埼玉県さいたま市にある「調(つき)神社」は約2千年前に創建されたといわれ、平安時代には延喜式神名帳にも記載されるなど、歴史と由緒を持つ古社です。
そんな調神社は、入口に鳥居が無く狛犬ではなくて狛兎がいるという、一風変わった神社として知られています。その理由は、神社の長い歴史を紐解いてゆくと見えてくるんですよ。
そんな個性的な調神社を、境内で沢山出会える兎を探しつつ、見どころを紹介します。
目次
調神社、2千年の歴史を持つ古社で沢山の兎に出会う
調神社は由緒ある平安時代の延喜式社

JR浦和駅西口から歩くこと約10分。駅前通りから少し外れた、旧中山道沿いの静かな場所に「調神社」は鎮座していました。
調神社と書いて「つきじんじゃ」と読みますが、知らないとちょっと読めないかもしれませんね。
地元では「つきのみやさま」の呼び名で親しまれています。
そんな調神社は個性的な神社として知られています。
まず最初の不思議として挙げられるのが、それなりの規模を持つ神社にも関わらず、正面入口に鳥居がないことです。

さらに、普通は入口脇には狛犬がいますが、こちらには狛兎がいます!これも変わっていますねえ。
異色の境内入口ですが、標柱にも銘記がある通り、調神社は平安時代の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に記載がある由緒ある神社です。
延喜式内社は、朝廷が公式に祭祀を行う対象として認めた神社を記載したものでした。
狛兎がお出迎え!月待信仰と兎が結びついた神社

調神社の社名の読み方が「月(つき)」と同じであったことから、かつて月待(つきまち)信仰の神社とされました。それにより、月の使者とされる兎が狛兎として置かれたわけです。
月待信仰は特定の月齢(十五夜・十三夜・十九夜など)に月の出を待ち、月や月の神を拝む信仰のことで、平安時代後期から鎌倉時代から室町時代にかけて盛んになったものです。
これが江戸時代になると庶民的な娯楽や地域の行事と結びつき、二十三夜講などの形で広まりました。
そんな月待信仰とあいまって、兎のモチーフがある調神社は江戸時代でも珍しく、注目されたようですよ。

入口の狛兎は比較的新しいもので、平成25年(2013年)に奉納されたもの。
境内には江戸時代の万延2年(1861年)に造られた、先輩狛兎も保存されていましたよ。
そして、かつて”月”にかけらた社名は、現代ではさらにツキ(=運)の意味にかけられられているらしい。勝運や金運の御利益を頂ける神社としたの参拝者も多いとのこと。
なるほど、折角なので本日の参拝でツキを頂いて帰りましょう。

視線を感じた先には、手水舎の兎がいました。
伊勢神宮への貢物の集積地として創建

縁起によると、調神社の創建は約2千年前の第10代崇神天皇(すじんてんのう)の勅命が発端とのこと。
勅令により伊勢神宮斎主の倭姫命(やまとひめのみこと)が清らかなる地を探し、伊勢神宮に献る関東の調物(貢物)を納める集積運搬所としてこの地に倉を建てました。
調神社はその倉庫群の中に造営された神社だったため、貢物搬出入の妨げにならぬよう鳥居が建てなかった、と伝えられます。
なるほど、鳥居がないのは神社の成り立ちと関係していたんですね。

調神社に祀られている御祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊宇気姫命(とようけひめのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の三神です。
現在の社殿は安政6年(1859年)に総欅(けやき)造りで造営されたもの。落ち着いた雰囲気の社殿でした。
建築様式は、拝殿と本殿が幣殿を介して一体化した権現造りです。権現造りは日光東照宮の社殿様式として良く知られていますよね。
社殿造営の変遷としては、 南北朝時代の延元2年(1337年)に足利尊氏の命にて社殿が再興されています。
これは天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の戦火により、残念ながら焼失しました。
江戸時代に入り享保18年(1733年)に本殿が造営されましたが、江戸時代後期に現在の社殿に移っています。旧本殿が残っていますので、そちらを後程ご紹介。

社殿の脇で、狛兎でなくて狛犬も見つけました。

でも、ちっちゃ!狛兎と比べて、ここでは狛犬の立場は弱そうですね。
「十二日まち」歳末の風物詩

こちらは神楽殿。

干支の大絵馬や、「十二日まち」の熊手が飾られていました。
「十二日まち」は毎年12月12日に開催されており、そこで例年おこなわれるのが大歳の市。
市では熊手をはじめ縁起物を売る露店がならび、明治時代から続く歳末の風物詩となっています。
清らかな神池周辺には地元偉人の碑も

社殿の東側には神池があり、清らかな水面には木々の緑が映し出されていました。

はい、神池の中にもやはり兎がおりました。

池の歩道沿いあったのが「長谷川かな女(じょ)の碑」。
長谷川かな女さんは大正・昭和初期を代表する女性俳人で、俳句界の発展に貢献した方です。
調神社の近くに40年あまり居住され、浦和市(現さいたま市)の名誉市民となった地元の偉人です。
長谷川かな女(1887-1969年)
大正から昭和にかけて活躍した俳人で、女性俳句運動の先駆者として知られる。
高浜虚子に師事し、「ホトトギス」同人として活躍。女性の生活や内面を繊細に詠んだ句で知られ、女性俳句の地位向上に大きく寄与しました。昭和41年(1966年)には紫綬褒章を受章しています。

こちらのいかつい棍棒のような物を持った像は、御祭神の像なのでしょうか?詳細はわかりませんでした。
江戸時代中期の旧本殿が残る

神池の先に旧本殿が保存されています。

旧本殿は、ガラス張りの建物の中で大切に保管されていました。

享保18年(1733年)に造営された旧本殿には色彩豊かな装飾が施されており、思いのほか綺麗な状態でした。
総欅による一間社流造り(いっけんしゃながれづくり)と呼ばれる様式ものです。
こちらはさいたま市指定文化財に指定されています。

おっ、屋根下には黄金に輝く兎が飛び回っていますね!

色鮮やかな霊獣の彫り物もありました。

旧本殿は、現在は稲荷神社の本殿という位置付けになっているようです。
調神社の御朱印

御朱印にも兎がおりますが、背を向けてちょっと哀愁を帯びた感じ。

兎の柄の、可愛らしい御朱印帳。
浦和の街中で神輿に出会う

参拝については以上ですが、帰りにJR浦和駅前のデパートに立ち寄ったところ、たまたま調神社の神輿が展示されてました。

江戸時代、この地には中山道の浦和宿がありましたが、調神社は浦和宿の総鎮守として旅人や市民からの信仰を集めていました。
その当時からの繋がりが、今も続いていることが感じられました。
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
タモリさんならではの視点で、大宮の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
調神社の詳細情報・アクセス
調神社
住所:埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目17-25(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)JR「浦和駅」から徒歩約10分
車)東北自動車道「岩槻IC」から約20分
調神社周辺ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
調神社に参拝に出かけませんか?
調神社は、古社としての歴史を感じられる神社でした。
そして、境内でかわいい兎を探しつつの参拝も楽しかったです!
浦和駅にも近くアクセスも良い神社なので、ツキを頂きに参拝に立ち寄ってみませんか?
記事の訪問日:2021/7/22




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