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皇居東御苑で江戸城跡を歴史散策!天守台・番所・石垣から防衛戦略を体感【東京都千代田区】

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東京の中心に位置する皇居東御苑は、緑豊かな庭園であると同時に、かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部を歩くことができる歴史スポットです。
園内には江戸城天守台をはじめ、百人番所、同心番所、大番所など、往時を伝える遺構が点在。

東京都心の景観に囲まれた場所にいながら、将軍が暮らし、幕府の政治が動いた江戸城の姿を想像して歩く――。そんな歴史散策を楽しめるのが、皇居東御苑の魅力です。

目次

『皇居東御苑』江戸城の本丸・二の丸を歩ける歴史スポット

皇居東御苑とは?かつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸があったエリア

皇居東御苑(江戸城跡)(東京都千代田区)

皇居の東側にあたる「皇居東御苑」は、かつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を整備して一般公開しているエリアです。
ちなみに、天皇陛下のお住まいである吹上御所がある場所は、江戸城の西の丸にあたります。

皇居内の見学というと新年の一般参賀などが良く知られていますが、日程が決まっているうえに、事前申し込みで結果も抽選。
一方、今回歩く皇居東御苑は事前予約不要で定員もなしにて、気軽に見学できるエリアとなっています。

徳川家康に始まり、秀忠・家光と3代続いた江戸城整備

見学の前に、江戸城の歴史を振り返っておきましょう。

康正3年(1457年)、扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌が、最初に江戸城を築いたとされます。

関東を支配していた小田原北条氏が、天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐で滅ぼされると、関八州(関東八か国)を与えられた徳川家康が、同年8月1日に江戸城に入城します。

皇居東御苑(江戸城跡)二重櫓(東京都千代田区)
東京駅丸の内口から真っすぐ歩くと見えてくる二重櫓と桔梗濠

徳川家康が入城した当時の江戸城は、石垣はなく土塁のみの比較的小規模な城でした。
また、江戸湾(現東京湾)の入江が日比谷あたりまで迫っており、日本橋・京橋辺りも海面と同じ高さの湿地帯だったといいます。
現在からは想像できない立地ですよね。

徳川家康・秀忠・家光による江戸城の整備
■江戸城と城下町の建設を始めた家康は、まず城内の寺を出して本丸を拡張。城下町の武家地・町人地を整えた。次に本丸南側の台地を削って西の丸を造成し、その残土で日比谷入り江を埋立てた。
こうして家康の時代に、城郭と城下町の基盤が造られました。
■2代将軍・秀忠と3代将軍・家光の時代も整備は続けられ、家光時代の外堀完成をもって整備が完了。

徳川3代を通じて、築造に30年の年月が費やされた江戸城及び城下町は、江戸幕府体制の要となる存在だったといってよいでしょう。

\ 巨大な城・江戸城を理解するには、こちらの記事もおすすめ!/

皇居東御苑でたどる天下普請で築城された江戸城の歴史

大手門から江戸城へ――現存する城門から歴史散策をスタート

東御苑の見学の入口はいくつかありますが、江戸城の主要な出入口であった大手門からのスタートがおすすめです。

皇居東御苑(江戸城跡)大手門(東京都千代田区)
大手門

「城の正門だから」という理由もあるのですが、ルート的にも番所を経て本丸方面へ向かえるので、江戸城の警備体制を体感しつつ進むことができるためです。

東京駅からは徒歩約15分、大手町駅からは約5分とアクセスが良いのも、週末の気軽な歴史旅にピッタリということもありますしね。

皇居東御苑(江戸城跡)大手門(東京都千代田区)

参勤交代などで登城した多くの諸大名も、こうして順番待ちをしたんだそうなあ。
持ち物検査を受けた後に、いよいよ大手門の高麗門を抜けて入城。

皇居東御苑(江戸城跡)大手門(東京都千代田区)

高麗門を抜けると、城内へと通じる櫓門は直進先にはなく、右手に折れた箇所に設置されています。

これは枡形(ますがた)門と呼ばれるもので、侵入者を直進させずに失速させ、四角い枡形をした空間内に押し込んで囲い込むというもの。江戸城城内で多く取り入られている防御の仕組みです。

