埼玉県行田市にある埼玉古墳群は、稲荷山古墳から出土された鉄剣が国宝指定されていることで知られています。
2020年には、県内では初めての特別史跡にも指定されました。
古墳群は「さきたま古墳公園」として整備されており、大型古墳4基を含む全9基の古墳が保存・公開されています。
散策路は良く整備されているので、ハイキング気分園内をめぐることができますよ。
そんな、さきたま古墳公園の見どころについて紹介します。
目次
「埼玉古墳群」稲荷山古墳を中心に9基の古墳が残る
県名発祥の地・行田は古墳が多く造られた地

公園内の埼玉県名発祥之碑
行田市は多くの古墳が造られた地で、埼玉(さきたま)古墳群をはじめとする10の古墳群があり、150基以上の古墳が確認されています。
行田における古墳の変遷
■5世紀末頃:約1,500年前のこの頃に稲荷山古墳が築かれ、そこから埼玉古墳群が発生してゆきます。その強大な権力者に従う中・小規模の権力者の古墳がその後各地に出現。
■6世紀後半頃:真名板高山古墳や小見真観寺(おみしんかんじ)古墳など、100m級の大型前方後円墳が周辺地域でも築かれるなどの変化が現れる。その一方、埼玉古墳群の古墳は大きさがやや小さくなってゆき、勢力図に変化が現れます。
■7世紀:埼玉古墳群では浅間塚古墳(現在の前玉神社)・白山古墳・戸場口山古墳などの円墳・方墳が築かれますが、若小玉古墳群ではより大型の八幡山古墳が築かれており、力関係が逆転したことが伺えます。
その後に埼玉古墳群は途絶え、若小玉古墳群では7世紀後半の地蔵塚古墳まで古墳が築かれ続けました。
行田の古墳群の中でも、埼玉古墳群は最も古い時代の古墳群となります。
また、県名発祥地とされる行田市埼玉(さきたま)にある埼玉古墳群は、その象徴的な存在ともいえます。
\ 若小玉古墳群の八幡山古墳についてはこちら!/
「さきたま史跡の博物館」世紀の大発見!国宝の鉄剣は必見

まずは公園の入口側にある「さきたま史跡の博物館」を見学します。
埼玉古墳群は2020年3月に国の特別史跡に指定されており、ロビーには”祝 特別史跡指定”の横断幕がどどん!と掛かっていました。
特別史跡は国指定史跡の中でも特に学術上の価値が高いとされるもので、県内では初の指定です。
館内には「企画展・特別展」「国宝展示室」の2つの展示室がありますが、注目はやはり国宝展示室。
昭和53年(1978年)に稲荷山古墳から出土され国宝指定された鉄剣を中心に、展示がおこなわれています。

こちらが国宝指定の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」と呼ばれる鉄剣で、100年に一度の世紀の大発見といわれた発掘品です。
私も実物を拝見するのは初めてで、これかあ、と見入ります。
二重の特殊ガラスケースに納められており、内部ケースには窒素ガスを充填。酸素と接触させないことで酸化を防ぐ技術なんだそうだ。
う~む、そんな技があるんですね。

全長約74cmの鉄剣両面において発見されたのが、彫刻に金を埋め込んだ合計115字の銘文です。
これは古墳時代の刀剣に記された銘文としては最長文のもの。
約1500年前の鉄剣ですが、文字が目視できる程度に鮮明に復元されているのは凄いですね。
銘文の意味は次のようなものです。
(わたくし)ヲワケの先祖は、代々杖刀人首(じょうとうじんしゅ)を務めてきた。
私はワカタケル大王(雄略天皇)に仕え、天下を治めるのを補佐した。
そこで、辛亥年の年(西暦471年)7月に、この素晴らしい刀剣にこれまでの輝かしい功績を刻んで記念とする。
杖刀人首は親衛隊長の役柄のこと。
ヤマト王権の王とされる、第21代天皇・雄略(ゆうりゃく)天皇の存在が確認できる内容となっています。
5世紀後半において、ヤマト王権と他地域勢力との関係性が読み取れる資料として大変貴重なものなんですね。
ヤマト王権と雄略天皇
ヤマト王権は3~6世紀頃に大和(奈良盆地)を中心に成立した古代日本の支配体制で、各地の豪族を服属させながら緩やかな連合政権を形成しました。
王権は大王(おおきみ)を頂点に氏姓制度や朝鮮半島との外交・軍事活動を通じて権威を強め、古墳造営や祭祀によって支配を正当化します。
雄略天皇(5世紀後半)はヤマト王権の権力が最も強化された時代の大王とされ、豪族を厳しく統制し、王権の専制性を高めた人物です。
埼玉県立さきたま史跡の博物館
公式ページ
住所:埼玉県行田市埼玉4834(GoogleMapで開く)
開館時間:9:00~16:30(入館受付は16:00まで) *7月1日~8月31日は9:00~17:00(入館受付は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日、振替休日、埼玉県民の日*11月14日除く)、12月29日~1月3日 *その他臨時休業あり
入場料:大人 200円、高校生・学生 100円
埼玉古墳群の古墳に見られる特徴
各古墳をめぐる前に、埼玉古墳群の特徴を見ておきましょう。
埼玉古墳群の概要
5世紀後半~7世紀中頃にかけて150年以上にわたり大型古墳が連続して築造された古墳群で、東西500m・南北800mの狭い範囲内に密集しているのが特徴です。
さらに前方後円墳においては、統一された規格が見られます。
(1)主軸方位がおおむね揃う (2)長方形の二重周堀を持つ (3)西側に造出しという施設を持つ
これらにより、古墳群は特定集団により形成がされたことが伺えます。
埼玉古墳群は「さきたま古墳公園」として保存されており、全体約37万m2、東京ドーム約8個分の広さに及ぶ敷地内には前方後円墳8基・大型円墳1基の計9基が残されています。

