本丸御殿だけじゃない!「川越城跡」巡り、空堀や櫓台跡も見てみよう【埼玉・川越市】

川越城の城下町として栄えた小江戸川越。
その川越には東日本では唯一である本丸御殿の貴重な遺構が残っています。

一方、現在の川越城の関連スポットというとこの本丸御殿のみのイメージですが、探してみるといくつかの城跡の痕跡やゆかりの地に出会うことができますよ!

川越城の歴史を振り返りながら、川越城本丸御殿とその周辺を巡ってみました。

目次

『川越城はかつて関東七名城、今は日本100名城の一城』 

埼玉県川越市にあった川越城はその昔は関東七名城の一つといわれ、現在は日本100名城の一つに数えられます。
そしてその川越城の遺構には、全国的に見ても貴重な現存本丸御殿があることで良く知られます

一方、それ以外の遺構はあまり残っていない様子ですね。
しかし!僅かながら残る川越城の面影を求めて、本丸御殿とその周辺の貴重な痕跡を巡ったので紹介しますよ!

太田道灌像のある大手門跡からスタート!

埼玉県川越市 川越城跡 太田道灌像

本日の川越城跡の探訪は、川越市役所前からスタート!
ここは旧川越城の正面入口にあたる大手門だった場所。

そして市役所の駐車場のキャパが大きく、駐車しやすいのも出発点には最適かと。
いや実際、休日の川越は駐車場探すものも一苦労なもので(苦笑)。

大手門跡は石柱碑のみが残ります。

埼玉県川越市 川越城跡 太田道灌像

大手門碑の背後には「わしじゃ!」、とばかりに川越城を築城したとされる武将・太田道灌の像が構えています。
道灌定番のいで立ちである狩装束が決まっています!

市内各所で太田道灌をNHK大河ドラマに!という、川越市もタイアップした署名活動がおこなわれているのを見かけましたわ。

\ 太田道灌の生い立ちや、手に持つ山吹の由縁などは下記記事をご参照下さい! /

川越城の歴史と縄張り、河越城と川越城?

太田道灌は江戸城を最初に築いたことでも知られますが、川越城の築城も同時期だったそう。
当時の川越は関東平野中央に位置する、交通の要衝だったようですね。

埼玉県川越市 川越城跡

市役所前にあった川越城の縄張図の石板に、これから巡る順にスポット名を記入してみた。
川越城は平地に築かれた平山城で、独立した曲輪が連なる連郭式と呼ばれる縄張り構成でした。

かつての縄張りを大手門から入り、二ノ丸跡から本丸跡へ。
そして本丸御殿と周辺を探索、そんなルートで進んでみますよ。

散策前に、簡単に川越城の歴史を振り返ってみましょう。

  • 【川越城の主な出来事】
  • 室町時代
    • 長禄元年(1457年):河越城築城。
      扇谷上杉家が足利家対抗の為に築城。
      家臣の太田道真・太田道灌親子が縄張りを構築。
  • 戦国時代
    • 天文6年(1537年):北条氏綱が河越城を奪取。
      扇谷上杉家は山内上杉家との間で行われた長享の乱で弱体化。
      スキをつき駿河国・今川氏に仕えていた、小田原北条氏(後北条氏)が関東に進出。
    • 天文15年(1546年):河越城の戦い。
      扇谷上杉家はかつての敵・足利家と連合を組み、小田原北条氏の川越城を包囲。
      しかし北条氏康(うじやす)の奇襲によって総崩れ(河越夜戦)。
      これにより関東は小田原北条氏の時代へと移行。
    • 天正18年(1590年):豊臣秀吉による小田原征伐で落城。
      前田利家の攻撃を受け落城。
      徳川家康が関東に配置換えになった際、川越も家康の領地となる。
  • 江戸時代
    • 寛永16年(1639年):老中・松平信綱が城主となる。
      川越城や城下町の整備を実施。
      城の改築は慶安3年(1650年)から開始して、明暦2年(1656年)頃完成。
  • 明治時代
    • 廃城により城郭の解体実施。

