かつて江戸時代には越谷に御殿があり、徳川将軍家が鷹狩りをする際に利用しました。
そして徳川秀忠や徳川家光は鷹狩りに訪れた際、越谷久伊豆神社にも立ち寄って境内で休憩や参拝をしたと伝わります。
そんな徳川家ともゆかりのある、緑豊かな木々に囲まれた越谷総鎮守・越谷久伊豆神社の見どころを紹介します。
目次
「越谷総鎮守 越谷久伊豆神社」を参拝
日光街道の宿場町・越ヶ谷宿とともに繁栄

元荒川に面した参道入口
越谷久伊豆(ひさいず)神社は古くから越谷地域の信仰を集めた神社で、江戸時代には日光街道の宿場町・越ヶ谷宿を含む七ヶ村の総鎮守となります。
旅の安全や商売繁盛を祈る中心的存在となり、また、神社の神輿が宿場内を巡るという”越ヶ谷秋まつり”などの祭礼などを通じて、宿場町と密接な関係を持って発展してきました。
\ 日光街道・越ヶ谷宿の詳しい記事はこちら! /
参道沿いに植物園もある緑豊かな参道

入口の注連縄を抜けると第一鳥居があり、その先に500m程の長さの参道が真っすぐ続きます。
緑に囲まれた参道で境内へ向かうのは、気持ちが良いですよね。
参道沿いには広々した緑地公園があるほか、約9千m2の園内に約300種・1,200本の樹木が植えられている市立植物園の「越谷アリタキ植物園」もあります。
この一帯が自然を感じられるエリアになっているようですね。

ここが境内入口となります。

その脇にあるモミジがちょうど見頃でした。
「第三鳥居」伊勢神宮式年遷宮の古材で造営

久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、平安時代には武蔵七党(むさししちとう)からの崇敬を受けたと伝わります。
武蔵七党は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて武蔵国(現、埼玉県・東京都・神奈川県北部)を拠点とした在地武士団の代表的な七党を指すものです。
その多くが後に源頼朝の挙兵に従い、鎌倉幕府の成立に貢献したといわれています。

第三鳥居
こちらの「第三鳥居」が社殿に一番近い鳥居となります。
実はこの第三鳥居は伊勢神宮の古材から造られた鳥居で、平成5年(1993年)の神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)の際に、使用しなくなった鳥居を譲り受けたものなんですって。
伊勢神宮の内宮(ないくう)の板垣南御門にあった鳥居で、木曽ヒノキ材による太さ約60cm・高さ7.5m・幅8.5mというサイズのもの。
平成7年(1995年)には、鳥居を久伊豆神社に曳き入れる「越谷お木曳祭」が大々的におこなわれました。
祭は2千人以上が参加するビッグイベントとなったそうですよ!
神宮式年遷宮とは?
伊勢神宮で20年毎におこなわれる重要神事で、社殿を建替え、御神体を新殿へ移す儀式です。
飛鳥時代の持統天皇以来続く伝統で、建築・工芸・祭祀の技を継承し、常に清浄を保つことが目的とされています。
江戸時代には徳川将軍が鷹狩の際に参拝・休憩した

延宝3年(1675年)に建造された「手水舎」は、小さい建物ながらも江戸初期の貴重な建造物です。

その屋根には神社の神紋である立葵が見られます。
葵紋といえば徳川将軍家の家紋ですが、これは幕府から特別に使用が許可さたものとのこと。
江戸時代初期、越谷には徳川将軍家の御殿「越ヶ谷御殿」がありました。
これは徳川将軍が鷹狩の際に休憩や宿泊をする施設で、徳川家康や徳川2代将軍・秀忠がこの御殿にしばしば泊まっています。
さらに徳川秀忠と3代将軍・家光においては、鷹狩の際に久伊豆神社に立ち寄って参拝・休憩したと伝わります。
ということで、徳川将軍とはゆかりのある神社だったわけです。

手水舎後方には「御霊水(ごれいすい)」があります。
元々は湧水だったそうですが、現在は地下水を汲み上げているもの。
主祭神は大国主命、招福祈願・除災祈願の信仰を集めた

そして長い参道の終点にあるのが、市指定記念物でもある豊かな社叢を背景に従えた「拝殿」です。

拝殿
拝殿は横から見ると、唐破風の庇が突き出た特徴的な形状でした。
これは雨風を避けて参拝ができる親切設計ですね。

脇を固めていたのは、文政10年(1827年)に奉納された江戸時代の狛犬。

本殿
拝殿の後方にある本殿は透かし塀越しに拝見することができます。
寛政元年(1789年)に造営された建物が残っており貴重。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の様式によるものです。