公園内の散策路は良く整備されており、ちょっとしたハイキング気分で歩けますよ。
ベンチもあるので途中でお弁当を広げるも良し!という感じですね。
古墳はざっと全部歩いて約3.5kmの距離で、所要時間は90分程度です。
「二子山古墳」横穴式石室の可能性もあり

まずは公園の中央部に位置する「二子山古墳」から。
こちらは6世紀前半に造られた、全長132.2mの前方後円墳です。
埋葬設備については発掘未調査ですが、レーダー探査によると横穴式の石室である可能性があるとのこと。
周辺からは大量の須恵器(すえき)や土師器(はじき)とともに、各種円筒埴輪が出土されています。
今後調査が進み、色々と分かってくると良いですねえ。
古墳時代の土器は主に2種類あります。
■土師器:弥生土器の流れをくみ、野焼きで焼かれたため比較的低温で焼成されています。色は赤褐色で、やややわらかいのが特徴。主に煮炊きや日常の食器に使われました。
■須恵器:5世紀頃に朝鮮半島から技術が伝わり、窯(かま)で千度以上の高温で焼かれます。色は青灰色で硬く精巧です。主に貯蔵や儀式用の高級品として使われました。

以前に一度訪問した際の記憶では、二子山古墳は確か水堀に囲まれていた記憶が。。。
と思って後で確認したら、近年の調査で元々は滞水がなかったことが判明し、浸食防止の目的もあり平成24年(2012年)から3年掛けて埋め戻したんだそうだ。
維持管理も大変そうですね。
「将軍山古墳」埴輪を配して当時の様子を復原

稲荷山古墳から望んだ将軍山古墳
次に向かう「将軍山古墳」は全長90mの、6世紀後半に造られた前方後円墳です。

周囲の堀を復元し、墳丘に埴輪のレプリカを並べるなど、当時に近い形で整備されています。
埴輪について
大きく分けて円筒埴輪と形象埴輪の2種類があります。
円筒埴輪は筒形の埴輪で、形象埴輪はさらに人物埴輪・動物埴輪・家形埴輪・器財埴輪などの4種類にわけられます。
形象埴輪は円筒埴輪よりやや遅れて出現したもので、圧倒的に出土の数が多いのが円筒埴輪です。
形象埴輪は墳頂や造出しや中堤などに並べられて、儀礼の場面などを表しています。
一方、円筒埴輪は墳丘に多量に立て並べられて古墳を飾り立てるとともに、 邪悪な存在から古墳を守る結界のような役割を担ったといわれています。

ここで古墳の構造についてですが、写真左手の墳丘が後円部、中央奥に見えるのが前方部。
それとは別に右側に平たい盛土部分があるのがわかりますかね?これは”造出し(つくりだし)”と呼ばれています。
公園内のすべての前方後円墳に見られるこの”造出し”は、埋葬儀礼の場だと考えられているもの。
設置個所はすべて西側で、後円部もしくはくびれ部分にあります。
周囲の方形の内堀・外堀の二重の周堀(しゅうほり)も共通の特徴です。
見学の際には意識して見ておきたいポイントですね。
「将軍山古墳展示館」実物大の石室を復元

