埼玉県久喜市に鎮座する鷲宮神社は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも登場する、関東有数の古社です。
源頼朝や北条氏、古河公方足利氏、小田原北条氏など、時代を代表する武士たちから崇敬を受け、江戸時代には徳川家康から400石を寄進されました。
境内には江戸時代の石碑や古代遺跡の歴史を伝える痕跡が残るほか、国の重要無形民俗文化財「鷲宮催馬楽神楽」も受け継がれています。
さらに現代では「らき☆すた」の聖地としても知られるなど、古代から現代まで続く歴史を感じながら、境内を歩いてみました。
目次
「鷲宮神社」多くの武将の崇敬を受けた関東鎮護の神
明治の思想家・徳富蘇峰による社号碑
埼玉県久喜市に鎮座する鷲宮神社は、東武伊勢崎線「鷲宮駅」から徒歩約8分とアクセスしやすい街中に位置しています。
周辺は落ち着いた住宅街と田園風景が広がるエリアで、境内のすぐ脇を青毛堀川が流れ、豊かな緑と水辺の情緒が漂うロケーションにあります。

境内入口には「武蔵國・鷲宮神社」の社号碑が立ちますが、これは明治から昭和初期にかけて活躍した思想家・ジャーナリストであった徳富蘇峰(とくとみそほう)によるもの。
境内には他にも蘇峰の筆による石碑があります。
以前は社号碑の横に、明治時代に築造された鳥居が建っていましたが、これが2018年に突如倒壊。
老朽化によるものと思われますが、訪問時は鳥居再建待ちの寂しい状態でした。
※鳥居は2021年12月に再建されました。
徳富蘇峰(1863年-1957年)
明治から昭和にかけて活躍した思想家・ジャーナリストで、民友社を設立し雑誌・国民之友を創刊。
自由民権運動の影響を受け、初期には民主主義的思想を主張しましたが、後に国家主義的立場に転じます。著書・近世日本国民史では国民史観を展開しました。
ベストセラーとなった小説・不如帰(ホトトギス)を書いた徳冨蘆花(ろか)は実弟。

夏場での訪問につきシーズンオフでしたが、参道両脇の木々は全部桜なので、春には社殿に続く桜のアーチが出現するそうですよ!素敵ですよね。

今にも飛び出してきそうな躍動感のある狛犬は、嘉永5年(1852年)の奉納品でした。
鷲宮神社。「吾妻鏡」にも残る鎌倉幕府との強い繋がり

参道を進んだ先にある拝殿と本殿は、安政7年(1860年)に建立されたもの。
社殿の正面が参道側に向いていなのが、少し変わった配置。
鷲宮神社は出雲族の草創に係る神社で、関東でも有数の古社だといわれています。
御祭神には、天穂日命(あまのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三神が祀られており、
天穂日命・・・商売繁昌・出世金運・厄難消除の御神徳
武夷鳥命・・・交通安全の御神徳
大己貴命・・・家内安全・縁結び・開運招福・病気平癒の御神徳
をそれぞれお持ちとのこと。
さらに建御名方神・伊邪那美神・大山祇神・宇迦之御魂神・大山咋神・天照皇大神・迦具土神・素戔嗚尊・菅原道真命の九柱もの祭神が合祀されているので、これは幅広い御利益が頂けそうですね!

鷲宮神社の歴史を語るうえで重要なのが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」です。
平安末期から中世にかけての現埼玉県東部には、太田荘(おおたのしょう)と呼ばれる荘園が広がっていましたが、これが鎌倉時代に入ると鎌倉幕府の直轄領に編入。
そのため太田荘の鎮守だった鷲宮神社は、幕府との関係を深めます。
建久4年(1193年)の源頼朝の治世に、鎌倉幕府が鷲宮神社に神馬を奉納したことが、吾妻鏡に記されている。
さらに、正応5年(1292年)に執権・北条貞時による社殿再興を伝える棟札からも、幕府より庇護を受けていたことを伺い知ることができます。
鷲宮神社は、鎌倉時代以後も古河公方足利氏、小田原北条氏氏など、関東を納めた武士たちからの崇敬を受けました。
徳川家康も400石を寄進。明治時代には准勅祭社の一社に
家康が400石を寄進した理由とは?

