川越は小江戸と呼ばれる古い街並みが残り、観光地としても人気の城下町です。
その城下町の中心であった、かつての川越城の面影はというと、川越城の本丸に建っていた御殿が現存しています。この御殿は、東日本では唯一現存する本丸御殿として貴重なものなんですよ。
その本丸御殿の紹介とともに、周囲を歩いて出会えた城の痕跡や伝承地をめぐりつつ、川越城の歴史を振り返ってゆきます。
目次
「川越城」太田道灌が築城、松平信綱が城下町の基礎を整備
大手門跡に立つ築城者・太田道灌の像

本日の川越城跡めぐりは、川越市役所前からのスタートです。
スタート地点としたワケは、かつて城の正面入口あたる大手門があった場所ということと、市役所の駐車場が広くて停めやすかったという理由からです(苦笑)。
いや実際、休日の川越での駐車場探しは一苦労なもので。
大手門跡には石柱碑のみが残ります。

大手門碑の背後には川越城を築城した武将・太田道灌(どうかん)像が、定番の狩装束でドンと構えています。
太田道灌は川越城下町の顔となっており、訪問時には各所で”太田道灌をNHK大河ドラマに!”という署名活動もおこなわれていましたよ。
ちなみに道灌が築城した室町時代から戦国時代までは「河越城」、近世以降は「川越城」の表記が使われています。
太田道灌(1432-1486年)
室町時代中期の武将、名は資長(すけなが)。扇谷(おおぎがやつ)上杉家の家臣として仕え、軍事・政治の両面で卓越した才能を発揮。享徳の乱や長尾景春の乱で活躍して、扇谷上杉氏を関東随一の勢力に押し上げます。
優れた築城技術でも知られ、江戸城をはじめ川越城や岩槻城など関東各地の城を整備。また和歌にも秀でた、文化人としての一面も持ちました。
しかしそれらの才能と功績が上杉定正に警戒され、主君による暗殺という悲劇的な最期を迎えました。
\ 太田道灌については下記の記事もご覧下さい! /
江戸時代の藩主・松平信綱が城下町の基礎を整備

市役所前にあった縄張図に、本日訪問するスポットを記入してみました。
川越城は平地に築かれた平山城で、独立した曲輪が連なる連郭式と呼ばれる配置でした。
ここで川越城の歴史概略を振り返っておきましょう。
川越城の歴史概略
■長禄元年(1457年):室町時代、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏が、公方足利氏対抗のために川越城(河越城)を築城。家臣の太田道真・道灌親子が縄張りを構築。
■天文6年(1537年):駿河国・今川氏に仕えていた小田原北条氏(後北条氏)が関東に進出し、扇谷上杉家より河越城を奪取。
■天文15年(1546年):扇谷上杉氏と公方足利氏の連合軍が小田原北条氏の川越城を包囲。しかし北条氏康(うじやす)の奇襲により総崩れ(河越夜戦)。以後、関東は小田原北条氏の時代へと移行。
■天正18年(1590年):豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた小田原征伐にて、前田利家の攻撃を受け落城。
川越は関東に配置換えになった徳川家康の領地となる。
■江戸時代寛永16年(1639年):老中・松平信綱が城主となり、川越城や城下町の整備を実施。改築は慶安3年(1650年)から開始され明暦2年(1656年)頃に完成。
■明治時代:廃城により城郭の解体実施。
現在の川越城下町の基礎は、江戸時代の藩主・松平信綱(のぶつな)によって整備されました。
現在残っている遺構も、ほぼ江戸時代以降のものと考えられます。
松平信綱(1596-1662年)
徳川家光・家綱の3代に仕えた江戸時代前期の老中。幼少より家光の側近として仕え、その知恵と才覚から「知恵伊豆」の異名が付いた。
島原の乱では総大将として鎮圧に成功し、幕府の威信を高めました。
川越藩主としても川越城下の整備をはじめ、新田開発や新河岸川の舟運整備などもおこない、幕政と藩政の両面で多大な貢献をした人物です。
川越市役所
住所:埼玉県川越市元町1丁目(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約18分(約1.3km)
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約22分(約1.8km)
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約30分(約2.3km)
・「川越駅」東口・「本川越駅」より東武バスウエスト乗車、「市役所前」降車すぐ。又は「札の辻」下車徒歩7分
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「市役所」又は「大手門前」で下車
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「市役所」下車
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり
「川越城中ノ門堀跡」唯一の現存空堀跡

市役所前に通っている”初雁城(川越城)通り”と呼ばれる道路沿いに、本丸方向に向かいます。
その通りを隔てた市役所に程近い場所には、「川越城 中ノ門堀跡」があります。
ここは旧川越城内に残る唯一の空堀(水の無い堀)の遺構なんですよ。
中ノ門があった「中曲輪」は、大手門を突破された敵兵に対し、三ノ丸への侵入を阻止する位置付けの曲輪ですね。当時は入口に2階建ての櫓門があったとのこと。

空堀は右手の勾配は35度で、城の内側にあたる左手の傾斜60度だったとのこと。
元々の堀の深さは7mで、幅は18mもあったそうだ。
堀に取りついた侵入者も、城側を登ることはできなかったでしょうねえ。

当時の入口は中ノ門堀を含む3つの堀に囲まれた、細く屈折した通路でした。
勢いを付けて直進できない中、横矢や銃で狙いを付けた城兵が待ち構える場面が目に浮かんできますよね。
川越城 中ノ門堀跡
住所:埼玉県川越市郭町1丁目8-6(GoogleMapで開く)
開園時間:9時~17時まで
休園:年末年始(12月29日~1月3日まで) ※都合により休園日を変更することもあり。
アクセス:川越市役所から徒歩約2~3分。
「川越市立博物館」かつての二ノ丸跡

