日光街道の宿場町・粕壁宿があった、埼玉県春日部市。
そんな春日部の街の宿場町ウォークを紹介します。
粕壁宿には、松尾芭蕉も「おくのほそ道」紀行で宿泊しているんですね。
そんなかつての歴史をふり返りつつ、舟運で栄えた大落古利根川沿いや、宿場町の面影を残す旧街道の蔵の建物などをめぐります。
街中では、春日部の案内人であるクレヨンしんちゃん一家にも出会えますよ!
目次
粕壁宿は4番目の日光街道の宿場町
「粕壁宿」 日光街道4番目の宿場町

江戸時代末期の粕壁宿の1/200縮小のジオラマ模型(春日部市郷土資料館)
江戸時代の五街道のひとつである日光街道は、江戸日本橋から徳川家康公を祀る日光山東照宮への主要道路として整備された、全長約142kmに及ぶ街道です。
粕壁宿は日光街道としては江戸から4番目の宿場町です。
日本橋を出て千住宿を過ぎると、次の宿場町からは現在の埼玉県域に入り草加宿・越ヶ谷宿・粕壁宿・杉戸宿・幸手宿・栗橋宿と続きました。
江戸日本橋からは9里2町(約35.6km)の距離で、一日歩き通すとちょうど粕壁宿が1泊目の宿場町となり、多くの旅人が宿を取りました。
粕壁宿は、日光街道の中でも比較的大きな宿場町でした。
1つ手前の越ヶ谷宿の記事はこちら
1つ先の杉戸宿の記事はこちら
春日部はクレヨンしんちゃんの街

春日部駅西口
埼玉県東部に位置する春日部市は、都心50km圏内にあり交通も便利な場所です。
電車では東武伊勢崎線が東京メトロ日比谷線や半蔵門線、また東急田園都市線などに乗り入れていりので、都心に1本で行けてしまう。
また車による交通も、東西に走る国道16号線と南北に走る国道4号線が交わっており利便性が高いです。
そして駅前写真でもお分かりの通り、春日部には人気アニメ・クレヨンしんちゃんの舞台になっている街、というトピックがある市なんですね。しんちゃん一家は”まちの案内人”となっています。
「ぷらっとかすかべ」 観光案内所で街歩き情報を収集

まずは春日部駅東口から歩いて2~3分の場所にある、観光情報発信施設「ぷらっとかすかべ」で街歩きの情報収集を収集。
市内には文化・歴史・自然・芸術などをテーマに、8種類の街歩きコースが設定されており、ウォーキングマップも用意されていました。
漫画クレヨンしんちゃんの舞台になったスポットを巡るコースなどもあり、大人から子供までが楽しめるコースが用意されておりこれは楽しそうです。
本日はその中の「宿場町ウォーク」のコースを参考にしつつ、宿場町の面影を探して街歩をしてみます。
実は駅前の道を真っすぐ進むと、かつての粕壁宿の中心部に出れちゃうんですね。
ですが折角なんで、かつての江戸からの旅人同様、宿場入口から歩き始めたい。ということで、ぷらっと春日部から、一本手前の学校通りを東に進みます。
春日部情報発信館「ぷらっとかすかべ」
住所:埼玉県春日部市粕壁一丁目3-4(GoogleMapで開く)
開館時間:9:00~16:30
休館日:原則毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日、翌日が祝日の場合はその翌日、以後同じ)、12月29日~1月3日 ※臨時に休館・開館する場合あり
散策が楽しくなる街角アート

街を歩くと多くの彫刻に出会います。
「彫刻のあるまちづくり」として設置されたもので、市内各所にトータル23体の彫刻が設置されているとのこと。これは街歩きが楽しくなりますね。
写真は「隣空いてますか?」と、思わず声を掛けたくなる春日部市教育センター前にあった彫刻。
春日部市郷土資料館で春日部の歴史を知る

