東京、かつての江戸には江戸城がありました。
城の一部は現在皇居になっていますが、実は旧江戸城の敷地はそれにとどまりません。
城の中心部を囲むように、大名屋敷や町人街が配置されていました。
さらにその城下町全体を、広大な外堀が取り囲んでいたんですね!
よく探してみると、案外その外堀や城門の遺構が残っています。
外堀築造の歴史をたどりつつ、飯田橋・市ヶ谷・四ツ谷周辺の外堀跡を探訪します。
目次
「江戸城」の外堀跡をめぐる散策
かつての江戸城は、日本最大級の敷地面積を持つ城郭でした。
本丸などがあった中心エリアは、現在はご存じの通りお堀(内堀)に囲まれた皇居になっています。
江戸時代はさらにその外側のエリアに大名屋敷や町人街などを配置し、城下町の外側には外堀がめぐらされた。
江戸城は城と町が一体化した「総構(そうがまえ)」と呼ばれる造りで、その外郭周囲は約15.8kmにおよびました。
それは、現在の千代田区と中央区が丸々入ってしまう広大なものでした。
外堀にあった城門などは、都市化に伴いほとんど消失しています。
ですが探してみると、当時の様子を残す遺構も案外色々とあったんです!
旧江戸城外堀の面影を求め、飯田橋・市ヶ谷・四ツ谷駅周辺を探訪しました。
「牛込門」の門台の石垣が見事に残る
飯田橋駅ホーム下に眠る「牛込見附」の遺構
JR飯田橋駅からスタートしてみることにしました。
到着ホームで、さっそく江戸城外堀に関する解説板を発見!
へぇ、ホームにねえ。意識しないと気づかないもんですね。
飯田橋駅周辺には、かつて「牛込見附」があったそうだ。
見附とは、番兵を置いた見張り施設のこと。
牛込見附は、牛込濠と飯田濠と呼ばれる2つの堀の間に位置していた。
そして、牛込濠の水をせき止める土橋と、水位を調整する堰が設けられていたそうだ。
平成29年(2017年)の飯田橋駅ホーム移設工事において、堰の一部とされる石敷(いしじき)が発掘されている。
その石敷は、今もこのホームの下に眠っているとのことです。
さらに、ホームから線路沿いの石垣も見えておりました!
都内の街中に、こんなにしっかりと遺構が残っているとは。
スタートからちょっと驚きだ。
三代将軍 徳川家光の命で造られた「江戸城外堀」
飯田橋駅西口駅前には、江戸城外堀に関する説明板が随分たくさんあったんですね!
何やら石まで陳列されてます。
思えば西口に降りたことがなかったので、ここでも軽くビックリだわ。
「江戸城外堀跡 散策案内図」なんて、願ったりの地図が。
こちらで外堀概要についておさらい。
江戸城外堀は、現千代田区の雉子橋(きじばし)門から時計回りに、一橋門・神田橋門・常盤橋門などの諸門をめぐる。
そして、呉服橋門から虎ノ門、溜池から四谷門・市谷門・牛込門をへて、現在の神田川に入る。
さらに、小石川門から浅草門をへて隅田川に至ったのが、堀の全貌なんだそうだ。
最後は海につながっていたのですね。
- 外堀工事の概要
- 慶長11年(1606年):雉子橋から溜池までの堀を構築。
- 元和4年(1618年):駿河台を掘削し平川(現日本橋川)の流路に付け替えられ、神田川が誕生。
平川は橋で締め切られ独立した堀となる。
- 寛永13年(1636年):三代将軍徳川家光の命で天下普請(てんかぶしん)により外堀を構築。江戸の総構が完成。
飲料水確保のために、海水逆流をおさえる工夫や洪水対策なども実施。
江戸時代には、現代にも通じるような治水対策がおこなわれてようだ。
「牛込門」 枡形門を構成した石垣が残る
駅前にある牛込橋は、牛込濠と飯田濠の境目に架かる橋。
草に覆われ分かりづらいですが、橋向こうの両脇に「牛込門」の石垣が綺麗に残っています。
石垣を横側から。
当時ここは見附と呼ばれる防御施設で、石垣には高麗門が架かっていました。
門を入った先には石垣で四角く囲った空間があり、その右手に城内に通じる渡櫓門がありました。
これは枡形門と呼ばれる形状です。
侵入した敵が勢いをつけて城内に侵入できぬよう形成された、防御の仕組みでした。
道路を隔てた駅の反対側の石垣は、結構近くで見れて迫力があります。
人通りも多い都心の街中で、こんな立派な江戸時代の石垣に出会えるんですね!
