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「石田堤」石田三成の忍城水攻めの痕跡が今も残る!【埼玉・行田市】

本ページには広告が含まれています

歴史好きなら立ち寄ってみたい、埼玉県行田市の少々マニアックなスポットを紹介。

行田にはかつて忍城があり、戦国時代に石田三成から水攻めにあいました。
この戦いについては「のぼうの城」という映画にもなり、広く知られています。

その際、三成が広範囲にわたり城周囲に築いた、「石田堤」と呼ばれる堤防の一部が現在も残っているんですよ。

実際にその遺構をめぐりながら、忍城水攻めの真実に迫ります。
行田訪問の前に是非読んでみて下さいね。

目次

『石田堤』 映画・のぼうの城にもなった忍城水攻め

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

かつて、現在の埼玉県行田市には忍城(おしじょう)がありました。
室町時代に築城されたといわれ、利根川や荒川などを自然の堀に見立てた堅牢な造りといわれました。

戦国時代後期の天正17年(1589年)、豊臣秀吉は天下統一のために小田原城の小田原北条氏と、その関東の支城を攻撃する小田原征伐を実施します。

北条氏方側についていた忍城も、石田三成率いる豊臣軍の兵に攻め入られます。
天正18年(1590年)、石田三成は忍城周囲の広大な範囲に大堤防を築き、そこに利根川・荒川から水を引き城を水攻めにしました。

自然の要害を、逆手に取った戦法だったわけですね。

しかし忍城はこの水攻めに落城せず耐え、のちに「浮き城」の異名が付くことになります。
この話は映画「のぼうの城」にもなり、良く知られている話となります。

水攻めの際に築かれた堤防は、後世に石田堤と呼ばれることになります。
じつはその石田堤の一部が、遺構として残っているんですね!

水攻めの実際ってどんなものだったの?
そんな興味を持ちながら、その遺構を訪ねてみました。

\ 忍城の詳細記事はこちら! /

『石田堤歴史の広場』 石田堤の実態とは?

石田堤歴史の広場(埼玉県行田市)

その遺構へは車での訪問でしたが、街外れで目安になる建物も無くちっと迷いかけたが。。。
見学者用駐車場の看板を見つけられ、ほっ!

こちらは行田市の「石田堤歴史の広場」と呼ばれ、堤が道沿いに一直線に延びています。
城の土塁みたいな感じですなあ。

ここには282mの石田堤の一部が残っており、遺構は県指定史跡です。
この南側の忍川(おしかわ)を越えた鴻巣市側には、さらに300mの遺構が残っています(後述)。
意外と結構な距離にわたり残っているんですね!

地元には石田堤を守る会があり、広場と周囲の除草・清掃等の保存活動がされているそうです。
ありがたいですね!

諸説ある石田堤の規模

石田堤歴史の広場(埼玉県行田市)

広場の堤上には石碑が2つ。
右側の石碑は江戸時代末期の石田堤碑で、左側は新しい時代のものでした。

さてこの石田堤、じつは規模に関しては諸説あるようなんですね。
広場には説明看板があり、客観的に説明されており分かりやすかった。

  • 石田堤の規模推定について
  • ■ 大正2年(1913年)に地元の郷土史家・清水雪翁(せつおう)氏が実地調査。
    地形や言い伝えなどから約14kmの堤を推定復元した、とあります。
    これが一つ、スタンダードになる調査結果だそうです。

  • ■ 全長を28kmとする説。これ、結構良く聞きます。

  • ■ 自然堤防を利用しており、実際に築いたのは4km程度説。
    これまた随分小規模説だ。。。

といった具合。

構築方法は一律ではなく、地形に合わせた手法がとられたようです。
この地域は古墳が多いことでも知られますが、古墳を取り崩した土も利用されたみたいですね。
文化財が壊されている。。。

ちなみに石田堤歴史の広場があるこのあたりも、古墳時代・奈良~平安時代・中世の集落遺跡だったそうですよ!

