東松山市を代表する神社の一つ、箭弓稲荷神社。
その歴史は古く、創建は和銅5年(712年)と伝えられ、多くの武将の崇敬を集めてきた神社です。
境内には源頼信の伝承や七代目市川團十郎ゆかりの社、そして、精巧な彫刻に眼を奪われる江戸後期の豪壮な社殿が残り、2024年には本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に指定されました。
今回は、その箭弓稲荷神社の歴史と見どころをご紹介します。
目次
東松山に鎮座する武運の神「箭弓稲荷神社」とは?
和銅5年創建。1300年以上の歴史を持つ神社
埼玉県のほぼ中央に位置し、「比企」と呼ばれる地域の中心地だった東松山市。
古くから川越街道などの幹線道路が通っていたとともに、市野川・都幾川・越辺川などにおける河川交通も発達した交通の要衝エリアだった。
その立地から戦国時代には武蔵松山城が築城されるなど、昔から人々の往来の多い歴史ある地でした。

そんな東松山市の市街地にある箭弓(やきゅう)稲荷神社は、東武東上線・東松山駅西口から徒歩約3分という街中にありながら、境内に江戸後期の社殿や古い末社が残る、歴史が感じられるスポットです。
参道に立つ朱色の大きな「一の鳥居」を抜けて、境内へと向かいます。
\ 武蔵松山城の詳細についてはこちら!/
あわせて読みたい
武蔵松山城は、小田原北条氏と上杉氏が激しく奪い合った要衝の城【埼玉・吉見町】
埼玉県吉見町にかつてあった武蔵松山城は、自然の地形を生かした戦国時代の平山城です。この城は北武蔵の要衝に位置していたため、扇谷上杉氏・小田原北条氏(後北条氏…

参道を進むと石造りの「二の鳥居」が現れ、その先が境内となります。
箭弓稲荷神社は和銅5年(712年)に創建されたと伝えらえれる、1300年以上の歴史を持つ古社。
古くから五穀豊穣や商売繁昌などの神として、広く信仰を集めてきました。
箭弓稲荷の社名の由来は?平安時代の武将・源頼信が命名
「箭弓」と書いて「やきゅう」と読むという、その独特な社名も特徴の一つですが、創建当時の奈良時代頃は「野久稲荷神社」が社名でした。

社殿エリア入口の三の鳥居
平安時代に起こったある出来事をきっかけに、箭弓稲荷神社へと社名が改名されることになります。
箭弓稲荷神社の名の由緒
平安時代の中期、下総の国(現千葉県・茨城県の一部)の城主である平忠常が謀反を起こし、近隣諸国を従えた大群で武蔵国の川越まで押し寄せた。
朝廷より忠常追討の命を受けた武将・源頼信は、当地に本陣を構えます。
そして当社で戦勝祈願をしたところ、空に箭の形をした白雲があらわれ、敵を射るように飛んでいったといいます。
神のご加護を確信した頼信はみごとに戦いに勝利。神社の建替えにより謝意を示したとともに、社名を箭弓稲荷と改名したとのことです。
なるほど、元々「野久」だったのが、同じ読みの「箭弓」の字に改められたわけですね。

以後、武運の神として知られるところとなり、戦国時代から江戸時代にかけては、武蔵松山城城主・上田氏や川越城城主・松平氏などの武将からの篤い崇敬を受けました。
江戸時代になると庶民による参拝も盛んになり、享保年間(1716〜1736年)頃に神社の最盛期を迎えました。
箭弓稲荷神社の見どころは江戸後期の豪壮な社殿
国指定重要文化財に指定された本殿・幣殿・拝殿

社殿
箭弓稲荷神社の御祭神である保食神(うけもちのかみ)(宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・豊受比賣神(とようけひめのかみ)は、五穀豊穣・商売繁昌・家内安全の守り神としての御神徳を持ちます。
現在ではそのほか、交通安全・厄除・火難除・開運・学業成就・芸能向上など、はば広い信仰を集めているとのこと。

そして現在の箭弓稲荷神社で、歴史散策の目玉として注目したいのが社殿の建物。
本殿・幣殿・拝殿からなる現在の社殿は、天保6年(1835年)に築造されたもの。
この建造物が江戸後期の様式をよく残していることから、令和6年(2024年)1月19日に国重要文化財に指定されることになったんですね。(訪問はその少し前の令和5年12月でした。)

まずは拝殿に注目してみると、正面の唐破風の下に素木(しらき)による多くの彫刻が施されていました。

中央を飾る彫刻は、龍の両目がくり貫かれている「目貫龍(めぬきりゅう)」と呼ばれもの。
目貫は”目抜き”にも通じており(”目抜き通り”とか言いますよね)、中央を守護する役割も示しているとのこと。

