誰もが知る世界遺産・日光東照宮。しかし、その歴史を少し深掘りしてみると、なぜ家康は最期の地・駿府からこの地への改葬を望んだのか?という疑問が生れてきます。
その裏には、呪術と風水で徳川の基盤をデザインした天海僧正の知力と執念の存在があり、その天海が描いた壮大な設計図を、圧倒的なビジュアルをもって現実化の手助けをしたのが、幕府の御用絵師・狩野探幽でした。
2人の天才が日光に仕掛けた知られざる「謎と演出」を読み解きつつ、何度でも訪問したくなる日光東照宮の底深い魅力を紹介します。
目次
【世界遺産】日光東照宮とは?徳川家康を祀る江戸幕府最大の聖地
世界遺産「日光の社寺」を代表する日光東照宮
平成11年(1999年)に、「日光の社寺」は日本で8番目のユネスコの世界遺産として認定されています。

世界遺産を構成しているのは、栃木県日光市にある二荒山神社、日光東照宮、輪王寺の二社一寺と、それをを取り巻く遺跡です。
建造物群には9棟の国宝と94棟の重要文化財が含まれており、まさに貴重な文化財の宝庫。その中心的な存在なのが、今回紹介する日光東照宮となります。
日光東照宮というと、関東における小学校の修学旅行先としては定番中の定番、王道中の王道といえるスポットですよね。
観光地として知り尽くされたイメージがありますが、いやいやどうして、まだ奥深いミステリアスな魅力に包まれており、大人の修学旅行先としてもピッタリですよ!
今回は「なぜ家康は墓所として日光を選んだのか?」の謎解きを中心に、ガイドブックにはあまり書かれてない視点で日光東照宮を紹介してゆきます。
日光東照宮とは?徳川家康の遺骸が久能山から改葬された地

駿府城に立つ大御所時代の徳川家康像
最初に日光東照宮の概要について、さかのぼっておきましょう。
日光東照宮の起源
■ 元和2年(1616年)4月17日:徳川初代将軍・家康が駿府城(現静岡県)で75歳の生涯を終えると、直ちに久能山に埋葬された。
■ 元和3年(1617年)4月15日:遺言にもとづき、棺が久能山より日光山の地に移される。4月17日には徳川2代将軍・秀忠により正遷宮がおこなわれ、東照社として鎮座した。
■ 正保2年(1645年):朝廷より宮号が授与され、東照社から東照宮に改称された。
神社には一般的に神話の世界の神々などが祀られることが多いですが、日光東照宮は徳川家康を東照大権現として神格化した人間神が祀られている神社です。
\ 久能山東照宮の詳細についてはこちら!/
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日光東照宮の参道の高さ634mは、実はスカイツリーと同じ

東照宮の碑
東照宮の参道に立つと目に入ってくるのが、大正2年(1913年)の”徳川家康没後300年祭”にて建てられた「東照宮の社号標」。石標の文字は、「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一によるものです。
かつて、最後の徳川将軍となった徳川慶喜時代の幕臣だった渋沢栄一は、徳川家とのゆかりが深い人物。
明治時代になると日光の鉄道や駅、日光ホテルなどの観光インフラ整備を支援し、300年祭の奉斎会には会長として列席しています。
ちなみにこの社号標が立つ位置の標高は634mで、実はこれは東京スカイツリーの高さと同じもの。
スカイツリーは東武鉄道のグループ会社が運営していることを考えると、なるほど、新旧観光スポットの結びつきにも納得。
黒田長政、酒井忠勝…大名たちが競った忠誠の証
社号碑の脇を抜けて参道を進むと、東照大権現の額が架かる重厚な「石鳥居」が現れます。
これは九州筑前藩主・黒田長政が奉納したもの。

石鳥居
黒田長政といえば、関ヶ原の合戦における、徳川家康率いた東軍の一番の功労者だった武将。
家康の天下統一に大きく貢献した武功が高く評価され、筑前国に52万3千余石の封を受けて福岡藩初代藩主となりました。
鳥居は15個の花崗岩を組合わせたもので、石材は遠路はるばる九州から運ばれてきたとのこと。
海路・陸路を駆使した遠距離輸送に加え、海の遠い当地まで引き上げるのも大変だったことでしょうねえ。その家康への忠誠心に敬服致します。

