群馬県富岡市にある「富岡製糸場」は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されており、主要な建物は国宝指定を受けています。
富岡製糸場は長らく鎖国していた日本が、西洋の技術を導入して造られた日本初の本格的製糸工場です。
明治時代の工場施設がほぼ当時のまま残っており、場内をめぐりつつその歴史をたどると、日本の近代化を支えたとても重要な施設であったことを知ることができますよ。
そんな富岡製糸場の見どころを紹介します。
目次
「富岡製糸場」明治に造られた日本初の本格的製糸工場
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」とは
「富岡製糸場と絹産業遺産群」技術革新に関する文化遺跡群

世界遺産登録記念銘
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成26年(2014年)にユネスコの世界遺産に登録されました。
これは蚕(かいこ)の繭(まゆ)から生産する生糸を大量生産するためにおこなわれた、技術革新に関する文化遺跡群です。
この技術が世界と日本との間の「技術交流」によって生み出された、という点も評価されています。
かつて絹といえば、主として上流階級における贅沢品でした。
しかし、日本が開発した生糸の大量生産技術は絹を世界中の多くの人々に広め、生活や文化を豊かにしたという面で世界的な貢献にもつながっています。
「世界遺産センター」絹産業遺産群は4つの遺産で構成

上州富岡駅前にある富岡製糸場と絹産業遺産群のガイダンス施設「群馬県立世界遺産センター」は、遺産全体像を知るのに良い施設で無料で見学できます。
遺産名に”遺産群”とあるように、じつは世界遺産を構成しているのは富岡製糸場だけじゃないんですね。
富岡製糸場と絹産業遺産群
世界遺産は下記の4つで構成されています。
■富岡製糸場(富岡市):製糸をおこなう工場
■田島弥平旧宅(伊勢崎市):蚕の飼育法を大成した田島弥平氏の住居兼蚕室
■高山社跡(藤岡市):全国標準の養蚕法を確立した教育機関
■荒船風穴(下仁田町):岩の隙間からの冷気を利用した蚕の卵の貯蔵施設
富岡製糸場を中心としたこれらの技術連携が、優良品質を生み出したというわけです。
ちなみに立派なレンが造りのガイダンス施設の建物ですが、元は繭の保管等に使われた倉庫群跡で、隈研吾建築都市設計事務所が改修設計をおこなったそうですよ。
群馬県立世界遺産センター
公式ページ
住所:群馬県富岡市富岡1450-1 (GoogleMapで開く)
開館時間:9時~17時
休館日:3~11月:毎月最終水曜日、12~2月:毎週水曜日(※祝日の場合は翌日)、12月29日~12月31日、その他臨時休館あり
入場料:無料
「まちなか周遊観光バス」と「観光案内所・お富ちゃん家」
「まちなか周遊観光バス」ボランティアガイド付き!

本日の訪問は、電車で最寄り駅である上信電鉄「上州富岡駅」にアクセスしました。高崎駅からの乗車時間約40分ですね。
駅から製糸場までは1km程度なので、ぶらっと歩いて行くことにしました。
ちなみに駅東側の駐車場を起点に「まちなか周遊観光バス」が運行されており、車内ではボランティアの方が街の見どころ紹介してくれるので、こちらの利用もオススメですよ。
それと車での訪問の場合、富岡製糸場周辺にも有料駐車場がありますが、富岡駅東駐車場は無料で駐車できるので節約したい方にはオススメ。
まちなか周遊観光バス
運行時間:9時~16時 1便:富岡駅東駐車場 9時発車、以降約40分ごとに1便(1日10便を予定)
所要時間:約40分(街中一周)
ルート:
往路:富岡駅東駐車場(発)- 上州富岡駅前 – 宮本町まちなか交流館 – 富岡製糸場(旧韮塚製糸場)前
復路:富岡製糸場(旧韮塚製糸場)前 – 銀座まちなか交流館 – 宮本町まちなか交流館 – 上州富岡駅前-富岡駅東駐車場(着) ※上記停留所以外での乗り降りも可能です。 ※ガイド料のご協力をお願いします。
「観光案内所・お富ちゃん家」周辺観光情報を入手!

