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「小田原城址公園」を歴史散歩!天守閣から絶景を楽しむ【神奈川・小田原市】

「小田原城址公園」を歴史散歩!天守閣から絶景を楽しむ【神奈川・小田原市】

神奈川県小田原市「小田原城址公園」には、復元された天守閣や渡櫓門が威風堂々と構えており、かつての巨大城郭の跡が楽しめます。

そんな小田原城址公園を、城の歴史や江戸時代に造られた防御の仕組みなどを、わかりやすく紹介しながら歴史散歩します。

天守閣展望台からの絶景も紹介しますよ!

『北条氏政・氏照の墓所』

小田原 北条氏政・氏照の墓所

いきなり寄り道ですが、小田原城址公園に向かう途中、小田原駅からもほど近い「北条氏政・氏照の墓所」に立ち寄りました。

北条氏政は、北条氏の4代目の小田原城領主。氏照は氏政の弟で、八王子城など5つの支城の城主でした。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城は落城。5代領主・氏直は高野山に追放され、父・氏政とその弟・氏照は城下で自刃しました。

小田原 北条氏政・氏照の墓所

こちらはその北条氏政・氏照の墓所といわれています。

  • ・五輪塔:右)氏政夫人の墓、中央)氏政の墓、左)氏照の墓
  • ・生害石:五輪塔前にある平たい石の上で氏政・氏照が自刃したと伝わる
  • ・笠塔婆型墓碑:左手の墓碑、氏政と氏照の戒名が刻まれています

合掌。 城址公園以外の街中にも、小田原城の関連スポットは多くありそうです。

北条氏政・氏照の墓所
住所:神奈川県小田原市栄町2丁目7-8(GoogleMapで開く

『小田原城城址公園』

小田原城の概要

隅櫓

小田原城は、室町時代に大森氏が築城したのが始まりとされます。

戦国時代の16世紀初めに戦国大名・伊勢宗瑞(そうずい)(北条早雲)の進出により、小田原北条氏の居城となります。

小田原城は小田原北条氏5代に渡り関東支配の拠点として続き、次第に拡張されてゆきます 。

北条早雲について: 姓を伊勢から北条に改称したのは早雲の死後、嫡男・氏綱の代になってから。だが、後世では一般に北条早雲の名で知られる。
小田原北条氏について:本来の氏は北条。鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏と区別するため「小田原北条氏」「後北条氏」と呼ばれることが多い。

1590年(天正18年)、天下統一の総仕上げに位置付けた豊臣秀吉軍との「小田原合戦」は歴史上良く知られますね。

小田原北条氏の戦力約3万4千騎に対して、秀吉軍は21万騎といわれる大軍で侵攻。秀吉は小田原城を開城させ、小田原北条氏を大名として滅亡させました。

小田原北条氏は合戦に備え、掘と土塁で城下までを囲郭した周囲9kmに及ぶ総構(そうがまえ)を構築しました。

この大規模な総構えが小田原城の大きな特徴で、これにより城址公園以外の市内にも多くの遺構が残っている様です。

<<築城から廃城までの概略年表>> *現地の説明看板による
  • ■大森氏時代
  • 1417年(応永24年):鎌倉公方・足利持氏が大森氏に小田原を与える
  • ■北条氏時代
  • 1500年(明応9年):伊勢宗瑞(北条早雲)、この頃までに小田原に進出
  • 1561年(永禄4年):長尾景虎(上杉謙信)、小田原城を攻め城下に放火
  • 1569年(永禄12年):武田信玄、小田原城を攻め城下に放火
  • 1590年(天正18年):豊臣秀吉、小田原に侵攻、北条氏直、総構で大軍を防ぎ、長期戦の末に開城。
    その後、徳川家康の家臣、大久保忠世が入城
  • ■北条氏滅亡後
  • 1614年(慶長19年):大久保忠隣改易、小田原城破却
  • 1619年(元和5年):阿部正次が入城
  • 1632年(寛永9年):稲葉正勝が入城、近代化工事が進められる
  • 1633年(寛永10年):寛永地震により、小田原城、城下町に甚大な被害
  • 1675年(延宝3年):この頃、稲葉正則による小田原城近世化の改修が完了する。
  • 1686年(貞享3年):大久保忠朝(忠隣の子孫)が入城
  • 1703年(元禄16年):元禄地震により、天守など崩壊・焼失
  • 1706年(宝永3年):天守再建
  • 1870年(明治3年):小田原城廃城、天守など売却され、解体される

