江戸幕府を開いた徳川家康というと江戸のイメージが強いですが、生涯で最も長い期間過ごしたのは静岡県の駿府なんですね。
ということで、将軍引退後の大御所時代を過ごした「駿府城跡」を訪問。
天守台の発掘現場が一般公開されており貴重なんですが、そこでは大御所時代の天守台のほかに、もう一つ出現した天守台跡が見れるっていうのも驚き!
そんなミステリアスな見どころもある、徳川家康ゆかりの駿府城を探訪。
目次
『徳川家康が2度築城した駿府城をめぐる』
徳川家康が江戸幕府の将軍職を退いた後、大御所時代を過ごしたのが駿府(すんぷ)。
駿府は家康(幼名・松平竹千代)が、幼少期から19歳まで今川氏の人質となっていた地でもありました。
そんな徳川家康とゆかりが深かった、駿府城跡を訪ねてみた。
家康を題材にしたNHK大河ドラマ「どうする家康」が放映されて盛り上がっているので、その機会に家康について色々知っておこうかなぁ、っていう動機もあったり。
JR静岡駅は初めて降りたけど、政令指定都市の玄関口だけあって都会的な駅前ですなあ。
駅北口広場には、竹千代と今川義元の像がありました。
駿河国にあった都市・駿府ですが、現在の静岡市葵区の中心市街地にほぼ相当するそう。
ということで駿府城公園へ向かってみます。
「東御門」 周囲にニノ丸堀が残る
静岡駅から約2km弱くらい歩くと、お~、ここですね。
城跡らしい佇まいが現れます。
かつて駿府城の本丸・二ノ丸だったエリアが、現在は「駿府城公園」という城址公園としてして整備されています。
周囲が堀に囲まれていた二ノ丸の姿が良く残ってますね。
駅からの散策には程好い距離ですが、本日は終日傘が手放せないかなりの雨模様なのがちょいと残念。
二ノ丸南東に位置し駿府城跡のシンボルともいえる、復元された「東御門と巽櫓(たつみやぐら)」が現れてきます。
この辺りが最も”お城然”とした景観を感じられるエリアですね。
三ノ丸から二ノ丸に通じる門は東西南北にありましたが、東御門もその一つ。
ちなみに正面入口にあたる大手御門は南側にありました。
東御門の櫓台の石垣を見ると、上部の石垣は下と比べて綺麗なので、復元時に積み直したことが想像できます。
東御門正面。
駿府城の築城時期ですが、駿府周辺5カ国の大名となった徳川家康が、居城として天正13年(1585年)に築いたのが最初。
築城後直ぐ、家康は豊臣秀吉の命で関東に国替えされ江戸に移りました。
(嫌がらせのようだな。。。)
その約20年後、慶長12年(1607年)に江戸幕府の将軍職を退いた家康は、再び駿府に戻ります。
そして全国の大名に命じ天下普請で、5重(又は6重)7階建てといわれる天守を持つ駿府城へと拡張しました。
大御所時代の駿府城縄張りは、中心の本丸を二ノ丸が囲むように配置され、そのニノ丸を更に三ノ丸が囲む配置となる輪郭式の平城。
各曲輪の外側には堀を配しており、内堀・中堀・外堀の計3つの堀を持っていました。
東御門は平成8年(1996年)に復元されたもの。
当時この門は、主に重臣たちの出入り口として利用されたらしいですよ。
東御門は、二ノ丸堀(中堀)に架かる橋と高麗門、右手の城内に入る櫓門、そして周囲を囲む多門櫓で構成された枡形の虎口です。
門内の壁面には、内部から鉄砲や矢で狙うための”狭間”と呼ばれる穴があるなど、防御の仕掛けが施されています。
城内への入口にあたる櫓門は、太い柱を持ったガシッとした堅牢な造りで、威圧感がありますねぇ。
後で櫓内に入った際に、門の天井部の石落としの口も見つけましたよ。
櫓門をくぐった先の石垣にはめられた大きな鑑石。
この辺に残っている石垣も当時のものとのこと。
「巽櫓」 資料館には現存のシャチ像も!