お富ちゃん家(ち)
製糸場に近づくと、少し観光地的な雰囲気になってきました。食べ歩き向けの店もありました。
まちなか観光物産館「お富ちゃん家(ち)」では、観光や街歩きの情報が入手できます。
”お富ちゃん”は富岡観光のマスコットキャラクターですが、年齢は永遠の14歳とのこと。ずっと若くて羨ましいですなぁ。
まちなか観光物産館「お富ちゃん家(ち)」
住所:群馬県富岡市富岡1151-1(GoogleMapで開く)
観光案内所:9:00~17:00、物産展示販売所:8:30~17:30
※電動アシスト自転車の無料貸し出しもあり
「富岡製糸場」洋式技術を導入した日本初の本格的製糸工場

程なく富岡製糸場が見えてきました。
世界遺産がある観光地、のイメージからすると正面の通りはやや大人し目ですね。

富岡製糸場 正面
富岡製糸場は明治5年(1872年)に明治政府が器械製糸技術を国内に広めるために設立した、官営の模範製糸場です。
建築当時、ヨーロッパで蚕の伝染病が流行っており、日本産の生糸の需要が急増しました。
生糸は日本の輸出品の大半を占める重要品だったため、高品質で大量生産できる工場が必要となり、模範工場の設立が検討されました。
模範工場設立の際の基本方針は下記の3点でした。
・洋式の製糸技術の導入。
・外国人を指導者とする。
・全国から工女を募集。 *伝習後の工女は地元へ戻り器械製糸の指導者となる。
そこでフランス人技術者であるポール・ブリュナが招かれ、従来の手作業に代わる器械製糸技術を導入した富岡製糸工場が設立されました。
これにより明治42年(1909年)に日本は世界最大の生糸輸出国となり、以降、生糸は70年以上にわたり最大の輸出品となりました。
まさに日本の産業の近代化における、重要なターニングポイントとなった施設です。
国宝指定の東置繭所・西置繭所・繰糸所を中心に構成

場内では、国宝指定の「東置繭所」「西置繭所」「繰糸所」の3棟、そして、国重要文化財の「首長館(ブリュナ館)」「女工館」「検査人館」などを中心に見学をする流れとなります。
公開エリアはそれぞれ自由に見学できますが、解説員による有料のガイドツアーも用意されています。
有料といっても大人200円ですからね。ガイドさんの説明は分かり易すいはず。
ただしガイドツアーは、スタート時間が決まっている点に注意ですね。今回は残念ながら時間が合わず、ツアーには参加できませんでした。
【各種ガイドサービス】
解説員によるガイドツアー(有料)
概要:解説員による解説がつく40分程度のガイドツアー
料金:大人200円、中学生以下100円
スタート時間:午前:9時30分/10時30分/11時30分、午後は13時/14時/15時 。(時間割はお出かけ前に最新の情報でご確認下さい。)
音声ガイド機貸出(有料) 料金:200円
音声ガイダンス情報(無料) ※ご自身のスマートフォン等を使って、見学場所の音声ガイダンス情報を聞くサービス
「東置繭所」国宝指定のシンボル的な建物

場内には明治時代の建物が、ほぼ当時の姿のまま残っています。まずはそれだけでも大変貴重ですよね。
入場すると正面にあるのが、富岡製糸場のシンボル的な建物「東置繭所(ひがしおきまゆじょ)」で、こちらは
国宝指定されています。
繭の貯蔵を目的としていた建物で、長さが約104mにも及ぶ巨大な繭倉庫。2階が乾燥させた繭を貯蔵する場所で、1階は事務所・作業場でした。
倉庫1棟での繭の最大可能な貯蔵量は32トン、という凄い量には驚かされますね。

外観は重厚さを感じさせる特徴的なレンガ造りですが、構造は木造の骨組みにレンガを積み立てる「木骨レンガ式」というもの。
洋風建築ではありますが、屋根には日本瓦を敷き、レンガは漆喰で積まれるなど、和洋折衷の工法となっているのが、建築技術の過渡期にあって面白いところです。