鳥居を抜けた先に高々とそびえるのは、高さ約36mの「五重塔」です。
五重塔を最初に奉納したのは若狭の国小浜藩(現福井県)の初代藩主・酒井忠勝。現在の塔は、その後に同10代藩主・酒井忠進によって再建されたもの。
派手さは抑えられており、凛として落ち着いた佇まいを持つ美しい塔です。
塔の中央部には、さぞかし太くて頑丈な心柱がガシッと立っているのであろう、と思いきや。。。実は心柱は上から鎖で吊り下げられており、最下部は固定されずに数センチ浮いているんですって。これは不思議。
日本古来のこの構造技術は地震・強風に対する振動抑制の効果があるとされ、東京スカイツリーの「心柱制振」と呼ばれる耐震システムにも応用されているとのこと。
先ほどのスカイツリーの標高の話といい、意外なところで出会う温故知新の世界に驚かされます。
【狩野探幽】”見えないはずの世界”を描いた、上神庫の象と想像力
実物を見ずに描いた「想像の象」に込められたメッセージとは?

参道が突き当たった先には仁王像を安置する「表門」が建っており、これが境内への入口となります。
この先は有料エリアなので、拝観チケットを購入して入場します。
宝物館入館券とのお得なセット券もあるので、見学予定に合わせてチョイスしてみてください。

上神庫
境内へと進むとまず目に入ってくるのが、上神庫(かみじんこ)・中神庫(なかじんこ)・下神庫(しもじんこ)からなる、「三神庫(さんじんこ)」と呼ばれる建物群だ。
金色の装飾と落ち着いた赤紫色との組合せが、なんとも上品な雰囲気を醸し出している。
通気性の良い校倉造り(あぜくらづくり)で、馬具や装束類を収めるための倉庫として使われたらしいが、倉庫と呼ぶにはあまりにも美しい建物群だ。
そして中でも特に注目したいのが、写真の上神庫。

上神庫
妻側の屋根下には「象の彫刻」が描かれていますが、これ、我々の知っている象とはなんかちょっと違いますよね?
この彫刻の下絵は、幕府の御用絵師だった狩野探幽(かのうたんゆう)によるものですが、じつは実物を見ずに描いた『想像の象』なんですね。
探幽は、当時見ることができなかった象を、古来より伝わる断片的な知識に加え、自らの想像力を注ぎ込んで霊獣として再構築しました。
仏教では「力強さ」や「知恵」の象徴とされる象ですが、それを穏やかな表情で描くことにより、家康が築いた「戦のない、理知的な治世」を表現したのではないだろうか。
日光東照宮のデザイン全般に関わった狩野探幽は、高い技術と創造力を駆使して、独自の世界観を生みだしています。
狩野探幽(1602-1674年)
京都生まれで、祖父である狩野永徳は桃山時代の絵師の巨匠であった。
早くから絵師としての才能を発揮。11才時で駿府城で徳川家康に謁見し、江戸に移住して16才で幕府の御用絵師となる。
江戸城・二条城・名古屋城の障壁画などを制作し、寛永17年(1640年)に徳川家光が日光東照宮へ奉納した「東照宮縁起絵巻」も手掛け。江戸時代の絵画の基調を作った人物といわれています。
「三猿」神厩舎では16匹の猿をじっくりと鑑賞すべし。
三神庫の向かいには、神に仕える神馬をつなぐための「神厩舎(しんきゅうしゃ)」があります。

神厩舎
神厩舎はかの有名な「三猿」の彫刻がある建物ですが、境内唯一の素木造りで、最も質素な建物だといえます。
「猿は馬を守る」という伝承に基づき、その壁面にある8枚の彫刻には16匹の猿が描かれています。
それぞれの彫刻は人の一生がテーマとなっており、「三猿」もそのうちの1枚。