城内から見た櫓門。
公園内の石垣は、見た目で復元と現存とで区別が付くので潔くて良いな。
東御門の櫓部分から巽櫓までは繋がっており、内部は資料展示施設になっています。
こちらで予備知識を取得してから城内を巡ります。
しばし雨宿りだぁ~とばかりに、入場料を払って内部へ。
内部は思ったより広々して、展示資料も充実してました!
築城にまつわる説明や資料などが並びます。
入口箇所には100名城スタンプがあります。
御城印や記念品などを扱う売店は、巽櫓内の一番奥まった場所にあります。
当時、東御門の上に載っていたと思われる青銅のシャチ。
二ノ丸堀から発見されたそうだが、こんなに綺麗な状態で残っているのは凄いですね!
家康が大御所時代に整備した縄張りのジオラマ模型。
中央の本丸エリアには本丸御殿があり、北西隅には天守台が見えます。
こちらは天守台発掘現場のジオラマ模型。
天守台跡地の再整備方針を決めるため、天守台の正確な大きさなどの学術データを得ることを目的に調査が実施されています。
平成28年(2016年)8月~令和2年(2020年)3月:現地調査(掘削・測量等)
令和2年(2020年)4月~令和4年(2022年)3月:整理作業(遺物の洗浄・図化、遺構図面の整理等)、調査報告書の刊行
そして、発掘中に天守台の内側から、慶長時代のものとは異なる石垣が発見されたんですね。
模型中央の四角い部分ですが(橙色のラベルがある辺り)、これは天正時代に家康が築いた時の天守台跡とみられています。
天正期の天守台跡からは、その時期一部の豊臣方の城で使われていた金箔瓦が大量に出土されました。
こちらでは、そんな興味深い発掘現場が一般公開されているんですね!
そんな城跡はそうそう無いので、この後の見学が楽しみ!
今回の駿府城跡訪問の最大の目的だったりもします。
竹千代手習いの間の復元。
家康は今川義元の人質の間、今川家軍師の臨済寺住職・雪斎和尚から学問を学んだと伝わる。
その勉強部屋の復元。
集中できそうな部屋ですが、人質と考えると息が詰まりそうな気も。。。
東御門に隣接して「紅葉山庭園」があり、有料で見学できます。
庭園内には茶室もあり、お茶も楽しめるそうですよ。
「徳川家康像」 25年間駿府で暮らした家康
東御門・巽櫓見学後に本丸エリアへ。
大御所時代の鷹狩の姿を現した、徳川家康の銅像とご対面。
晩年の姿の像で、恰幅も良く貫録がありますなぁ~。
ふと静岡駅前の竹千代像を思い浮かべ、比較してしまったが(笑)。
徳川家康と駿府城との関連を少し振り返りましょう。
徳川家康と駿府・駿府城の関連年表
天文18年(1549年)~永禄3年(1560年):徳川家康(幼名・松平竹千代)は、今川義元の人質として19歳まで駿府で過ごす。
天正10年(1582年):家康、武田氏討伐に参陣、織田信長より駿河国を与えられる。
天正13年(1585年)~天正17年(1589年):駿府城を居城として築城に着手・完成させる。現在の二ノ丸以内部分を築城。
天正18年(1590年):家康、関白・豊臣秀吉命により関東に国替え、江戸城に入城。駿府城は豊臣系家臣の中村一氏(かずうじ)が城主となる。
慶長8年(1603年):家康、征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く。
慶長10年(1605年):家康、将軍職を2代徳川秀忠に譲り大御所時代が始まる。
慶長13年(1607年):家康、駿府入城、翌年本丸御殿が完成。
慶長15年(1610年):天守落成。この時期、天正期の駿府城を拡張・修築(三ノ丸)、町割りや治水により現在の静岡市市街地の原型を作る。
元和2年(1616年):家康75歳で死去、駿河の久能山に埋葬される。
寛永12年(1635年):城下の出火が城内に延焼、天守・御殿・櫓・塀等大半が焼失。
後、御殿・櫓・城門等が再建されるが、天守は再建されず。
江戸幕府を開いた家康は江戸暮らしが長そうなイメージですが、初めて江戸城に入城してから将軍職を退くまでは約15年間。
対して駿府で暮らしたのは延べ25年間とさらに長い期間なんですね!