そして春日部市教育センター内にある「春日部市郷土資料館」は、是非立ち寄りたいスポット。
こじんまりとした資料館には、春日部市の歴史がギュギュっと詰まっていますよ。冒頭の粕壁宿の1/200縮小のジオラマ模型が、大きな見どころの一つ。
春日部市郷土資料館
住所:春日部市粕壁東3-2-15(教育センター内1階)(GoogleMapで開く)
入場料:無料
開館時間:9:00~16:45
休館日:毎週月曜日、祝祭日(月曜日が祝祭日と重なる場合は、火曜日も休館)。臨時休館日あり
日光街道で6番目の規模だった粕壁宿

学校通りを約1km程進むと国道4号線にぶつかり、少し歩くと 折り返すように”かすかべ大通り”(旧日光街道)の始点があります。


八坂神社の案内板より
幕末における粕壁宿の規模
旧日光街道に沿って南北10町25間(約1.1km)にわたって続いた旧宿場町の町並みは、現在の春日部大通りと呼ばれています。
天保14年(1843年)頃の調査によると、家数773軒・人口3,701人を数えました。本陣と脇本陣が各1ヶ所あり、旅籠は45軒あった。
そして、人馬の手配などを行う問屋場が1ヶ所あり人足35人・馬35頭の常備が課せられていた。
宿場の規模は、日光街道23宿のうちの6番目の規模でした。
粕壁宿は日光に近い方が上手で、江戸に近い方が下手と呼ばれました。
町の並びは上手から、最勝院などがある旭町(旧寺町・横町・寺横町)が宿場のつきあたりにあり、道に沿って、上町、仲町、新宿、三枚橋と続きました。
「八坂神社」 旧粕壁宿入口に鎮座

かつて粕壁宿の入口に鎮座していたのがこちらの「八坂神社」。
六斎市がおこなわれたことから、宿場の市神様として信仰されました。
また、現在も毎年おこなわれている「春日部夏まつり」は、元々は八坂神社の祭礼としておこなわれていたものなんだそうだ。

歴史のある神社にしては随分こざっぱりした境内だな、と思ったが、実は平成22年に放火にあっているとのこと。
現在の社殿はその翌年に再建されたものなんだそうだ。神社に放火とは罰当たりだな!
「東八幡神社」 彫刻や三之宮卯之助の力石が見どころ

八坂神社の少し北に鎮座しているのは、春日部市内でも有数の古社とされる「東八幡神社」。
国道4号線沿いの入口から200m程ある長い参道の先に、静かな境内がある。
近郷近在の人々からは親しみを込めて「下の八幡様」の愛称で崇敬を集めたそうだ。宿場の下の手にあったので、この呼び名なんだと思われる。

本殿は透塀で囲まれているが隙間から覗かせて頂くと、躍動感のある見事な彫刻が施されていた。

そして境内には、「三之宮卯之助の力石」があった。
三ノ宮卯之助(1807-1854年)は旧岩槻藩三野宮村(現、越谷市)の出身。江戸で勧進相撲をおこない、江戸一番の力持ちと評判になった力士です。
ここにある100貫目(375㎏)の力石は、八幡神社境内で興業した際に持ち上げた記念として奉納されたもの。
三之宮卯之助の力石は各地に残っています。
桶川には三ノ宮卯之助が持ち上げた日本一の力石がある
「東陽寺」 松尾芭蕉の宿泊地ともいわれる

では、旧日光街道を歩いてみます。
この辺りは市街地化してマンションなども多く、街道の面影を感じさせる建物などはなさそうだ。

歩き始めるとすぐ、東陽寺という寺院がありました。

東陽寺は、文明年間(1469~1487年)に八幡神社の東隣に創建されましたが、寛永元年(1624年)に焼失。
その後の寛文2年(1662年)に、現在の場所に再建・中興されました。

ところで、江戸時代を代表する俳人として知られる松尾芭蕉は、「おくのほそ道」紀行で日光街道を歩いています。
元禄2年(1689年)にその道中となる粕壁宿で宿泊していますが、その際の宿がこの東陽寺だったともいわれているんですね。
本堂下の石碑には、芭蕉に同行した弟子の河合曾良(そら)の日記の一文が刻まれています。
「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」
石碑はおくのほそ道紀行300年を記念して、平成元年に建立されたもの。ちなみに芭蕉が泊まった場所に関しては、諸説あります。
「脇本陣碑・本陣跡碑」 大名や高僧が宿泊した施設
脇本陣碑