神厩舎の三猿
こちらが「三猿」。
ここで表現されている「見ざる 聞かざる 言わざる」は、日本ならではの奥ゆかしさの象徴、と思われがちですが、実は三猿の教訓は論語の「不見・不聞・不言」からきたもの、といわれています。
一説によると三猿のルーツは、さらに古代エジプトやインドにまで遡るとも。

学生時代の修学旅行では正面側を見て、「はい、こちらが三猿ですよ~」の説明で終わった気がします。まあ、時間が限られていますからね。
ですが大人の修学旅行では(笑)、ここは1枚目から8枚の彫刻をセットで、じっくりと鑑賞したいスポットです。
私が気に入ったのは、「夫婦で人生の荒波に揉まれる」場面のそのストレートな表現。
見学者が人生のどの位置にいるかによって、気になる1枚が変わってくるんでしょうね。
【天海僧正】久能山から日光へ。北辰の地に家康を「東照大権現」として神格化
なぜ家康公の墓所は日光に移されたのか?
神厩舎を後にして右手に進むと、青銅の鳥居越しに、東照宮の顔である「陽明門」がいよいよ見えてきます。

気持ちは陽明門へとはやりますが、その前にこの鳥居と陽明門に隠された秘密をご紹介。
実はここ、鳥居と陽明門の両者を結んだ上空の中心に、北極星がくるように配置設計がされているんですね。
そしてこの「不動の北極星(北辰)」の存在は、なぜ日光の地が家康の墓所として選ばれたのか?ということとも深く関係しています。
日光が久能山からの改葬場所として選ばれた理由
・徳川家康は遺言で、自らの遺骸を一度久能山に納め、一周忌の後に日光へ移すよう命じた。わざわざ遠方の日光を選んだ理由は、天文学的な「不動の守護」にありました。
・家康は江戸の真北に位置する日光山に鎮座することで、天界の北極星と同化し、永遠に徳川の天下を見守る神になろうとしたのです。
・この思想は地理的にも徹底されていて、久能山と日光を結ぶ直線上には信仰の象徴である富士山があり、その龍脈(風水における筋道)は江戸城を貫くというものでした。
ということで、日光東照宮は単なる墓所ではなく、徳川の治世を持続させるための巨大な風水装置の一部だったというわけです。
日光東照宮の設計全般に関わった、”黒衣の宰相”天海僧正とは?

喜多院(埼玉県川越市)にある天海僧正像
風水や陰陽道の知識を持って日光東照宮の設計に大きく関わったのが、徳川家康から家光までの3代に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天海僧正(てんかいそうじょう)です。
日光への改葬に際しては、その魂をどのような「神」として祀るかを巡って、幕府内で激しい論争が起きました。
もう一人の黒衣の宰相であった高僧・以心崇伝(いしんすうでん)は、当時主流だった「吉田神道」に従い、家康を「明神(みょうじん)」として祀るべきと主張。しかし、これに猛反発したのが天海でした。
天海は豊臣秀吉が「豊国大明神」として祀られた後に、豊臣家が滅びたことから縁起が悪いと指摘。
自身が信仰する比叡山の「山王一実神道(さんのういちじつしんどう)」に基づき、仏が神の姿となって現れる「権現(ごんげん)」として祀るべきだと主張しました。
これが徳川家光らに支持されて、家康は現在「東照大権現」として祀られているわけです。
天海僧正(?-1643年)と日光東照宮との関連
天海は、徳川家康から家光までの3代に仕えた比叡山の僧侶。天海は家康の「神格化」と江戸の「風水設計」を完遂させ、徳川の治世が長く続くための宗教的基盤を築き上げました。
■天文5年(1536年)頃:会津にて誕生(諸説あり)。比叡山などで修行を積む。
■慶長14年(1609年):徳川家康の諮問を受け権僧正に任ぜられる。幕政の助言者として台頭。
■元和2年(1616年):家康死去。葬儀を主導し、家康の神号を「東照大権現」とするよう決定。
■元和3年(1617年):日光東照宮の創建(当初の社殿)。家康の遺骸を久能山から日光へ改葬。
■元和10年(1624年):江戸城の鬼門を守護するため、上野に東叡山寛永寺を開山。
■寛永13年(1636年):徳川家光による日光東照宮「寛永の大造替」を宗教・風水面で指導。寛永20年(1643年):108歳(公称)で入寂。朝廷より慈眼大師の諡号が贈られる。
この天海という人物、実のところ正確な素性や年齢も分かっておらず、ミステリアスな面が多い。
ベールに包まれた人物であったゆえ、「天海は明智光秀の生き残り」説なども根強く囁かれています。
国宝・陽明門|500以上の彫刻に込められた天下泰平への思い
実は現在の陽明門は”家光が造り替えた2代目” ー 寛永の大造替
鳥居の先の石段を上がった場所に、日光東照宮のシンボルである国宝建築「陽明門」があります。
陽明門は2017年3月に、44年振りに4年の歳月を掛けた「平成の大修理」を終えており、鮮やかさを取り戻してまさに陽明を受けて輝いていました。

