「太田道灌生誕の地」越生町を探訪、龍穏寺の墓所に眠る【埼玉・越生町】

関東で活躍した武将・太田道灌生誕の地といわれる、埼玉県越生町のゆかりのスポットを巡ります。

生誕地とされる父・道真の砦があった龍穏寺には、今は道灌と道真の墓所があります。
また、道灌が歌道を志したきっかけとされる伝承の地「山吹の里歴史公園」も訪問。

ランチに立ち寄った、雰囲気の良い古民家カフェの紹介があったりもします。

目次

越生町と太田道灌

埼玉県越生町 太田道灌生誕の地

越生(おごせ)町は埼玉県のほぼ中央に位置し、首都50km圏内ですが川が流れ山間もある緑豊かな町です。
この町はなんといっても生越梅林が有名で、梅の郷として知られます。

そんな越生町が、室町時代の武将・太田道灌(どうかん)ゆかりの地だということで、今回でかけてみました。

越生駅近くの観光案内所横には、「道灌パーク」と称する広場がさっそくありました!
”道灌押し”の町の雰囲気が伝わってきますね~。

埼玉県越生町 太田道灌生誕の地

越生駅前には太田道灌の像。

太田道灌は室町時代後期に関東で活躍した武将で、徳川入城前に江戸城を築城したことでも知られます。
幼いころから学問に励み、後々歌の世界でも名を馳せた文人としても知られます。

銅像に銘記されている様に、「文武両道」を実践した努力家として尊敬されるキャラです。
本日は、そんな太田道灌ゆかりスポット2ヶ所を巡ってみました。

『山吹の里歴史公園』

山吹の里伝説と公園の紹介

埼玉県越生町 山吹の里歴史公園

まずは道灌ゆかりの史跡公園「山吹の里歴史公園」へ向かってみます。

越辺川(おっぺがわ)が流れ、里山の雰囲気がありますねえ。
この川の上流には、越生の名所の黒山三滝があります。

埼玉県越生町 山吹の里歴史公園

雰囲気のある史跡公園「山吹の里公園」がこちらです。

太田道灌の「山吹の里の伝説」というのがあります。
道灌に明るい人なら「あれだよね?」と相槌が返ってくる程良く知られる伝承。

説明板から抜粋させて頂く。

鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。
すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。

その際、道灌は少女の謎掛けが解けなかった。
後に山吹の花に因んだ古歌「七重八重花は咲けども山吹の”実の”(=蓑)一つだになきぞ悲しき」を教えられた。

蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は歌道を志した。

というもの。

和歌”七重八重”は、後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) の中の作品です。
太田道灌が文人に長け努力のきっかけとなったとされる逸話です。

埼玉県越生町 山吹の里歴史公園

実は、山吹の里伝説の故地とされる場所はいくつかあります。

この地の山吹の里伝説の由縁はというと、「道灌誕生の地であった」「道灌の父・道真が館を構えた地であった」、なるほど。
はたまた、「当地古くから山吹の自生地」「武士団・児玉党越生氏一族の山吹氏が居たことも知られる」など。

えっ?最後の項は山吹の花に関する伝説なのか、人の名前の話なんだか、良く分からない話になってますが(苦笑)。

埼玉県越生町 山吹の里歴史公園

茅葺き屋根の水車小屋で、いかにもの雰囲気たっぷり。
入口に”賤が家”とあるので、道灌が立ち寄った貧しい民家の再現イメージなんでしょうなあ。

ちなみにこの公園内には約3,000株の山吹が植えられており、4月から5月頃にかけて黄金色の花で一杯に染まるそうです!

