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思い立ったら気軽に旧江戸城跡の見学ができる「皇居東御苑」を紹介します。
皇居は周囲からでも内堀や石垣が見え、城跡の面影を感じますよね。
でも皇居内に入ると、江戸時代の番所建物を始め、門跡の石垣、そして巨大な天守台跡などの遺構がさらに残っているんですよ!
そんな皇居内の江戸城跡を、城の歴史を振り返りながら探訪。
自然が楽しめる都心の憩いの場としても、オススメのスポットですよ。
『皇居・東御苑見学』 大手門から入城!
今まで皇居内の見学ってしたこと無かったんですが、日本一大きいとされる旧江戸城跡の一部だよなあ、なんて考えていたら無性に見学がしたくなってきまして。
それでもって見学の方法を調べてみたんですね。
新年などの一般参賀は良く知られますよね。
その他に事前予約による定員制の参観コースがあった。
そして。。。、その他にも予約不要&定員無しで見学できるエリアがありました。これだ!
ということで、今回は気軽に見学できる「皇居東御苑」で、旧江戸城探索をしてきたので紹介します。
「皇居と旧江戸城」 巨大な規模の城

東京の中心部に位置する皇居は、江戸時代には徳川将軍の居城・江戸城でした。
明治時代以降の現在は、ご存じの通り天皇・皇后両陛下の住居です。
皇居は城の中心部だった本丸などがあったエリアで、周囲は水を蓄えた内堀に囲まれています。
皇居の総面積は約115万m2で、東京ドーム約25個分の広さ。
そして、皇居と皇居外苑を含む内堀エリアの周囲は約7.8kmで、面積は約230万m2と更に広大!
ちなみに大阪城と比較してみると、大阪城公園の面積は約106万m2で、 皇居+皇居外苑はその2倍以上の広さがあるということになります。
そして、江戸城の大きな特徴の一つが、町全体で城郭を構成する総構(そうがまえ)という造り。
内堀の外側には大名屋敷や町人街などがありましたが、更にその外側に外堀が造られたんですね。
その外周は約15.8kmで、これは現在の中央区と千代田区が丸々入ってしまう広さ。
そう聞くと、江戸城がいかにデカい城だったか実感できますねえ。
「正面入口の大手門」 二重櫓が出迎え

本日は東京駅丸の内口から皇居に向かいました。
真っすぐ進むとやがて桔梗濠が見え、向こう側に「二重(やぐら)」が現れます。
かつての江戸城には、主要な櫓が20棟あったそう。
現在では、この二重櫓と富士見櫓・伏見櫓の3棟のみが残ります。

桔梗濠に沿って歩くと、本日の見学コースのスタート地点の「大手門」に到着。
皇居東御苑の見学は、大手門・北桔橋門・平川門の3か所から入退場できます。
なかでも東京駅側に面した大手門は、旧江戸城の正面にもあたるのでポピュラーな入場口ですね。

大手門前には東御苑の案内図がありますが、これは皇居全体の一部です。
一般参賀で入場できる長和殿(ちょうわでん)や宮内庁は、東御苑の南西側にあります。(地図のさらに左上)。
また、天皇・皇后両陛下が住まわれている御所は更に西の吹上地区にあり、一般人は入場できません。

さて列に並んで入城です。
江戸時代には多くの諸大名も、ここ大手門から登城したんだよなあ~、なんて思いながら順番待ち。
持ち物検査を受けた後、高麗門をくぐって入場です。

高麗門を抜けて進むと、右手にどっしりと巨大な「大手渡櫓門(わたりやぐらもん)」が現れます。
現在の大手渡櫓門は、昭和42年(1967年)に復元されました。
門は入城して直進した位置に、素直には設置されていません。
これは侵入した敵が勢いを付けたまま直進できぬよう、横向きに入口を設けられた”枡形門”と呼ばれる防御の手法なんですね。

大手渡櫓門は昭和20年(1445年)の戦火で焼失してます。
その際、屋根に飾られていた明暦3年(1657年)製の鯱(しゃち)が残り、門前に展示されてます。
鯱は、姿は魚で頭は虎(または竜)という空想上の動物。
織田信長が安土城に造ったのが始まり、といわれてますねえ。
『三の丸』
「三の丸尚蔵館」

大手門を抜けると「三の丸」に入ります。
大手休憩所があるので、順路を確認してから見学をスタートすると良いですね。
城内は広いので。
見学順路としては、城の中心部の本丸に直接向かうか、二の丸を経由して本丸に向かうか、大まかにどちらかだと思います。
休憩所向かいの「三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)」では、皇室で継承されてきた貴重な美術・工芸品が保存・公開されています。
「同心番所」 御三家以外は下乗