石田堤歴史の広場(埼玉県行田市)

築堤期間については、堤をわずか5日間で築いたともいわれます。

ただし忍城攻めの開始1ヶ月後、堤の補強実施をしたことも記録に残っているそう。
突貫工事の後、補強しながら完成させたようですね。

堤の全体像としては、自然堤防や高台を巧みにつなぎ合わせたものだったようだ。
広場周囲の堤も、自然堤防上に1~2m程盛土をしたものだそうですよ。

その程度の高さだと、場所によっては川の水をせき止めるには、軟弱な箇所もあったんでしょうねえ。
堤防を何キロにもわたり造ったのは、凄いことだが。。。

江戸時代は街道の松並木に利用

石田堤歴史の広場(埼玉県行田市)

道沿いに石田堤をたどってゆくと、松が植えられた、街道風情の並木道が続いていました。

石田堤は忍城の開城をもって役割を終えますが、この地域では壊さずに残されました。
江戸時代には堤に黒松が植えられ、館林道の街道沿いの松並木として活用されたそうです。

「石田堤の並木」として市の文化財に指定されていますが、現在残る松は主に昭和40年代に補植されたものとのことです。

石田堤歴史の広場の詳細・アクセス方法

石田堤歴史の広場

住所:埼玉県行田市堤根1251(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・JR高崎線「北鴻巣駅」東口から鴻巣市コミュニティバス フラワー号乗車で5分、吹上コース「袋」バス停下車、徒歩15分
・JR高崎線「吹上駅」北口から鴻巣市コミュニティバス フラワー号乗車で15分、「袋」バス停下車、徒歩15分
*「フラワー号」時刻表(鴻巣市)
・JR高崎線「吹上駅」東口から徒歩で約40分(約2.9km)
・JR高崎線「北鴻巣駅」東口から徒歩で約45分(約3.4km)
車)
・駐車場あり

堀切橋は石田堤決壊の地!?

石田堤歴史の広場(埼玉県行田市)

堤は広場から南に続き、元荒川支流の一級河川・忍川にぶつかります。
道は川に向かって下ってゆき、高低差があるのがわかります。

堀切橋(埼玉県行田市)

そして堤は忍川に交差する形で、一旦途切れました。
川にはレトロな雰囲気をもつ、「堀切橋」と呼ばれる橋が架かります。

堀切橋(埼玉県行田市)

堀切橋は、親柱頂部に尖頭半球が施されているのが特徴的。
昭和8年(1933年)に竣工された橋で、土木学会選奨の土木遺産に指定されているとのこと。

さらに案内板の説明には続きがあり。。。、
この付近で石田堤が破堤したことが堀切橋の名の由来、とあるじゃないですか!

う~む、この忍川をせき止められなかったのですね。
堤の決壊は石田勢にダメージを与え、水攻め失敗の一因につながりました。

まさにここは歴史の現場ですなあ。

『石田堤史跡公園』 4つのゾーンは見どころ多い

鴻巣市側の遺構、石田堤史跡公園

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

堀切橋を越えた先にも石田堤の遺構が残っており、こちらは鴻巣市が整備をした「石田堤史跡公園」となっています。

公園は「シンボルモニュメントゾーン」「堤修復ゾーン」「堤跡保全ゾーン」「広場活用ゾーン」の4ゾーンで構成されています。
ちょっと人里離れた場所なんですが、歴史公園として案外きちんと整備されてるんですねぇ。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

旧吹上町は平成元年から用地購入の交渉をはじめ、平成8年度から3年かけて史跡公園として整備したそうです。(吹上町はその後、鴻巣市に編入。)

粘り強い取り組みで整備された公園なんですね。

「堤修復ゾーン」 石田堤の断面が見れる!?

