豪華絢爛な彫刻美に出会いに、埼玉県熊谷市にある寺院「妻沼聖天山」に出かけてみませんか?
妻沼聖天山には、建造物としては県内で唯一国宝指定された本殿があります。
その本殿の彫刻は、江戸時代末期の優れた技術が惜しげもなくつぎ込まれた緻密なもの。
思わず息を飲む美しさです。
その技術は日光の彫刻を越えた!ともいわれる、圧倒的な迫力を持つ彫刻美に出会いにゆきましょう。
目次
『妻沼聖天山』 埼玉県唯一の国宝建築物
埼玉県熊谷市にある寺院・妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)の本殿は、「歓喜院(かんぎいん)聖天堂」の登録名で平成24年(2012年)に国宝登録されました。
これは県内の建造物としては第1号で現在唯一、県内の国宝としては5番目の指定となります。
妻沼聖天山がある妻沼は、熊谷の中心部からは少し離れた静かなエリア。
群馬との県境にもほど近い場所でした。
「貴惣門」 江戸末期築の独特な形状
妻沼聖天山の参道に入ると、巨大な正門「貴惣門(きそうもん)」がどど~んと現れます。
高さは16mある、どっしりとした重厚な門です。
この門の構造は正面からは少し分かりづらく、側面に回るとその形状に驚きます。
妻側に3つの破風を重ねた独特の形状。
こんな形の門は初めて見たなぁ。
建物全体に江戸末期の様々な技法が凝らされ、細やかな彫刻で飾られています。
また、彫刻には寄進者名が刻まれており、民衆信仰にもとづいた建造物なのも特徴だそう。
確かに古い立派な伽藍は、時の有力者の援助による物が多かったりしますからね。
貴惣門は国指定の重要文化財となっています。
この門の設計者は、山口県吉川藩の作事方奉行・長谷川重右衛門という人物なんですね。
有名な岩国にある錦帯橋の架け替えの際、棟梁を務めた経験を持つ人らしい。
そんな山口県の名工が、なぜ熊谷の建造物を?ですよね。
- ■ 寛保2年(1742年)、関東地方を襲った豪雨・大水害の復旧工事に、幕府命による御手伝普請で岩国・吉川家がこの地に派遣された。
- ■ 吉川家作事方棟梁・長谷川重右衛門は、安全祈願で再建中の聖天宮を訪問。本殿の威容に驚く。
- ■ 聖天堂大工棟梁・林兵庫正清と意気投合、宮廷建築大工として秘伝による門の設計を引き受けた。
復旧工事を終え岩国に帰った重右衛門は、設計図を作成して送ってくれた。
そんな経緯があったんですね。
聖天堂側棟梁の林兵庫正清は、妻沼に拠点を置く大工棟梁・林家の人物。
日光東照宮をはじめ、幕府主導の建築物に関与した人物なんだそうだ。
当時は建設の余力が無かったが、約100年後の林正清の5代目・正道の時、設計より規模を拡大して竣工。
これが現在の貴惣門になります。
名工の意外な出会いが、歴史的な建造物の創出につながったわけですね。
向かって右側の1階部分には、仏教の四天王の一人・毘沙門天(びしゃもんてん)像が納められています。
左側には、吽形の表情の持国天(じこくてん)像。
その足元には何か奇妙なものが!
