
東京都文京区にある異国情緒漂う不思議なスポット、湯島聖堂を紹介します。
神社でもないお寺でもないこちらのスポットは、実は江戸時代発祥の学問の歴史上とても重要な場所なんですよ!
その正体と歴史と見どころを案内して行きます!
『湯島聖堂』 異文化漂う不思議スポット
湯島聖堂の名前は聞いたことがありましたが未訪問でした。
しかも。。。恥ずかしながら同じ文京区の湯島天神ともごっちゃにもなっている始末。
そんな感じでしたが、神田明神参拝の際、丁度向かいにあるこちらにもあわせて立ち寄ってみました。
そんなまっさらな状態での湯島聖堂の訪問記になります。
「仰高門」 正面入口

JR「御茶ノ水駅」神田寄り聖橋口を出て、神田川に掛かる聖橋を越えた所に湯島聖堂はあります。
入口は数か所ありますが、聖橋を越え、外堀通りを東(右手)に進んだ所が正門でした。こちら入口にある「仰高門(ぎょうこうもん)」。
湯島聖堂ってそもそも神社?寺院?はたまた?と、ミステリアスに進めたかったのですが。。。写真に写ってますね(笑)。こちらは「史跡」になります。
ちなみに同じ文京区にある湯島天神は、菅原道真公を祀る神社になります。
最初の一歩で、まずは湯島聖堂と湯島天神の区別がつきました。
「孔子銅像」 世界最大の孔子銅像!

入場すると、巨大な「孔子銅像」がど~んとお目見え。
入口の仰高門は神社か寺院の様なたたずまいでしたが、こちらで中国古代の思想・儒教の関連施設であることわかります。
湯島聖堂は、江戸時代の元禄3年(1690年)、儒学教育の振興を図った江戸幕府5代将軍・徳川綱吉によって建造された孔子廟(こうしびょう)として発祥しました。
孔子廟は孔子の霊を祀る建物のことです。
そして、湯島聖堂はその後幕府直轄の学問所へと発展してゆきます。

5代将軍・綱吉というと、生類憐みの令を出し、犬公方のあだ名がついた将軍として有名ですね。
その一方、将軍になっても大変勉強熱心で、自らも儒教を学び学問を広め、多くの寺院を残してます。実は文化的な一面も持っているんですよー。
こちらの孔子像は、丈高約4.6m・重量約1.5トン。どうやら、孔子銅像としては世界最大らしい。へえ~。
昭和50年(1975年)に、中華民国台北市ライオンズ・クラブから寄贈された物とのこと。
儒教の本場国が、他国に世界最大の像を贈っちゃって良いのか?と、余計なお世話な心配。。。
「入徳門・水屋」 数少ない現存建築物

孔子像を後に進んで行くと、「入徳門(にゅうとくもん)」が現れます。
湯島聖堂は大正11年(1922年)に国の史跡に指定されました。皮肉にもその翌年に関東大震災が発生。残念ながら、そこでほとんどの建物が焼失しました。
こちらの入徳門とその近くの水屋は、わずかに焼失を逃れた貴重な現存建造物となります。

この入徳門にも見られる朱色の縁取りラインが、復元建物を含め湯島聖堂の建築デザイン的なアクセントになっている様です。
幕府直轄学校としての歴史は、寛政9年(1797年)、湯島聖堂に幕府直轄学校「昌平坂学問所(昌平校)」の開設に始まります。以降、明治4年(1871年)まで、昌平校の歴史は続きました。
そして、明治時代に昌平校が廃止された後ですが。。。、なんとここに文部省が設置されています!
その後も、日本最初の博物館(現、東京国立博物館)が置かれ、筑波大学の前身・東京師範学校が置かれ、お茶の水女子大学へと発展する東京女子師範学校設置など。
そうそうたる教育・文化関連施設が設置されているじゃありませんか!
日本の教育の礎となった、重要な場所だったんですね~。湯島天神と区別が付かない、とか言ってたのが恥ずかしくなってきたよ(苦笑)。

入徳門のそばにある「水屋」。こちらも現存建造物。

牡丹の花の彫り物があります。
「杏壇門」 漆黒の門

入徳門を抜けると石段の上に、「杏壇門(きょうだんもん)」が見えてきます。

孔子が弟子たちに教授した檀が杏壇と呼ばれたところから、門の名が取られているそうです。
屋根以外は漆黒のデザインなのが印象的。
「大成殿」 中心となる建物

杏壇門の先は、杏壇門同様漆黒の外観の「大成殿(たいせいでん)」が現れます。
聖堂の中心的な建物は、重厚さを感じる建物ですね!
焼失から逃れた入徳門・水屋以外は、昭和10年(1935年)に工学博士・東京帝国大学の伊東忠太教授により設計されたものです。
寛政時代の建築を模して、鉄筋コンクリート製で再建されています。

屋根両端には、城の天守閣にある様な鯱(しゃちほこ)が載ってますね!細長く潮も吹いている様子。
伊東忠太教授でピンとくる方も多いと思いますが、築地本願寺の設計でも知られる方ですね。
奇妙な動物や怪獣っぽいのがいる建築物の設計には、まさにうってつけの人物!