川越城に関して、河越と川越の両方の表記を見かけます。
これは室町~戦国時代は河越城の表記、以後の近世から川越城の表記で使い分けされています。

城の基礎となる縄張は太田道灌によるもの。
ただし残っている遺構があれば、ほぼ江戸時代以降のものと考えて良いでしょう。

川越市役所

住所:埼玉県川越市元町1丁目(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約18分(約1.3km)
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約22分(約1.8km)
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約30分(約2.3km)
・「川越駅」東口・「本川越駅」より東武バスウエスト乗車、「市役所前」降車すぐ。又は「札の辻」下車徒歩7分
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「市役所」又は「大手門前」で下車
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「市役所」下車
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

『川越城中ノ門堀跡』 唯一の堀跡

埼玉県川越市 川越城中ノ門堀跡

では歩き始めます!

市役所前から東に向かう通りは「初雁城(川越城)通り」と呼ばれ、本丸御殿の方角に通じています。
この道路を市役所から2~3分歩いた場所にある「川越城中ノ門堀跡」。

ここは川越城内に残る唯一の堀跡の遺構なんですよ。
ベンチが置かれ綺麗に整備されており、チラホラと訪問者も見受けますね。

中ノ門があった「中曲輪」は、大手門から侵入した敵に対し、三ノ丸への侵入を阻止する役割。
当時は2階建ての櫓門があったらしいですよ!

埼玉県川越市 川越城中ノ門堀跡

堀の元々の規模は深さ7m・幅18m。
城の外側(西側、写真右側)の勾配は35度で、城の内側に当たる東側は60度でした。

堀に侵入しても、城側にはどうにも登れない様相なのが一目瞭然ですなぁ。

埼玉県川越市 川越城中ノ門堀跡

侵入した敵は中ノ門堀を含む3つの堀に囲まれ、屈折した細い通路を進まざるを得なくなる。
城側からはそれを待ち構えて、弓矢や鉄砲で迎撃!そんな防御の仕組みとのこと。

侵入者からすると、いや~な門と堀ですね。

川越城 中ノ門堀跡

住所:埼玉県川越市郭町1丁目8-6(GoogleMapで開く
開園時間:9時~17時まで
休園:年末年始(12月29日~1月3日まで) ※都合により休園日を変更することもあり。
アクセス:川越市役所から徒歩約2~3分。

『二ノ丸跡にある川越市立博物館』

「霧吹きの井戸」 敵が来ると霧が出た!?

埼玉県川越市 川越市立博物館

川越市役所から500m程離れた場所には「川越市立博物館」があります。
外観は蔵造りをイメージした漆喰風の白壁姿で、雰囲気があります。

こちらは元々は旧川越城の二ノ丸があった場所なんですね。
道路を隔てた場所に、現存の本丸御殿があります。

埼玉県川越市 川越市立博物館
霧吹きの井戸

二ノ丸跡では発掘によって多くの井戸跡が見つかっています。
博物館前にはその一つ、「霧吹きの井戸」と呼ばれる井戸跡があるんですわ。

この井戸には不思議な伝承があります。
普段は井戸にふたをしているが、敵に攻められ危険が迫った時にふたを取る。

すると井戸の中から霧が吹きだし、城の周りを濃霧が包んで城を隠してしまったといいます。
これにより川越城は別名「霧隠城(きりかくれじょう)」とも呼ばれています!

埼玉県川越市 川越市立博物館

敷地の東側には「川越城蓮池門跡」の石碑。
名称から推測すると、この辺には池だか湿地帯だかがあった様子ですな。

不思議な霧吹きの井戸は、これらの立地との由縁がありそうな予感が。
(ホントに霧が出たとしたらば。。。だが。)

などと想像を巡らせながら、折角なんで川越の歴史を吸収しに博物館に立ち寄ります。

城下町のジオラマ模型、多くの水堀があった

埼玉県川越市 川越市立博物館

展示室中央には、幕末最大期の城下町のジオラマ模型が、1/500スケールでど~んと配置されています!