こちらの題材である霊鳥・鳳凰(ほうおう)は古来中国において四霊の一つに数えられており、すべての鳥を誕生させた生き物だと伝えられます。
羽をなびかせた左側の部分の表現が見事です。

こちらの彫刻は「名刀小狐丸誕生伝承」という故事が題材となっています。
その故事とは、
「平安時代の刀工である三条小鍛冶宗近が、一条天皇より作刀を命ぜられました。
作刀では職人2人が交互に槌(つち)を打ち合いますが、宗近には勅使に見合う技量の弟子がいなかった。
そんな宗近の前に、稲荷明神が童子に化身して出現。みごとに相槌をふるい名刀小狐丸を誕生させた。」
という逸話なんだそうだ。
本殿を彩る彫刻。その立体的で精緻な造形美に注目
社殿は本殿・幣殿・拝殿が一体化した権現造り
続いて本殿側を見学。
本殿の周囲をグルっとめぐれるので、透塀越しに建物を見ることができます。

横から見ると分かり易いですが、社殿様式は本殿・幣殿・拝殿が一体化した権現造り(ごんげんづくり)で、久能山や日光の東照宮に代表される複合社殿となっています。
本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、屋根は銅板段葺(どうばんだんぶき)です。
建物の規模的には、関東の神社の中でも有数の大きさを誇るとのこと。

本殿も、屋根下を中心にビッシリと精緻な彫刻群が施されており圧倒されます。
社殿の建築を手掛けたのは、熊谷を拠点とする大工棟梁の飯田和泉藤原金軌(いいだいずみふじわらのきんき)と、彫物大工・飯田仙之助(いいだせんのすけ)。
飯田家は宮大工棟梁として代々引き継がれている家名で、久能山東照宮の改修に関わりその名を馳せた家系。江戸時代末期から明治時代にかけて飯田家が手掛けた建物は、各地に多く残っています。
\ 熊谷の名工たちの建築技術の結晶が、国宝建築物のこちら!/
あわせて読みたい
豪華絢爛!妻沼聖天山歓喜院の国宝建築は日光を超えた!?【埼玉・熊谷市】
埼玉県熊谷市にある寺院・妻沼聖天山歓喜院には、建築物として県内で唯一国宝指定された本殿があります。本殿の造営に際しては日光東照宮の修復にも関わった一流の彫刻…
天保期の時代性を反映した、素木による彫刻群

彫刻に関する特徴としては、華美な彩色に頼らず、素木の彫刻によって立体感を表現している点。
これは当時の時代背景も関係しており、幕府財政難にあった天保期は質素倹約が求められてた時世。
そこで煌びやかに彩色したなものではなく、立体感で造形美を出す手法が採られたわけです。
一方、本殿内部には極彩色の装飾がされているらしく、外観はカモフラージュだった可能性も。。。
天保の改革とは
江戸幕府が財政再建と社会秩序の立て直しを目的に、老中・水野忠邦の主導で天保12年(1841年)からおこなった政治改革。
主な施策としては、贅沢の禁止や倹約の奨励、遊里・芝居町の統制、株仲間の解散、上知令による幕府直轄地の拡大など。
理想は高かったものの商業や庶民生活を抑圧したため反発が強く、短期間で挫折しました。

印象に残った彫刻をいくつかご紹介。
木鼻周辺における様々な霊獣が並ぶ姿は、じつに迫力がありました。

二龍
北側から向かうとまず目に入ってくる彫刻が、「二龍」の大羽目彫刻です。
水に住む生き物とされる龍は、人民救済・雨乞い・魔除け・鎮火などの御利益を持つと伝わるもの。
二龍は本殿両脇に施されており、本殿守護の役割を担っています。

こちらの大羽目彫刻は、「仙人の烏鷺(うろ)」と呼ばれる題材のもの。
烏鷺とは烏(カラス)と鷺(サギ)を黒石・白石に見立てた表現で、囲碁のことを指します。
仙人の対局を木こりが見て楽しんでいる、そんな平和な感じの場面なんだそうだ。
卓を囲む人々の遠近感を、立体的に表現している部分が凄い。

建物四隅の縁の下にある大きな龍の彫刻。
火伏の願いが込められた水に関わる動物たちは、地面に近い位置に集中していました。

「こんな所にまで」という感じに、軒下にもズラッと並ぶ霊獣たち。

水犀
こちら、珍しい日本の霊獣「水犀(すいさい)」。
体形は鹿で、背中には亀の甲羅。頭に角を持ち、足には蹄がついている。なんとも奇妙な動物ですねぇ。

これは人の悪夢を喰らうとされる「獏(ばく)」。
波間に亀が見え隠れしていますが、これは波や亀などが一体化して一つの霊獣を構成しているんだそうだ。
しかし、奇妙で珍しい動物達がずらっと並んでおり、見ていて飽きませんね。
箭弓稲荷神社の歴史散策で訪ねたい、境内スポット
社殿の参拝のあとは、境内にある歴史を感じられるスポットをめぐってみます。
元宮|社殿の背後に残る江戸時代の社