右が拝殿、左側が本殿。
天正19年(1591年)、関東に入った徳川家康は有力な寺社に対し領地を寄進しますが、鷲宮神社へは400石を与えました。これは武蔵国では大國魂神社(東京都府中市)の500石に次ぐものでした。
このことからも、当時、武蔵国内でも特に重要視された神社であったことが伺えます。
境内に鷲宮城があった?神主・大内氏と戦国時代
ところで戦国時代末期の鷲宮神社には、隣接して小田原北条氏(後北条氏)の「鷲宮城(栗原城)」がありました。
そこで城主の役割を担ったのが、当時の神主であった大内泰秀でした。


右は天穂日命・武夷鳥命を祀る鷲宮神社本殿 / 左は大己貴命を祀る神崎本殿
この大内泰秀には、徳川家康に関連した伝承が残っている。
慶長5年(1600年)、家康が会津征伐の遠征において、栗橋の渡しで利根川を渡河する際に船橋の綱が切れたという。それを見た大内泰秀は川中に飛び込みこれを繋ぎ止めたという。
これを称して家康から拝領されたとされる、銚子と盃が今も残ります。
大内氏は昔より鷲宮神社の神主を代々世襲してきた家系ですが、江戸時代には鉄砲30挺の所持を幕府より認められるなど、一般的な神主とは一風違った存在だったようです。
明治天皇が准勅祭社の一社に指定
明治時代になると、明治天皇は皇居を守護する12社の「准勅祭社」を定めますが、鷲宮神社もその一社に指定されます。
このうち10社は東京都区内の神社で、郊外にあった神社は鷲宮神社と大國魂神社の2社のみでした。これはなかなか凄いことですよね。
現在は准勅祭社の制度は無くなっているので、元准勅祭社と呼ばれています。
鷲宮神社に伝わる歴史的見どころ「催馬楽神楽」
鷲宮催馬楽神楽|”関東神楽の源流”と呼ばれる国重要無形民俗文化財

神楽殿
鷲宮神社に伝わる「鷲宮催馬楽神楽(わしのみやさいばらかぐら)」は、正式には「土師一流催馬楽神楽」と呼ばれるもので、昭和51年(1976年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
江戸時代より関東神楽が広く親しまれるようになりますが、これはその源流にあたるものといわれています。
神楽殿で受け継がれる800年近い伝統

鷲宮催馬楽神楽の特徴は、平安時代の歌謡「催馬楽」を取り入れている点、とのこと。
「吾妻鏡」にも建長3年(1251年)におこなわれた神楽に関する記載があり、江戸時代よりもかなり昔から続いている祭事だということがわかります。

平成19年(2007年)、天皇皇后両陛下がスウェーデン国王王妃両陛下とともに行幸された際、その御前で神楽が上演されたことが写真で紹介されていました。
現在は保存会を中心に、鷲宮催馬楽神楽の保存・伝承がおこなわれているとのこと。伝統文化の担い手づくりも大変そうですよね。
境内を歩いて発見!鷲宮神社のさらなる歴史スポット
鷲宮神社の歴史に触れられる境内のスポットを、さらにめぐってみます。
青銅灯籠|江戸時代の信仰を伝える見事な意匠

参道で一際目を惹くのが、こちらの大きな青銅の灯籠。
江戸時代末期のもので、文政12年(1829年)に奉納されたもの。

灯籠で注目したいのが、台座部分に施された、今にも飛び出さんばかりの躍動感ある鳥達の装飾!これは見事。
銘記によると、寄付者は久喜周辺のみならず小川町や飯能市にもおよび、74ヶ村377名の氏子と世話人40名が確認できます。
また、鋳工(ちゅうこう)として、江戸大門通(現日本橋周辺)の2名の職人の名も刻まれている。
江戸時代の鷲宮神社の信仰圏を知ることができる、貴重な資料といえます。
寛保治水碑|寛保二年の洪水の被害を今に伝える

寛保治水碑
次に紹介するこちらは、社務所の正面に置かれている「寛保治水碑」。
これは寛保3年(1743年)の利根川の改修工事に携わった、萩藩(現、山口県萩市)の藩主・毛利宗広が奉納したもの。
はて、埼玉でなんで萩藩なの??というその訳ですが。。。
寛保二年の洪水
■寛保2年(1742年)、関東地方を中心に江戸時代屈指の大水害が発生。
長期間の豪雨と台風の影響で利根川・荒川・渡良瀬川などが氾濫し、広範囲にわたり堤防が決壊。家屋の流失や死者多数の深刻な被害が起った。
■江戸幕府はその復旧作業に、西国の諸大名も動員。毛利家は現在の本庄市から加須市・春日部市に至る、利根川流域水路の復旧・改修を担当した。
1,707人の家臣・人足を派遣して堤防の補修・補強を実施。難工事だったが、延べ100万人以上の人足を動員し翌年に工事を完了させた。
そんな西の大名に助けられた歴史が、この地にはあったのですね!
江戸時代の歴史の記録として、これは非常に貴重なものだ。
明治天皇行幸の記念石碑|鷲宮神社で小休止された記念

明治29年(1896年)、明治天皇は近衛師団(=天皇を護衛する軍隊)の演習観覧のために行幸をされましたが、その際、鷲宮神社社務所が小休所となった。
それを記念して作られたのがこの「明治天皇行幸」の石碑で、この記念碑の字も徳富蘇峰によるものです。
鷲宮堀内遺跡|古墳時代や縄文時代の遺跡が残る