門台角の隅石(すみいし)は、直方体に加工した石を、短辺と長辺が一段ずつ交互になるよう組み上げられています。
これは算木積み(さんぎづみ)と呼ばれます。
黄色っぽい巨石は、瀬戸内産の花崗岩だと思われます。
中央部は、石の角や面をある程度平たく整形して積み上げています。
石同士の隙間には、間詰石(あいづめいし)と呼ばれる小石が打ち込まれています。
これらは打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)と呼ばれる積み方になります。
石の隙間が少なくなると安定性がでるほか、よじ登りづらくなるという効果が得られるんですね。
近くの交番の脇には、こちらの石垣石の展示が。
これは門の基礎として、地中に設置されていたものなんだそう。
「阿波守内(あわのかみうち)銘の石垣石」と呼ばれるとおり、阿波徳島藩の藩主・蜂須賀忠英(はちすかただてる)による築造を裏付ける銘記がある石です。
普請した藩の印を石にマーキングするのは良く聞きますが、名前を彫っちゃうパターンもあるのですねえ。
『牛込濠・新見附濠』 かつての土塁は外濠公園に
牛込橋から南側の牛込濠を望む。
市ヶ谷方面に向かい、この濠沿いを歩いてみます。
牛込濠の外側を通る外堀通り側から。
JR中央線・総武線の線路って、あんがい外堀のキワに敷設されてるんですね。
その上には綺麗に土塁が残っています。
このあたりの車窓の景色は、外堀見学の特等席だったんだな。
飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間に位置する、「新見附橋(しんみつけばし)」から飯田橋方面を望む。
新見附橋は明治に造られた橋で、江戸時代にはなかった。
架橋により堀は分断され、牛込橋寄りは牛込濠、市ヶ谷橋寄りは新見附濠と呼ばれるようになります。
新見附橋のたもとには、法政大学の市ヶ谷キャンパスの入口があります。
ここからは堀の内側を進んでみます。
堀沿いに続く土塁跡は、「外濠公園」の名の遊歩道として整備されていました。
木陰があり、暑い日はこちらが歩きやすいですね。
堀を眺めつつ歩るきたいなら、外堀通りの方が視界が開けて見やすいかな。
やがて新見附濠の終点にあたる、JR市ヶ谷駅が見えてきます。
「市ヶ谷門跡周辺」 江戸城には三十六の見附があった
「市ヶ谷門」石垣石の展示
外濠公園の終点には「市ヶ谷門跡」の説明板と、橋台の一部だった石垣石が置かれていた。
この門も枡形門でした。
江戸城三十六見附といわれ、江戸城に置かれた主要な見張り番所は36か所あったといわれます。
馬込見附や、市ヶ谷門があったここ、市ヶ谷見附もその一つに数えられます。
門の石垣は明治時代に撤去されたそう。
市ヶ谷門は寛永13年(1636年)に、現岡山県の美作津山(みまさかつやま)藩藩主・森長継(もりながつぐ)によって築造されたそうです。
「市ヶ谷橋」 隠れた石垣遺構を見逃すな!
市ヶ谷橋は、市ヶ谷門に向かって掛かっていた橋。
現在の橋は、昭和初期に架設されたコンクリート製のもの。
この辺には、江戸城の遺構的なものはなさそう。。。
と思いきや、実はこの橋の下には、かつて土橋を支えていた石垣が今も残っているんですね!