家康は当時としてはかなりの長寿で75歳まで生きましたが、74歳の大坂夏の陣では甲冑付けて戦場に出てます。
驚くべき気力・体力の持ち主だったようですな。
銅像にもあるように鷹狩好きで、晩年も頻繁に鷹狩に出かけた。
これは山を駆け巡る鷹狩を、健康法の一つとして実践していた側面もあったようですよ。
家康像の傍には「家康公手植えのミカン」の木。
紀州より贈られた木を家康自ら移植したと伝わります。県指定の天然記念物。
静岡県は全国有数のみかん産地ですが、栽培が始まったのもその頃とのこと。
当時の種類は、中国から伝わったコミカン(紀州みかん)というものだそう。
「天守台発掘調査現場見学」
そして家康像の脇を抜けて、いよいよ天守台発掘現場へ。
発掘現場を常時一般公開してる城跡っていうのは、全国的に見ても珍しいホットなスポットだと思いますよ!
おぉ~、こんな感じかあ。
まずは初めて見る発掘現場の騒然とした雰囲気に驚く。
天守台の上部は明治時代に駿府城跡を陸軍省に献納した際に解体され、下部も埋められました。
現在はその埋められた部分を、掘り起こし調査をしてるんですね。
慶長期の天守の南側の天守台跡。
この辺は形が良く残っていますね。
家康の大御所時代に建てられた慶長期の天守台は、東西約61m x 南北約 68m x 高さ約19m。
一方、現在江戸城跡に残っている天守台は、約45m x 約41m x 高さ約11m。
慶長期の天守台一辺の長さは江戸城の約1.5倍にも及び、日本最大級の天守台だったといわれています。
(比較方法には異説もあるそう。)
南側の石垣も原形を残しています。
そして新たに発見された、慶長期とは別の天守台に関して。
手前の大きな石を使った石垣(緑のコーン部分)は慶長期のもので、奥の赤いコーンがある野面積みの石垣がそれ以前に造られた天守台と考えられます。
これは東西約33m × 南北約37mの天守台であることがわかり、天正期の駿府城のものと考えられています。
素人目に見ても違う時代の石垣であることが分かりますね!
この辺の天正期の石垣部分から、金箔瓦が出土したそうだ。
おおっ、これはなんだ!乱雑に積み上がったこちらの石垣石の山。
これらは、発掘調査時に本丸堀から出てきた石とのことだ。
明治時代に取り壊された際の石垣石や土砂は、そのまま本丸堀を埋めるのに使われていたようですねぇ。
発掘現場の一角にある発掘情報館「きっしゃる」では、発掘に関する情報の掲示物などがあります。
展示施設としてはミニサイズ。
情報館付近には、石垣石を切り出す際に開けられる矢穴の付いた石の展示が。
その横に施工者を示す刻印が打たれた石の展示も。
駿府城公園で発見された刻印数は300以上あり、150種類を数えるそうだ。
築城には多くの集団が関わったことが伺えますねぇ。
「本丸堀遺構と復元された坤櫓」
発掘現場見学後、そのほかの城の面影を巡ってみる。
かつて本丸を囲っていた本丸堀(内堀)は埋められているが、調査の際に発見された一部の遺構が公開されている。
堀は幅は約23~30mで、深さは約5mの規模だったという。
石垣は石を荒割りして積み上げ、隙間に小さな石を詰めて安定させる「打ち込みはぎ」によるもの。
公園内の南西角には「坤櫓(ひつじさるやぐら)」の復元がある。
城の四隅や門周辺に設けらた櫓の一つで、坤は当時の干支による方位の呼び方から来ているとのこと。
外見の屋根は2重で内部は3階構造。
物見櫓や外敵への攻撃拠点の役割を持ってました。
有料で内部の見学ができます。
公開は1階部分のみ。
内部は床板や天井板が外されており、建物の構造が見える工夫がされています。
家康が使用した甲冑のレプリカの展示などもありましたよ。
「二ノ丸御門跡」 桝形門跡
南側入口近くの二ノ丸御門広場には、枡形門の跡が残っている。
こちらの石垣にも刻印めっけ。
東御門の説明パネルによると、加賀藩のものかな?