こちらは本殿のすぐ後ろに鎮座する「元宮」。
享保年間以前に造られた元宮の社殿は、現在の箭弓稲荷神社の社殿よりも古いと伝わるもの。

高さ2m程の小さな社ですが、細かい彫刻が施されており見応えがあります。
一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の様式で、屋根はこけら葺き。
元靄も、箭弓稲荷神社の長い歴史が感じられるスポットの一つです。

元宮のそばにはお狐さまが沢山いました。この数は凄い!
團十郎稲荷|七代目市川團十郎が寄進した石祠
境内には、歌舞伎役者の七代目・市川團十郎が奉納したと伝わる「團十郎稲荷」があります。

通称「穴宮」と呼ばれる末社で、箭弓稲荷神社を篤く信仰していた團十郎は、芸道精進や大願成就を祈願したとされます。

小さな朱色の鳥居が続く、幻想的な参道を抜けて社殿へ。

團十郎が文政4年(1821年)に石造りの祠を建立して以降、芸能の向上を願う人々からの信仰を集めました。

團十郎が稲荷社を奉納した理由ですが、当社にて芸道精進・大願成就を祈願した後、江戸の新春歌舞伎興行で披露した芸題「狐忠信」が、毎日札止めの大盛況を得たとのこと。
團十郎はこれを霊験あらたかなることと喜び、祠を建立したというもの。

七代目 市川團十郎(1791~1859年)
江戸後期を代表する歌舞伎役者で、市川宗家「成田屋」の名声を大きく高めた名優。
豪快な「荒事」に加え、東海道四谷怪談の民谷伊右衛門に代表される色気ある悪役「色悪」の演技でも人気を集めました。
天保3年(1832年)には市川家のお家芸を整理して「歌舞伎十八番」の基礎を築き、天保11年(1840年)には名作といわれる「勧進帳」を初演しました。
一方で、天保の改革により奢侈(しゃし)を理由に江戸追放となるなど、波瀾万丈の人生を送りましたが、歌舞伎の発展と伝統継承に大きな足跡を残しました。
箭弓稲荷神社が武将からの信仰だけでなく、江戸庶民文化とのつながりがあったことを知ることができるスポットです。
手水舎|美しい花鳥図の板絵にも注目!

三の鳥居の手前には手水舎があるので、参拝前にはここでお清めをするかと思いますが、その手水舎も注目してみたいスポットに一つ。

屋根部の内側を見上げると、格天井には20枚の花鳥図の板絵があります。これは風情があって美しいですよ!
立寄りの際は手元だけではなく、ぜひ天井を見上げてみてください。
牡丹園|春に1,300株の咲き誇る牡丹の名所

境内にある3,500m2の敷地を持つ「牡丹園」では、春には1,300株の牡丹の花が咲き、拝者を楽しませてくれます。4月中旬頃からは、つつじや藤との競演も見れますよ!
牡丹園の始まりは、大正12年(1923年)に東武鉄道初代社長・根津嘉一郎氏が牡丹などを奉納したこと。
牡丹は東松山市の花にも指定されています。

牡丹園のそばにある、「やっくん」と「きゅうちゃん」のキャラクター石像
牡丹園のそばには、可愛い形をした「やっくん」と「きゅうちゃん」のキャラクター石像がありました。
「野球の神様」の御利益と、巨大御朱印スタンプ
「野球の神様」ともいわれる箭弓稲荷神社。球団関係者も勝利祈願に!

社名の”やきゅう”の読みにちなみ、箭弓稲荷神社は「野球の神様」ともいわれています。
所沢が本拠地の西武ライオンズの球団関係者の参拝をはじめ、多くの野球関係者が勝利祈願に訪れている。
社務所には野球みくじにベース型絵馬、そしてバット型絵馬まで用意されていました。これは可愛らしいですね。
ギネス認定!木製の巨大御朱印スタンプ

そして参集殿の裏手には、びっくりするような巨大御朱印が!
これは御鎮座1300年を祝して作成されたもので、印面のサイズはなんと縦横130cmもあるとのこと。これ、どうやって押すんでしょうね(笑)。
この御朱印は、平成28年(2016年)に「最も大きな木製スタンプ」としてギネス世界記録にも認定されました。材料に使用されているのは埼玉県産のケヤキ。
箭弓稲荷神社は古い時代から現代まで、実に話題と見どころが豊富な神社でした。
箭弓稲荷神社の御朱印|お狐さまのスタンプが可愛らしい