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

公園整備と同時に発掘調査を実施。
堤の状態を確認しながら、保存修復がおこなわれたそうです。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

ちょっとマニアックな見学ポイントなんですが、「堤修復ゾーン」では堤の断面がガラス越しで公開されています。
(周囲が写り込んで、ちょっと見づらかったが。。。)

歴史好きにとっての「萌え断」、ってやつですねぇ。
断面は地層のようになっており、元々あった堤を固めながら、その上に盛土した過程が読み取れます。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

断面展示の上部は見晴らし台になってます。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

この先も南に向かって堤は続いています。
道の先には駐車場とトイレ施設があります。

「シンボルモニュメントゾーン」 豊臣秀吉の朱印状の紹介も

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

堤修復ゾーン向かいにある「シンボルモニュメントゾーン」は、野外ミュージアムみたいな雰囲気で楽しい。
ここは上越新幹線の高架下にあたり、こんなところに!って感じの場所なんですけどね。

中央の櫓の下に入ると、人感センサーで石田堤の解説音声が流れます。
急に音が出てちょっとびっくり(苦笑)。

俵のオブジェには、築堤作業時に人夫に支払われた賃金額が書かれているのが面白い。
昼は銭六十文+米一升、夜は銭百文+米一升だったそう。

夜間作業には、きちんと割増し料金が支払われていたようですね。
さすがは、財力のある秀吉軍ですな。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

水攻め関連の朱印状の紹介もあり、こちらも興味深い。

写真の朱印状は、豊臣秀吉が天正18年(1590年)6月20日に石田三成に宛てたもの。

内容は「水責の普請を油断なく行うように」「浅野弾正(長吉)・真田(昌幸か)の両者を遣わすのでよく相談するように」「普請ができたら使者を派遣して見にいかせる」などなど。

石田三成のみならず、有名どころの武将の出動もあった模様。
そして、結構せっつかれてた感も伝わってきます(苦笑)。

そもそも巨大な堤をつくり水攻をする戦略は、威厳を見せつけたかった秀吉の意向だった、ともいわれます。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

手前シンボルモニュメントゾーン、奥が堤修復ゾーン。

「堤跡保全ゾーン・広場活用ゾーン」

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

「広場活用ゾーン」「堤跡保全ゾーン」は、遺構の跡を残しつつ緑地公園に整備されています。
あずま屋風の休憩所がありました。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

中央部には木造の見張り場。
登って眺めると周囲の畑の景色が見えました。

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

見張り場には、周囲一帯の航空写真が埋め込まれています。

忍城の所在地や、石田三成軍が本陣を張った丸墓山古墳などの位置が示されていた。
一日時間をかけての関連スポットの散策や、サイクリングなんかも楽しそうですね。

そんな感じで、本日の石田堤散策を終えます。

石田堤史跡公園の詳細・アクセス方法

石田堤史跡公園

住所:埼玉県鴻巣市袋326-1(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・JR高崎線「北鴻巣駅」東口から鴻巣市コミュニティバス フラワー号乗車で5分、吹上コース「袋」バス停下車徒歩5分
・JR高崎線「吹上駅」北口から鴻巣市コミュニティバス フラワー号乗車で15分、「袋」バス停下車徒歩5分
・JR高崎線「吹上駅」東口から徒歩で約30分(約2.3km)
・JR高崎線「北鴻巣駅」東口から徒歩で約35分(約2.5km)
車)
・駐車場あり

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石田堤を歩いてみませんか?

石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市)

石田堤の遺構を紹介しましたが、いかがでしたか?

城の周りに堤を造りそこに水を流す、そんな大掛かりな作戦をホントにやったんだな、って実際の遺構を見て改めて驚きましたね。

堤の断面を見たりとか、いささかマニアックな歴史スポットではありましたが(苦笑)、
忍城址と併せて立ち寄ってみると、興味深く楽しめるスポットだと思いますよ。

石田堤に出かけてみませんか?

記事の訪問日:2021/10/24

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