてこの森の中の道を重忠も馬で進んだのかもなあ、と思いを馳せながら本日の散策を終えます。

史跡 鎌倉街道(標柱)
住所:埼玉県大里郡寄居町赤浜(GoogleMapで開く

畠山重忠ゆかりの地に出かけませんか?

埼玉県深谷市 ヤサイな仲間たちファーム

埼玉県深谷市にある武将・畠山重忠ゆかりのスポットを紹介しましたが、いかがでしたか?

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の中川大志(たいし)さんが、クールかつ熱血漢な畠山重忠を好演されてました。今回ゆかりの地を散策して、ドラマでのイメージに加え巨漢でごつい体格のイメージが加わりましたわ。

訪問した深谷市ですが、2022年10月中旬、関越道の花園IC付近に大型ショッピングモール・ふかや花園プレミアムアウトレットがオープンします。写真はアウトレット横の「ヤサイな仲間たちファーム」という施設で、帰りに喉を潤しに立ち寄りました。

ということでショッピングがてら、誰かを誘って出かけるのも良さそうな場所になりそうですね!

※記載している情報は現地にある説明看板の他、深谷市教育委員会作成のパンフレット「武蔵武士の鑑・畠山重忠」を参考にしています。


たまには、少しリッチなお取り寄せを楽しみませんか?

【記事の訪問日:2022/10/2】

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