では城内見学をスタート。
まずは本丸に向かいます。
先へ進むと、大手三の門を警固する「同心番所」が現れます。
同心は幕府の下級武士のことで、番所は当時の警備詰所のことです。
建物は江戸時代後期のものが復元されています。
かつてはここに門があり、御三家(尾張・紀伊・水戸藩)をのぞくすべての大名・役人は、乗り物からの下乗(げじょう)が命じられました。
そのため、門は下乗門とも呼ばれました。
ちなみに。。。大名が江戸城を訪問した際、馬から降りるこちら下馬先(げばさき)で主人を待っている者達が噂話や世評の会話をしました。
これが”下馬評”という言葉の語源だそうなんですよ。
江戸城のプチ・トリビアでした。
『番所や門による本丸入口の防御』
「百人番所」 枡形門内の検問所

「大手三の門跡」を抜けて行くと、いくつもの巨大な石垣がど~んと待ち構える広場が現れます。
苑内の事前イメージを持たない状態での訪問でしたが、結構城郭の遺構が残っているんですね!
驚きました。
この広場も枡形門になっています。

広場に入ると、入口の石垣に隠れるように配置されていた、異常に長~い建物「百人番所」が現れます。
百人番所は本丸御殿入口の最大の検問所で、江戸時代の貴重な遺構です。
ここの警備は、徳川家と縁故のある甲賀組・伊賀組・根来(ねごろ)組・二十五騎組による精鋭チームの担当。
昼夜交代で与力(よりき)20騎と、同心100人が配置されたそうです。
*与力は同心のまとめ役で、馬に乗ることが許されていました。
数も馬と共に騎で数えられます。
「中之門跡と大番所」 天下普請の石垣

こちらは本丸入口にあたる「中之門跡」です。
入場する大名を威圧させるために、城内でも最大級の巨石が使われており迫力があります!
使用されている石は、1個あたり35トン前後だそうだ(重っ~)。
重機など無い時代の作業の苦労は、想像に難しくないですなあ。

中之門跡の手前には、石垣修復の際に入れ替えで外した石の展示があった。
こちらの黒っぽい石は、伊豆半島産の安山岩だそうだ。

一方、こちらの白っぽい石は瀬戸内産の花崗岩で、小豆島などから遠路運ばれてきたもの。
江戸城の築城工事は、全国の大名に作業を割り振りして手伝わせる”天下普請(てんかぶしん)”により築かれています。
遠方からの巨石調達を担当した大名は大変だったろうなあ。。。

中之門跡を抜けると、再び検問所である「大番所」。
こちらには位の高い与力・同心が詰めていたそう。

坂の途中にある「中雀門(ちゅうじゃくもん)跡」を抜けて上り切ると、本丸に到着です。
『本丸』 天守台が残る中心部
「巨大な天守台跡」 天守の歴史紹介も

旧江戸城の中心部で、城内では最も広い「本丸」に到着。
敷地面積は約12万m2(約4万坪)。
広々とした空間には、かつて御殿が建ち並んでいました。
芝に寝そべってる人も見えますが(笑)、シートを広げてのランチタイムもOKです。
ちなみに皇居内には食堂施設はありません。
東京駅の駅ナカで美味そうな弁当でも物色してここで食べればよかったなあ、なんてちょっと思いましたわ。

本丸御殿エリアを進んで行くと、北側に天守台が現れてきました。
おお~、存在感あるなあ。
やはり天守台跡は、旧江戸城の最大の見どころになりますね!

旧江戸城の築城は初代徳川将軍・家康に始まり、秀忠・家光までの3代に渡る天下普請により完成されます。
天守もそれぞれの時代に3度建築されているんですよ。
- 江戸城天守の変遷
- 慶長12年(1607年)の初代天守:家康が築いた天守は、本丸のもっと中央部寄りにあった。
- 元和8年(1622年)の2代目天守:秀忠の天守は、現在の天守台付近に建てられた。
- 寛永15年(1638年)の3代目天守:家光の天守は、現在の天守台地に高さ約58mの5層の天守として築かれた。
これが最後に築かれた天守です。

その最後の天守は明暦3年(1657年)の大火で消失。
後に現在残る天守台が築き直されましたが、天守そのものは以降再建されませんでした。
この威圧感十分たっぷりの天守台、実は天守の建物が一度も載らないまま台だけが残り今に至ります!
それを知ると。。。心なしか天守台が少し哀愁を帯びて見えてきますなあ。

石垣には明暦3年の大火による煤の跡も見られます。

天守台頂上からは、南側の丸の内のビル街が良く見えますわ。
反対の北側は北の丸公園の木々により、視界はあまり開けてません。
日本武道館の屋根だけぴょこんと見えます。