多くの小窓は、繭にカビなどを発生させぬように通気性を確保するための扉とのこと。

東置繭所の裏手側
2階の貯蔵庫内部も覗けるとのことなので、建物裏面から階段で上がります。

東置繭所(2階)
広々した空間の壁側には、外側から見えた小窓があるのがわかります。
入口側から眺める形で、部屋の中へは入れませんでした。
東置繭所の1階部分は、現在は展示室・売店・シルクギャラリーとなっています。
「西置繭所」多目的ホールとして整備中

こちらの「西置繭所」も国宝指定されている建物で、東置繭所同様に主として2階が繭の貯蔵庫として使用されていました。
現在は保存修理工事がおこなわれているため、外観のみ見学でした。

内部は令和2年(2020年)10月に公開開始が予定されており、1階部分は多目的ホールとて生まれ変わる予定です。
へえ~、という感じですが、国宝建築物がどのように活用されてゆくのか、注目したいですね。
渋沢栄一も工場設立に貢献

富岡製糸場の設立に関しては、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一も関わっています。
当時、明治政府の大蔵省租税正(そぜいのかみ)であった渋沢栄一は、埼玉県深谷市の農家の出身で養蚕に詳しかったことから、富岡製糸場設置主任の一人に任命されています。
フランス人技師ポール・ブリュナの雇用の決議をおこなうなど、建設に関与しました。
また、栄一の従兄弟である尾高惇忠(おだかあつただ)も設置主任の一人で、工場建設活動の中心となって活躍し、製糸場完成後は初代場長に就任しています。
\ 渋沢栄一が養蚕業に親しんだ生家の詳細についてはこちら! /
「繰糸所」トラス構造の建造物、当初は300釜の繰糸器を設置

「繰糸所(そうしじょ)」は繭から生糸を取る作業がおこなわれた工場で、こちらも国宝指定されています。

生糸とは、繭を熱湯で処理して接着を緩めた後、引き出した何本かの糸を寄り合わせて1本の糸にしたもの。
この工程作業のことを繰糸と呼びます。
ちなみに、蚕が吐糸する長さは約1,500mにも及ぶそうですよ。なんだか凄く変わった生き物ですね、蚕って。

創業当初の繰糸所にはフランス式の繰糸器300釜が設置され、工女達により繰糸の作業がおこなわれました。
現在は昭和41年(1966年)以降に設置された、自動繰糸機が保存されています。

この自動機の導入により、少数の職人のみで生糸の生産が可能になりました。

工場内部は柱がないため、広々として自然光がたっぷり入ってくる明るい空間でした。
建物に採用されているトラス構造と呼ばれる建築方式は、三角形を組合わせた骨組の構造梁の使用により、柱間の間隔を大きく取れる構造となっています。

こちらは東置繭所の1階に展示されていた、設立当所導入されていた手作業用の繰糸機(復元)です。
当初はこのような機械300台と工女300人が、場内にずらっと並んで作業していたわけですね。
「鉄水溜・ブリュナエンジン」稼働を支えた最新技術

鉄水溜
野外にあるこちらは「鉄水溜(てつすいりゅう)」と呼ばれるもので、製糸の工程で必要な大量の水を供給するための貯水施設です。
日本で現存する鉄製構造物としては最古級のもので、国指定重要文化財です。

こちらはブリュナエンジン(復元機)の動態展示施設。

エンジンはポール・ブリュナがフランスから輸入し、富岡製糸場が創業した明治5年(1872年)から約50年の間、繰糸機の動力源として使われました。
このような海外から導入された最新技術が、製糸場の技術を支えたわけですね。
ちなみに実物は、愛知県の博物館明治村で保管・展示されているとのことです。
「ブリュナ館」ポール・ブリュナと家族の住まい