初代の大手門は慶長11年(1606年)に、藤堂高虎によって建築されたと伝わります。この初代の門は明暦3年(1657年)の大火で焼失しており、その後の万治2年(1659年)に再建。

高麗門は万治2年のものが残っていますが、渡櫓門の方は昭和の戦災で焼失したため、昭和41年(1966年)に再建されたものです。

江戸城は天下普請で築城。藤堂高虎や加藤清正も参加

徳川家康は慶長8年(1603年)に江戸幕府を開き全国統一の実権を握ると、江戸城の整備を本格化させました。

江戸城大手門前に展示されている鯱(東京都千代田区)
焼け残った大手櫓門の鯱

天下普請による江戸城築城
全国の大名に作業を割り振りして工事させる「天下普請(てんかぶしん)」によって、二の丸・三の丸の整備と石垣を築造。慶長12年(1607年)には、本丸に天守が完成させている。
慶長期の普請では築城名手といわれた伊勢津藩・藤堂高虎をはじめ、同じく築城名手で知られる肥後熊本藩・加藤清正、筑前福岡藩・黒田長政などの大名が関わりました。

特に西国の大名が多く動員されたのは、築城に関する最新の技術を導入する目的とともに、彼らの財力を消耗させるためだった、といわれています。
さすが知将・家康、色々と策を練っていたわけですね。

3つの番所遺構から江戸城の警備体制を知る

江戸城の本丸へ向かう途中で出会うのが、同心番所、百人番所、大番所です。
現在も建物が残るため、当時の江戸城がいかに厳重に守られていたかが実感できます。

同心番所|徳川御三家以外はここで下乗を命じられた

大手門を抜けた先は三の丸エリアとなります。

ここから本丸へと進む進路は、同心番所、百人番所、大番所によって厳重に警備されています。
番所とは、門と警備詰所によって構成されている警備施設のこと。

皇居東御苑(江戸城跡) 同心番所(東京都千代田区)
同心番所

大手三の門の先にあり最初に待ち構えているのが、幕府の下級武士が詰めていた「同心番所」。
ここでは尾張・紀伊・水戸藩の御三家を除くすべての大名・役人が、駕籠(かご)からの下乗(げじょう)が命じられたため、下乗門とも呼ばれました。

ちなみに。。。大名・役人の従者達はこちらの下馬先で主人を待つことになる。
その間に噂話や世評の会話をしていましたが、それが「下馬評」という言葉の語源になったらしいですよ。へぇ~、という感じですよね。

百人番所|本丸御殿入口の最大の検問所

皇居東御苑(江戸城跡)大手三の門跡(東京都千代田区)

大手三の門の先に現われたのは、巨大な石垣が待ち構える広場のような空間。
右手の方向が本丸ですが、やはりここにも巨大な枡形空間が形成されています。

こうして見ると、皇居内にもけっこう城跡としての遺構が残っていますよね。

皇居東御苑(江戸城跡)百人番所(東京都千代田区)
百人番所

入口側からは石垣で死角となっていましたが、広場に入ると非常になが~い造りの「百人番所」が出現しました。

百人番所
江戸時代の貴重な遺構である百人番所は、本丸入口の最大だった番所。
警備にあたったのは徳川家と縁故のある、甲賀組・伊賀組・根来(ねごろ)組・二十五騎組による精鋭部隊でした。昼夜交代で与力(よりき)20騎と同心100人が配置され、昼夜4交代で守られた。

与力は同心のまとめ役で、馬への騎乗が許可されました。ちなみに数も馬と共に”騎”で数えられます。

中之門跡と大番所|位の高い与力・同心が詰めた、本丸への最後の関門

枡形の右手には、本丸入口にあたる「中之門」の櫓台の石垣が残っている。当時はその上に渡櫓門が設置されていました。

皇居東御苑(江戸城跡)中之門跡(東京都千代田区)

諸大名を威圧するために、ここで使われている石垣石は城内でも最大級のもので、1個あたりが35トン前後とのこと(重っ!)。重機のない時代での運搬・設置の苦労は、想像に難しくないですよねぇ。

