
関東で活躍した武将・太田道灌の生誕の地といわれる、埼玉県越生市の道灌ゆかりのスポットを紹介します。
道灌は江戸城を築き築城の名人と言われましたが、その一方学問や和歌にも長けていました。
そんな道灌が歌道を志すきっかけとなったといわれる伝承の地や、道灌の墓がある寺院を巡りながら道灌の歴史に近づいてみます。
越生町と太田道灌

埼玉県越生町(おごせまち)へはおそらく初めての訪問だ。
越生といえばなんといっても生越梅林が有名で、梅の郷として知られます。あとは景勝地・黒山三滝の名を聞きますね。予備知識はその程度かなあ。
今回、越生が江戸城の築城で知られる武将・太田道灌(おおたどうかん)ゆかりの地だというので、車ででかけて来ました。
まずは越生駅に近い観光案内所へ情報入手に立ち寄り。で、その観光案内所の隣には「道灌パーク」と銘打たれた広場がありました!
ということで、ご覧の通りのっけから「太田道灌生誕の地」押しの町とわかりました。知らんかったなあ。

こちら越生駅前の太田道灌の像(表情が影でかたじけない!)。
太田道灌は室町時代後期に関東で活躍した武将で、徳川入城前に江戸城を築城した武将として良く知られます。
築城の名人といわれ、県内でも川越城や岩槻城の築城で名が知られます。また、関東の歴史スポットを巡っているとちょくちょく名前がでてくる名将ですね。(ちなみに岩槻城の築城は”太田道灌では無い説”が最近は有力ではある。。。)
人物像としても幼いころから学問に励み、後々歌の世界でも名を馳せた文人としても知られます。銅像に銘記されている様に、まさに「文武両道」を実践した努力家として尊敬されるキャラです。最近はやりの言い回しだと二刀流ですかね。
そんな太田道灌ゆかりスポット2ヶ所を巡って紹介します。
『山吹の里歴史公園』
山吹の里伝説と公園の紹介

駅から歩ける距離に「山吹の里歴史公園」という、道灌ゆかりの史跡公園があるのでまずは徒歩でこちらへ(公園にも無料の駐車場はありました)。
この越辺川(おっぺがわ)を越えた先に公園があります。山里の雰囲気を感じを醸し出すねえ。ちなみに名所・黒山三滝はこの越辺川の上流に位置します。

こちらが「史跡・山吹の里公園」です。それっぽい雰囲気があります。
”山吹の里の伝説”っていうのは。。。、道灌に明るい人なら「あれでしょ?」って相槌が返ってくるくらい有名な伝承。
説明板があるので伝説の内容を抜粋させて頂く。
「鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。
道灌は少女の謎掛けが解けなかったが、後に山吹の花に因んだ古歌「七重八重花は咲けども山吹の”実の”(=蓑)一つだになきぞ悲しき」を教えられた。
蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は歌道を志し、文武両道の名将となった」
という逸話です。和歌”七重八重”の出所は、後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) の兼明親王(かねあきらしんのう)の作品です。

実は、山吹の里伝説の故地といわれる場所は他にもあります。
東京都豊島区の高田を流れる、神田川の面影橋の近くに”山吹の里の碑”があるのは良く知られてます。また、伝説の少女は「紅皿」という具体的な名前を持ち、新宿の大聖院という寺院にお墓があります。これは私も見ています、ハイ。
対するこの地の山吹の里伝説の由縁はというと。。。、「道灌誕生の地であった」「道灌の父・道真が館を構えた地であった」とのこと。ふむふむ。
はたまた、「当地古くから山吹の自生地」「武士団・児玉党越生氏一族の山吹氏が居たことも知られる」など。
えっ?最後の項は山吹の花の話なんだか、人の名前の話なんだか、もはや良く分からない話になっているが(苦笑)。
伝承の話なので、それぞれの土地に出かけてみて、それぞれの由縁を楽しみつつ思いを巡らせるのが楽しいかな~と思います。

茅葺き屋根の水車小屋で雰囲気たっぷりですが。。。この家は何?という説明が無いのがちょっとモヤモヤポイント。
入口に”賤が家”と書かれているので、道灌が立ち寄った貧しい民家を再現した設定なんでしょうけれど。

