江戸に入城した徳川家康が、徳川家の菩提寺に定めた増上寺。
その増上寺には、徳川秀忠をはじめとする6人の歴代将軍が眠っており、徳川将軍家について知ることができる貴重なゆかりのスポットです。
境内にあった江戸時代の建物の多くは戦火で焼失していますが、巨大な三解脱門や荘厳な霊廟の惣門など、一部の建築物が残っておりかつての面影を感じさせます。
目次
6人の歴代将軍が眠る「増上寺」
徳川家康が徳川家菩提寺に指定
JR浜松町駅や地下鉄・大門駅から増上寺に向かうと、やがて現れる大門が門前町らしさを感じさせます。
さらに門の背後には東京タワーがそそり立ち、江戸と東京が混じり合ったような独特の街並みに出会えます。
かつての大門は増上寺の表門で、ここが境内の始まりでした。
芝大門の地名や地下鉄の大門駅の名称は、この大門に由来します。
元々は木造の門でしたが、昭和12年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されて今に至ります。
増上寺の正式名称は「三縁山広度院 増上寺」。
室町時代、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人という僧の創建により始まります。
浄土宗の念仏道場として、現千代田区平河町付近の江戸貝塚に建立されました。
天皇が祈願をおこなう勅願所にも指定され、関東の浄土宗の中心地へと発展します。
そして天正18年(1590年)、徳川家康が豊臣秀吉の命により関東(関八州)へ転封。江戸へ入城しました。
三河の松平家(徳川の旧姓)が代々浄土宗だった家康は、増上寺を徳川家の菩提寺に定めます。
慶長3年(1598年)の江戸城拡張にともない増上寺は移転しますが、その際は家康により現在地への移転指示がされました。
ちなみに移転の際には、増上寺大門として江戸城の大手門が譲られたんですって!
菩提寺ともなると、なかなかの太っ腹な対応を受けていたようですね。
「三解脱門」江戸初期唯一の現存建造物
大門を抜けるとやがて巨大な朱漆塗の「三解脱門(さんげだつもん)」が現れ、その重厚な風格に圧倒されます。
現在は境内入口にあたりますが、かつては表門だった大門に対し、こちらは中門の位置付けでした。
元和8年(1622年)の建立で、江戸初期当時の建物としては増上寺唯一の現存建造物です。
間口は19.5m・奥行き9m・高さ21mで、東日本最大級を誇る門となります。
門の様式は三戸二階二重門と呼ばれ、二重門は1層目と2層目に屋根が架かっている特徴を持ちます。
2階建ての門には楼門もありますが、楼門には下層の屋根がありせん。
外側からは見えませんが、楼上の中央には釈迦三尊像があり、その左右には羅漢像が各8体ずつ安置されています。
三解脱門とは「むさぼり、いかり、おろかさ」の3つの煩悩を解脱して、覚りを開くための門とのこと。
「極楽浄土」往生を願う空間への入口にあたります。
日々煩悩にまみれている身ですが、今だけでも解脱すべく門をくぐって境内へ。
芝公園や東京プリンスホテルも境内の一部だった
境内に入ると背後の東京タワーはさらに大きくなり、まるで本堂の背後にタワーを従えたような構図が現れます。
徳川家の菩提寺となった増上寺は、その後も将軍家の手厚い保護のもと発展します。
幕末における境内の広さは約59ヘクタールだったそうで、その広さは東京ドーム約12個分にあたります。
その境内には120軒以上の堂宇(どうう)や100軒を越える学寮がならび、3千人もの僧が修行していたという規模には驚きです。
現在は芝公園や東京プリンスホテルになっている敷地も、元は増上寺の境内でした。
東京タワーの敷地の一部も、増上寺境内だったんですよ!