明暦4年(1658年)に普請された門ですが、元禄16年(1703年)の地震で倒壊した際、石垣の修復がおこなわれているそうだ。

皇居東御苑(江戸城跡)大番所(東京都千代田区)
大番所

中之門の先には、本丸登城手前の最後の砦ともいえる「大番所」があります。
同心番所より風格のある建物からも伺えるように、こちらには他の番所よりも位の高い与力・同心が詰めていました。

こちらの建物は後世に再建されたものです。

皇居東御苑(江戸城跡)中雀門(東京都千代田区)
中雀門

大番所を通過すると本丸正門にあたる「中雀門(ちゅうじゃくもん)」を抜け、ようやく本丸御殿の入口に至ります。
本丸に至るルートの警戒の厳さが体感できました!

瀬戸内産の石垣石に天下普請の威厳を見る

皇居東御苑(江戸城跡) 野外展示されている伊豆半島産の石垣石(東京都千代田区)
伊豆半島産安山岩

興味深かったのが、中之門の前に展示されていた、修復の入替え時に外された石垣石。
2種類置いてあり、こちらの黒っぽい石は、関東で手に入る伊豆半島産の安山岩。

皇居東御苑(江戸城跡) 野外展示されている瀬戸内産の石垣石(東京都千代田区)
瀬戸内産花崗岩

一方、中之門にも使われているこちらの白っぽい石は瀬戸内産の花崗岩で、小豆島などから遠路はるばる運ばれてきたもの。

西国の大名に調達させた巨石が、天下普請による幕府の威厳を感じさせます。

「本丸」天守・御殿があった江戸城の中心部をめぐる

家康・秀忠・家光それぞれの代の天守が築造された

皇居東御苑(江戸城跡)本丸跡(東京都千代田区)

緩やかな坂を上り切った所に現われたのが、江戸城の中心部であった本丸。
敷地面積は約12万m2(約4万坪)と、東京ドーム約2.5個分の広さを誇る、城内では最も面積の広い曲輪です。

皇居東御苑(江戸城跡)天守台跡【東京都千代田区】
天守台

そして、その本丸の北側にあるのが、皇居東御苑の歴史散策では外せない江戸城天守台です。

現在は天守そのものは見れませんが、その巨大な天守台の石垣が、かつてここが江戸城の中心部であったことを物語っています。

全体的の白っぽい色合いから、瀬戸内産の花崗岩が多用されているようですね。

皇居東御苑(江戸城跡)天守台跡碑(東京都千代田区)

江戸城の築城は徳川家康・秀忠・家光の3代にわたっておこなわれましたが、実は天守もそれぞれの時代ごとに築造されたんですよ。

江戸城天守の変遷
■慶長12年(1607年)の初代天守:家康が築いた天守は、本丸のもっと中央部寄りにあった。
■元和8年(1622年)の2代目天守:秀忠の時代の天守は、現在の天守台付近に建てられた。
■寛永15年(1638年)の3代目天守:家光の天守は現在の天守台地に、高さ約58mの5層の天守として築かれた。

家光時代のものが最後に築かれた天守です。

現存天守台に天守は造られなかった!?

最後の家光時代の天守は、明暦3年(1657年)の明暦の大火で焼失しています。
では現在残っている天守台は家光の時代のものかというと、実は違うんですね。

皇居東御苑(江戸城跡)天守台跡(東京都千代田区)

焼失した翌年、天守台を再建すべく加賀藩・前田家により築造されたのがこの天守台。

しかし当時の将軍・家綱の祖父である保科正之が、「城下の復興を優先すべき」との提言をおこない、天守は再建されませんでした。

天守はそれ以降も再建されず、結果、天守台だけが残って今に至るというものなんです。
そう聞くと心なしか、天守台が少し哀愁を帯びて見えてきました。

皇居東御苑(江戸城跡)天守台跡(東京都千代田区)