陽明門(国宝)
日光東照宮髄一の豪華絢爛さを誇る陽明門ですが、現在の陽明門は実は2代目の門として造り替えられたもの、ということは案外知られていないのでは?
陽明門をはじめ、現在の圧倒的な優美さを誇る建築群へと改修させたのは、祖父をより神格化したいと考えた3代将軍・家光でした。
徳川家光による「寛永の大造替」
■寛永13年(1636年)、徳川家光は祖父・徳川家康の21回忌にあわせて、日光東照宮の建物を全面的に造り替える「寛永の大造替」を実施。
■元和期に徳川2代将軍・秀忠によって建てられた初代の東照宮は、家康の遺言にもとづく比較的質素なものだった。
家光は完成からわずか20年足らずだったその境内をほぼ全て解体・総改築し、陽明門も総金箔張りの怪物的な門へと変貌させます。
■大造替は全国の諸大名を動員する天下普請でおこなわれ、総指揮をおこなったのは家光の信任が厚かった幕府老中・酒井忠勝。
造営工事は、家光時代に幕府の主要な建築事業を担った大工頭・甲良宗広(こうら むねひろら)を中心に、最高峰の技術者集団が担った。意匠に関わった絵師・狩野探幽もその一人です。
ちなみに徳川家光自身も、歴代将軍最多となる10回もの日光社参を実施。また、亡き後も遺言により、日光東照宮のそばの「輪王寺大猷院(たいゆういん)」に葬られています。
これらから、いかに家光が家康に畏敬の念を持っていたかが伝わってきますよね。
「日暮門」の異名が付いたその理由とは?

陽明門には、中国の故事や儒教思想などの意味が込められた、500体を超える霊獣・人物・草花などの彫刻が施されており圧巻です。
同じ種類の彫刻でも口の開け方が違うなど、一つたりとも同じ表情の物がないというのもスゴイ!
あまりにも見どころが多いため、”一日中眺めても飽きない「日暮門(ひぐらしもん)」”の異名で親しまれています。

霊獣達は今にも食って掛かって来そうな強面の面々ですが、実は彼らは本当に平和な時にしか現れないとされます。
人物の彫刻は聖人・賢人、そして子供の遊びなどが題材となっており、実にのどかな雰囲気を醸し出しているもの。
それらには家康が思い描いたであろう、天下泰平の世の中が表現されています。
必見!狩野探幽作が描いた天井の龍

門の通り抜けの際には頭上にも注意が必要。天井に描かれた狩野探幽作の龍は必見ですよ!
この龍、とても人間臭い表情を持っており、なんだかユーモラスな雰囲気だ。
国宝・唐門|陽明門より格上。将軍と天皇しか通れなかった別格の門

国宝 唐門
陽明門を抜けると現れるのが、こちらも国宝建造物である「唐門(からもん)」。
本堂正面に構えるという重要な役割を持ち、江戸時代には将軍と朝廷からの使者、特定の位の高い家臣・大名のみが通過を許可された、陽明門よりも格上の門です。
陽明門が金色と極彩色に彩られたのに対し、唐門は「白」がベース。これは貝殻を焼いて作った最高級の顔料による、”胡粉(ごふん)塗り“と呼ばれるもの。
純白の背景が精緻な彫刻を浮かび上がらせるという、拝殿の厳かさを際立たせる繊細な演出だ。