この公園内には約3,000株の山吹が植えられており、4月から5月頃にかけて黄金色の花で一杯に染まるそうです!
公園の裏手は小山になっていて、階段で上まで登れます。両側に山吹の枝が見られるので、シーズンには山吹のトンネルが楽しめるのかもしれませんね。

頂上は休憩できるベンチがありますが、特に看板や説明もありませんでした。

見晴らしはまずまず。天気が良ければもう少し映えたのかもしれませんね。
一番手前の低山は越生の大高取山(おおたかとりやま)。その奥は奥武蔵の山々で、その先は秩父方面へと続きます。
緑化公園としては楽しめそうですが、史跡公園としてはちょっと雰囲気頼りな感じの印象ですかね。
山吹の里歴史公園へのアクセス
住所:埼玉県入間郡越生町如意(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、東方面に400m(徒歩約7分)
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約30分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約25分
・無料駐車場あり
『龍穏寺』 太田道灌の墓
次に太田道灌と父・道真(どうしん)の墓があるらしい「龍穏寺(りゅうおんじ)」を訪問します。
越辺川と並行して走る県道を上流に向かいます。途中から県道を外れ山間部へ。山の斜面を切り開いた様な場所に龍穏寺の姿が現れました。
越生駅からは8km程度ですが、15分くらい走るだけで山の景色の中に入りますね、この辺は。
「総門」 太田道真の砦の話

こちら入口にあたる「総門」です。
室町時代、この龍穏寺領内には太田道灌の父・道真の砦があったといわれます(少し離れた山中の現・山枝庵跡と呼ばれる場所)。
道真は、当時関東管領(かんれい)を務めていた扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の補佐として、この地に居住していたとされます。

そして、その砦で永享4年(1432年)に太田道灌が生まれたとされる伝承が残ります。
「山門」 江戸時代は関東三寺院の一つ

総門を抜けると。。。、雰囲気漂う堂々たる山門が現われて思わず「おっ!」と声が出る。なかなかに古刹の風格が漂う寺院ですね!


山号は「長昌山(ちょうしょうさん)」。龍穏寺(りゅうおんじ)の始まりは古く、平安初期の大同2年(807年)に修験者達の寺として創建されました。
室町時代には足利将軍の命により曹洞宗の寺院となり、太田道真と道灌によって復興されます。
江戸時代には幕府より関三刹(かんさんさつ)の筆頭寺院に任命されます。関三刹は関東の曹洞宗を司る三寺院の内の代表ことで、全日本1万5千の寺院を統括し十万石の格式を拝領したそうだ。
おっと、凄い力を持っていた寺院じゃないか。。。
明治維新後に特権を返上し、以降はかつての勢いは無くなり普通の寺院(?)になって今に至るという感じ。おそらくはあまり知られていない歴史が眠っている地でした。

龍穏寺は大正3年(1913年)の火災で多くの伽藍を焼失しています。
そんな中、江戸時代の天保13年(1842年)建造のこの山門は、火災を免れて残った貴重な建築物の一つです。
外観には江戸時代の名工の彫刻が施され、内部には仏法を守護する四天王が収められています。
2階天井には極彩色の花鳥山水が描かれているそうで、細部に渡って凝った造りになっています。(2階天井は外から見えなくて残念。。。)
昔は訪問者がこの門をうやうやしくくぐった事でしょう。

格子からのぞいたら四天王像と目が合っちゃった。。。
「太田道灌像」 道灌、悲劇の最期

苔生す境内。時の流れを感じさせる雰囲気が漂います。
左側の観音立像の足元には、江戸城外濠に架かっていた石が置かれています。道灌といえば江戸城ですからね。寄贈された物とのことです。

本堂の手前に太田道灌像があります。
鷹狩の装束に包まれた姿は、彼のトレードマークの一つですな。

太田道灌はその有能さで主君・扇谷上杉家を繁栄に導きました。
ですが有能さゆえ主君の怒りを買ってしまい暗殺される。。。、という悲劇の最期を迎えました。
「本堂」 戦後の再建

