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本丸御殿だけじゃない!川越城ゆかりのスポット5選【埼玉・川越市】

本ページには広告が含まれています
太田道灌像(埼玉県川越市)

古い街並みが残り小江戸と呼ばれる川越は、かつて川越城があった城下町です。

その川越城の遺構としては、東日本では唯一である本丸御殿が現存しています。
その周辺はというと、現在では城の痕跡を残すものは少ないですね。

ですがよくよく探してみると、いくつかの城の面影を残す場所やゆかりのスポットに出会うことができました!

川越城本丸御殿と、御殿見学の際にあわせて立ち寄りたい、川越城ゆかりのスポットを紹介します。

目次

「川越城」かつて関東七名城の一つ、今は日本100名城の一城 

大手門跡に立つ太田道灌像

川越城跡 太田道灌像(埼玉県川越市)

本日の川越城跡めぐりは、川越市役所前から。

かつて旧川越城の大手門だった場所で、スタートに相ふさわしい。
さらに、市役所の駐車場が車を停めやすかった、という理由もあるぞ。

いや実際、休日の川越での駐車場探しは一苦労なもので(苦笑)。

大手門跡は石柱碑のみが残ります。

太田道灌像(埼玉県川越市)

大手門碑の背後にドンと構える銅像は、川越城を築城した武将・太田道灌
定番の狩装束で決めています。

やはり川越城下町の顔といえば、この太田道灌。
訪問時には市内各所で、太田道灌をNHK大河ドラマに!という署名活動もおこなわれていた。

\ 太田道灌については下記記事もご参照下さい! /

太田道灌が築城、北条氏期を経て徳川配下へ

川越城跡(埼玉県川越市)

川越城は平地に築かれた平山城で、独立した曲輪が連なる連郭式の縄張りでした。

城の歴史を少し振り返っておきましょう。

川越城の歴史概略

室町時代
長禄元年(1457年):
扇谷上杉家が、足利家対抗のために河越城築城。家臣の太田道真・道灌親子が縄張りを構築。

戦国時代
天文6年(1537年):
駿河国・今川氏に仕えていた小田原北条氏(後北条氏)が関東に進出し、扇谷上杉家より河越城を奪取。

天文15年(1546年):
扇谷上杉家と足利家の連合軍が、北条氏の川越城を包囲。しかし北条氏康(うじやす)の奇襲により総崩れ(河越夜戦)。以後、関東は小田原北条氏の時代へと移行。

天正18年(1590年):
豊臣秀吉による小田原征伐で、前田利家の攻撃を受け落城。川越は関東に配置換えになった徳川家康の領地となる。

江戸時代
寛永16年(1639年):
老中・松平信綱が城主となり、川越城や城下町の整備を実施。改築は慶安3年(1650年)から開始され、明暦2年(1656年)頃完成。

明治時代
廃城により城郭の解体実施。

城名表記は、室町~戦国時代は「河越城」、以後の近世から「川越城」で使い分けられます。

太田道灌が城の基礎となる縄張は作りましたが、現在残る遺構はほぼ江戸時代以降のものでしょう。

市役所前の縄張図に、本日の訪問スポットを記入しています。
大手門から入り、二ノ丸跡から本丸跡へ。
そして、本丸御殿と周辺を探索するルートです。

川越市役所

住所:埼玉県川越市元町1丁目(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約18分(約1.3km)
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約22分(約1.8km)
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約30分(約2.3km)
・「川越駅」東口・「本川越駅」より東武バスウエスト乗車、「市役所前」降車すぐ。又は「札の辻」下車徒歩7分
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「市役所」又は「大手門前」で下車
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「市役所」下車
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

「川越城中ノ門堀跡」 唯一の現存堀跡

川越城中ノ門堀跡(埼玉県川越市)

市役所前から本丸御殿に通じる通りは、「初雁城(川越城)通り」と呼ばれます。
初雁城通りをへだてた、市役所からすぐの場所にあるのが「川越城中ノ門堀跡」。

ここは川越城内に残る、唯一の堀跡の遺構です。
綺麗に整備されており、チラホラと訪問者も見うけます。

中ノ門があった「中曲輪」は、大手門からの敵に対し、三ノ丸への侵入を阻止する役割。
当時は2階建ての櫓門がありました。

川越城中ノ門堀跡(埼玉県川越市)

元々の堀の規模は深さ7m・幅18m。
城の外側(西側、写真右側)の勾配は35度で、城の内側にあたる東側は60度。

堀に取りついた敵も、城側を登ることはできなかったでしょうなぁ。

川越城中ノ門堀跡(埼玉県川越市)

当時は中ノ門堀を含む3つの堀に囲まれた、屈折した細い通路が通っていた。
直進できず足が緩んだ敵兵を、待ち構えた城兵が弓や鉄砲で迎撃する!という防御の仕組みだったそうだ。

川越城 中ノ門堀跡

住所:埼玉県川越市郭町1丁目8-6(GoogleMapで開く
開園時間:9時~17時まで
休園:年末年始(12月29日~1月3日まで) ※都合により休園日を変更することもあり。
アクセス:川越市役所から徒歩約2~3分。