東陽寺の前の道を挟んで「脇本陣跡」の標柱がありました。
天皇の勅使・公家・大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための宿で、脇本陣はその予備的な宿です。
脇本陣は以前は仲町にあったが、天保元年(1830年)より旅籠屋を営んでいた高砂屋竹内家が脇本陣を勤めた。嘉永2年(1849年)から幕末までは、本陣に格上げされています。
明治9年(1876年)6月と明治14年(1881年)7月の明治天皇の東北巡幸の際には、御昼食所として使われました。
本陣跡碑

こちらはもう少し先の仲町にあった「本陣跡」碑。
本陣を務めた家には5回の変遷があったそうで、ここは宝暦4年(1754年)まで関根次郎兵衛家が勤めた2番目の本陣の跡とのことです。

標柱には当時の絵図が描かれており、当時の雰囲気を伺うことができます。
本陣と旅籠の具体的な違いは?
本陣と脇本陣は一般の旅籠屋と違い、門・玄関・書院を設ける特権がありました。
絵巻風変電ボックスやシャッターアートで宿場町情緒を演出

現代的な街並みの中にも、街道情緒を感じさせる工夫があるのが嬉しい。
並んでいる変電ボックスには当時の町名と特徴が描かれて、さながら絵巻物風。
これは、市民に地元の歴史を知ってもらうための工夫なんですって。地道な努力ですが、なかなか良いです。
ちなみに六斎市は4と9の付く日におこなわれる市で、都合6回開催されることからそう呼ばれました。

こちらの粕壁宿をテーマにした、レトロなシャッターアートも素敵です。
市内には30を超えるシャッターアートがあるそうなんで、こちらも見つけながら歩くのが楽しいですよ。
「日光道中の道しるべ」 江戸時代の史跡

本陣跡の先には蔵造りの旧商家・東屋田村本店(左)があり、旧街道らしい面影が見られます。

懐かしい感じのポストに目がゆきますが、注目したいのはこちらの石碑。これは江戸時代に立てられた「日光道中の道しるべ」です。
この道しるべは天保5年(1834年)に作られたもので、日光・岩槻・江戸の3つの方角が刻まれたもの。
「東 江戸、右之方 陸羽みち」「北 日光」「西南 いハつき」と彫られています。 “東 江戸”、”北 日光”あたりは、読取り可能なくらい残っています。
これは江戸時代の街道の足跡として貴重な史跡ですね。
かつて蔵造りの商家や旅籠が並んだ仲町
宿場町らしい短冊状の地割の商家造り

田村荒物店
仲町のあたりは米問屋などの蔵造りの商家や、旅籠屋などが多く立ち並んだエリアだったという。
蔵造りの建物が残る「田村荒物店」には、かつての宿場町の特徴が良く残っています。
写真右手が日光街道の通り側で、左手の敷地の奥に向かってずっと建物が続くのが分かる。さらに奥には大落古利根川がある。

この”短冊状”と呼ばれる地割は、江戸時代の宿場町の典型的な特徴です。
商家は「ミセ」と呼ばれる正面の間口が狭い店舗空間を持ち、その奥に「オク」と呼ばれる生活空間を持ちました。
これは宿場税が正面の間口幅で決めらたため、このような特徴が生れました。
さらに粕壁宿では大落古利根川沿いまで蔵を連ね、そこで舟荷の上げ下げをおこなう店舗も多かったそうですよ。
問屋場跡

田村荒物店先には粕壁宿の案内板がありますが、この辺りはかつて「問屋場」があった場所。
宿場町というと本陣や旅籠などのい宿泊施設に目がゆきがちですが、宿場の役割を担う上で問屋場は非常に重要な存在でした。
粕壁宿では人足35人・馬35頭を常備して、問屋場で旅人への対応をおこないました。
問屋場の業務
問屋場は宿場の中では重要な施設で、大きく2つの業務がありました。
(1)人馬の継立の業務で、幕府の公用旅行者や大名などが宿場を利用する際、荷物を次の宿場まで運ぶのに必要な馬や人足の手配をおこなうもの。
(2)幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける継飛脚(つぎびきゃく)業務。
「浜島家住宅土蔵」 国登録有形文化財

