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千葉県にある「成田山新勝寺」は、お寺としての初詣参拝者数がナンバーワン!
正月三が日には、毎年約300万人の参拝者が訪問します。
その数からも分かる通り、超人気の寺ですよね!
では、なんでそれほど人気になったかって、ご存でしたか?
成田山新勝寺に参拝客が増えた秘密を探りながら、見どころを紹介してゆきます。
『成田山新勝寺の歴史と見どころを紹介!』
お寺での初詣参拝者数は全国ナンバーワン!の 「成田山新勝寺」。
人混みに腰が引けてて今迄行きそびれてましたが、正月も三が日を過ぎた遅めのタイミングで初詣に出かけてみました。
成田駅から風情ある参道へ

成田駅から新勝寺入口まで、約800m続く参道に入ります。
さすが人気のお寺だけあって、三が日過ぎでも人混みの絶えない参道ですね!
活気に溢れてます。
参道の半ばを過ぎると、門前町らしい風情ある街並みに変わってくる。
緩やかなカーブの下り坂を進む先に、三重塔の先端部分が見え隠れするのがいいねえ。
鰻屋から漂ってくる香ばしい香りにも、心奪われますね~。
「総門」 表玄関口

成田山の表玄関「総門」に到着です。
こちらは開基1070年記念として、平成19年(2008年)に建立された門です。
比較的新しい建造物ですが、総欅造りで自然な風合いの造りですね。
高さ15m・桁行14.2m・梁行6.3m。
建具の一部には十二支の木彫刻が施され、楼上には八体の生まれ歳守り本尊が奉安されています。
人混みに揉まれながら、総門を抜けて境内へ。
「仁王門」 仁王像が総門を守護

「仁王門」は天保2年(1831年)の建築物で、国指定重要文化財です。
門の左右に密迹金剛・那羅延金剛の二尊が安置され、総門を守っています。

仁王門の真ん中に、「魚がし」と書かれた巨大な赤い大提灯がど~んと掛けられています。
これは東京・築地の魚河岸の旦那衆が昭和43年(1968年)に奉納したもの。骨部分は青銅でがっしりと造られており、重量は800kgキログラムにもなるそうですよ!
新勝寺には古い物と新しい物が違和感なく同居しているのが、特徴の一つだと思います。
「大本堂」 平将門の乱に起源あり

新勝寺において「大本堂」は一番重要で中心となるお堂で、本尊不動明王像を安置してます。
本日もこの混雑ですから、大晦日や元旦は凄まじいのでしょうなあ。。。
成田山新勝寺の起源は平安時代にさかのぼります。
- ■ 天慶2年(939年)、関東の武将・平将門が新皇と名乗り「平将門の乱」を起こし朝廷と敵対。
- ■ 当時の天皇・朱雀(すざく)天皇の勅命を受けた寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)が、弘法大師空海みずからが彫った不動明王像を持って京の都から房総半島に上陸。
成田の地で戦乱の鎮まりの祈祷を行い、乱は収まりました。 - ■ その後不動明王像を祀るお堂が建立され、これが成田山新勝寺の始まりとなります。
現在の大本堂は昭和43年(1968年)に建造された比較的新しい建物で、入母屋造りの二重屋根の鉄筋コンクリート製。
車椅子用エレベーターも設置され、バリアフリー対応がされています。
「三重塔」 成田山と市川団十郎

大本堂の脇にはひときわ目を惹く「三重塔」があります。
正徳2年(1712年)に建立された建造物で、重要文化財です。
総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安されています。
ところで、成田山は市川団十郎と深いつながりを持っているのをご存じでしたか?
そのつながりの歴史は江戸時代までさかのぼります。
- ■ 江戸時代の歌舞伎役者だった初代市川団十郎は、歌舞伎に豪快な演技を取り入れ大変な人気者でした。
しかし、跡継ぎに恵まれず、その際成田山に子宝祈願したところ見事長男を授かった。 - ■ 初代団十郎はこれに大変感謝し、成田山が題材の成田山分身不動という歌舞伎を行った。
これが大人気となり、成田山の御利益が江戸に知れ渡ります。
市川団十郎は屋号を「成田屋」としました。 - ■ 同時期、成田山は江戸・深川で御本尊を公開する「出開帳(でかいちょう)」を始め、江戸に成田山を広めるきっかけを作った。
- ■ 市川団十郎と「出開帳」の相乗効果で、江戸で成田詣がブームとなる。
それに伴い旅籠や食事処が集まり、これが現在の成田山表参道を形成しました。
ということだそうです。
成田山の商売上手だった部分も感じますねえ。
現在でも市川家と成田山の強い絆は続いており、成田山の記念行事の際は市川団十郎が記念参拝を行ったりしています。
「額堂」 江戸時代の絵馬や彫刻