「本堂」は戦後に再建された建物です。

本堂内には龍穏寺の名の通り、きらびやかで穏やかなる龍が見えます。

入口天井には檀家によって書かれた一文字が掛かる。
「太田道灌・道真公墓」 丘に眠る

本堂にご挨拶した後、いよいよ太田道灌・道真公の墓とご対面です。本堂脇の小高い丘の上にあります。

石垣の上に載っているのが墓塔で、左側が父・太田道真の塔、右手が太田道灌の塔です。合掌。
道灌は文明18年(1486年)、享年55歳で前述の通り謀殺によりこの世を去りました。
道灌の墓塔は、他にも終焉の地である神奈川県伊勢原市の大慈寺と洞昌院、そして太田家子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもあるそうです。
こちら龍穏寺へは分骨されたものが納められています。

父・道真は道灌没の6年後となる明応元年(1492年)、退隠していた越生の地で病により81歳で没。当寺に葬られたそうです。
晩年は君主に謀殺され先立たれた息子の死に、無念を感じた事でしょう。
「経蔵」 江戸時代の建築物

こちら境内でひと際特徴的な唐風の建物。「経蔵(きょうぞう)」といって、お経を納めた蔵だそうです。
こちらも火災を逃れた貴重な建築物の一つ。江戸時代の天保12年(1841年)に750両をかけて建立されたものだそうです。
750両って如何ほど?ネット情報によると。。。、江戸幕末期の1両の価値は蕎麦代金でみて18~22万円程度とあった。現在の貨幣価値でいうと1億5千万円くらいかい?
当時の勢いをしのばせますねえ。

壁面のこちらの彫り物は、曹洞宗の開祖・道元禅師の中国での修行の様子だそうです。繊細なタッチで彫られてますね!


蔵の中には八角形の”輪蔵”という回転式のお経を納める棚があるそうだ。1回転で1回、お経を読まれたのと同じ意になるそうです。
便利なグッズがあるもんですなあ。
「熊野神社」 龍ヶ谷の鎮守

同じ敷地内にある龍ヶ谷の鎮守「熊野神社」。こちらも、火災から逃れて昔からこの地を見守ってきた社殿が残っています。
龍穏寺へのアクセス
住所:埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452-1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約25分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約35分
・駐車場あり(約100台分)
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『縁側カフェ tokinoki』 ランチに!
江戸時代末期の古民家

最後に本日ランチしたお店を紹介。
あたりをつけていた店に行ったら何と臨時休業だった!急遽ググって「龍穏寺の近くにカフェがあるぞ!」ということで、こちらの「縁側カフェ tokinoki」へ 。
来てみてこれがなかなかの正解だった。

こちらのカフェは江戸時代末期の古民家をリノベーションしたカフェ。
店名の通り、縁側でのんびりくつろぐお客さんの様子が楽しいなあ。

実はここ、無垢の家具をオーダーメイドで作る工房に併設されたカフェで、カフェ営業は土日のみだそうだ。
家具もすべて工房で造られた物で、いわば食べれるショールームだね。屋内も落ち着いた雰囲気のお店で、食後に縁側で昼寝でもしたくなりそうでヤバイです(笑)。

看板メニューの”季節の縁側ごはん”を注文しました。
ご飯は8分づき米の”青柚子香るわかめごはん”。”8分づき”っていうのは玄米の胚芽が少しだけ残っている状態。これがねえ、モッチリして旨いの。
おかずも自然の素材が生かされた優しい味で、思った以上に満足のワンプレートでした。
こちらのお店、結構人気のお店の様です。予約して出かけるのが無難かもしれません。あと、冬季休業期間がある様なので、そちらも要注意。
縁側カフェ tokinokiの基本情報・アクセス
住所:埼玉県入間郡越生町龍ケ谷461(GoogleMapで開く)
営業日:土日祝のみ
営業時間:11時~17時(ラストオーダー16:30)
アクセス:
電車)
・東武越生線・JR八高線「越生駅」から、川越観光自動車バス・黒山線に乗車約20分「上大満(かみだいま)」下車後、徒歩約35分
※バスの本数は1時間に1本程度、ただし運行していない時間帯もあるので注意
車)
・関越自動車道「鶴ヶ島IC」から約35分・「坂戸西IC(ETC車のみ)」から約30分
・駐車場あり
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でかけてみませんか?

太田道灌をキーワードにして越生町のスポットを巡ってみましたが、いかがでしたか?
山里の雰囲気を醸し出す歴史公園や、ひっそりと山間部に佇む寺院など、伝承の町に似合う越生町の場所柄が、道灌・道真の歴史の世界へと誘ってくれました。
太田道灌ゆかりの町に出かけてみませんか?

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