「川越市立博物館」 かつて二ノ丸だった場所

「霧吹きの井戸」 敵が来ると霧が!?霧隠城の異名

川越市立博物館(埼玉県川越市)

次に市役所から東に500m程離れた、「川越市立博物館」にやって来ました。
建物外観は白壁姿で、蔵造りのイメージです。

実は博物館が建つこの場所は、川越城の二ノ丸があった場所
道路を隔てた場所が、御殿のある本丸跡になります。

川越市立博物館(埼玉県川越市)
霧吹きの井戸

二ノ丸跡では多くの井戸跡が見つかっており、こちらもその一つ。
「霧吹きの井戸」と呼ばれています。

この井戸には不思議な伝承が。。。

普段は井戸にフタをしているが、敵に攻められ危険が迫った時にフタを取る。
すると井戸から霧が吹きだし、周囲を濃霧が包み城を隠してしまったという。

これにより川越城は、別名「霧隠城(きりかくれじょう)」とも呼ばれています。

不思議な話ですなあ。

川越市立博物館(埼玉県川越市)

博物館東側には「川越城蓮池門跡」の石碑。

この周囲には池があったんですね。
霧吹きの井戸の話は、ここいらが湿地帯だった立地と関連しそうだなぁ。

なんて思いながら、川越の歴史を吸収しに館内を見学に。

城郭周囲を水堀が囲む

川越市立博物館(埼玉県川越市)

展示室中央には、幕末期の城下町の1/500スケールのジオラマ模型がありました。

中央の建物が密集している場所が本丸。
その右手の四角い曲輪が、博物館のある二ノ丸。その上に三ノ丸。

本丸のみならず、城内広域にわたり水堀に囲まれていたんですね。

川越市立博物館(埼玉県川越市)

川越藩の家系に伝わる鎧兜。

川越市立博物館(埼玉県川越市)

木造の太田道灌像(複製)は、道灌が仏門に入った姿を伝えます。

川越市立博物館の詳細情報

川越市立博物館

公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目30番地1(GoogleMapで開く
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 200円、大学生・高校生 100円、中学生以下無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、第4金曜日(休日は除く)、年末年始(12月29日から1月3日)、臨時休館日(館内消毒期間:6月下旬)
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩1分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩1分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

「川越城本丸御殿」 東日本唯一の現存本丸御殿遺構

全国的にも現存御殿は珍しい

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

旧川越城跡めぐりの最大の見どころは、やはり「川越城本丸御殿」ですね。

建物は入母屋(いりもや)造り。
正面中央の入口に掛かる、2間(約3m60cm)の大唐破風が特徴的です。

きらびやかさは無く、質実剛健な武家屋敷!というたたずまいですね。

正面の駐車場エリアが整備中で、正面から近付くことはできず。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

現存御殿の数は、現存天守閣と比較しても案外数が少ないんですよ。

現存御殿のある城は、高知城と川越城に本丸御殿が、二条城と掛川城にはニの丸御殿がそれぞれ残っています。

明治時代に廃城令が出たとき、城は陸軍の管理下になりました。

軍は兵営地確保の観点から、場所を食う御殿は邪魔っ!とばかりに、真っ先に目を着けられた存在でした。
そんなことで川越城本丸御殿は、全国的にも非常に貴重な遺構なんです。

廃城後は県庁として使用された

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

明治時代に廃城になった川越城。

本丸御殿は江戸時代後期築の、比較的新しい建築物でした。
そのため廃城後も再利用される形で、一部が解体をま逃れました。

御殿の一部は県庁として使用された。
その後も官庁や学校などの施設として利用され、現存に繋がっています。

助かりましたね!

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)
赤で囲まれた部分が現存箇所(展示室にて)
  • 川越城御殿の変遷
  • 江戸時代初期(17世紀)頃: 本丸に御殿があり、徳川家光が鷹狩りの際の休憩・宿泊施設として使用。

  • 明和4年(1767年)頃: 家光以降には御成がなくなったため、本丸御殿を解体。御殿の役割は二ノ丸御殿に移る。

  • 弘化3年(1846年): 二ノ丸御殿が焼失。

  • 嘉永元年(1848年): 城主・松平斉典(なりつね)による再建御殿が本丸に完成。

幕末に再建された本丸御殿は、当時は1,025坪(約3,400m2)の敷地面積を有したそう。
敷地内に16棟もの建物を有する、かなり巨大な御殿だったらしいです。

現存して一般公開されているのはその一部で、玄関・大広間部分を含む建物と家老詰所です。

広間は一番広い座敷

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)
広間

現存御殿で一番広い座敷である「広間」は、36畳の広さを誇る。

城主との対面は「大書院」でおこなわれ、広間は待機所だったそうだ。
長い廊下に挟まれており、左手からも右手からも出入りができる造り。

なお、大書院は現存しません。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)
広間

広間にある松を描いた杉戸絵。
幕末期に川越藩の御用絵師として活躍した、舩津蘭山(ふなつらんざん)によるもの。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

御殿内には、枯山水の庭園がいくつかあります。
いにしえの訪問者たちも、庭園を眺めつつ城主のお出ましを待っていたことでしょう。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

この棟には広間のほか、使者ノ間や詰所など、7つの間が連なって配置されていました。

家老詰所の人形がとってもリアル!

