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木曽呂の富士塚、県内最古の江戸時代の富士塚に登ってみた!【埼玉・川口市】

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江戸時代後半に、庶民のあいだで爆発的に流行した富士山信仰。
そんな富士山信仰ととも広まったのが、富士塚と呼ばれる人工的なミニ富士山です。

川口市にもそんな富士塚の一つ、「木曽呂の富士塚」が残っています。
埼玉県最古の富士塚とされ、国の重要有形民俗文化財にも指定されているんですよ。

富士塚の歴史などもふり返りながら、そんな木曽呂の富士塚に登ってみます。

目次

「木曽呂の富士塚」埼玉県最古の富士塚を登ってみた

木曽呂の富士塚について

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

正面のモッコリとした木々が見えている場所が、木曽呂の富士塚です。
木曽呂は「きぞろ」と読みます。

そして今立っている場所は、史跡「見沼通船堀跡」の東の端。
見沼通船堀は江戸時代につくられた運河で、閘門式運河としては日本最古といわれています。

遠方の富士塚の手前には、見沼代用水が流れています。
木曽呂の富士塚の位置は、見沼代用水と見沼通船堀が交わる場所につくられています。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

見沼通船堀を越え、高台にある木曽呂の富士塚へやってきました。
住宅の外れで、台地のヘリにあたるロケーションになります。

木曽呂の富士塚は、現存する埼玉県最古の富士塚
国の重要有形民俗文化財に指定されています。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

この富士塚は寛政12年(1800年)に、富士講の一派である丸参講の信者、蓮見知重氏の発願により築造されました。

当時の庶民による富士山信仰の様相を残すもので、地元では「ふじやま」「木曽呂浅間」と呼ばれていたそう。

享保16年(1731年)に、見沼通船堀が築造されました。
舟運の起点として人が集まるようになり、富士塚の築造地に選ばれたのではと思われます。

富士塚とは?その起源は?

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)
塚の麓にある「登山三十三度(真行明山)碑」

江戸時代に古代より崇高な山であった、富士山への信仰登山が盛んになりました。

しかし江戸から富士山までは、今では想像できない程の時間と費用がかかった。
そのため、お金を集め代表を選び祈願を託す、「富士講」の仕組みができました。
*江戸から富士吉田までは、健脚でも片道3日程度かかった。


富士講は江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほど、江戸で爆発的に流行りました。

そんな、富士山信仰や富士講と結びついて広まったのが富士塚。
富士塚は、富士山を模して人工的に築造された塚です。

安永9年(1780年)に江戸高田の行者・藤四郎が、老若男女だれでも富士に登山できるようにと、高田水稲荷の境内に塚を築いた。
これが第1号の富士塚とされます。

富士山火口を再現!?お鉢巡りできる

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

木曽呂の富士塚は、高さは約5.4mで直径は約20m。
まるで自然の小山のようですが、塚全体が人工的な盛土で築かれています。

築山時はちょっとした大工事、だったんでしょうな。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

上り口は2ヶ所ありましたが、石積みがあって登りやすそうなこちらから入山!

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

そして、あっという間に山頂へ到着。
頂上はそれ程広くはありません。

頂上は「お鉢めぐり」ができるようにと、富士山の火口を模して窪んだ形状になっています。

「お鉢巡り」は、富士山山頂の真ん中にある噴火口を見下ろしながら、周囲を一周すること。
火口の直径は約780mで、1周回ると約3kmあります。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

登ってきた山道をふり返る。
結構傾斜は急だったりします。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

裏手の見沼通船堀方向を望む。

木が茂り見通しは良くないですが、塚の正面から見る以上に高さを感じますね。
塚の高さはそれ程ないですが、立地を生かして高々とそびえる富士山が再現されています。

ロケーションの妙味を感じますなぁ。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

こちらはもうひとつある登山道。

鳥居をぬけて御中道めぐり

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

塚の麓には、天保4年(1833年)に造られた石鳥居が残ります。

先には比較的新しそうな祠がある。
昔も神社のような施設が置かれていたんですかね?

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

鳥居を抜けて進むと、富士塚周囲を一周できます。

富士山でも5合目を一周する遊歩道「御中道(おちゅうどう)」があり、それが再現されています。

江戸時代の石造物も多い

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

塚とその周囲には、参講によって造られた江戸時代の石造物が多く残っています。

文化2年(1805年)に造られた、造主「蓮行知道居士(蓮見知重)」の碑には、富士塚の由緒が刻まれています。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

蓮行知道居士の碑の傍らの仏像。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

こちらは、左から、富士登山三十三度修業碑、伊勢太々碑、鹿島大々碑。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

こちらにも。
左の石は富士山の形をしてますね。

胎内めぐりの跡

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

南側には塚を貫いて造られた、胎内くぐりの穴が設けています。

富士山には、流れ出た溶岩流によって形成された洞穴があります。
この洞穴が胎内を想起させる形をしているため、洞穴をめぐることを「胎内くぐり」と呼びます。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

その西側の斜面。

斜面の中ほど立っている木の横に、枯れ枝で隠れている穴がありました。
これが先程の穴と繋がっているのでしょう。

小さな富士山ですが、なかなかリアルに再現されていますね!

皇太子殿下も行啓された

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

富士塚東側には「皇太子殿下行啓記念樹」の石柱があります。

平成18年(2006年)2月14日、今上天皇陛下が皇太子殿下の時代にこの地を行啓されました。
その際の記念樹です。

木曽呂の富士塚(埼玉県川口市)

皇太子殿下は、見沼通船堀、木曽呂の富士塚、鈴木家住宅(通船差配役の家屋)を視察されました。
その際、富士塚のすぐ隣にある「日本料理ふじ」でご昼食をとられたそうです。

入門者からベテランまで広く楽しめる江戸辞典。
江戸時代の政治や暮らしってどんな感じだった?と思ったら手に取りたい1冊。

木曽呂の富士塚の詳細情報・アクセス

木曽呂の富士塚

住所:埼玉県川口市東内野596(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・JR武蔵野線「東浦和駅」下車、徒歩約20分
・JR京浜東北線「川口駅」下車、東口より国際興業バスの新町東経由 戸塚安行駅行乗車「木曽呂バス停」下車、徒歩約400m
車)
・東京外環自動車道「川口中央出口」から約2.5km
・駐車場なし

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木曽呂の富士塚を歩いてみませんか?

富士山信仰のために造られた富士塚、木曽呂の富士塚を紹介しました。

江戸時代に流行った風習の跡が、今も残されているのは貴重ですね。
近くには見沼通船堀跡やその関連史跡もあるので、あわせてめぐると結構充実した歴史めぐりが楽しめますよ。

木曽呂の富士塚を登りにでかけてみませんか?

記事の訪問日:2023/4/9

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