本殿
主祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、国造りの大神・縁結びの神・福の神として知られます。
もう一神主祭神として祀られているのは、その御子神で福神とされる言代主命(ことしろぬしのみこと)です。
さらに高照姫命(たかてるひめのみこと)・溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)・天穂日命(あめほひのみこと)が配祀されています。
本社は昔より、とりわけ招福祈願及び除災祈願の神としての信仰を集めてきました。
木々に囲まれた境内社、八坂神社ほか

本殿裏手には七社の末社が祀られます。参拝路の正面にあるのは「八坂神社」。

そして本殿の裏手側には、手前から御嶽神社・三峯神社・天満宮・五前神社・諏訪神社・稲荷神社が並びます。

八坂神社の右隣には 「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地 遥拝殿」というものがあります。
これは第二次世界大戦中に日本人入植者がいた、パラオ共和国コロール島にあった南洋神社を偲ぶための神社とのこと。パラオ共和国は太平洋上のオセアニア州に位置する島国です。

本殿裏手に掛けられていた大絵馬は、江戸後期の国学者である平田篤胤(ひらたあつたね)が奉納したもの(複製品)。
どういう場面が描かれているのか?ちょっと気になる絵ですよね。
日本一の力持ち三ノ宮卯之助が持ち上げた「力石」

境内の一角には、江戸時代に力比べや体を鍛えるために用いられた、力石が置かれていました。

こちらの力石には、三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)が24歳の時に50貫目(約190kg)を持ち上げた、とされる文字が刻まれています。
三ノ宮卯之助は江戸時代後期の越谷・三野宮村出身で、重量物を持ち上げる興行を行いながら全国各地を回った人物。日本一の力持ち!とも称された伝説の人物ですよ!
\ 埼玉県桶川市には、三ノ宮卯之助が持ち上げた日本一の力石が /
参集殿には伊勢神宮関連の宝物展示

本殿右手にある「参集殿」は、授与品の授与所として使用されています。

参集殿内には伊勢神宮関連の宝物などが展示されているので、参拝の際には立ち寄ってみると良いと思います。
国学者 平田篤胤の住居跡と樹齢200年の藤

境内には広々とした神池があり、周囲をぐるっとめぐることができます。
水面に色づいた木々が映り込んでおり、とても綺麗でしたよ。

出島のようになっている場所にあるのは水神社。

そして池沿いの一角にあるのは、平田篤胤の仮住まい跡と伝わる「旧跡平田篤胤仮寓跡」の碑。
平田篤胤がこちらに「松声庵」と呼ばれる草庵を建て、著述活動をおこなったとされます。
平田篤胤(1776~1843年)は、江戸時代後期の国学者・思想家で、古事記や日本書紀の研究を深め、国学の発展や幕末の尊皇思想にも大きな影響を与えた人物です。
勉強不足で存じ上げませんでしたが、本居宣長と並び称せられる偉大な国学者だったそうですね。

そして神池の正面には県の天然記念物に指定されている、樹齢約200年といわれる「久伊豆神社の藤」があります。
これは平田篤胤遺愛の樹だった藤を、門人たちがこちらに奉納したものとのこと。
株廻りは7m余りで、地面から7本に分かれて高さ2.8メートルの棚に枝を広げています。
一本の木で棚すべてをカバーしており、枝張りも東西20m・南北30mに及ぶというのはなかなか凄いですね。
越谷久伊豆神社の御朱印

神社に参拝に行くと、神々についてや神社施設の呼び名・役割について知りたいけど、聞ける相手もいない!
ってことありません?そんな時、網羅範囲が広い本書は結構頼もしいですよ!
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
越谷久伊豆神社の詳細情報・アクセス
久伊豆神社
公式ページ
住所:埼玉県越谷市越ヶ谷1700(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武スカイツリーライン「越谷駅」下車、徒歩で約25分、又は、東口より朝日バス花田循環市立図書館行「新宮前橋」下車
・東武スカイツリーライン「北越谷駅」下車、徒歩で約20分、又は、東口より茨急バス野田市駅行「久伊豆神社入口」下車
車)
・無料駐車場有り(専用駐車場 14台、第二駐車場 19台、第三駐車場 63台)
越谷ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
越谷久伊豆神社の参拝に出かけませんか?
越谷久伊豆神社には思っていたよりも様々な歴史や見どころが詰まっており、充実した参拝ができました。
自然に囲まれた静かな境内は、時間を掛けてゆっくり巡るのがおすすめですよ。
越谷久伊豆神社に参拝に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2021/12/5




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