唐門
唐門の装飾テーマには、儒教の影響が色濃く感じられる。
江戸時代の国学にもなった儒教は、「礼を重んじて仁義を実践、上下の秩序の遵守」を唱えたもの。
儒教の浸透は、江戸時代が約260年間続いた拠りどころの一つだった、とも考えられています。
正面の彫刻は、古代中国の伝説的な名君・舜帝(しゅんてい)が、朝廷で百官の拝謁を受けている場面。この舜帝の顔は、どうやら家康に似せて作られているらしい。
舜帝に重ねられた徳川家康の彫刻に込められた、「日本における最高権力者は徳川将軍」というメッセージは、朝廷の使者をはじめとした参拝者に強烈に伝わったことでしょう。

柱に施された降り龍の彫刻
人物像の多い唐門において目を惹くのが、柱に描かれた龍の彫刻。向かって右手に「昇り龍」、左手に「降り龍」です。
龍は天と地を自在に行き来する神聖な存在として、本堂及び東照宮全体を守護するものといわれます。
単なる装飾ではなく、陰陽思想などを背景にした、縁起の良いモチーフが適所に施されているのも見逃せない。
名工・左甚五郎による「国宝・眠り猫」は、本当に眠っているのか?

眠り猫(国宝)
本殿エリア東側の坂下門にあるのが、かの有名な国宝「眠り猫」の彫刻です。江戸時代の名彫刻師・左甚五郎作と伝わる、日光東照宮の代名詞の一つ。
従来より蟇股に施される彫刻の題材は、縁起が良いとされる”瑞花瑞鳥”が定石でしたので、”猫”という素材を選んだ自由奔放さにまずは注目したい。
ところでこの「眠り猫」には、当然ですが”眠っている猫”が描かれています。
しかし、一説によると、猫は薄目を開けて家康公を守っており、何かあれば飛び掛かれる態勢をとっている、ともいわれているんですよ。
参拝の際には、ぜひ色んな角度から猫の表情を観察して、実際どう見えるか?皆さんも確かめてみてくださいね。

眠り猫の裏側の木彫り
さらに注目したいのが、一般的にはあまり紹介されることのない、門の外側にある彫刻。
天敵の猫がうたた寝してる傍らでスズメ達が楽し気に遊んでおり、表裏セットで平和な世の中が表現されている。
すでに良く知られているスポットでも、その周囲にも改めて注目してみると、また新しい物語が発見できるのが、日光東照宮の奥深い魅力といえます。
左甚五郎(ひだりじんごろう)
江戸時代初期に活躍した名工とされる彫刻職人。代表作の日光東照宮の眠り猫をはじめ、左甚五郎作と伝わる彫刻は全国各地にあります。
しかしその製作年間を辿ると何百年にもなり、場所も様々。それ故、各地の工匠の代名詞的に使われた作品も数多くあると考えられています。
日光東照宮で最も聖域な「奥宮」へ。207段の階段の先に眠る東照大権現
家康の墓所のある「奥宮」は長いあいだ聖域だった

坂下門を抜けると207段の石階段が現れ、この急な階段が家康の墓所のある「奥宮(おくやみ)」へと導いてくれます。
上りと下りで行き交うほどの幅しかない階段を、木々が生い茂る山奥に向かって歩き進んでゆく。

上がった先に落ち着いた雰囲気の建物が現れますが、これは家康の眠る御宝塔に参拝するための「奥社社殿」。
建物全体が黒漆で塗られた銅や真鍮で包まれており、その表面には、細い線を刻み込む毛彫と呼ばれる手法で装飾が施されています。

奥宮の鋳抜門
御宝塔のあるエリアの手前には、厳かで重厚な雰囲気をもつ青銅の門が立つ。この先は、かつて将軍のみが入場できた空間でした。
奥宮は昭和40年(1965年)から一般公開されていますが、江戸時代以降のそれまでは、殆ど人が立ち入らなかった日光東照宮一の聖域だった場所。
陽明門・唐門のある本社周辺の煌びやかな雰囲気とは対照的な、厳粛な空気感がピーンと漂う空間へと進んでゆきます。
なぜ家康墓所は200段上った、日光の「山の上」に造られたのか?