小田原北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣が城主となり城の近代化が進められました。

小田原城址公園について

小田原城址公園

かつての小田原城の本丸・二の丸だった一帯が、城址公園として整備されています。

園内は外観復元された天守閣や門を中心に、江戸時代末期の小田原城城郭が再現されています。城跡は国指定史跡です。

公園内にはこども遊園地もあり、また、季節の花が楽しめるなど市民の憩いの場となっています。特に城と桜が美しい景色を織りなす、桜の名所として人気です。

天守閣などの一部施設は有料ですが、入園自体は無料。

歴史が詰まった公園を、気軽なお散歩コースにできる地元の方々が羨ましいですねえ。

「学橋・馬出門」 枡形の正面口

小田原城址公園 学橋
学橋

駅から徒歩で公園正面口に向かうと、堀とともに雰囲気のある「学橋(まなびばし)」が見えてきます。

城址公園のシンボルの一つとして親しまれる橋ですが、元々は城址公園内にあった小学校への通学橋だったそうですよ~。 昭和に造られた橋です。

小田原城址公園 馬出門
馬出門

こちらが城址公園の正面入口にあたる「馬出門 (うまだしもん)」です。

二の丸正面に位置してるので、防御的に重要な位置付けの門ですね!

ちなみに、本来の城郭の正門・大手門跡は、城址公園の北東の街中にあります。

小田原城址公園 馬出門

発掘調査を元に、石垣及び門と土塀が平成に復元されたそうです。

小田原城址公園 馬出門

ということで、早速敵方になったつもりで、馬出門から勢いよく攻め込んでみます!すると。。。前方行き止まりだ!

しかも、正面の塀には狭間と呼ばれる小窓があり、内側から鉄砲や矢で狙い撃ちになります!

小田原城址公園 馬出門

門の内側から振り返ったところ。

左手の門が入城した馬出門で、右手が城内に繋がる内冠木門(うちかぶきもん)。内冠木門に向かう前に、既に横からも狙われてましたなあ。。。

ここは2の門と周囲の土塀で、四角く囲んだ枡形で固めたられたエリアとなっています。

枡形は侵入者の前方からも脇からも狙い撃ちできる防御の造り。この先々の門においても、この枡形が取り入れられています。

「馬屋曲輪」 馬屋と大腰掛

小田原城址公園 銅門

馬出門を抜けると、二の丸へ抜ける住吉橋と銅門(あかがねもん)が視界に入ってきます。

早速、城郭らしい雰囲気の景色ですね~。

銅門へは「馬屋曲輪(くるわ)」を抜けて向かいます。

小田原城址公園 馬屋曲輪

「馬屋曲輪」全景。

曲輪というのは城郭における区分・区画を指します。

地面がL字型に仕切られている場所に、馬屋の他「大腰掛」という建物がありました。

大腰掛は登城者の待機所。寛永11年(1634年)、徳川将軍・家光公が上洛の際、小田原城を宿所にしたのに合わせて整備された施設とされます。

丸型の箇所は「切石敷井戸跡」。溶結凝灰岩の切石で装飾されている、洒落た井戸跡でした。
小田原城址公園 馬屋曲輪

馬屋曲輪の南東隅にある「二重櫓(やぐら)の櫓台跡」。

寛永20年(1643年)に、ここに2階建ての二重櫓が建てられました。

櫓は元禄16年(1703年)の地震で倒壊。その後再建されましたが、明治時代に取り壊され櫓台も埋め立てられたそうです。

平成21年(2009年)・平成22年(2010年)の発掘調査において、埋め立てられた櫓台石垣が現れました。

新たに石を補填して積み直しの復元がされています。
小田原城址公園 馬屋曲輪

城址公園正面から馬屋曲輪にかけて残っている堀は、現存の水堀のようですよ。

「住吉橋・銅門」 二の丸の入口

小田原城址公園 銅門

この住吉橋を渡り「銅門(あかがねもん)」を抜けると、二の丸に入ります

小田原城の造りは「梯郭式平山城」と呼ばれます。

本丸を隅に置き、本丸を二の丸が、二の丸を三の丸が包み込む様な配置になっています。

*三の丸だった場所は、現在は城址公園の外の市街地。

小田原城址公園 銅門

では銅門を抜けて二の丸へ向かいます。橋の先の一の門は内仕切門(うちじきりもん)と呼ばれます。

ちなみに、橋が架かる住吉堀からは、小田原北条氏による「障子堀」(堀底に土を堀り残し障壁とする堀)が見つかっているそうです。

さらに、江戸時代初期の「障子堀」や、自然石を使った野面(のづら)積みの石垣などが発見されてます。

隠れた部分にも、歴史が埋まっているんですね~。その辺も何とか見学できるようにならんものかなあ。。。

小田原城址公園 銅門

内仕切門を抜けると、ここも勿論枡形門の構造となっています。

高い位置から鉄砲が狙ってそうですねえ~。

小田原城址公園 銅門

左手に向き直ると、二の丸の表門にあたる渡櫓門(わたりやぐらもん)がドーンと構えています。

渡櫓門は、左右の石垣に跨った櫓を載せた門です。

右手に狭間がある長~い石塀が続いているのが、これまたイヤラシイ造り。

小田原城址公園 銅門

門に使われている金属の錆が、独特の風合いを出していますねえ。

扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門の名が付いてます。

小田原城址公園 銅門

梁の木材には、ちょっと変わった感じの模様が付いていますね?