「鷲宮堀内遺跡」の石碑が境内にあるように、太古の昔には古墳があった場所だったとのこと。
発掘調査も昭和37年(1962年)と昭和59年(1984年)の2回おこなわれており、縄文時代や古墳時代の住居跡、土器などが出土されている。
「古代の遺跡→古社→鎌倉武士→戦国の城→江戸幕府→明治時代の准勅祭社」という時間軸で歩ける鷲宮神社は、長い歴史をたどれるスポットであることを改めて感じます。
光天之池|龍伝説が残る池を訪ねる

その遺跡碑の正面には、「光天之池(みひかりのいけ)」と呼ばれる不思議な池がありました。

傾斜があるので、コケて落ちないように注意しながら池へと近づく。
池はそれほど大きくないのですが、なにやら雰囲気がありますよ。
案内板によると。。。
「昔より龍神様が住むと伝わる池だったが、長いあいだの土砂などで埋もれていた。
平成11年よりの境内整備事業の一環で土砂の搬出をおこなっていると、池から突如湧き水があふれ出て、龍のような雲が空を覆ったとのこと。それにより光天之池と名付けられたそうだ。」
おー、なんとも不思議な話だ。池が綺麗になって、龍神様がお喜びになったのでしょうね。
境内社|鹿島神社・八幡神社ほか
境内には全部で13社の境内社があり、多くは境内を囲んでいる雑木林の中にあります。
静寂に包まれており、厳かな雰囲気で参拝できるので、ぜひめぐってみてください。

鹿島神社
「鹿島神社」は、武運長久の御神徳である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)を祀る神社です。

八幡神社
出世開運の御神徳を頂きたければ、ぜひこちらの「八幡神社」へ。

八坂神輿殿の輿殿
境内中央に鎮座する「八坂神社」の裏手には神輿殿があり、八坂祭で使用される神輿が収められています。
寛政年間(1789~1791年)に作られたこの神輿は、重さが約3トンあり「千貫神輿」と呼ばれるもの。
県内では最大級の神輿だといわれています。
アニメ「らき☆すた」の聖地|聖地巡礼の先駆けだった鷲宮神社

参拝を終えて、境内入口にある古民家風の茶屋「大酉(おおとり)茶屋 田々」に立寄ってちょと一服。
こちらは商工会が主体となって運営されており、食事や喫茶ができる休憩処として営業されています。
建物は築110年の酒屋店舗を改築したもので、なかなか良い雰囲気だ。

実はこの茶屋、店の前に人気アニメ「らき☆すた」の石碑があることで、アニメファンには良く知られているんですよ。
らき☆すたとは?
「らき☆すた」は4人の女子高生達のスクールライフを描いた、日常系のゆる~いタッチのアニメ。
鷲宮神社はその主要舞台になっており、ファンの聖地巡礼地として人気のスポット。
今ではアニメの聖地巡礼ってよく耳にしますが、こちらはその先駆け的な存在となります。

石碑の前にはキャラクターを描いたマンホールも。店内では地元とコラボした限定商品も売られていました。
「らき☆すた」とのコラボで参拝客が増加し、地元の活性化にもつながっているとのことで、これは嬉しい話ですね。
准勅祭社にも指定された伝統ある古社と、ほんわかした話題の組合せのギャップに親しみを感じました。
鷲宮神社の御朱印。鷲宮催馬楽神楽の御朱印も!

参拝を終えて御朱印を頂きました。
こちらは元准勅祭社の判が押された、通常の御朱印。

こちらは、国指定無形重要文化財・鷲宮催馬楽神楽の御朱印。用紙も色使いも上品で素敵なものでした。
【記事の参考にした情報】
・鷲宮神社公式サイト
・広報連載久喜歴史だより「第64回 鷲宮神社の神主・大内泰秀」 久喜市
神社に参拝に行くと、神々についてや神社施設の呼び名・役割について知りたいけど、聞ける相手もいない!
ってことありません?そんな時、網羅範囲が広い本書は結構頼もしいですよ!
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
鷲宮神社の詳細情報・アクセス
鷲宮神社
公式サイト
住所:埼玉県久喜市鷲宮1-6-1 (GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武伊勢崎線 鷲宮駅より徒歩8分
・JR宇都宮線「東鷲宮駅」西口より、朝日バス加須川口循環線「鷲宮神社入口」下車
車)
・東北自動車道「久喜IC」「加須IC」より各約15分
・駐車場約60台分あり
久喜市のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
古代から現代へ、歴史が重なる鷲宮神社を歩いてみよう
鷲宮神社を歩いてみると、そこには単なる「古い神社」では収まりきらない歴史が残されていました。
古代の遺跡、鎌倉幕府との関わり、戦国時代の鷲宮城、徳川家康からの400石の寄進、そして江戸時代の治水の記憶。
さらに、現在まで受け継がれる鷲宮催馬楽神楽や「らき☆すた」の聖地としての顔もあります。
久喜を訪れる際は、ぜひゆっくり時間をかけて、話題が豊富な鷲宮神社を歴史散策してみませんか。

記事の訪問日:2021/9/19




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