中央の建物が密集している場所が本丸で、その右手下の曲輪がこの博物館のある二ノ丸。
その上が三ノ丸になります。

近世の城らしく、水堀で囲まれていた様子が見て取れます。

埼玉県川越市 川越市立博物館

川越藩の家系に伝わる鎧兜。

埼玉県川越市 川越市立博物館

木造の太田道灌像(複製)は、道灌が仏門に入った姿を伝えます。

川越市立博物館の詳細情報

川越市立博物館

公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目30番地1(GoogleMapで開く
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 200円、大学生・高校生 100円、中学生以下無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、第4金曜日(休日は除く)、年末年始(12月29日から1月3日)、臨時休館日(館内消毒期間:6月下旬)
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩1分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩1分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

『川越城本丸御殿』

東日本唯一!現存の本丸御殿遺構

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

そして、やはり旧川越城跡巡りの最大の見どころは、「川越城本丸御殿」になります。

建物は入母屋(いりもや)造りで、正面中央の入口に掛かる2間(約3m60cm)の大唐破風が特徴的です。
きらびやかさは無く、質実剛健な武家屋敷!然としたお屋敷のたたずまい。

正面の駐車場エリアは整備中で、残念ながら正面から近付くことはできず。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

現存御殿のある城は、高知城と川越城に本丸御殿が、二条城と掛川城にはニの丸御殿がそれぞれ残っているのみとなります。

そんなことで、川越城本丸御殿は全国的に見ても非常に貴重な遺構なんですよ!

本丸御殿の一部は県庁としても使われた

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

川越城は明治時代に廃城になりました。

川越城の本丸御殿は江戸時代後期の比較的新しい建築物だった為、再利用される形で一部が解体を間逃れたんですね。

御殿の一部は県庁として使われ、その後も官庁や学校などの施設に利用されたりしたのが、現存に繋がっています。

それは良かったですねぇ。

ちなみに全国的な話なんですが、明治時代に廃城令が出た時に城は陸軍の管理下でした。
当時、兵営地確保の観点から敷地面積を食っている御殿は邪魔っ!とばかりに真っ先に潰される憂き目に遭ったようですわ。

どうやらそんな事情が、天守閣より御殿の現存数が少ない状況に繋がってるみたいですね。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿
赤で囲まれた部分が現存箇所(展示室にて)
  • 川越城御殿の変遷
  • 江戸時代初期(17世紀)頃:本丸に御殿があり、徳川家光が鷹狩りの際の休憩・宿泊施設として使用。
  • 明和4年(1767年)頃:本丸御殿は解体され、御殿の役割は二ノ丸御殿に移っていた。
    家光以降御成が無くなった為。
  • 弘化3年(1846年):城主御殿の二ノ丸御殿が焼失。
  • 嘉永元年(1848年):城主・松平斉典(なりつね)による再建御殿が本丸に完成。

本丸に再建された当時の御殿の敷地面積は1,025坪(約3,400m2)で、16棟もの建物を有するか~なり巨大な御殿だったようだ。

玄関・大広間部分を含む建物と家老詰所がその一部として残っており、現在一般公開されています

広間は一番広い座敷

埼玉県川越市 川越城本丸御殿
広間

現存御殿で一番広い座敷「広間」は、36畳の広さを誇ります。
城主との対面は現存しない「大書院」で行われ、こちらは待機所だったもよう。

座敷は長い廊下に挟まれており、左手からも右手側からも出入りができるオープンな造りだ。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿
広間

広間に残る松を描いた杉戸絵は、幕末期に活躍した川越藩の御用絵師・舩津蘭山(ふなつらんざん)によるものだそう。

元々は、もっと鮮やかな色彩だったんだろうなぁ。
大分褪色しているように見受けます。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

御殿内には枯山水の庭園がいくつかある。
いにしえの訪問者達も、庭園を眺めつつ城主のお出ましを待っていたのかもねぇ。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

この棟には広間のほか、使者ノ間や詰所など7つの間が連なって配置されています。

家老詰所の人形がリアル!