残っている天守台は高さ11m・東西約41m・南北約45mのもの。
石垣石には家光時代の天守台の石も再利用されており、大火による煤の跡が残っているのが生々しい。

明暦の大火
明暦3年(1657年)に江戸で発生した大火災。本郷丸山の本妙寺から出火し、強風にあおられて延焼。多数の町屋を焼失させ、死者は10万人以上といわれる江戸時代最大の大火です。
この大火はその後の江戸の都市構造や防火対策を、大きく見直すきっかけとなりました。

本丸御殿|表・中奥・大奥で構成。忠臣蔵で知られる”松の大廊下”も

皇居東御苑(江戸城跡)天守台跡(東京都千代田区)

天守台の頂上から南側を望むと、本丸と周囲の木々、背後には丸の内のビル群が合わさった江戸・東京が交錯した景観が楽しめます。

皇居東御苑(江戸城跡)本丸跡(東京都千代田区)

江戸時代のこの本丸御殿エリアには、多くの建物が建ち並んでいました。

皇居東御苑(江戸城跡)本丸跡(東京都千代田区)

案内板にはかつての本丸御殿の配置図があります。

本丸御殿の構成
御殿は大きく三つの空間に分かれていました。
■将軍の公的な儀式・行事などの場の「表(おもて)」。
■将軍の日常生活、政務を執る場の「中奥(なかおく)」。
■将軍の正妻や家族・女性たちの生活の場が「大奥(おおおく)」。

大奥の呼び名は良く聞きますが、それ以外にも表や中奥と呼ばれるエリアがあったのですね。

配置図の右上の方には、「忠臣蔵」で有名な「松の大廊下」の記載も見られます。
元禄14年(1701年)3月14日、赤穂藩主の浅野匠頭長矩が高家衆筆頭の吉良上野介義央に斬りかかるという、刃傷事件が起きた場所です。

しかし、これだけの建物が並んだ空間は、ちょっとした町みたいな様相だったんでしょうね。

江戸城天守復元模型|金の鯱が輝く家光時代の5層天守

皇居東御苑(江戸城跡)天守復元模型(東京都千代田区)

本丸休憩所には天守の復元模型の展示があり、往年の天守の姿をうかがい知ることできます。

モデルとなっているのは徳川家光時代に築かれた天守で、江戸城に築造された天守の中では最も大きかったものです。

皇居東御苑(江戸城跡)天守復元模型(東京都千代田区)

模型は5層造りの天守を1/30スケールで再現したもの。屋根には金の鯱が輝いていますね。

当時の天守の高さは約60m(含、石垣)で、これは現在でいうと20階建てのビルに相当するもの。
高台にそびえた天守は、江戸の町の遠方からも眺望できたことでしょう。

富士見櫓|天守の代わりを務めた現存櫓

江皇居東御苑(江戸城跡) 富士見櫓(東京都千代田区)

本丸には11棟の櫓があったとされますが、そのうち本丸に唯一残っている現存櫓が「富士見櫓」。江戸城の現存遺構の中では、最も古いものの一つです。

建物の高さ約15.5m、石垣の高さは約14.9mの三重の櫓で、天守焼失後は天守の代わりの役目を果たしました。

東御苑内からも裏手に近づけますが、都合により外側からの遠景ですみません!

白鳥濠|石垣好き必見!家康時代の城内最古の石垣

皇居東御苑(江戸城跡)汐見坂(東京都千代田区)

本丸と二の丸をつなぐ通路はいくつかありますが、「汐見坂(しおみざか)」は本丸からの帰りに通ってみたいスポットの一つ。
汐見坂の名は、江戸時代初頭にはここから海が眺められたことから、その名が付いたもの。

江皇居東御苑(江戸城跡)汐見坂【東京都千代田区】
白鳥濠(汐見坂)

ここの見どころは、汐見坂脇にある「白鳥濠」の石垣。これは家康時代に築かれた、城内最古の石垣といわれているもの。
比較的小さな石を乱積みし、間石を入れる「打込み接ぎ(はぎ)」で積まれています。

