上野公園の一角に静かに佇む上野東照宮は、徳川家康を祀る全国有数の東照宮であり、豪華絢爛な社殿は江戸時代の歴史を今に伝える貴重な歴史遺産として、国重要文化財に指定されています。
しかし、その価値は美しい建築だけではありません。
幕末の上野戦争、関東大震災、東京大空襲と、江戸・東京を襲った数々の危機を乗り越え、創建当時の姿を残してきた”奇跡の社殿”でもあります。
さらに、その建立は徳川家康、僧・天海、築城の名手・藤堂高虎という三人の強い絆がありました。
本記事では、上野東照宮建設から奇跡的な残存へ至る歴史、三人の人間ドラマ、そして金色堂と呼ばれる社殿の建築美まで、歴史好きの視点で上野東照宮の魅力を詳しく解説します。
目次
上野東照宮、上野公園の森に眠る徳川家康ゆかりの社を参拝
上野東照宮は徳川家康を神として祀る東照宮の一つで、寛永4年(1627年)に藤堂高虎によって創建された東照社が起源となります。
現在は多くの人で賑わう上野公園ですが、境内へ足を踏み入れるとその喧騒は消え、江戸時代から続く静寂に包まれた空間が広がっています。
石鳥居|関東大震災でも無傷!酒井忠世の”堅牢”鳥居
参道入口で参拝者を出迎えるのが大石鳥居です。

これは徳川幕府の老中・大老を務めた酒井忠世(ただよ)による寛永10年(1633年)の奉納品で、備前国(現、岡山県)より高品質の花崗岩をわざわざ運び込んで造らせたものとのこと。
鳥居は地下4mもの深さまで埋められた堅牢な造りで、関東大震災を受けても傾かなかったといいます。
約400年間、変わぬ姿でここに立ち続け、参拝者を見守ってきた鳥居というわけです。
石灯籠|200基を超える数が示す全国大名の忠誠心
参道に入ると、両側には約200基を超える石灯籠が整然と並んでおり圧巻です。

その多くは慶安4年(1651年)の造営替えに際に諸大名が奉納したもので、伊達家や前田家、黒田家など全国の有力大名の名が刻まれています。
石灯籠に刻まれた文字を、つぶさに見て廻ってみるのも楽しそうですねえ。
これほど多くの灯籠がある東照宮も全国的に希少で、幕府への忠誠を形として示させたという、政治的な意味合いもあったのでしょう。参道を歩くだけで、徳川政権の圧倒的な求心力が感じられます。
五重塔|上野東照宮の塔が、なぜ上野動物園内にある?
参道の半ばに至ると、柵越しの北側に立派な五重塔が見えてきます。

元々の五重塔は、徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた幕府重臣・土井利勝(としかつ)が寛永8年(1631年)に寄進したもの。
残念ながらこれは寛永16年(1639年)の火災で焼失しており、同年に再建されたものが現在の五重塔です。
ここでちょっと不思議なのが五重塔の建っている場所で、柵の向こう側は上野動物園の敷地なんですね。これには時代的な背景がありました。
上野東照宮の五重塔が上野動物園にある理由
■明治時代に出された神仏分離令により五重塔は仏教施設とみなされ、神社にあった多くの五重塔が破壊された。
上野東照宮は貴重な五重塔を残すために塔の所有を寛永寺に変更、これにより塔は壊されずに残りました。
■昭和33年(1958年)になって、寛永寺は五重塔を東京都に寄付。そのため現在は都立上野動物園の管理下にある、といった経緯となります。
この対応のお陰で、江戸時代初期に造られたこの美しい塔を現在でも見ることができるわけです。
上野東照宮と寛永寺。”三人ひとつ処に” 家康が死の床で交わした天海・高虎との密約
天海僧正が寛永寺開山、藤堂高虎は東照宮に屋敷地を提供
石灯籠の先には銅灯籠も所狭しと並ぶ。

こちらの銅灯籠の多くは諸国の大名が創建時に奉納したもの。全部で50基あり、社殿とともに国重要文化財に指定されています。
人の背丈より少し大きいくらいのこれらの灯籠は、大名や家臣たちがずらっと並んでいる姿に重なって見えたりもします。それを意図しての配置なのかもしれませんね。

