【最新記事:2022.12.1】秋の「旧古河庭園」、バラと紅葉を一緒に楽しむ贅沢【東京・北区】

「太田道灌生誕の地」越生町をレポ!道灌の墓や山吹の里で伝承を追った【埼玉】

「太田道灌生誕の地」越生町をレポ!道灌の墓や山吹の里で伝承を追った【埼玉】

関東で活躍した武将・太田道灌の生誕の地といわれる、埼玉県越生町の道灌ゆかりのスポットを紹介します。

道灌は江戸城を築き築城の名人と言われましたが、その一方学問や和歌にも長けていました。

そんな道灌が歌道を志すきっかけとなったといわれる伝承の地や、道灌の墓がある寺院を巡りながら道灌の歴史に近づいてみます。

越生町と太田道灌

埼玉県越生市「太田道灌生誕の地」

越生(おごせ)町は、埼玉県のほぼ中央に位置し首都50キロメートル圏ですが、川が流れ山間もある緑豊かな町です。

この町はなんといっても生越梅林が有名で、梅の郷として知られます。それと、景勝地・黒山三滝は昔から良く知られる名所です。

今回、越生が室町時代の武将・太田道灌(どうかん)ゆかりの地ということで、車ででかけて来ましたよ。

最初に越生駅にも近い観光案内所に立ち寄り。観光案内所の隣には「道灌パーク」と称する広場がありました!

「太田道灌生誕の地」押しの町の雰囲気がヒシヒシと伝わってきますね~。

埼玉県越生市「太田道灌生誕の地」

こちら越生駅前の太田道灌の像(表情が影でかたじけない!)。

太田道灌は室町時代後期に関東で活躍した武将で、徳川入城前に江戸城を築城した築城名人としても知られます。

幼いころから学問に励み、後々歌の世界でも名を馳せた文人としても知られます。

銅像に銘記されている様に、まさに「文武両道」を実践した努力家として尊敬されるキャラです。

そんな太田道灌ゆかりスポット2ヶ所を巡って紹介します。

『山吹の里歴史公園』

山吹の里伝説と公園の紹介

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

駅から歩ける距離の道灌ゆかりの史跡公園、「山吹の里歴史公園」まで歩いてみます。

里山の雰囲気がある景色の中、越辺川(おっぺがわ)を越えてゆきます。名所・黒山三滝はこの川の上流にあります。

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

こちらが雰囲気のある史跡公園、「山吹の里公園」です。

「山吹の里の伝説」というのは。。。、道灌に明るい人なら「あれでしょ?」って相槌が返ってきそうな良く知られる伝承。

説明板から抜粋させて頂く。

鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。

その際、道灌は少女の謎掛けが解けなかった。後に山吹の花に因んだ古歌「七重八重花は咲けども山吹の”実の”(=蓑)一つだになきぞ悲しき」を教えられた。

蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は歌道を志した。

太田道灌が文武両道に長けたことに関する逸話。和歌”七重八重”は、後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) の中の作品です。

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

実は、山吹の里伝説の故地といわれる場所は他にいくつかあります。

この地の山吹の里伝説の由縁はというと。。。、「道灌誕生の地であった」「道灌の父・道真が館を構えた地であった」とのこと。ふむふむ、なるほど。

はたまた、「当地古くから山吹の自生地」「武士団・児玉党越生氏一族の山吹氏が居たことも知られる」など。

えっ?最後の項は山吹の花にまつわる伝説なのか、人の名前の話なんだか、もはや良く分からない話になってますが(苦笑)。

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

茅葺き屋根の水車小屋で雰囲気たっぷりですが。。。この家は何?という説明が無いのがちょっとモヤモヤポイント。

入口に”賤が家”と書かれているので、道灌が立ち寄った貧しい民家を再現した設定と想像しますがね。

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

この公園内には約3,000株の山吹が植えられており、4月から5月頃にかけて黄金色の花で一杯に染まるそうです!

公園の裏手は小山になっており上まで登れます。階段両脇に山吹の枝が見られるので、シーズンには山吹のトンネルが楽しめるのかもしれませんね!