現在の扁額は、明治~昭和時代前期の皇族・博恭王(ひろやすおう)の筆。
元々の扁額は徳川綱吉筆のものだったが、残念ながら建物と共に焼失している。

大成殿の中は土日・祝日のみ限定ですが、入場料を払って内部の見学ができます。
異文化ならではの異世界を感じられる空間なので、見学をオススメしたい。ちなみに、撮影OKなのがありがたいです。
中も真っ黒なデザイン。書道の墨で染めた様なマットな感じの黒に見えます。

復元物を含め貴重な関連物が展示され、ちょっとした博物館の様になっています。

入って正面に祀られている「孔子像」。
孔子(紀元前552~紀元前479年)は、中国古代の思想家で儒教の祖であります。

江戸時代は幕府によって儒学が重要視されました。
上下関係にもとづく忠孝や礼儀が重視される考え方は、封建社会の中では都合の良い思想だったのでしょうねえ。
一方、約260年間続いた江戸時代において、戦争が無く平和だった点に関しては儒教が浸透していたおかげ、ともいわれますよね。

孔子像の前には釈奠(せきてん)呼ばれる、孔子と門人を祀る祭儀の様子が再現されています。

独特の雰囲気の器物が多く、思わず見入ってしまいます!




孔子には多くの弟子がいましたが、代表的な4人の弟子である孟子(もうし)・顔子(がんし)・曾子(そうし)・子思(しし)の四配の像があります。
像の復元に関する作業工程などが、詳しく紹介されてました。

鬼龍子(きりゅうし)は、寛政11年(1799年)から大成殿の屋根に鎮座していた鋳銅物。重量は93.5kg。
関東大震災の際、焼け落ちたものだそうです。

しかし、この動物はなんだ!? 夢に出来てきそうな、ゾワゾワする感じの奇妙な動物ですね。
一見猫っぽいが、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹になっているって。怖っ!
古代中国の霊獣とか瑞獣(ずいじゅう)とか呼ばれる、伝説の生き物たちはいかにもおどろしい姿をしていますよねえ。
でも実は。。。、見かけによらずめでたい動物とされ、平和な時にしか見れない生き物、といわれてるんですよ。

「鬼犾頭(きぎんとう)」も、鬼龍子と同時代のもので屋根両端に鎮座していたもの。現在屋根に載っているのはレプリカですね。 重量約120kg。
鯱(しゃちほこ)の一種で、頭は龍で、体は魚の体をした動物。
神魚で水の神とのこと。火災から建物を守るために、祀られるそうです。
「昌平坂」 学問所敷地の痕跡

湯島聖堂の敷地の東側に、「昌平坂」と名付けられた坂があった。

案内板によると、元々の昌平校の敷地は現在の湯島聖堂のみならず、東京医科歯科大学がある一帯までの広い範囲に渡っていたそうだ。
御朱印

湯島聖堂は神社でも寺院でも無いのですが、本格的な御朱印の頒布が行われていました。頒布は、正面入口近くの「斯文(しぶん)会館」にて。
見学記念という位置付けになるのかな。
アクセス
住所:東京都文京区湯島1-4-25(GoogleMapで開く)
公開時間:9時半~17時まで(冬季は16時)、土・日曜・祝日には大成殿公開 (10時~閉門時間まで)
閉館日:夏季休業:8月13~17日の5日間、年末休業:12月29~31日の3日間
入場料:無料
アクセス:
電車)
・JR「御茶ノ水駅」から徒歩2分
・東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」から徒歩2分
・東京メトロ丸の内線「御茶ノ水駅」から徒歩1分
車)駐車場無し
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湯島聖堂へ出かけてみませんか?
湯島聖堂のご紹介をしましたが、いかがでしたか?
近代学問発祥の地としての歴史を学びに行くも良し、普段見ない様な異国文化に触れに行くも良し、ですね。
非常にアクセスしやすい場所にあるので、是非一度立ち寄ってみて下さい。
訪問の際は是非、大成殿が公開されている曜日での訪問をオススメしますよ!

たまには、少しリッチなお取り寄せを楽しみませんか?
【記事の訪問日:2022/1/9】