天守台から見た本丸御殿エリア。
江戸時代初期には、ここに多くの殿社が建ち並んでいました。

天守台にあるかつての本丸御殿の配置図です。
- 御殿は大きく三つの空間に分かれてました。
- ■ 将軍の公的な儀式・行事などの場の「表(おもて)」。
- ■ 将軍の日常生活、政務を執る場の「中奥(なかおく)」。
- ■ 将軍の正妻や家族・女性たちの生活の場が「大奥(おおおく)」。
大奥は良く聞く言葉ですね。
所狭しと建物が建ち並び、ちょっとした町の様相だな。
「江戸城天守復元模型」 寛永時代の家光の天守

本丸休憩所では、天守の復元模型が公開されています。
天守のモデルは家光の築いた寛永年間のものです。
高さ約58m(含、石垣)の5層天守の、1/30スケール縮小模型。

石垣をのぞいた天守の高さは約45mで、これは日本一だったとされます。
ちなみに大阪城の再建天守の高さは約42m、名古屋城の外観復元天守の高さは約36mです。
屋根には金のシャチホコも載ってますね。
「汐見坂と梅林坂」 最古の石垣

中之門跡以外にも本丸への出入口があり、こちらも見どころ多いです。
「汐見坂(しおみざか)」は、二の丸方面と本丸を繋ぐ入口。
実は、江戸時代初頭には皇居前近くまで東京湾の入江が入り込んでいたそうです!
それで海を眺めることができたので、汐見坂の名が付いたそうな。
当時の地形は現在とは大分違ったようですね。

汐見坂脇の「白鳥濠」の石垣は家康時代のもの。
乱積みして、隙間に間石を入れて強度を高める打ち込みハギと呼ばれる古い技巧で積まれています。
城内最古の石垣といわれ見逃し注意!なポイント。

「梅林坂」は、三の丸正面の平川門から本丸に通じる坂道。
室町時代の武将・太田道灌(おおたどうかん)は、康正3年(1457年)に最初の江戸城を築城しています。
道灌はこの坂に菅原道真を祀る天神社を造り、数百株の梅を植えたことから梅林坂の名が残ります。
現在は70本の紅白の梅が植えられており、12月末から2月まで梅の花が楽しめるそうです。
『二の丸』 自然が楽しめる憩いスポット
「二の丸庭園」 徳川家重の庭園復元

二の丸と三の丸には将軍の世子(跡継ぎ)や、隠居した前将軍(大御所)などが居住する御殿がありました。
現在の庭園は昭和43年(1968年)に整備されたもので、9代将軍・家重時代の庭絵図面をもとに復元されています。
「諏訪の茶屋・都道府県の木」

「諏訪の茶屋」は明治45年(1912年)に御所内の吹上地区に建てられたもの。
昭和43年に現在の場所に移設されました。

「都道府県の木」が植えられており、思わず馴染のある都道府県の木を探して歩きたくなるエリア。
二の丸には武蔵野の面影を残す雑木林もあり、様々な自然が楽しめます。
都心に居ることを忘れてしまいそうな、憩いのスポットですよ。
『富士見櫓』 本丸の現存櫓

最後に本丸に唯一残る現存櫓「富士見櫓」を紹介。
旧江戸城の現存遺構の中では最も古いものの一つで、建物の高さ約15.5m、石垣の高さは約14.9mの三重の櫓です。
天守焼失後はその代わりの役目を果たしました。
皇居内からも建物裏手に近寄れたみたいですね。
外側からの遠景ですいません!
アクセス
皇居(江戸城跡)(宮内庁:皇居東御苑のページ)
住所:東京都千代田区千代田1-1(GoogleMapで開く) *Mapは大手門
アクセス:
電車)
・東京メトロ東西線・都営三田線「大手町駅」から徒歩6分
・東京メトロ東西線「竹橋駅」から徒歩10分
・JR「東京駅」丸の内北口から徒歩11分
車)
・駐車場無し
[皇居東御苑の公開について]
入園料:無料
開園時間:午前9時より
閉園時間:3月1日~4月14日 17:00(入園は16:30まで)、4月15日~8月末日 18:00(入園は17:30まで)、9月1日~9月末日 17:00(入園は16:30まで)、10月1日~10月末日 16:30(入園は16:00まで)、11月1日~2月末日 16:00(入園は15:30まで)
休館日:月曜日・金曜日(ただし,天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開)、12月28日から翌年1月3日まで、その他行事の実施・その他やむを得ない理由のため支障のある日
![]() | 価格:1,980円 |

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旧江戸城跡を巡る散策、いかがでしたか?
今まで皇居を旧江戸城跡として意識したこともあまりなかったのですが、行ってみると思っていた以上に歴史の重みを感じられるスポットでした。
もっと早く訪問してれば良かった!
そして、城好きの方のみならず、都心にありながら四季折々の季節感が楽しめる場所としてもオススメできるスポットですよ。
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