埼玉県越生町 山吹の里歴史公園

公園の裏手は小山になっており上まで登れます。
頂上には休憩できるベンチがあったりしますが、特に看板や説明もありませんでした。

見晴らしはまずまず。
町内を見渡せ、遠く秩父方面へと続く山々が見通せます。

史跡公園としてはちょっと雰囲優先な感じの印象かな。
山吹咲く季節にやってくると楽しめそうですね。

山吹の里歴史公園へのアクセス

基本情報・アクセス

山吹の里歴史公園
住所:埼玉県入間郡越生町如意(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、東方面に400m(徒歩約7分)
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約30分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約25分
・無料駐車場あり

『龍穏寺』 太田道灌の墓

「総門」 太田道真の砦の話

埼玉県越生町 龍穏寺
総門

次に太田道灌と父・道真(どうしん)の墓がある「龍穏寺(りゅうおんじ)」に向かいました。

越辺川と並行する県道を上流に向かい、途中から県道を外れ山間部へ。
越生駅からは車で15分程走った辺りですが、急に山中の景色に変わってきますなあ。

そして山の斜面を切り開いたような感じの場所に、龍穏寺はありました。

埼玉県越生町 龍穏寺

室町時代、この龍穏寺領内には太田道灌の父・道真の砦があったといわれる。

当時道真は、関東管領(かんれい)を務めていた扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の補佐として、この地に居住していたとされます。
太田道灌はその砦で永享4年(1432年)に生まれたと伝わります

「山門」 関東三寺院の一つ

埼玉県越生町 龍穏寺

総門を抜けると。。。、古刹の雰囲気漂う、堂々たる山門が現われて思わず「おおっ!」と唸ります。

埼玉県越生町 龍穏寺

山号は「長昌山(ちょうしょうさん)」。

龍穏寺の創設は古く、平安初期の大同2年(807年)に修験者達の寺として創建されました。
いわゆる修行のための寺ですね。

室町時代には足利将軍の命により曹洞宗の寺院となり、太田道真と道灌によって復興されます。

埼玉県越生町 龍穏寺

龍穏寺は江戸時代には幕府より、関三刹(かんさんさつ)の筆頭寺院に任命されます。
関三刹は関東の曹洞宗を司る三寺院の内の代表ことで、全日本1万5千の寺院を統括し10万石の格式を拝領したそうだ。

おっと、凄い力を持っていた寺院じゃないか。

明治維新後には特権を返上し、以降はかつての勢を失い普通の寺院になって今に至るそうだ。
秘めたる歴史が眠っている場所のようですね。

埼玉県越生町 龍穏寺

大正3年(1913年)の火災で、龍穏寺の伽藍の多くは焼失。
そんな中、江戸時代の天保13年(1842年)建造のこの山門は、火災を免れた貴重な建築物の一つです。

外観には江戸時代の名工の彫刻が施され、内部には四天王像が収められています。
格子からのぞいたら四天王像と目が合っちゃったわ。

2階天井には極彩色の花鳥山水が描かれているそうで、細部に渡り凝った造りになっています。
外からは見えなくて残念。

「太田道灌像」 道灌、悲劇の最期

埼玉県越生町 龍穏寺

苔生す境内が、時の流れを感じさせます。

左側の観音立像の足元には、寄贈された江戸城外濠の石が置かれていた。
道灌と江戸城つながりなのでしょう。

埼玉県越生町 龍穏寺

本堂の手前に太田道灌像がありました。
彼のトレードマークの一つ、鷹狩の装束に包まれた姿であります。

埼玉県越生町 龍穏寺

太田道灌はその有能さで主君・扇谷上杉家を繁栄に導きました。
ですが有能さゆえ主君の怒りを買ってしまい暗殺される。。。、という悲劇的な最期を迎えました。

「本堂」 戦後の再建

埼玉県越生町 龍穏寺

「本堂」は戦後に再建された建物です。

埼玉県越生町 龍穏寺

本堂内には龍穏寺の名の通り、きらびやかで穏やかなる龍の刺繍が見えます。

「太田道灌・道真公墓」 丘に眠る

埼玉県越生町 龍穏寺

太田道灌・道真公の墓は、本堂脇の小高い丘の上にあります。

埼玉県越町 龍穏寺

石垣の上に載っているのが墓塔。
左側が父・太田道真の塔、右手が太田道灌の塔です。合掌。

道灌は文明18年(1486年)、享年55歳で謀殺されこの世を去りました。

道灌の墓塔は、終焉の地である神奈川県伊勢原市の大慈寺と洞昌院、そして太田家子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもあるそうです。
こちら龍穏寺には分骨されたものが納められています。