これは邪鬼を足でおさえ込んでいる状況らしいですよ。
「創始者・斎藤別当実盛像」 保元平治の乱で活躍
参道沿いに妻沼聖天山の創始者、斎藤別当実盛(さねもり)像があります。
当地の庄司(荘園の管理者)として、治承3年(1179年)に祖先伝来の御本尊・聖天様をお祀りしたのに始まります。
斎藤別当実盛は平安末期の武将で、保元・平治の乱で活躍。
木曽義仲との壮絶な戦いで死をとげた、悲劇の武将として語られています。
最期の戦の際、若々しく戦いたい!との思いから髪を墨で染めた、という史実があるそう。
実盛像はその題材により、右手に筆、左手に鏡を持っている姿なんですって。
「中門と仁王門」 院内最古の建造物
「中門」は参道の中程にある小振りの門。
江戸時代初期の災火の際、唯一残った聖天山最古の建造物だそうです。
本堂エリアの入口には「仁王門」。
仁王門の創建は江戸時代初期と伝わりますが、明治時代の台風により倒壊。
現在の門は、明治27年(1894年)に再建されたものです。
門には仁王像が納められています。
こちら右側の阿形(あぎょう)の像。
左側の吽形(うんぎょう)の像。
「聖天山の歴史」 44年の歳月をかけ復興
仁王門をくぐると、落ち着いた雰囲気の本殿が現れます。
国宝指定の割には、一見、普通っぽい感じの本殿ですが。。。
妻沼聖天山の御本尊は、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)と呼ばれる神。
国指定重要文化財ですが、秘仏であり普段は公開されていません。
聖天さまの呼び名で親しまれる大聖歓喜天、それは仏教の守護神の一人で象の頭を持つ神らしいですね。
聖天山の歴史概略をご紹介。
- 聖天山の歴史概略
- 治承3年(1179年):斎藤別当実盛が大聖歓喜天を祀り、聖天宮を開く。
- 建久8年(1197年):良応僧都(実盛の次男・実長が出家)が、聖天宮の別当寺院として歓喜院長楽寺を建立。
- 鎌倉時代~近世初頭:鎌倉幕府将軍・源頼朝が参拝。
中世には忍(おし)城主より再建の庇護を受ける。その後、徳川家康によっても再興される。
- 寛文10年(1670年):大火で聖天堂ほか焼失。以後65年間、仮本堂で法灯。
- 享保20年(1735年):聖天堂再建開始。
- 寛保2年(1742年):本殿竣工及び遷宮。
- 安永8年(1779年):末社等含め、全て完成。
- 起工より44年の歳月と総工費2万両。
「歓喜院聖天堂」 国宝彫刻を参観
御本尊を納める本殿は、歓喜院聖天堂と呼ばれます。
拝観料を払うと間近で見学することができます。
聖天山本殿が、国宝として評価されたポイントですが、
■ これまで知られていた江戸末期の彫刻技術の高さに加え、更に漆の使い分けなどの高度な技術が駆使されている。
それらにより、近世装飾建築の頂点をなす建物であること。
■ そのような建物建設が民衆の力によって成し遂げられた点を、文化的に高く評価。
とのことです。
そのあたりに注目して拝観したいと思います。
本殿側にまわると豪華な彫刻群が現れ、思わず息を飲みますねー。
本殿は拝殿・相の間・奥殿が一体化した権現造りで、奥殿は八棟造りと呼ばれる様式。
奥殿の壁面を中心に華麗な色彩の彫刻で装飾されており、まさに豪華絢爛~。
歓喜院聖天堂は、享保20年(1735年)~宝暦10年(1760年)に掛けて建立されました。
本殿の設計は大工棟梁・林兵庫正清と、その子息の正信によるもの。
総棟梁林正清の下に、東照宮の修復への参加経験をもつ彫刻師らが集結。
狩野派の絵師による彩色など、優れた技術が惜しげもなくつぎ込まれました。
装飾建築成熟期である江戸後期の代表例で、装飾建築としては”日光東照宮をしのぐ!”ともいわれるんですよ。
拝観してまず驚くのは、奥殿の軒下までビッチリと施された装飾!
壁面同様に色漆や金箔が使われ、鮮やかな色彩で細やかに仕上げられています。
彫刻は中央部の大羽目彫刻を中心に展開。
大羽目彫刻には中国の故事や七福神をテーマに、人物や動物が生き生きと描かれています。
写真のこちらに描かれてるのは、七福神の福禄寿。
ちなみにこの場面、鶴・亀がいて、竹・梅もありますが、松だけ描かれていない。
松は木材にも一切使われていないそうだ。
なにやら妻沼の聖天様には「待つのが嫌い」になった出来事があり、その際松も嫌いになったそうだ(苦笑)。
そんなエピソードをガイドさんから紹介頂きました。
「鷲(わし)に猿」の肉彫り彫刻。
右側は、川に落ちた猿を鷲が助けている場面です。
猿は人間に、鷲は神様に例えられ、大聖歓喜天の慈悲深さを表現しているといわれます。
かの左甚五郎作ともいわれるそうです。
聖天堂に施されている龍の数は70頭以上。
その全てにおいて、姿形・色が全部異なっているらしいですよ。
それは凄いな。
南西北の三面には、「唐子遊び」と呼ばれる子供たちの遊ぶ姿が。
これは平和な世が表現されています。
写真の彫刻は「小間取遊び」と呼ばれるもので、日本の手つなぎ遊びの元祖といわれるもの。
このあたりの彫刻は、見物者の腰の高さにはめ込まれており、間近で見やすい位置にあります。
中央は七福神が酒を飲みながら囲碁に興じている場面。
布袋が恵比寿の一手を見守り、その横で大黒天が見守っている。
その右の彫刻には、大黒の俵で遊ぶ子供達。
そして左の彫刻では、布袋ぶくろで遊ぶ子供達が描かれています。
神様たちがのんびり遊びに興じられる程、平和な世の中であることを象徴しているんですね。
彫刻に寄ってみると、碁石や碁盤、布袋尊の袋の立体感に目が奪われます!