問屋場跡の先にある「浜島家住宅土蔵」はもと米問屋の座敷蔵で、明治時代前期の建物。
旧粕壁宿の商家の面影を伝える数少ない大型土蔵として、国登録有形文化財に指定されています。
黒漆喰塗された外壁や、桟瓦葺屋根の鬼瓦に影盛を施す手法(=鬼瓦後ろに膨らみを持たす)などが関東地方の土蔵造の特徴を示すものなんだそうだ。
「最勝院」 春日部重行を葬った墳丘がある寺

そして宿場町の上手の端である旭町に至る。このエリアは寺町でしたが、今でも多くの寺院が集まっており、往年の面影を残します。
街道の先の正面にあるのが「最勝院」。

創建は不詳ですが、永正元年(1504年)に現・さいたま市岩槻区の慈恩寺の僧侶であった奝尊が当院に移り、「最勝院」を称したとされます。(再興か?)
徳川3代将軍・家光は慶安3年(1650年)死去し、遺言により遺骸は東叡山寛永寺に移された後、日光山の輪王寺大猷院(たいゆういん)に葬られました。その葬列の道中、この最勝院に一時遺骸が安置されたといわれているんですよ。

「新町橋」 江戸時代には船河岸があった

古利根公園橋より少し北にある「新町橋」は、江戸時代には古利根川に架かる唯一の橋。大橋・粕壁大橋などと呼ばれていたそうだ。

当時はこんな感じの板橋だったようです。長さ16間(約29m)・横3間(約5m)で高覧が付いていたとのこと。幕府が架け替えなどの整備費用を負担したそうだ。

新町橋の上流には「上喜蔵河岸(かみきぞうかし)」と呼ばれる供用の船着場があり、小型の高瀬船などによる米や生活物資の運搬に使われたそうだ。
案内板に「石垣の一部が現存している」とあったのでつぶさに見渡してみたが、残念ながらそれらしき物は発見できず。。。
粕壁宿の御宿場印

発売開始は訪問した後の時期になりますが、日光街道の旧宿場町で訪問記念の「御宿場印」の販売が始まりました。
粕壁宿の御宿場印は「ぷらっとかすかべ」で、1枚300円にて販売されています。
後日訪問して御宿場印を入手しました!
これは宿場町歩きが楽しくなりますなあ。
日光街道や奥州街道を歩いてみませんか?
持ちやすさや見やすさを考慮した、ハンディサイズがありがたいガイドブック。
春日部 宿場町ウォークマップ・ 春日部へのアクセス情報
かすかべウォークの宿場町ウォークのマップを掲載しておきます。
だいたい順路どおりに歩きましたので、参考にされて下さい。

春日部へのアクセス
電車)※最寄駅・東武「春日部駅」
・JR「東京駅」から「北千住駅」で東武スカイツリーライン乗換にて「春日部駅」からまで最短39分
・東武アーバンパークライン「大宮駅」から「春日部駅」まで急行で約21分
車)
・東北自動車道「岩槻IC」から国道16号経由で約20分
・常磐自動車道「柏IC」まで国道16号経由で約30分
春日部ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\ 職人が作る麦わら帽子やプリザーブドフラワーなど、個性的な返礼品が多い!/
春日部宿場ウォークに出かけませんか?
春日部の宿場町ウォークを紹介しましたが、いかがでしたか?
宿場町の面影を残す建物自体は、正直一部エリアに限定して残っている感じではありました。
でも各所、宿場町に関連する案内板などがあるので、町の歴史をたどりながら楽しくウォーキングできましたよ。
想定外の面白い物にも色々出会えましたしね。
ウォークのコースは様々なバリエーションが用意されているので歩き比べても良いし、家族連れで出かけても楽しそう。
そんな、春日部に歩きに出かけてみませんか?
記事の訪問日:2021/3/7(一部、2021/7/11)




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