将軍山古墳展示館
墳丘内に設置されている「将軍山展示館」への入場券は、博物館の入場券と共通となっています。
将軍山古墳の横穴式石室は明治27年(1894年)に地元住民による発掘が行われ、大量の副葬品が出土されました。
その際に石室の石材が抜き取られたため古墳は荒廃し、一時期は保存も危ぶまれる状態になります。
平成に入って復元を前提とした発掘調査・保存整備が実施され、それが現在の保存の形につながっています。

1階は展示館、2階には横穴式石室の復元コーナーがあります。
入口正面にあるのは墳丘断面をはぎ取ったパネル。
黒土と茶色い粘土を、交互につき固めながら盛土しているのがわかります。

出土した馬具の複製品を付けた馬の模型。
古墳時代にこんなきらびやかな馬具があったというのは驚き!
副葬品には、朝鮮半島からの舶載品やその影響を受けたものが多く見れたとのこと。

2階の横穴式石室は実物大の復元により、埋葬時の様子が再現されています。
当時床面のみが残っていましたが、元々は天井・壁がある造りだったとのこと。

石室の様子を改めて見ると「古墳ってお墓なんだよね」という生々しい感覚が。
いにしえの故人に改めて合掌。
埋葬施設について
埋葬施設には竪穴式と横穴式があります。
竪穴式の埋葬施設が一回のみの埋葬であるのに対し、横穴式の埋葬施設は埋葬後も石室へ出入りができるため、繰り返し埋葬できる点が特徴です。
横穴式の埋葬施設は、古墳時代中期に朝鮮半島の影響を受けて登場しました。
「稲荷山古墳」国宝鉄剣を出土した群内最古の古墳

そしてこちらが国宝の鉄剣が出土された「稲荷山古墳」で、全長120mの前方後円墳です。
5世紀後半に造られたもので埼玉古墳群では最も古い古墳。
最北に位置しており、古墳群はここから創り始められたということなのですね。

南側から望む全景。前方部から後円部のラインを見ると、結構な高低差があるのがわかります。
前方部側は昭和初期に埋め立て用の土として利用されてしまい、実は元の墳丘は消失しています。残念!
現在の前方部は調査にもとづいた復元となります。

この稲荷山古墳と丸墓山古墳の2基は登墳できる古墳となっているので、前方側にある登墳用の階段から登墳してみますよ。

前方部頂上から後円部を望みます。

後円部の頂上。
この埋葬施設は「礫槨(れきかく)」と呼ばれ、棺の下方や側方に礫を詰めているのが特徴です。
歴史的な金錯銘鉄剣も、ここから発見されたわけです。

現在は発掘時のイメージパネル(?)が設置されており、この下に埋まる形で礫槨が保存されています。
ここ、昔は礫槨の実物が見れたんですね。
上向きに開かれた状態の竪穴式埋葬施設は、自然の影響をモロに受けていたとのこと。保存を優先して現在の対策がとられたんだそうだ。
見学の観点からすると、以前と比べると正直リアルさが半減。
強化ガラス張りにするとかで、実物を見学できる展示方法はないものなんだろうか。
「丸墓山古墳」国内最大級の円墳、戦国時代は石田三成の本陣に

前方後円墳の多い埼玉古墳群において、唯一の大型円墳が「丸墓山古墳」です。
全長105m・高さ17.2mで、国内でも日本最大級の円墳で、出土品から6世紀初頭の造築とされています。
以前は日本最大の円墳!と紹介できたのですが、2017年に奈良市の富雄丸山古墳が測量された結果、直径110mと判明。丸墓山古墳を5m上回る国内最大の円墳となりました。
これは埼玉県民としては、正直ちょっと残念だ(苦笑)。

墳丘の傾斜はけっこう急ですね。
丸墓山古墳は古墳群内で唯一、葺石(ふきいし)と呼ばれるものが表面に貼られてい形跡が見られた古墳。葺石は古墳の斜面を安定させるためのものです。
他の古墳とは異質な点が多い丸墓山古墳は、調査も限定的でまだ詳細は良く分かってないらしい。
埼玉古墳群の中では、最もミステリアスな存在の古墳といえます。

墳丘の頂上には桜が植えられており、春の開花の様子はなかなか見事ですよ!