こちらは奥殿の北側の壁面。
こちらも遊びに興じている神々を、ググっと引き伸ばしています。
左の吉祥天と右の弁財天が双六に興じており、その展開を毘沙門天が見つめるというユニークな場面。
こちらでは特に着物の柄の緻密さが伝わると思います。
これは、置上彩色(おきあげさいしき)と呼ばれる塗装方法が使われているそう。
塗料の重ね塗りにより立体感を出すという、高度な技法だそうですよ。
高欄を支えているように施されている猿は、ちょっとユーモラス。
斗供(ときょう)と呼ばれる部分に乗ったものが、13頭めぐらされています。
可愛らしいですよね。
聖天堂拝観では一日7回、ボランティアガイドの説明がおこなわれています。
彫刻をよく知る上でこれはありがたいですよ!
本日もガイドさんの説明や豆知識を聞きながら、楽しく参観させて頂きました。
「本殿正面の彫刻も必見!」
本殿参観の後、改めて拝殿正面の彫刻を見学。
拝殿は奥殿の格調高さを強調するために、あえて簡素な色調にしているそうなんですね。
龍の彫刻、その上は琴・囲碁・書・絵の4芸を題材にした羽目彫刻。
中国では鯉から鯱(シャチ)へ、鯱から飛龍へ、最後に龍へ出世・変身する、という伝説があるそう。
その変身する過程が題材。
この彫刻は「籠彫り」と呼ばれる手法で、木の固まりを籠のように抉り抜いて彫ったもの。
これも素晴らしいですね。
オドロオドロしい動物達が集まりますが、ちょっとユーモラスな雰囲気のものもいますなあ。
「大師堂・平和の塔」
本殿の彫刻を堪能した後、境内をめぐってみます。
弘法大師を祀る大師堂。
こちらは関東88カ所霊場のうち、最後の第88番札所になります。
本殿の北側にある「平和の塔」は、国登録有形文化財です。
昭和33年(1958年)に建てられた、戦没英霊の供養塔。
妻沼聖天山の基本情報・アクセス
妻沼聖天山
公式ページ
住所:埼玉県熊谷市妻沼1511(GoogleMapで開く)
拝観時間:平日10:00~15:30(受付は15時迄)、土日祝日9:30~16:30(受付は16時迄)
拝観料:1人700円
アクセス:
電車)
・JR「熊谷駅」より朝日バス太田駅行き、又は西小泉駅行き、又は妻沼聖天前行き乗車約30分、「妻沼聖天前」下車徒歩1分
・東武「太田駅」より、朝日バス・熊谷駅行き乗車約20分、「妻沼聖天山前」下車徒歩1分
車)
・関越自動車道「東松山IC」「花園IC」より約45分
・東北自動車道「羽生IC」「館林IC」より約45分
・北関東自動車道「太田桐生IC」より約40分
・無料駐車場境内駐車場約300台又は、めぬま観光駐車場使用可
熊谷ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\ 特産の大和芋や国黒豚角煮など、旨いもの充実!/
妻沼聖天山に出かけてみませんか?
本殿が埼玉県唯一の国宝建造物に指定されている、「妻沼聖天山」を紹介しました。
いかがでしたか?
埼玉県県民である私も、実は今回初めての訪問でした。
今まで県内にこんなに素晴らしい建築物があったのを知らなかったのは、ちょっと不思議。
もっと知名度が上がり、多くの方々に見て欲しいですねえ。
国宝を拝観しに、妻沼聖天山に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/1/14
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