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

頂上は休憩できるベンチがありますが、特に看板や説明もありませんでした。

埼玉県越生市「山吹の里歴史公園」

見晴らしはまずまず。町内を見渡せ、遠く秩父方面へと続く山々が見通せます。

緑化公園としては楽しめそうですが、史跡公園としてはちょっと雰囲優先な感じの印象かなあ。

山吹の里歴史公園へのアクセス

山吹の里歴史公園
住所:埼玉県入間郡越生町如意(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、東方面に400m(徒歩約7分)
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約30分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約25分
・無料駐車場あり

『龍穏寺』 太田道灌の墓

「総門」 太田道真の砦の話

埼玉県越生市「龍穏寺」
総門

次に太田道灌と父・道真(どうしん)の墓がある「龍穏寺(りゅうおんじ)」を訪問します。

越辺川と並行する県道を上流に向かいます。途中から県道を外れ山間部へ。山の斜面を切り開いた様な場所に龍穏寺の姿が現れます。

越生駅から15分程度走った場所ですが、急に山の景色に入りますね、この辺は。

埼玉県越生市「龍穏寺」

室町時代、この龍穏寺領内には太田道灌の父・道真の砦があったといわれます。(少し離れた山中の現・山枝庵跡と呼ばれる場所)。

道真は、当時関東管領(かんれい)を務めていた扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の補佐として、この地に居住していたとされます。

そして、その砦で永享4年(1432年)に太田道灌が生まれたと伝承されます。

「山門」 関東三寺院の一つ

埼玉県越生市「龍穏寺」

総門を抜けると。。。、雰囲気漂う堂々たる山門が現われて思わず「おっ!」と声が出ますな。なかなかに古刹の風格が漂う寺院です。

埼玉県越生市「龍穏寺」

山号は「長昌山(ちょうしょうさん)」。龍穏寺(りゅうおんじ)の始まりは古く、平安初期の大同2年(807年)に修験者達の寺として創建されました。

室町時代には足利将軍の命により曹洞宗の寺院となり、太田道真と道灌によって復興されます。

埼玉県越生市「龍穏寺」
江戸時代には幕府より関三刹(かんさんさつ)の筆頭寺院に任命されます。

関三刹は関東の曹洞宗を司る三寺院の内の代表ことで、全日本1万5千の寺院を統括し十万石の格式を拝領したそうだ。

おっと、凄い力を持っていた寺院じゃないか。。。

明治維新後に特権を返上し、以降はかつての勢いは無くなり普通の寺院になって今に至るという感じ。あまり知られていない秘めたる歴史が眠っている寺院のようですね。

埼玉県越生市「龍穏寺」

龍穏寺は大正3年(1913年)の火災で多くの伽藍を焼失しています。

そんな中、江戸時代の天保13年(1842年)建造のこの山門は、火災を免れて残った貴重な建築物の一つです。

外観には江戸時代の名工の彫刻が施され、内部には仏法を守護する四天王が収められています。

2階天井には極彩色の花鳥山水が描かれているそうで、細部に渡って凝った造りになっています。(2階天井は外から見えなくて残念。。。)

昔は訪問者がこの門をうやうやしくくぐった事でしょう。

埼玉県越生市「龍穏寺」

格子からのぞいたら四天王像と目が合っちゃった。

「太田道灌像」 道灌、悲劇の最期

埼玉県越生市「龍穏寺」

苔生す境内。時の流れを感じさせる雰囲気が漂います。

左側の観音立像の足元には、江戸城外濠に架かっていた石が置かれています。道灌といえば江戸城ですからね。寄贈された物とのことです。

埼玉県越生市「龍穏寺」

本堂の手前に太田道灌像があります。

鷹狩の装束に包まれた姿は、彼のトレードマークの一つですな。

埼玉県越生市「龍穏寺」

太田道灌はその有能さで主君・扇谷上杉家を繁栄に導きました。

ですが有能さゆえ主君の怒りを買ってしまい暗殺される。。。、という悲劇の最期を迎えました。

「本堂」 戦後の再建

埼玉県越生市「龍穏寺」

「本堂」は戦後に再建された建物です。

埼玉県越生市「龍穏寺」

本堂内には龍穏寺の名の通り、きらびやかで穏やかなる龍が見えます。

埼玉県越生市「龍穏寺」

入口天井には檀家によって書かれた一文字が掛かる。

「太田道灌・道真公墓」 丘に眠る

埼玉県越生市「龍穏寺」

本堂にご挨拶した後、いよいよ太田道灌・道真公の墓とご対面です。本堂脇の小高い丘の上にあります。

埼玉県越生市「龍穏寺」

石垣の上に載っているのが墓塔で、左側が父・太田道真の塔、右手が太田道灌の塔です。合掌。

道灌は文明18年(1486年)、享年55歳で前述の通り謀殺によりこの世を去りました。

道灌の墓塔は、他にも終焉の地である神奈川県伊勢原市の大慈寺と洞昌院、そして太田家子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもあるそうです。

こちら龍穏寺へは分骨されたものが納められています。

埼玉県越生市「龍穏寺」
太田道灌公の墓の説明板

父・道真は道灌没の6年後となる明応元年(1492年)、退隠していた越生の地で病により81歳で没。当寺に葬られたそうです。

晩年は君主に謀殺され先立たれた息子の死に、無念を感じた事でしょう。

「経蔵」 江戸時代の建築物

埼玉県越生市「龍穏寺」

こちら境内でひと際特徴的な唐風の建物。「経蔵(きょうぞう)」といってお経を納めた蔵だそうで、埼玉県の指定文化財になっています。

こちらも火災を逃れた貴重な建築物の一つ。江戸時代の天保12年(1841年)に750両をかけて建立されたものだそうです。

750両は現在の貨幣価値でいうと1億5千万円くらいかな?当時の勢いをしのばせますねえ。

埼玉県越生市「龍穏寺」

壁面のこちらの彫り物は、曹洞宗の開祖・道元禅師の中国での修行の様子だそうです。繊細なタッチで彫られてますね!