ここで上野東照宮の創建の歴史を振り返ってみましょう。
東叡山寛永寺と上野東照宮
上野東照宮の社伝によると、元和2年(1616年)に天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、「三人一つ処に、末永く魂鎮まるところを作って欲しい」と遺言されたといいます。
天海僧正は多くの武家屋敷があった今の上野公園の土地を拝領し、寛永2年(1625年)に東叡山寛永寺(とうえいざん)を開山。境内には多くの伽藍が建立されます。
寛永4年(1627年)には、藤堂高虎が提供した屋敷地にあたる寛永寺の境内に「東照社」が創建され、これが上野東照宮の始まりとなります。正保3年(1646年)に朝廷より宮号を授けられ、「東照宮」となる。
京都の比叡山延暦寺に倣って東叡山の山名が付けられた寛永寺は、江戸の鬼門を守る役割を担う巨大な寺院でした。
増上寺とともに徳川将軍家の菩提寺へと発展し、4代・家綱、5代・綱吉、8代・吉宗、10代・家治、11代・家斉、13代・家定と、歴代6名の将軍の霊廟が置かれました。
慈眼大師 天海僧正(1536年?~1643年)
徳川家康・秀忠・家光の3代に仕え、100歳を超えて生きたとされる「黒衣の宰相(政務を執る僧侶)」。
陰陽道や風水に精通し、江戸の街を魔から守る「結界」を設計した都市計画の才を発揮。家康の死後は日光東照宮の設計にも深く関わり、その神号を「東照大権現」と定め、徳川を神格化することで泰平の世の基礎を作りました。
家康が最も知恵を頼った側近に一人であった。
藤堂高虎(1556年~1630年)
豊臣から徳川へ、7度も主君を変えた「築城の名手」。
裏切り者のイメージも強いですが、家康からは「国家の宿老」と絶大な信頼を得ました。
関ヶ原の戦い以降は徳川の重臣として江戸城などの巨城を築く。家康の最期に立ち会った際、外様大名でありながら「来世でもお味方する」と誓い、家康を号泣させたとも伝わる。上野東照宮の敷地として自らの江戸屋敷を寄進し、主君への忠義の厚さを見せた。
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上野東照宮は「徳川250年」を今に伝える貴重な歴史遺産
唐門|徳川家光が社殿とともに造営替えした

参道の先に「唐門」が見えてきました。おお、これは光り輝く凄い建物ですね!
唐門は社殿エリアの入口にあたりますが、現在はその門前が一般の参拝所となっています。

国重要文化財に指定されている唐門は唐破風が付いた門で、扉まわりが金箔で装飾されています。
唐門をはじめ、現存している社殿や透塀は、慶安4年(1651年)に徳川3代将軍・家光により造営替えされたものです。
家光は寛永13年(1636年)に、日光東照宮の建物を全面的に造り替える「寛永の大造替」を実施。
その後おこなわれた上野東照宮の造営替えは、日光に参拝に行けない江戸の人々が、江戸でも豪華な社殿に参拝できるように、と配慮されたものだという。
その背後には、江戸幕府とその創始者・家康の偉大さを伝える、という、政治的なプロパガンダの目的も当然あったんでしょうね。
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昇り龍|左甚五郎作の彫刻に込められた賢者の美学
唐門は木造建築物ですが、金箔で装飾されているため、近くで見るとまるで金属のような質感。

扉の両側には名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝わる、「昇り龍(右)」と「降り龍(左)」の彫刻が施されている。門の内側両側にも一対あり、都合4枚あります。
左甚五郎は日光東照宮の”眠り猫”の作者としても知られますが、その人物の詳細については不詳で、高名な割にはちょっと謎めいた人物だ。

「昇り龍」は体が上向きで、頭は下を向いているというもの。
これには偉大な人ほど、頭を垂れて謙虚な態度をする、ということを表現したものだという。
頂点を極めた徳川家における精神的な美学、はたまた戒めが込められれているのかもしれませんね。
さらにこの龍には、夜な夜な彫刻から抜け出して不忍の池に水を飲みに行っていた、という伝承があるそうですよ。怖っ!
この手の逸話は左甚五郎作の彫刻では良く聞く話で、出来ばえが見事ゆえ魂が宿ってしまう、ということらしいですね。
徳川御三家が奉納した銅灯籠|紀伊・水戸・尾張徳川の奉納品