しかし明治時代に入ると神仏分離の影響を受け、境内の多くが芝公園となります。
さらに昭和20年の空襲における被災により、伽藍の多くが焼失しました。
「鐘楼」は江戸三大名鐘の一つ
境内の参道右手には「鐘楼堂(しょうろうどう)」があります。
架けられた鐘は、高さ約3mで重さが約15トン。東日本で最大級の大梵鐘です。
延宝元年(1673年)に鋳造されたもので、江戸三大名鐘の一つに数えられます。
ちなみに江戸三大名鐘は、一般的には増上寺の他は寛永寺(上野)と浅草寺(浅草)の鐘が挙げられます。
お堂の建物は戦後に再建されたものです。
「大殿」昭和に再建された本殿
「大殿」と呼ばれる本堂ですが、その名に相応しい巨大な建築物です。
戦災で焼失した以前の本殿に代わり、昭和49年(1974年)に鉄筋コンクリート造で再建されました。
建物は3階建てで、石段を上がった2階部分が約48mの間口を有する本堂です。
本堂に安置されているご本尊は、室町時代の阿弥陀如来になります。
3階は修行のための道場で、1階は檀信徒控室があります。
さらに地下1階には宝物展示室があるなど、じつに多彩な機能を持つ現代的な施設です。
都心ながら広い境内を持つ増上寺は、築地本願寺とともに多くの著名人の葬儀会場としても利用されています。
「安国殿」天下統一へ導いた!?家康の念持仏を安置
本堂の向かって右手の「安国殿(あんこくでん)」には、「黒本尊阿弥陀如来」と呼ばれる徳川家康の念持仏(ねんじぶつ)が安置されています。
念持仏は身辺に置いて礼拝する仏像のことですが、この黒本尊は出陣する家康とともに戦場に赴いたと伝わります。
幾多の災難を除け家康を天下統一へ導いたこの像は、勝運や厄除けのパワーを持つ守り神として尊崇を集めているそうですよ。
建物は仮本堂だったものを昭和49年にこちらに移転し、家康の法号「安国院殿」から殿名が付けられた。
秘仏である黒本尊は通常は非公開ですが、正月・5月・9月の各15日(年3回)に開催される祈願会の時のみ御開帳されます。
一度参拝して、そのパワーにあやかりたいものですなあ。
安国殿では、御朱印や御守りの授与もおこなわれています。
安国殿の東側には子育て・安産の御利益を持つ「西向聖観世音菩薩」があり、「千躰子育地蔵菩薩子育地蔵」がずらっと並んでいました。
約1,300体の地蔵が並ぶ情景は、幻想的なものでした。
「徳川将軍家墓所」秀忠ほか6名の将軍を埋葬
徳川将軍家の墓所は安国殿の裏手にあり、一般公開されています(有料)。
元文昭院殿霊廟(れいびょう)(6代将軍徳川家宣)の宝塔前の中門だった「鋳抜門」が、現在の墓所門として使用されています。
かつての徳川家墓所は本堂の南と北に分かれて所在し、それぞれに壮麗な霊廟が並んでいたそうだ。
墓所は戦前には国宝指定を受けていましたが、空襲によりほとんどが焼失した後は、残念ながら指定も解除されました。
現在の墓所は、改葬により一ヶ所にまとめられています。
鋳抜門は徳川家の葵紋が配された青銅製の門。
当時の霊廟の面影を残す、数少ない遺構の一つです。
墓所内部の全景です。
墓所には第2代秀忠・第6代家宣・第7代家継・第9代家重・第12代家慶・第14代家茂の、6人の歴代徳川将軍が埋葬されています。
また、第2代秀忠の正室で第3代家光の実母の江与、第14代家茂の正室の和宮など、5人の正室の墓があります。
さらに第3代家光の側室で第5代綱吉実母である桂昌院をはじめ、5人の側室や将軍の子女が埋葬されています。
一番奥まった場所の右手にあるのが、第2代秀忠と正室・江与夫婦の石塔。
家康の3男だった秀忠は家康の遺志を引き継ぎ、江戸幕府の体制を確立しました。
秀忠の宝塔は装飾華麗で芸術的なものでしたが、木造だったため残念ながら焼失。
現在は正室・江与の石塔に連名で埋葬されています。
秀忠の墓の左手には、第6代家宣(いえのぶ)の青銅製の宝塔。
家宣は生類憐みの令を廃止する功績をあげましたが、病により在職期間3年の短さで51歳の生涯を閉じました。
こちらの宝塔は第7代家継(いえつぐ)のもの。
家宣の3子でわずか3歳にして将軍職を継ぎ、歴代将軍において最年少での任官だった。
満6歳で病死し、廟は家宣の廟に並んで造られました。
第9代家重の宝塔。
第8代吉宗の長子だった家重は生まれつき病気がちで、政務は家臣に任せられた。
49歳で将軍職をゆずり、51歳で死去しました。
第12代家慶(いえよし)の宝塔。
第11代家斉の次男で、天保の改革など財政政策を打ち出すも上手くゆかなかった。
享年61歳で死去。
第14代家茂(いえもち)の宝塔。
家茂は第11代家斉の養子で、13歳で将軍職に就きます。
開港直後の多難な時代で、公武合体実現ため皇妹和宮(かずのみや)と結婚。
第3次長州征討中に、大坂城で享年21歳の若さで病死しました。
御霊屋は戦後に再整備されたわけですが、増上寺のホームページにはその時の状況がわりと生々しく記載されていました。
焼失した御霊屋郡はしばらくのあいだ荒廃にまかされていましたが、昭和33(1958)年から文化財保護委員会が中心となり、詳細なる学術調査が行なわれ、のち土葬であった御遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬されました。
調査によれば細部では各将軍若干の違いがあるものの、埋葬は、まず地中かなり深い部分に頑丈な石室を設け御遺体を安置し、二枚の巨石をふたにして、その上に基檀と宝塔は安置されていたといわれています。
増上寺公式ページ・境内散歩より
ご遺体は一部を除き、残っていた様です。
改めて、6人の故徳川将軍に合掌。
徳川将軍家墓所特別拝観の概要
拝観受付時間:平日)11:00~15:00(最終入場14:45)、土日祝)10:00~16:00(最終入場15:45)
受付場所:徳川霊廟前チケット札所
拝観冥加料:大人500円(高校生以下無料)
定休日:毎週火曜日(祝日の場合、通常通り公開にて拝観可)
※土日祝日は、港区観光ボランティアによる案内説明があります。
「増上寺宝物展示室」台徳院殿霊廟の精巧な模型
大殿の地下1階にある「増上寺宝物展示室」です。
広々とした展示室の中央には10分の1スケールで復元された「台徳院殿霊廟」の模型があり、その精巧さには目を見張ります。
壁面には江戸時代後期の絵師狩野一信筆による「五百羅漢図」の展示があるほか、企画展示もおこなわれます。
展示室内の写真撮影はできませんでした。
増上寺宝物展示室
時間:平日)11時~15時、土日祝)10時~16時
休館日:火曜日 ※ただし火曜日が祝日の場合開館
入館料:一般 700円
増上寺宝物展示室と徳川将軍家墓所に両方とも入場する場合は、セット券が1,000円でお得!