だいぶ草に覆われてますなあ。
確認しづらいですが、石垣はこんな感じ。
う~む、まさに隠れた遺構ですな。
ここは昔からある、市ヶ谷フィッシュセンターという釣り堀の駐車場。
釣り堀って、オジサンがポツンポツンといるイメージでしたが。
結構出入りが多く、家族連れも多い。
レジャースポットとして人気のほどがうかがえました。
認識不足で失礼しました!
市ヶ谷橋の西側は、市ヶ谷濠と呼ばれます。
堀幅は次第に細くなり、その先は埋め立てられていました。
JR市ヶ谷駅のホームも、あらためて見ると市ヶ谷濠の水面にかなり近いですね。
「江戸歴史散歩コーナー」 駅構内に石垣出現!?
そして、市ヶ谷で是非立ち寄りたい歴史スポットが、実は地下にあったりします。
地下鉄南北線・市ヶ谷駅の構内の、ミニ博物館的な「江戸歴史散歩コーナー」です。
「見学したいんですが。。。」と駅員さんに尋ねたら、切符なしで見学させて頂けました。ありがたい!
おおー、地下鉄構内にこんな大掛かりな展示施設があるなんて、驚き!
石垣はあたかも、この地下で出土されたような雰囲気ですが復元です。
実際に出土された石材を使い、打込接による石積みが再現されています。
奥に長い形状の石が積まれているんですね、なるほど。
裏側の構造が見れるのも貴重。
飼石(かいいし)・裏込(うらぐり)と呼ばれる小さな石により、水捌けを良くする工夫がされています。
水が溜まっちゃうと、石垣は崩れやすくなるんですって。
石を割る工程の説明があります。
- ■ 割りやすいように、石の目にそって石切ノミで矢穴を掘る。
- ■ 矢穴に矢と呼ばれる楔(くさび)と、その両側にせりがねと呼ばれる薄い鉄板を差し込む。玄翁(げんのう)で矢を叩いて割る。
なるほどね。
ここはパネルによる情報も豊富で、思わず見入ってしまう。
外堀を普請した大名の配置図や、発掘により見つかった江戸時代の地震の痕跡などが興味深かった。
「四谷駅は真田濠の堀底にある!?」
上田藩主・真田信之築造の「真田濠」
最後に四ツ谷駅にやって来ました。
飯田橋駅から2駅分歩きましたが、2km強なんで散策には程良い距離ですよ!
写真の奥手は四ツ谷駅の赤坂口で、手前にホームがあるが、駅が谷底にあるのが分かりますよね。
ここは外堀の一つ、「真田濠」を埋め立てて造られています。
真田濠は上田藩主・真田信之らにより開削された外堀です。
堀跡は、現在は北半分が四ッ谷駅、南半分が上智大学のグラウンドの敷地になっています。
「四谷門」は甲州街道沿いの要所
駅の北口にまわると、目に入ってくるのが「四谷門枡形石垣」。
おー、ここにも巨大な遺構が残っていますね!
甲州街道沿いにあった四谷門は、町人や物資が行き交う交通の要所の一つだったそうです。
石垣の奥は、土塁の跡が遊歩道として整備されて残っています。
駅の北口脇には、四谷門石垣の角部を構成していた石材が陳列されていました。
江戸城外堀は、 堀や土塁を佐竹家や上杉家など東国大名が築造。
石垣を毛利家・森家・蜂須賀家など、西国大名が分担して築きました。
石垣を担当した肥後国熊本藩・細川家では、寛永13年(1636年)の外堀普請では計13,452石を運び出したそうです。
海を渡って、もの凄い数の石が運ばれてきたのですね。
本日は諸国大名が苦労して運んできた、石垣を沢山見れて良かったです。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
石垣の時期ごとの加工方法や積み方の特徴、そして各曲輪の石垣の丁寧な解説あり。
読めば、さらに興味深く江戸城跡歩きができますね。
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記事の訪問日:2022/5/3
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