「銅門の内部見学」 曜日限定にて

小田原城址公園 銅門

で、銅門は土・日曜日・祝日には、普段立ち入りできない櫓内部の特別公開が行われてました。

おお~、これはラッキー。

小田原城址公園 銅門

中は結構広いですねー。

小田原城址公園 銅門

ここは「石落とし」の攻めをおこなう場所だそうな。

小田原城址公園 銅門

こちらで小田原北条氏や家臣達に混じって、小田原評定(ひょうじょう)の一員として記念写真が撮れます。楽しいですな~。

ちなみに現代では「いつまでも結論が出ない会議や話し合いのたとえ」として、小田原評定という言い回しが使われるそうだ。

小田原合戦においては、内部の意見も煮詰まっていた様ですねえ。

小田原城址公園 銅門

そして、気になった梁の独特の模様の秘密は、こちらにありました。

当時はこの手斧(ちょうな)で表面を削ったはず。工法を再現するとこの様な模様になる、ということでした。

史実を尊重して、丁寧に復元されている点に感心します。

「二の丸跡」 銅門礎石展示

小田原城址公園 二の丸

広々とした空間、「二の丸広場」。

小田原城址公園 二の丸
銅門に用いられていたとされる「銅門礎石」が、野外展示されてました。

地中に埋め、中央のホゾ穴に柱材を入れて門を固定させます。箱根外輪山の安山岩製で、手前の石は約1.6トン、奥の石は約1.8トンあるそうです。

側面には、石を削った跡がリアルに残ってますね!

小田原城址公園 二の丸

こちらは銅門の復元に際し、事前に製作された土塀の模型の展示。

土塀の構造を知るのに貴重な資料。

小田原城址公園 二の丸

「小田原城NINJA館(歴史見聞館)」は映像や展示を通じて、北条五代の歴史と風魔忍者について学べる有料施設です。

デジタル技術も活用された参加・体験型の展示で、楽しく歴史が学べるようですよ!

「本丸東堀と常盤木門」 本丸入口

小田原城址公園 本丸東堀

かつての本丸周囲は水堀で囲まれていました

こちらの堀は「本丸東堀」と呼ばれ、二の丸側と本丸側は「常盤木橋」という木橋でつながっていました。

オリジナルの常盤木橋は、残念ながら関東大震災で土台の石垣ごと崩れて焼失したそうです。

小田原城址公園 本丸東堀

幅20m以上の規模を持っていたかつての本丸東堀には、現在は花菖蒲園があります。

6月開催の「小田原城あじさい花菖蒲まつり」では、約1万株の花菖蒲と約2,500株のあじさいが鑑賞できるそうですよ!

常盤木橋をバックに映えそうですね~。

小田原城址公園 常盤木門

橋を渡って石段を登り、本丸入口の常盤木門(ときわぎもん)に向かいます。

小田原城址公園 常盤木門

おや、忍びの者?

園内では「甲冑着付け体験」の有料サービスがあるので、たぶんそれかと。

小田原城址公園 常盤木門
常盤木門

本丸の正門にあたる「常盤木門」は、城内で最も大きく堅固に造られていた門です。

昭和46年(1971年)の市制30周年事業として、この巨大な門が再建されました。

小田原城址公園 常盤木門

常盤木門の名の由来は、そばにあった松から付けられたといわれます。

永久に枯れない緑の様にありたい、そんな思いが込められているようです。

小田原城址公園 常盤木門

ところで、常盤木門の石垣には「矢穴」と呼ばれる、石を割る為に開ける穴がありました。

元々石垣に使われていた石なのか?はたまた、城マニアを唸らせるためのリアルな演出の復元なのか?チト分かりませんでした。

「本丸と天守閣」 城の中心部

小田原城址公園 本丸

常盤木門を抜けると、城郭の中心部である本丸エリアに入ります。

奥手には小田原城址公園のシンボル・天守閣がドド~ンとそびえます。

本丸の広さは東西約150m・南北約114m程の広さ。中央の広場になってる部分には当時、本丸御殿が建っていたそうです。

小田原城址公園 天守閣

かつての小田原城天守閣は、外観三重・内部四階の天守櫓と付櫓・続櫓で構成されていました。(現在の復元天守閣は、外観三重・内部五階)