秀忠の霊廟「旧台徳院霊廟惣門」と家光寄進の「黒門」
境内をめぐった後は、周囲を歩いてみます。
三解脱門の南側にある「旧方丈門」は、通称・黒門とも呼ばれ通用門として使用されています。
この門は3代将軍家光による建立・寄進と伝わる、方丈(=住職が生活する建物)の表門でした。
全体が黒漆塗でしたが塗装はだいぶ剥げています。
さらに南に進むと、徳川秀忠の霊廟の「旧台徳院霊廟惣門(きゅうだいとくいんれいびょうそうもん)」が立っています。台徳院は秀忠の戒名です。
数少ない霊廟の現存建築物で、かつての施設のイメージにつながる貴重な遺構となります。
こちらは増上寺境内ではなく隣接する芝公園の一角に所在しているので、訪問時の見逃しに注意したいスポットです。
ちなみに旧台徳院霊廟は、惣門のみならず勅額門・丁子門・御成門も現存しており、そちらは埼玉県所沢市の狭山不動寺に移築されています。
\ 狭山不動寺の詳細はこちちら!/
惣門の両側には、江戸の仏師により江戸時代前半に制作されたと考えられる、寄木造りの仁王像が納められています。
この像は元々埼玉県川口市の西福寺にあったもので、昭和33年頃にこちらに安置されたものです。
\ 徳川家光の娘が奉納した三重塔がある西福寺についてはこちら!/
「旧有章院霊廟二天門」と「御成門」
次に増上寺の北にある、東京プリンスホテル側に足をのばしてみます。
かつてこちらには、享保2年(1717年)に8代将軍吉宗が建立した、7代将軍家継の有章院霊廟がありました。
霊廟は残念ながら焼失しましたが、「旧有章院霊廟惣門」が貴重な遺構として残ります。
銅板葺、切妻造りの八脚門です。
左右に仏法を守護する像を納めている二天門です。
左には西方を守護する広目天。
そして右側には、北方を守護する多聞天(別名は毘沙門天)が納められています。
左右とも結構本格的な強面ですね!
戦前は隣に6代将軍家宣の文昭院霊廟も並び立っており、そちらの惣門には持国天・増長天が納められ、両門合わせて四天王を構成していたそうだ。
門は先ほどの秀忠霊廟の惣門と比較してもデザイン的に洗練されており、時代の違いを感じさせます。
最後に地名にもその名が残る「御成門(おなりもん)」を紹介。
こちらも戦火を逃れ現存している門で、東京プリンスホテルの北側にあります。
増上寺の裏門として造られましたが、もっぱら将軍が参詣の際に使用したため御成門と呼ばれるようになったそうだ。
徳川家墓所の移築時に調査された御遺体を中心にした、数々の貴重な記録。
骨からわかる将軍の生活や特徴が記され、非常に興味深い。
増上寺の詳細情報・アクセス
増上寺
公式ページ
住所:東京都港区芝公園4-7-35(GoogleMapで開く)
参拝時間:本堂は6:00~17:30まで。安国殿は9:00~17:00まで。
朱印や御守りの授与:安国殿にて9:00~17:00まで。
アクセス:
電車)
・JR線・東京モノレール「浜松町駅」から徒歩10分
・都営地下鉄三田線「御成門駅」から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
・都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」から徒歩5分
・都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」から徒歩7分
・東京メトロ日比谷線「神谷町駅」から徒歩10分
車)
・駐車場なし(隣接する東京プリンスホテルには有料駐車場あり)
増上寺周辺ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
増上寺に出かけてみませんか?
増上寺の境内とその周辺を歩き、将軍家菩提寺としてのゆかりスポットをめぐりました。
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増上寺に江戸の歴史を感じに出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/5/29
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芝東照宮
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赤坂氷川神社
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赤坂氷川神社
住所:東京都港区赤坂6-10-12(GoogleMapで開く)
※増上寺より徒歩約35分(約2.5km)
※東京メトロ日比谷線「神谷町駅」より乗車約3分、「六本木駅」下車。徒歩約15分、ほか。
レインボーブリッジ
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