お狐さまのスタンプが可愛らしい御朱印でした。
【記事の参考にした情報】
・箭弓稲荷神社 公式サイト
・文化財オンライン「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」 文化庁
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
タモリさんならではの視点で、川越の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
箭弓稲荷神社の詳細情報・アクセス
箭弓稲荷神社
公式サイト
住所:埼玉県東松山市箭弓町2-5-14(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武東上線「東松山駅」西口から徒歩3分
車)
・関越自動車道「東松山IC」から川越・川島方面へ5分
・駐車場 50台
東松山のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\東松山の名物は、辛味噌で食べる焼き鳥!/
野球だけではない、歴史散策で訪ねたい箭弓稲荷神社
「やきゅう」という名前から野球との縁で知られる箭弓稲荷神社ですが、境内を歩いてみると、そこには1300年以上に及ぶ由緒と、江戸時代の信仰や建築文化が残されています。
国重要文化財となった社殿をじっくり眺め、元宮や團十郎稲荷にも足を延ばせば、野球のイメージだけでは分からない神社の姿が見えてきます。
東松山を訪れた際には、ぜひ境内をゆっくり歩きながら、その長い歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
記事の訪問日:2023/12/10




東松山周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
近隣スポットもチェック!
あわせて読みたい
岩殿観音正法寺、比企能員が北条政子の守り本尊を祀った古刹【埼玉・東松山市】
埼玉県東松山市にある「岩殿観音 正法寺」は森に囲まれた丘陵地に佇んでおり、山寺のような雰囲気を持っている古刹です。坂東三十三所観音霊場の10番霊場に数えられる正…
あわせて読みたい
埼玉県最大!「こども動物自然公園」でコアラやレッサーパンダに会おう【埼玉・東松山市】
埼玉県内で一番大きい動物園・東松山市「こども動物自然公園」では、比企丘陵の自然に囲まれた広い園内で、のびのびと暮らす動物達に出会えます。人気のコアラやレッサ…
あわせて読みたい
なぜ山城「杉山城」は築城の教科書と呼ばれるのか?登城して体感してみた【埼玉・嵐山町】
埼玉県嵐山町にある「杉山城」は、自然の地形を生かした戦国時代の平山城で、続日本100名城の一つにも数えられています。城の造りには戦国時代の築城における様々な技巧…
あわせて読みたい
正岡子規も訪れた、岩肌に並ぶ219基の異容「吉見百穴」の正体とは!?【埼玉県吉見町】
もし目の前の崖に200以上の穴が空いていたら、あなたは何を想像しますか?明治時代、日本の考古学の父・坪井正五郎氏はここを”コロボックル(小人)の住居”だと信じ、大…
さらに「埼玉県」に関する記事を探す

彫刻が素晴らしい社寺をさらにチェック!
あわせて読みたい
豪華絢爛!妻沼聖天山歓喜院の国宝建築は日光を超えた!?【埼玉・熊谷市】
埼玉県熊谷市にある寺院・妻沼聖天山歓喜院には、建築物として県内で唯一国宝指定された本殿があります。本殿の造営に際しては日光東照宮の修復にも関わった一流の彫刻…
あわせて読みたい
秩父神社を歴史散策、徳川家康ゆかりの社殿と妙見信仰・左甚五郎の彫刻を巡る【埼玉県秩父市】
秩父神社は、秩父三社の一つとして知られているとともに、創建2100年以上の歴史を誇る関東屈指の古社でもあります。武蔵国成立以前から地域の信仰を集め、現在の社殿は…
あわせて読みたい
【日光東照宮】家康はなぜ日光を選んだのか?天海と狩野探幽の演出から読み解き歩く
誰もが知る世界遺産・日光東照宮。しかし、その歴史を少し深掘りしてみると、なぜ家康は最期の地・駿府からこの地への改葬を望んだのか?という疑問が生れてきます。そ…
あわせて読みたい
久能山東照宮、徳川家康が眠る地で最古の東照宮建築を拝観【静岡・静岡市】
徳川家康が晩年の大御所時代を過ごしたのが駿府城。そして本人の遺言に従い駿府の地に創設された久能山東照宮には、徳川家康が東照大権現として祀られています。境内に…
さらに「神社」に関する記事を探す
<a href=”//ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=3694017&pid=890454465″ rel=”nofollow noopener” target=”_blank”><img src=”//ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=3694017&pid=890454465″ border=”0″></a>
クラブツーリズムはバスツアーやテーマ旅行が充実!