小田原城の天守閣は3回建てられているそうです。

  • 天守閣建築履歴
  • 慶長年間(1596年~1615年)に築かれた望楼型天守
  • 寛永10年(1633年)の寛永小田原大地震後に復興された、層塔型天守が2代目
  • 宝永2年(1705年)に再興された層塔型天守が3代目

最後は明治時代に解体されています。

小田原城址公園 天守閣

現在の天守閣は、宝永年間に再建された際の天守閣を、図や模型を参考にして外観復元したものです。

昭和35年(1960年)に、鉄筋コンクリート造りで復興されています。

小田原城址公園 天守閣

天守の石段からの高さは27.2mで、全国7番目の高さを誇るそうですよ!

屋根にはシャチホコが見えますね。

小田原城址公園 天守閣

天守閣へは有料で入館できます。

江戸時代や戦国時代に遡っての資料が、実物やレプリカによって展示されています。

展示物は写真撮影禁止なので、館内の雰囲気だけアップ。

小田原城址公園 天守閣

そしてそして、やはり楽しみなのが展望階からの眺望ですね!

城址公園の南側・正面入口方面。背景には相模湾が広がります。風光明媚で素晴らしい景色ですよ~。

かつての城主達も「絶景じゃ~」と言って、ここからの風景を楽しまれたことでしょう。

小田原城址公園 天守閣

南西方向の景色。かつて豊臣秀吉が小田原合戦の際に築かせた、伝説の「石垣山一夜城」がある方角です。

写真中央に送電線の鉄塔がありますよね?その塔上が掛かる後方の山が、一夜城があった笠懸山です。

「石垣山一夜城」は小田原合戦の本陣として、豊臣秀吉が築かせた総石垣の城。

小田原城からは見えないように城を築き、完成後に周囲の木を伐採。一夜のうちに城を築いたように見せたといわれます。

これにより、北条氏側の戦意喪失をさせる効果があったと言われます。

さすが後の天下人、技ありの一本ですな。

御城印の紹介

小田原城址公園 御城印

御城印を天守閣にて購入。左のものは季節限定の御城印です。

小田原城の基本情報・アクセス

小田原城址公園公式ページ
住所:神奈川県小田原市城内(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・「小田原駅」から徒歩10分
車)
・小田原厚木道路「荻窪IC」から約10分
・西湘バイパス「小田原IC」から約5分
・東名高速道路「大井松田IC」から約40分
・公園には、一般駐車場は無し。周辺の有料駐車場を利用のこと。
■天守閣について
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:12月第2水曜日(館内整理のため)、12月31日〜1月1日

『ミナカ小田原と北条早雲公像』

ミナカ小田原

実は、本日はいつ雨が降ってもおかしくない雲行き。昼過ぎに振り出した雨の中、駅チカのこちらに逃げ込んで、昼メシとしました。

「ミナカ小田原」は、2020年に小田原駅東口に隣接してできた新しい複合施設。

高層フロアには駅直結のシティホテルを設置。こちら江戸情緒薫る「小田原新城下町」ではフード・飲食を中心に、多くの店舗が入っています。

ミナカ小田原

小田原来たからにはやっぱ魚だねっ!てことで、フードコートでお刺身定食を頂きました。「地魚や 与一」というお店でした。

フードコートねえ、とちょっと侮ってましたが結構良かった!お刺身もなかなかだが、なんといってもアジフライがホクホクで旨かったこと!

小田原駅前 北条早雲公の像

帰りに、忘れちゃいけない!西口ロータリーの北条早雲公の像にご挨拶。

雨の中、早雲公の表情もちょっと厳しい表情に見えましたが。。。

ミナカ小田原公式ページ
住所:神奈川県小田原市栄町1丁目1番15号(GoogleMapで開く

出かけてみませんか?

小田原城址公園の歴史や見どころを紹介しましたが、いかがでしたか?

城好き・歴史好きが楽しめるのはもちろんのこと、家族連れや幅広い世代の方々が楽しめる公園で、さすが小田原を代表する観光地!という感じでした。

小田原城の総構えとして見ると、城址公園は城跡の一角。今度は街中の遺構を見て歩いてみたいです!

小田原城址公園に出かけてみませんか?

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幕末~明治の初めにはまだ素晴らしい城が沢山残っていたことを知ることができる貴重な古写真集。小田原城などの新発見の写真も掲載されている。
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【記事の訪問日:2022/4/29】
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