徳川御三家により奉納された銅灯籠があったのは、一際特別な場所。唐門両脇の透塀の前という特等席で、左右それぞれ3基ずつ、都合6基ありました。
これらも家光の造営替の時に奉納されたもので、奉納者は門に近い順で、紀伊徳川家・初代藩主の徳川頼宣、続いて水戸徳川家・初代藩主の徳川頼房、次に尾張徳川家・2代目藩主の徳川光義です。
御三家の序列は一般的には尾張・紀伊・水戸の順ですが、尾張徳川家・光義は家督を継いだばかりということで、灯籠が一番門から遠い位置に置かれたらしい。
こんなところにも当時の力関係が現れているのは、興味深いですね。
金色殿(社殿)を読み解く、江戸最高峰の建築物はどう築かれたのか?
国重要文化財「透塀」|200枚以上の透彫が天下泰平の世界を表現
拝観料を払うと社殿エリア内の見学ができます。
現在は唐門からは入れず、脇にある拝観入口から入場します。

入場して奥参道を進むと、まず目に入ってくるのがこちらの大楠の御神木。樹齢600年以上の古木で、上野の祖木とも呼ばれているそうだ。
幹の太さは8m以上で、数ある上野公園の木々の中でも一番の大木だといわれています。
大きすぎて、全体をカメラに収めることができませんでした(苦笑)。

社殿エリアを囲むこの透塀も、国重要文化財に指定されています。

この透塀の特筆すべき点は屋根下に施されている、水や山の生き物や植物などがテーマとなった、200枚以上の美しい彫刻です。
実在の動植物のみならず、中には想像上の珍しい動物もいたりするので、見ていて飽きません。

徳川家康が目ざした天下泰平の世を現す、穏やかなテーマの彫刻で彩られています。
国重要文化財「金色殿」|東照大権現は出世・勝利・健康長寿の御利益を持つ

そして透塀内に鎮座する、「金色殿」とも呼ばれる社殿がこちら。
その呼び名に相応しく、全面に金箔が使われた建物は唐門に負けじとばかりに輝いていました。
社殿には徳川家康が東照大権現として祀られており、出世・勝利・健康長寿の御利益があるとされます。
家康に出世・勝利の徳があるという点は説明ご不要だと思いますが、健康長寿に関しても家康は75歳まで生きており、当時としてはかなりの長寿でした。
鷹狩好きで知られますが、それも健康維持の一環としておこなっていた側面もあったようですよ。
創建当時、徳川家康のほかに祀られていたのが、天海僧正、藤堂高虎。
これは明治時代の神仏分離により、天海・高虎に代わって、徳川8代将軍・吉宗、徳川15代将軍・慶喜が祭神として祀られるようになっています。
久能山東照宮・日光東照宮にも採用されている「権現造」とは?
社殿の建築様式は、本殿・石の間・拝殿を一体化した「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれるもの。

権現造は、家康が最初に葬られた久能山東照宮の社殿が原型とされ、その後日光東照宮にも採用された、江戸初期を代表する神社建築です。
建物が一体化することにより、建築物そのものが神聖な空間を演出しているのが特徴。
また、参拝者からすると、拝殿から本殿までの視線が自然につながる構造となっており、豪華さと機能美を兼ね備えた完成度の高い建築様式といえます。

造営を担当した大工は、幕府作事方の大棟梁・鶴正村(つる まさむら)。
日光東照宮の”寛永の大造替”を担当した甲良宗広(こうら むねひろ)らとともに、江戸時代初期における幕府の造営事業に尽力した人物の一人です。
鶴正村は平安時代に日本独自の建築様式として定着した、「和様」と呼ばれる社寺建築を得意としていたといわれています。
一方の甲良宗広は、鎌倉時代に宋から伝わった「禅宗様(ぜんしゅうよう)」を得意としていた。
両様式の特徴の違いは、組物や蟇股(かえるまた)などのディテールに現れるとのことなので、上野東照宮・日光東照宮の両社をめぐる際に、見比べて見るのも楽しそうですよ。
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生彩色とは?金箔の上から彩色をおこなう技巧