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

別棟には「家老詰所」があります。
こちらは、御殿に勤務する家老たちが詰めていた建物です。

家老詰所は明治初期に解体され、現ふじみ野市の商家で再築して使用されました。
その後の昭和62年に川越市に寄贈され、こちらに戻ってきました。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

こちらは廊下まで畳敷になっており、庶民的な雰囲気です。

川越城本丸御殿(埼玉県川越市)

部屋に誰かいる?と思いちょっとびっくり。マジで(笑)。
かなりリアルな3体の人形を使い、家老たちが藩政を論じる場面を再現。

広げている地図は、どうやら砲台の図面のようだ。
幕末にペリーの黒船艦隊ほか、襲来する外国船対抗策として品川に砲台が造られました。

川越藩は、そこの第一台場の警備を担当していました。
「う~む、黒船どうする?」そんな内容の話なんでしょうなぁ。

川越城 本丸御殿の詳細情報・アクセス

川越城 本丸御殿

公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目13番地1(GoogleMapで開く
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 100円、大学生・高校生 50円、中学生以下 無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月3日)、館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く)
100名城スタンプ:受付窓口に設置(休館日は市役所の観光課で対応) アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩約1~2分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩約1~2分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

「川越城富士見櫓跡」 天守の役割だった櫓

川越城富士見櫓跡(埼玉県川越市)

本丸御殿から南に5分くらい歩いた場所に、「川越城富士見櫓跡」があります。

台地の高さは約12mで、その10mが江戸時代に盛り土されたものとのこと。
当時の遺構としてはっきりと形を残していて貴重ですが、ここ、あまり知られてない気がするなあ。

旧川越城内では「八幡曲輪」にあたり、現在は県立川越高校の裏手に位置する。

川越城富士見櫓跡(埼玉県川越市)

登った先の頂上付近に、平らな空き地が現れます。
中には入れず特に石碑も見当たりませんが、ここに櫓が建っていたのでしょうね。

川越城には天守がなかったので、こちらにあった三重櫓が天守の代わりの役割でした。

川越城富士見櫓跡(埼玉県川越市)

その先には神社。
左手が御嶽(おんたけ)神社、右手が浅間(せんげん)神社。

川越城富士見櫓跡(埼玉県川越市)

更に台地のヘリには富士見稲荷大神もあり、山の神様づくしでした。

昔は富士見櫓というだけあって、富士山が望めたそうです。
現在は木が茂っており、眺望は望めません。

川越城 富士見櫓跡

住所:埼玉県川越市郭町2丁目15(GoogleMapで開く
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約5分。

「三芳野神社」 “とおりゃんせ”発祥の地

三芳野神社(埼玉県川越市)

最後に本丸御殿の向かいにある、「三芳野神社」に立ち寄ります。
三芳野神社は、かつて城内に鎮座していた神社です。

三芳野神社(埼玉県川越市)

社殿は結構立派で、綺麗に整備されている感じがうかがえます。

それでもってこちらの神社、童唄「通りゃんせ」発祥の地といわれています。
この言い伝えの内容は、川越城城下であったことと関係します。

平安時代の創建とされる三芳野神社は、川越城築城以前よりここに鎮座していました。

三芳野神社(埼玉県川越市)

城ができた結果、神社は城内の「天神曲輪」内に取り込まれてしまったんですね。

三芳野神社は「お城の天神さま」と呼ばれた、城内の神社でした。
一般人が参拝するには南大手門から城内に入り、いくつかの門を抜けて参道に至ります。

城内に入るため、帰りの際には密偵などの不審者が混じっていなかったか?確認が行われました。
それが「帰りはこわい」という歌詞につながった、とされます。

ふ~む、なるほどなシチュエーションですね。

三芳野神社

住所:埼玉県川越市郭町2丁目25-11(GoogleMapで開く
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約1~2分。

明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!

川越城本丸御殿周辺 散策マップ

本日訪問した周辺マップです。

川越城周辺マップ
小江戸川越観光協会発行のパンフから抜粋

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\ 川越市は地ビールや地元グルメが充実!/

川越城跡の散策に出かけませんか?

旧川越城跡の本丸御殿をはじめ、いくつかの周辺スポットをめぐりましたが、いかがでしたか?

さらにつぶさに探せば、もっと城の痕跡を残す小さな遺構や地形が残っていそうな感じもします。
マニアックな領域に入ってゆきそうですがね(笑)。

現在、本丸御殿周辺の公園化整備がおこなわれており、整備後の訪問も楽しみです。
川越城周辺散策に出かけてみませんか?

※記事作成時には、川越市立博物館発行「川越城が知りたい!」を参考にしました。

記事の訪問日:2022/3/13

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