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

「家老詰所」 全景。
大広間とは別棟で、御殿に勤務する家老たちが詰めていた建物です。

この建物は明治初期に解体され、現ふじみ野市の商家で再築。
昭和62年(1987年)に川越市に寄贈され、こちらに戻ってきたとのことだ。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

こちらは廊下まで畳敷になっており、なんだか庶民的な雰囲気だな。

埼玉県川越市 川越城本丸御殿

人形がかなりリアルで、部屋に誰かいる?と思いちょっとびっくり、マジで(笑)。
家老詰所では3体の人形を使って、家老たちが藩政を論じる場面を再現。

ところで、幕末にペリー率いる黒船の艦隊が来航しましたよね。
黒船対抗策として品川に砲台が造られましたが、その際、第一台場は川越藩が警備担当でした。

どうやら真ん中の地図は、その砲台の図面のようなんですね。
「黒船どうするよー、う~む。」そんな雰囲気の場面のようですなあ。

川越城 本丸御殿の詳細情報

川越城 本丸御殿

公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目13番地1(GoogleMapで開く
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 100円、大学生・高校生 50円、中学生以下 無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月3日)、館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く)
100名城スタンプ:受付窓口に設置(休館日は市役所の観光課で対応) アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩約1~2分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩約1~2分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり

『川越城富士見櫓跡』 天守の役割だった

埼玉県川越市 川越城富士見櫓跡

本丸御殿から南に5分くらいの場所にある「川越城富士見櫓跡」に来ました。
御殿見学の後、こちらに来る人も少ないんじゃないかなあ。

民家が連なるエリアに、小山がポツンと現れる感じ。
跡碑がなれば古墳か?と思うかもな。

ここは、旧川越城内では「八幡曲輪」にあたり、現在では県立川越高校の裏手にあたる。

埼玉県川越市 川越城富士見櫓跡

小山を登ると、頂上付近に平らな空き地が現れます。
柵があり中には入れず石碑なども見当たりませんが、この辺りに櫓が建っていたのでしょう。

川越城には天守が無かったので、こちらにあった三重櫓が天守の代わりの役割でした。

埼玉県川越市 川越城富士見櫓跡

その先には神社が鎮座してます。
左手が御嶽(おんたけ)神社、右手が浅間(せんげん)神社。

埼玉県川越市 川越城富士見櫓跡

更にその先に富士見稲荷大神があるという、山の神様尽くしですねぇ。

富士見櫓に富士見稲荷ってくらいですから、昔はさぞかし遠くまで眺望できたことでしょう。
現在は木が茂り、眺望は望めません。

川越城 富士見櫓跡

住所:埼玉県川越市郭町2丁目15(GoogleMapで開く
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約5分。

『三芳野神社』 “とおりゃんせ”発祥の地

埼玉県川越市 三芳野神社

最後に、かつて城内に鎮座していた「三芳野神社」に立ち寄ります。
位置的には、本丸御殿の向かい側ですわ。

埼玉県川越市 三芳野神社

大きな境内では無いのですが、社殿は案外立派で綺麗に整備されてます。

それでもってこちらの神社、童唄「通りゃんせ」発祥の地といわれてるんですわ。
ハテ、どういう言い伝えなんでしょう?

三芳野神社の創建は平安時代といわれ、川越城以前よりここに鎮座していたようです。
このあたりは川越城内では「天神曲輪」と呼ばれましたが、どうやら城ができた結果、神社が城内に入っちゃった、という経緯らしい。

埼玉県川越市 三芳野神社

そんなことで、童唄「通りゃんせ」発祥説の由縁は以下のようなんです。

三芳野神社は「お城の天神さま」と呼ばれた城内の神社でした。
一般人が参拝するには南大手門から城内に入り、いくつかの門を通り抜けて参道に至ります。

城内に入るため、帰りの際には密偵などの不審者がいなかったか?確認が行われました。
それが「帰りはこわい」という歌詞に繋がった、とされています。

ふ~む、なるほど。
無きにしも非ず、というようなシチュエーションではありますねぇ。

三芳野神社

住所:埼玉県川越市郭町2丁目25-11(GoogleMapで開く
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約1~2分。

川越城本丸御殿周辺 散策マップ

紹介したスポットのマップです。参考にされて下さい。

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