埼玉古墳群で一番高い墳丘なので、見晴らしが良い。
左側に見えているのが稲荷山古墳で、右奥が将軍山古墳です。

こちらは北西の方角。遠くを見渡すと、忍城址公園に建つ三階櫓が見えます。
かつて丸墓山古墳に石田三成が本陣を張った
戦国時代、豊臣秀吉は小田原北条氏を攻める小田原征伐をおこないます。
小田原北条氏の配下の城であった忍城もその攻撃を受け、秀吉軍の大将・石田三成は忍城に対して水攻めをおこないました。
その際、石田三成が本陣を張ったのがここ、丸墓山古墳の頂上だったんですね。
実際に丸墓山の墳丘上に立ってみると、忍城を見張るのに絶好の場所だったことが頷けますわ。

地上部にある周囲よりも盛り上がったこの堤。
これは石田三成が水を堰き止めるために造ったもので、後に「石田堤」と呼ばれた堤の一部なんですよ。
現在では堤に植えられた桜が、春の訪問者を楽しませてくれます。
石田堤に興味がある方はもちらも是非! /
南側にある5基の小型古墳群をめぐる
「愛宕山古墳」駐車場近くにある古墳

公園の南側エリアには小規模の古墳が集中しています。
より近くで見られるので古墳の構造が分かり易い、というのがおすすめポイントですね。
「愛宕山古墳」は6世紀後半の前方後円墳で、全長は54.7m。
駐車場のすぐ横にあるので最初に出会う古墳ですが、油断すると案外見逃しそうなのでちょっと注意。
「瓦塚古墳」古墳の造りが分かり易い

「瓦塚古墳」も6世紀前半の前方後円墳で、全長は73.4m。
造出しや二重周堀部分の表示があり分かり易いので、構造を知るのに良い古墳です。
「奥の山古墳」二重周堀を持っていた古墳

「奥の山古墳」は6世紀中頃の前方後円墳で、全長66.4m。
二重周堀を持っていたことが調査で分っています。
「鉄砲山古墳」忍藩の砲術訓練場だった

「鉄砲山古墳」は6世紀後半の前方後円墳で、全長107.6m。
鉄砲玉が数多く出土されており、江戸時代に忍藩の砲術訓練場として使用された痕跡が見られるとのこと。
複数の時代にまたがる歴史が残っているのは、興味深いですね。
\ 忍城の詳細についてはこちら!/
「中の山古墳」一番最後に造られた古墳

最後の「中の山古墳」は6世紀中頃の前方後円墳で、全長66.4m。
埼玉古墳群で一番最後に造られたとされる古墳で、南の端にあり一番地味な場所に立地しています。
「芝生の公園・はにわの館」家族連れにお薦め

さきたま広場
駐車場西側には広々とした芝生公園があり、レジャーシートを敷いてくつろぐ家連れも多かったですね。
園内に売店やカフェがあるといいなあ、なんて、ちょこっと思いました。
「はにわの館」では、はにわ作りの体験が結構人気のようです。
参加するならば、事前に予約した方が無難のようですよ。
観光物産館さきたまテラスについて(2023年4月追記)
令和5年(2023年)4月1日、さきたま古墳公園内に「観光物産館さきたまテラス」がオープンしました!
地場産品の販売やソフトクリーム、行田の餃子バーガー・行田古代米カレーなどの地元名物の軽食や、カフェも併設されています。朗報ですね!
行田市はにわの館
公式ページ
住所:埼玉県行田市埼玉5239-2(GoogleMapで開く)
開館時間:9:00~16:30(はにわ作り受付は9:00~14:30)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、その翌日が休館)、祝日の翌日(土日に当たる場合は開館)、年末年始(12月27日~1月5日)
料金:はにわ作りには粘土代が発生します。
関東60カ所の古墳・古墳群を、わかりやすい実測図掲載にて紹介!
各県とも結構見応えのある様々な古墳があるんですね!
俳優・鈴木亮平さんが、世界遺産旅に想いをめぐらせ挿絵を描き下ろし。実際に行っていないのに(笑)。
妄想爆発で書き下ろした前代未聞の楽しい旅行記。
さきたま古墳公園の詳細情報・アクセス
さきたま古墳公園
住所:埼玉県行田市埼玉(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR高崎線「北鴻巣駅」からさきたま緑道で徒歩4.5km(約60分)
・JR「吹上駅」から朝日バス佐間経由行田車庫行「産業道路」下車、徒歩15分
・JR「行田駅」又は秩父鉄道「行田市駅」から市内循環バス「さきたま古墳公園前」下車、徒歩2分
車)
・東北自動車道「羽生IC」から北西へ約12km
行田ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
埼玉古墳群へ出かけてみませんか?
多くの古墳がある埼玉古墳群ですが、実は埋葬施設が発掘調査されているのは稲荷山古墳と将軍山古墳の2基だけなんですよね。
ということで、埼玉古墳群にはまだまだ未知なる歴史が眠っているスポットです。
そんな埼玉古墳群を、古代のロマンを感じながら歩いてみませんか?
記事の訪問日:2021/10/24




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