奥宮の御宝塔
これが、この下に家康の遺骨があるとされる青銅の御宝塔。柵越しに、この周囲をグルっと周って参拝することができます。
家康はここから、江戸の町と日本の平和を見守り続けていたわけですね。
ところで徳川家康の墓所は、なぜ約207段もの石段を登った「山の上」に置かれたんでしょうか?そこにも天海の風水設計があったと考えられます。
日光は古くから男体山を中心とする、山岳信仰の聖地です。
高い山の上に墓所を配置することにより、家康の魂と日光の山の神々とを一体化させ、絶対的な権威へと昇華させたのでしょう。

順路に沿って周囲を歩いてゆくと、最後に「叶杉(かのうすぎ、かなえすぎ)」と呼ばれる大きな杉の木があります。
”願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると、願い事が叶うと伝えられている”とあります。
家康の眠る聖域にあるこのパワースポットへも、是非立寄よってゆきましょう。
陽明門や三猿、眠り猫に目がゆきがちな日光東照宮参拝ですが、真の中心地である奥宮参拝は外せないスポットといえます。
【記事の参考にした情報】
・日光東照宮公式サイト
・文化遺産オンライン「日光の社寺」 文化庁
・「日光大観」日光山輪王寺発行
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
タモリさんならではの視点で、日光の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
アクセス情報と立寄りたい周辺スポット
日光東照宮の詳細とアクセス方法

日光東照宮
公式ページ
住所:栃木県日光市山内2301(GoogleMapで開く)
拝観料:
[日光東照宮単独拝観券]大人・高校生:1,300円、小・中学生:450円/[セット料金(東照宮拝観券+宝物館入館券)]大人・高校生:2,100円、小・中学生:770円/[宝物館入館料]大人・高校生:1,000円、小・中学生:400円/[美術館入館料]大人:800円、高校生:600円、小・中学生:400円
アクセス:
電車)
・浅草~東武日光(特急けごん):所要時間 約1時間50分
・浅草~下今市~東武日光(特急きぬ+各駅停車):所要時間 約1時間50分
・浅草~東武日光(東武鉄道快速):所要時間 約2時間5分
・新宿~東武日光(JR特急日光):所要時間 約2時間
・宇都宮~日光(JR日光線):所要時間 約45分
車)
・東北自動車道宇都宮ICから日光宇都宮道路を経て、日光ICで下りる。日光ICから約2km。
日光のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
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日光山輪王寺・輪王寺大猷院
日光山輪王寺は日光山信仰の中心寺院で、東照宮・二荒山神社とともに「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されています。
大猷院(たいゆういん)は徳川3代将軍・家光の霊廟。日光東照宮を超えないよう黒と金を基調とした重厚な装飾で造営されており、祖父・家康を敬う家光の思いが伝わる建築美が見どころです。社殿は国宝指定されています。
公式サイト
日光山輪王寺 住所:栃木県日光市山内2300(GoogleMapで開く)
輪王寺大猷院 住所:栃木県日光市山内2300-2307(GoogleMapで開く)
日光二荒山神社中宮祠
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日光への気軽な電車旅なら、東武トップツアーズがさすがの充実!
歴史の裏側を知れば、日光東照宮はもっと面白くなる!
歴史に裏側を知って日光東照宮を歩けば、見える景色が大きく変わってくる。
彫刻一つ、建物一棟にも、天下泰平への願いや幕府の権威を示す工夫など、当時最高峰の職人たちの技が息づいています。
世界遺産を巡るだけでなく、「なぜこの建物が造られたのか」という視点を持つことで、江戸時代の政治や文化への理解も深まるでしょう。
歴史好きなら何度訪れても新たな発見がある──それが日光東照宮最大の魅力です。

記事の訪問日:2020/11/13



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