「額堂」は文久元年(1861年)に建立された建造物で、重要文化財に指定されています。
昭和61年(1986年)には修復がおこなわれています。
額堂は奉納された額や絵馬などをかける建物で、江戸時代の貴重な絵馬や彫刻を見ることができます。
また、7代目市川団十郎の石像が奉安されています。
元々の額堂は、文政4年(1821年)に7代目・市川団十郎が金一千両をかけて寄進したものがありました。
石像も当初そちらにありました。
しかし、この額堂は残念ながら昭和40年(1965年)に焼失。
石像だけが残り現在の額堂の位置に移された、という経緯になります。元々の額堂は、文政4年(1821年)に7代目・市川団十郎が金一千両をかけて寄進したものがありました。元々の額堂は、文政4年(1821年)に7代目・市川団十郎が金一千両をかけて寄進したものがありました。
消失の原因は放火だったというのは、残念なことだ。
「光明堂」 江戸時代の建物

こちらの「光明堂」は江戸時代中期の元禄14年(1701年)に建立された貴重な建物で、重要文化財です。
大日如来・愛染明王・不動明王が奉安されています。
「平和の大塔」 成田詣の集客バトルが!

「平和の大塔」は昭和59年(1984年)に建立された建物。
外見は2階建ての塔ですが、内部は5階建てになっています。
2階の明王殿に大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安されている他、多目的に使用されています。
さて、現代になりもう一点、成田山が人気になった秘密があるのでご紹介!
- 実は、成田山への参拝者数が増えた背後には、鉄道会社間の熱いバトルがありました。
- 明治30年(1897年)、成田鉄道(現JR)が成田に初めて鉄道を敷きます。
その後、現在の京成電鉄が加わります。
これにより現在も続く、JRと京成電鉄による成田詣の集客合戦が始まります。 - 戦後、国鉄(現JR)は初詣団体臨時列車の運行を開始し、両国-成田間を1時間で走らせる快速成田号を投入。
すると京成は私鉄で初めてのテレビ付きの豪華車両・特急開運号を投入、といった具合。 - 昭和53年(1978年)、成田空港が開港。
京成の特急スカイライナーが開通し、更に東京からのアクセスを近いものにした。
JRも成田エクスプレスを投入。
こんな感じで、これら鉄道会社間の競争がアクセスの利便性を高め、それにより現在の成田山への参拝者増加につながっています。
また、成田山新勝寺では毎年「節分会」の豆まき式に、大相撲力士やNHK大河ドラマの出演者、歌手などが参加するのは良く知られますよね。
参拝客が喜ぶ行事を行うのが得意なんでしょうね、昔も今も。
名物・鰻の由来は?

参拝した後は、参道で成田山名物の鰻を頂いて帰りましょう。
鰻は、江戸からの成田詣の参拝客向けのもてなしの名物として、旅館などで出すようになりました。
以来、成田山周辺で鰻料理を出す店が定着したようです。
元々この地域では、近隣に印旛沼があるため川魚料理を食べる習慣があり、栄養価の高い鰻料理は食文化として定着していたそう。

本日は「菊屋」さんへという鰻屋さんで鰻丼を頂きました。
正月期間は参道の鰻屋は混んでますので、早めの時間に行くのが良さそうですよ。
公式ページ
住所:千葉県成田市仲町385(GoogleMapで開く)
アクセス情報
公式ページ
住所:千葉県成田市成田1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・京成電鉄:京成成田駅、又はJR線 成田駅より徒歩10分
車)
・東関東自動車道成田ICから、国道295号線へ出て、寺台インターへ
・圏央道からは大栄JCTで東関東自動車道に乗り継ぎ、成田ICへ
坂東三十三観音と他の寺をあわせた、関東の百寺を紹介。
「地球の歩き方シリーズ」なのでしっかりした内容!
成田山参拝に出かけてみませんか?

成田山新勝寺の見どころと成田山の人気の秘密をご紹介しましたが、いかがでしたか?
初詣や節分の人が集まる時期の訪問は特別なイベント感があって楽しいですが、境内は広くまだまだ見るべきものも残っていそう。
混んでいる時期を避けて、ゆっくり一日参拝するのも良さそうです。
成田山に参拝に出かけてみませんか?
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