唐門の彫刻
金色殿・唐門・透塀の彫刻は、一度金箔で覆った上から彩色する「生彩色(いけざいしき)」という手法が採られているとのこと。なんとも贅沢な手法ですね。。。
これにより、彫刻には気品のある光沢感が生れています。
また、膠(にかわ)と胡粉(ごふん)を混ぜて盛り上げ、その部分に彩色を施すという「置上彩色(おきあげざいしき)」という手法により、繊細な立体感が表現されている。
金色殿内は現在一般公開されていませんが、内部も豪華な造りとのことで、壁には狩野探幽(かのうたんゆう)作の獅子絵があり、床はピカピカの漆塗り。柱は漆を繰り返し塗った上に金箔で仕上げているとのこと。
機会があれば一度見学したいものだ。
上野東照宮の奇跡 ― なぜ戊辰戦争、震災、東京大空襲の「三度の火の海」を無傷で生き抜けたのか?
ここまで上野東照宮の素晴らしい建築物を紹介してきました。
ところで、これら江戸時代初期の建物が「一度も焼失せずに、築造当時の姿をとどめている」ことの異常さにお気づきでしょうか?
歴史上、上野周囲では焼け野原になるような大事件が何度も起きており、それらを切り抜けて現在残っていることは、実は「奇跡」と言わざるを得ないことなんですね。
幕末・上野戦争:敵軍さえも躊躇させた、「権威」がもたらした奇跡

金色堂の本殿
幕末において起こった、慶応4年(1868年)に新政府軍(薩摩・長州)と彰義隊(旧政府軍)が戦った「上野戦争」は歴史上良く知られるところ。
これにより寛永寺の主要な堂塔のほとんどが焼失した中、東照宮は無事でした。
しかも、彰義隊は上野東照宮付近に本営を設置していたというのですから、さらにその強運さを感じさせます。
新政府軍にとって徳川家康は打倒すべき幕府側の象徴でしたが、「東照大権現」という神に対しては抗えなかったのか、などと想像してしまいます。
関東大震災:上野東照宮が「避難シェルター」
大正12年(1923年)に発生した関東大震災は、下町を中心に東京の大部分を火の海へと変貌させました。

唐門
しかしこの際も、地盤が強かった上野の山(台地)では延焼を免れたエリアが多く、上野東照宮も石灯籠が倒れる程度の被害だったとのこと。
震災の際は避難所として境内が開放され、人々は倒れた石灯籠に火を入れて鍋を置き、煮炊きをして飢えを凌いだそうです。
東京大空襲:社殿の裏に落ちた「不発弾」
昭和20年(1945年)の東京大空襲では、上野一帯も甚大な被害を受けています。

この際、上野東照宮の本殿のすぐ裏側に焼夷弾が落下しています。
本来なら一瞬で火に包まれるはずでしたが、なんと!その爆弾は「不発弾」だったんですね。
三度の火の海をくぐり抜けられたのは、たまたま「運が良かっただけ」だったのかもしれません。
一方で、これらは徳川家康と天海僧正・藤堂高虎の強い絆が生みだした、呪力のような聖域の成せる奇跡だったのでは、と思ってみたくもなりました。
上野東照宮の御朱印

書置きの御朱印を頂きました。
上野東照宮内にはぼたん苑があり、訪問時には春のぼたん祭が開催中で、ぼたんの花のイラストがあしらわれていました。
【記事の参考にした情報】
・上野東照宮公式サイト
・文化遺産オンライン「東照宮社殿 本殿、幣殿、拝殿」 文化庁
・江戸・たいとう学 台東区
江戸時代に歌川広重が描いた名所江戸百景を、現在の写真や地図と対比して解説したガイドブック。
東京歩きが楽しくなる1冊!
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
上野東照宮へのアクセスとおすすめの立寄りスポット
上野東照宮へのアクセス
上野東照宮
公式サイト
住所:東京都台東区上野公園9-88(GoogleMapで開く)
参拝)
参拝時間:冬季(10月~2月) 9:00~16:30、夏季( 3月~9月) 9:00~17:30
参拝料:無料
社殿拝観)
拝観時間:冬季(10月~2月) 9:30~16:00、夏季( 3月~9月) 9:30~17:00
拝観料:大人(中学生以上) ¥500、小学生 ¥200
アクセス:
電車)
・JR「上野駅」公園口から徒歩10分
・京成「上野駅」から徒歩12分
・東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩10分
車)
・駐車場無し
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住所:東京都台東区上野公園12-49 国立国会図書館国際子ども図書館(GoogleMapで開く)
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きっと、教科書では味わえない「江戸の歴史」を肌で感じられるはずですよ
記事の訪問日:2023/2/5
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