公園内の刻印巡りも楽しそうだな。
紹介内容から城跡然とした公園を想像するかもですが、全体的には緑も多く広々した公園です。
芝生広場や児童広場もあり、歴史を感じながら散策できる市民の憩いの場になっています。
天気の良い日に散策すると、気持ち良さそう!
御城印
記念に御城印を購入しました。
こちらは静岡産のヒノキ材を使い、薄くても割れない静岡市の地場産業の突板(つきいた)の技術を使った、オール静岡県産にこだわった天然木の御城印とのこと。
大判で入れやすそうな御城印帳があったので併せて購入。
基本情報・アクセス
駿府城公園
公式ページ
住所:静岡市葵区駿府城公園1-1(GoogleMapで開く)
施設開館時間:9:00~16:30(入館16時まで)
休館日:月曜日(祝日・休日にあたる場合は休館振替なしで営業)、年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:東御門・巽櫓:大人 200円、坤櫓:大人100円、紅葉山庭園:大人150円、小人(小・中学生)は各施設50円
アクセス:
電車)
・JR「静岡駅」から徒歩約15分
・静岡鉄道「新静岡駅」から徒歩約12分
車)
・東名高速「静岡IC」より約17分
・新東名高速「新静岡IC」より約18分
・専用駐車場無し、市民文化会館前駐車場(有料)等を利用。
『丸七製茶』 世界でいちばん濃い抹茶ジェラート!
駿府城公園見学後、街中の創業1907年の暖簾が掛かる老舗製茶屋「ななや」で一服。
ここはジェラートのイートインで人気の店。
引っ切り無しに入口近くのジェラート販売コーナーに人が並びますよ。
人気商品は、濃さが選べる抹茶のジェラート。
面白いのが、抹茶の濃さがNo.1~No.7まで選べるの。
そんな中、世界でいちばん濃い抹茶ジェラートというNo.7をチョイス。
おおっ!濃いわぁ~。
駿府城訪問の際は、お茶どころ静岡ならではジェラートを試しに、立ち寄ってみて下さい。
ななや 静岡店
公式ページ
住所:静岡県静岡市葵区呉服町2-5-12(GoogleMapで開く)
営業時間:11時~19時
定休日:水曜定休(祝日の場合は営業)
アクセス)
電車)・新静岡駅から約400m
静岡市ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
駿府城跡へ出かけてみませんか?
徳川家が長く暮らした駿府の地にあった駿府城を紹介しましたが、いかがでしたか?
二ノ丸の堀と石垣が綺麗に残っており、当時の城中心部の縄張りを体感することができました。
それと、天守台の発掘現場は今後どのように発展してゆくのかについては、興味味がありますねぇ~。
天守閣を復元するのかな?
今回公園内の見学のみでしたが、公園外側の三ノ丸エリアにも大手御門跡をはじめ城跡の痕跡が残っているらしい。
一日掛けて公園と周囲を散策してみるのも楽しそうですよ!
駿府城跡に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/3/18
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