石垣好きならば、見逃し注意のポイントですよ。

江戸城散策の途中で楽しむ、二の丸庭園と三の丸尚蔵館

二の丸庭園|復元された徳川家重時代の庭園で自然を楽しむ

歴史遺構を巡った後に訪れたいのが二の丸。
二の丸には将軍の世子(跡継ぎ)や、隠居した前将軍(大御所)が居住する御殿があった場所です。

江皇居東御苑(江戸城跡)二の丸庭園(東京都千代田区)

現在、二の丸に整備されている庭園は、9代将軍・家重の時代の庭園をモデルに、昭和43年(1968年)に整備されたもの。

城跡というと石垣や門などの硬質な風景を想像しがちですが、東御苑では歴史と庭園が隣り合っているのも魅力の一つですよ。都心にありながら自然が楽しめるスポットとしても貴重。

三の丸尚蔵館|皇室の美術品を公開

皇居東御苑(江戸城跡) 三の丸尚蔵館(東京都千代田区)
三の丸尚蔵館

大手門から入ってすぐの場所には、売店併設の大手休憩所と「三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)」があります。

こちらは、皇室で継承されてきた貴重な美術・工芸品を保存・公開している施設。拝観は有料ですが、一度は見学してみたいスポットです。

明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!

古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!

皇居(江戸城跡)へのアクセスと周辺の旧江戸城跡情報

皇居(江戸城跡)へのアクセス

皇居(江戸城跡)

宮内庁:皇居東御苑のページ
住所:東京都千代田区千代田1-1(GoogleMapで開く) *Mapは大手門
アクセス:
電車)
・東京メトロ東西線・都営三田線「大手町駅」から徒歩6分
・東京メトロ東西線「竹橋駅」から徒歩10分
・JR「東京駅」丸の内北口から徒歩11分
車)
・駐車場無し

[皇居東御苑の公開について]
入園料:無料
開園時間:午前9時より
閉園時間:3月1日~4月14日 17:00(入園は16:30まで)、4月15日~8月末日 18:00(入園は17:30まで)、9月1日~9月末日 17:00(入園は16:30まで)、10月1日~10月末日 16:30(入園は16:00まで)、11月1日~2月末日 16:00(入園は15:30まで)
休館日:月曜日・金曜日(ただし,天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開)、12月28日から翌年1月3日まで、その他行事の実施・その他やむを得ない理由のため支障のある日

皇居周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!

さらに周辺の旧江戸城跡をめぐってみる

日比谷公園(日比谷見附跡)
江戸時代の日比谷公園は多くの大名屋敷があった場所で、現在も日比谷見附の石垣遺構が残っています。
様々な時代の歴史が眠っている日比谷公園は、歴史散策におすすめのスポットです。

住所:東京都千代田区日比谷公園1-6(GoogleMapで開く)
※大手門から日比谷公園までは徒歩約25分(1.5km)。電車の場合は、「大手町駅」から都営地下鉄三田線乗車約1分にて、「日比谷駅」下車。

皇居周囲の内堀をめぐる
皇居周囲の内堀沿いには、多くの江戸城の城門が残っています。
高麗門・枡形・渡櫓門のセットで残っている門も多く(含、復元)、都心で気軽に城郭巡りができるコースとしておすすめです。

江戸城の外堀跡を歩く
江戸城城下を囲んでいた外堀には多く城門がありましたが、それらは都市化とともに撤去されました。しかし一部の城門の跡が残っており、しかも結構意外な場所に保存されていたりするんですよ。
外堀にあった見附跡をめぐりながら、東京歩の街を歩いてみませんか。

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江戸城の痕跡を探しながら、皇居東御苑を歩いてみよう

皇居東御苑を歩いていると、現在の皇居の姿の下に、かつて巨大な江戸城が広がっていたことに改めて気づかされる。
大手門から入り、番所を抜けて本丸へ向かい、天守台跡を巡れば、残された遺構から少しずつ往時の城の姿が浮かんできます。
櫓台遺構の上にかつて建っていたであろう、巨大な櫓門を思い浮かべつつ城内を歩くのは楽しいですよ!

次の週末は皇居東御苑で、江戸城探訪を楽しんでみませんか。

記事の訪問日:2021/12/19

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