埼玉県越生町 龍穏寺
太田道灌公の墓の説明板

父・道真は道灌没の6年後の明応元年(1492年)、退隠していた越生の地で病により81歳で没。
当寺に葬られたそうです。

謀殺され先立たれた息子の死に、無念を感じてた事でしょうなあ。

「経蔵」 江戸時代の建築物

埼玉県越生町 龍穏寺

こちらは境内でひと際特徴的な唐風の建物。
「経蔵(きょうぞう)」といってお経を納めた蔵だそうで、県指定文化財です。

こちらも火災を逃れた貴重な建築物の一つ。
江戸時代の天保12年(1841年)に、750両をかけて建立されたものだそうです。

750両は現在の貨幣価値でいうと1億5千万円くらいかな?当時の勢いをしのばせますねえ。

埼玉県越生町 龍穏寺

壁面の彫り物は、曹洞宗の開祖・道元禅師の中国での修行の様子だそうです。
繊細なタッチで凄いですね。

彫り物の一部には、彩色した跡も見受けられます。

埼玉県越生町 龍穏寺

蔵の中には八角形の”輪蔵”という回転式のお経を納める棚があるそうだ。
1回転で1回、お経が読まれたのと同じ意になるそうです。

便利なグッズがあるんですね。

「熊野神社」 龍ヶ谷の鎮守

埼玉県越生町 龍穏寺

同じ敷地内にある龍ヶ谷の鎮守「熊野神社」。
こちらも、火災から逃れた昔からの社殿が残っています。

龍穏寺へのアクセス

基本情報・アクセス

龍穏寺公式ページ
住所:埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452-1(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約25分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約35分
・駐車場あり(約100台分)

坂東三十三観音と他の寺をあわせた、関東の百寺を紹介。
「地球の歩き方シリーズ」なのでしっかりした内容!

『縁側カフェ tokinoki』 江戸時代の古民家

埼玉県越生町 古民家縁側カフェ

龍穏寺のそばで、江戸時代末期の古民家をリノベーションしたカフェを発見!
こちらで遅めのランチを。

埼玉県越生町 古民家縁側カフェ

実はここ、無垢の家具をオーダーメイドで作る工房に併設されたカフェ。
カフェ営業は土日のみだそう。

こちらの家具もすべて工房で造られた物で、いわば食べれるショールームだね。
落ち着いた雰囲気で、食後に縁側で昼寝でもしたくなりそうです。

埼玉県越生町 古民家縁側カフェ

看板メニューの”季節の縁側ごはん。
ご飯は8分づき米の”青柚子香るわかめごはん”。

”8分づき”は玄米の胚芽が少しだけ残っている状態。
これがねえ、モッチリして旨いの。

おかずも素材が生かされた優しい味で、思った以上に満足のワンプレートでした。
こちら結構人気のお店の様で、予約して出かけるのがオススメ。

基本情報・アクセス

縁側カフェ tokinoki公式ページ
住所:埼玉県入間郡越生町龍ケ谷461(GoogleMapで開く
営業日:土日祝のみ
営業時間:11時~17時(ラストオーダー16:30)
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約35分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約35分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約30分
・駐車場あり

太田道灌ゆかりの町にでかけてみませんか?

埼玉県越生町 道灌パーク

太田道灌をキーワードにして越生町のスポットを巡ってみましたが、いかがでしたか?

山里の雰囲気を醸し出す歴史公園や、ひっそりと山間部に佇む寺院など、伝承の町に似合う越生町の場所柄が、道灌・道真の歴史の世界へと誘ってくれました。

そんな太田道灌ゆかりの町に出かけてみませんか?

記事の訪問日:2021/10/10


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