「首長館(ブリュナ館)」は工場立ち上げのために5年間雇い入れられた、ポール・ブリュナとその家族が住むための建物でした。
南の陽当りの良い場所に建てられており、周囲にベランダをめぐらし、窓には板戸が取り付けられた開放的な造りの建物です。
ブリュナが去った後は、工女たちの読み書きやそろばん、裁縫や行儀作法などの学び舎として使用されたといいます。
ポール・ブリュナ(1840-1908年)
フランス南東部出身のポール・ブリュナは、リヨンの生糸問屋を経て来日し、横浜で生糸検査人として働きました。その知識を買われ、明治政府にお雇い外国人として雇用されます。
明治3年(1870年)に製糸場設立計画書を提出し、建設地選定を経て正式に契約。
日本人向け特注の製糸器械輸入など準備を進め、明治5年(1872年)の富岡製糸場開業から明治9年(1876年)まで総責任者として指導にあたり、日本の生糸業近代化に大きく貢献しました。
帰国後は上海で製糸場を設立し、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与されています。
約3500名の工女が入場、第1号は工場長・尾高惇忠の娘

フランス人女性教師用の寄宿舎
工場の主役の一つであったのが、全国から集まった工女達。
明治6年(1873年)から明治17年(1884年)の間に、32道府県から延べ3,509名もの工女が入場しました。
しかし、工場完成後に初代場長・尾高惇忠が操業に向けて工女の募集をしたところ、希望者がまったく集まりませんでした。それはなぜか?
フランス人技師の飲む赤ワインが若い娘の血と誤解され、”工女から生き血を絞るための募集である”、そんな噂が広まったためでした。
そこで当時14歳だった尾高惇忠の娘の”ゆう”が、伝習工女第1号として入場。
これにより噂は払拭され工女が集まり、製糸場の操業を無事開始することができたというわけです。
今聞くとちょっと微笑ましいエピソードですが、外国文化との交流過渡期における苦労が伝わってくるエピソードですよね。

こちらは昭和15年(1940年)に建築された、工女用の「寄宿舎」です。
寄宿舎は2棟あり、群馬県の山の名からとられた妙義寮と浅間寮の呼び名がそれぞれ付いています。
建物は木造2階建ての長さ55m・幅7.3mの大きな建物で、1棟あたりには15畳の部屋が16室あり、2屋で合計32部屋ありました。

診療所
工女たちの労働は相当過酷だったんだろうなあ、と思いましたが、イギリスやフランスに倣い週休制の10時間労働制が採用されたそうです。
敷地内に無料の診療所を設置するなど福利厚生も充実。
労働環境にも最先端が取り入れられた、ホワイト企業だったようですよ、ホッ。
「お蚕様チョコレート」お土産にいかが?

お土産で軽くショックを受けたのが、こちらのリアル過ぎる「お蚕様チョコレート」。インパクトが欲しい人にはオススメ。
気張ったお土産ならばシルク製品もありますが、500~1000円程で買える繭石鹸などがリーズナブルで女性にも喜ばれそうな感じでしたよ。
富岡製糸場の詳細情報・アクセス
富岡製糸場
公式ページ
住所:群馬県富岡市富岡1-1(GoogleMapで開く)
入場料:大人:1,000円、高校・大学生(要学生証):250円、小・中学生:150円
アクセス:
電車)高崎駅にて上信電鉄へ乗り換え、上州富岡駅下車
車)最寄りのIC:上信越自動車道 富岡IC
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俳優・鈴木亮平さんが、世界遺産旅に想いをめぐらせ挿絵を描き下ろし。実際に行っていないのに(笑)。
妄想爆発で書き下ろした前代未聞の楽しい旅行記。
富岡製糸場へ出かけてみませんか?
正直いうと訪問前はちょっとお堅いスポットのイメージでしたが、実際に行ってみると、貴重な大型の建物群に圧倒されましたね。
そして、長らく鎖国してた日本の産業が近代化に向かうことに大きな貢献をした、歴史上大変重要な工場だったことが分り、大変興味深かったです。
近隣には「こんにゃくパーク」や、日本三大奇勝の1つ「妙義山」などの見どころもあるので、併せての訪問もオススメですね。
世界遺産・富岡製糸場の見学に出かけませんか?
記事の訪問日:2020/8/7



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