埼玉県越生市「龍穏寺」

こちらは一部彩色した跡が見受けられます。

埼玉県越生市「龍穏寺」

蔵の中には八角形の”輪蔵”という回転式のお経を納める棚があるそうだ。1回転で1回、お経を読まれたのと同じ意になるそうです。

便利なグッズがあるもんですなあ。

「熊野神社」 龍ヶ谷の鎮守

埼玉県越生市「龍穏寺」

同じ敷地内にある龍ヶ谷の鎮守「熊野神社」。こちらも、火災から逃れて昔からこの地を見守ってきた社殿が残っています。

龍穏寺へのアクセス

龍穏寺公式ページ
住所:埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452-1(GoogleMapで開く
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約25分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約35分
・駐車場あり(約100台分)

御朱印でめぐる関東の百寺 坂東三十三観音と古寺 (地球の歩き方 御朱印シリーズ) [ 地球の歩き方編集室 ]

価格:1,650円
(2021/9/23 10:53時点)

坂東三十三観音と他の素晴らしい寺をあわせて、関東の百寺を紹介。「地球の歩き方シリーズ」なのでしっかりした内容ですよ!

42 日本全国ねこの御朱印&お守りめぐり 週末開運にゃんさんぽ (地球の歩き方 御朱印シリーズ) [ 地球の歩き方編集室 ]

価格:1,760円
(2022/3/4 07:43時点)
感想(4件)

猫にゆかりのある神社とお寺の紹介。見るだけでも癒されます!関東の社寺の紹介が多めです。

『縁側カフェ tokinoki』 江戸時代の古民家

埼玉県越生市 古民家カフェ「縁側カフェ」

龍穏寺のそばにある古民家カフェで遅めのランチ。

こちらのカフェは江戸時代末期の古民家をリノベーションしたカフェ。店名の通り、縁側でのんびりくつろぐお客さんの様子が楽しいなあ。

埼玉県越生市 古民家カフェ「縁側カフェ」

実はここ、無垢の家具をオーダーメイドで作る工房に併設されたカフェ。カフェ営業は土日のみだそうだ。

家具もすべて工房で造られた物で、いわば食べれるショールームだね。落ち着いた雰囲気のお店で、食後に縁側で昼寝でもしたくなりそうです(笑)。

埼玉県越生市 古民家カフェ「縁側カフェ」

看板メニューの”季節の縁側ごはん。

ご飯は8分づき米の”青柚子香るわかめごはん”。”8分づき”は玄米の胚芽が少しだけ残っている状態。これがねえ、モッチリして旨いの。

おかずも自然の素材が生かされた優しい味で、思った以上に満足のワンプレートでした。こちら結構人気のお店の様だ。予約して出かけるのがオススメ。

縁側カフェ tokinoki公式ページ
住所:埼玉県入間郡越生町龍ケ谷461(GoogleMapで開く
営業日:土日祝のみ
営業時間:11時~17時(ラストオーダー16:30)
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約35分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約35分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約30分
・駐車場あり

森のカフェと緑のレストラン 首都圏で出会う、やすらぎの空間 (ぴあMOOK)

価格:1,080円
(2022/9/10 10:18時点)
感想(2件)

写真を見ていると出かけたくなってしまう、素敵なカフェ満載。

でかけてみませんか?

埼玉県越生市「道灌パーク」

太田道灌をキーワードにして越生町のスポットを巡ってみましたが、いかがでしたか?

山里の雰囲気を醸し出す歴史公園や、ひっそりと山間部に佇む寺院など、伝承の町に似合う越生町の場所柄が、道灌・道真の歴史の世界へと誘ってくれました。

太田道灌ゆかりの町に出かけてみませんか?


たまには、少しリッチなお取り寄せを楽しみませんか?

【記事の訪問日:2021/10/10】

近隣のスポットもチェック! 【あわせて読みたい】

埼玉県越生町「渋沢平九郎自決の地」

埼玉県越生町「黒山三滝」

埼玉県ときがわ町「小倉城跡」

埼玉県飯能市「飯能駅からレトロウォーク」

埼玉県嵐山町「菅谷館跡」

Pocket