次にやって来たのは、白壁塗で蔵造り風の「川越市立博物館」です。
大手門跡からは500m程離れたこちらは、元々二ノ丸があった場所。道路を隔てた向かいが、御殿のある本丸跡です。
「霧吹きの井戸」 敵が来ると霧が!? 別名は霧隠城

霧吹きの井戸
二ノ丸跡では多くの井戸跡が見つかっており、この「霧吹きの井戸」と呼ばれる井戸跡もその一つです。
実はこの井戸には不思議な伝承があります。
普段はフタが井戸にされているが、敵に攻められ危険が迫った時にはそのフタが取られる。
すると不思議なことに井戸から霧が吹き出し、やがて濃霧となって城周囲を包みを隠してしまったという。
これにより川越城は、別名・霧隠城(きりかくれじょう)とも呼ばれていたんですね。
これは不思議な話ですなあ。

敷地内東側にある「川越城 蓮池門跡」の石碑から、かつては蓮池があったと想像できます。
霧吹きの井戸の謎は、この辺が湿地帯だったことと関連しそうな感じがするなあ。
そんなことを考えつつ、博物館内の見学へ。
城郭周囲を水堀が囲む

展示室の中央にあったのは、幕末期における城下町の1/500のジオラマ模型。
中央の建物が密集している場所が本丸で、周囲には土塁が盛られていたようですね。
その右手の四角い曲輪が博物館のある二ノ丸で、その上は三ノ丸です。
城内の広範囲に渡って、水堀が巡らされていたことがわかります。

川越藩の家系に伝わる鎧兜。

木造の太田道灌像(複製)は、道灌が仏門に入った姿を伝えます。
川越市立博物館の詳細情報
川越市立博物館
公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目30番地1(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 200円、大学生・高校生 100円、中学生以下無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、第4金曜日(休日は除く)、年末年始(12月29日から1月3日)、臨時休館日(館内消毒期間:6月下旬)
アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩1分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩1分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり
「川越城本丸御殿」東日本唯一の現存本丸御殿
全国的にも貴重な現存御殿

旧川越城跡めぐりの最大の見どころは、やはり「川越城本丸御殿」となります。
入母屋(いりもや)造りの建物で、正面入口に掛かる2間(約3m60cm)の大唐破風が特徴的。
きらびやかさは無く、質実剛健!といった雰囲気の武家屋敷らしい佇まいです。
訪問時は駐車場エリアが整備中だったため、正面から近付くことはできず。

現存御殿の数は、現存天守閣と比較しても案外数が少ないんですよ。
高知城と川越城に本丸御殿が、二条城と掛川城にはニの丸御殿が残っています。
なぜ、現存御殿は少ないのか?
明治時代に廃城令がでると、城は陸軍の管理下になります。すると、兵営地確保の観点から”場所を食っている御殿は邪魔!”と、真っ先に目を着けられたようだ。。。
ということで、川越城の本丸御殿は全国的に見ても貴重な遺構なんですよ。
川越4代目藩主・松平斉典が築造した御殿

明治時代に川越城は廃城になります。
しかし、江戸時代後期に築造された本丸御殿は比較的新しい建物だったため、再利用される形で一部が解体を逃れたんですね。
最初に県庁として利用された後も、官庁や学校などの施設として利用され続けました。これは良かった!

赤で囲まれた部分が現存箇所(展示室にて)
川越城における御殿の変遷
■江戸時代初期(17世紀)頃:本丸に御殿があり、徳川家光が鷹狩りの際の休憩・宿泊施設として使用。
■明和4年(1767年)頃:家光以降は御成がなくなったため、本丸御殿を解体。御殿の役割は二ノ丸御殿に移る。
■弘化3年(1846年):二ノ丸御殿が焼失。
■嘉永元年(1848年):城主・松平斉典(なりつね)による再建御殿が本丸に完成。
幕末に再建された本丸御殿は、1,025坪(約3,400m2)の敷地内に16棟もの建物を有する、かなり巨大な御殿だったようです。
現存・一般公開されているのはその一部で、玄関・大広間部分を含む建物と家老詰所になります。
広間は藩主との対面を待つ控室

広間
36畳の広さを誇る、現存御殿で一番広い座敷である「広間」。
長い廊下に挟まれた造りで、左手からも右手からも出入りができます。
城主との対面をおこなった場所は今は無い「大書院」で、この広間はその待機所だった。

広間にある松を描いた杉戸絵。
川越藩の御用絵師として活躍した、舩津蘭山(ふなつらんざん)によるものとのこと。

御殿内には枯山水の庭園がいくつかあります。
いにしえの訪問者たちも庭園を眺めつつ、城主からのお呼びが掛かるのを待っていたことでしょう。

広間の他にも、この棟には使者ノ間や詰所など、7つの間が連なって配置されていました。
家老詰所のリアルな人形にドキッ!

別棟の「家老詰所」は、御殿に勤務する家老たちが詰めていた建物です。
明治初期に家老詰所は移築され、現ふじみ野市の商家で使われていました。
その後、昭和62年(1987年)に川越市に寄贈されて戻ってきたもの。良く残っていましたよね!

こちらは廊下まで畳敷で、なんとも庶民的な雰囲気。

部屋に誰かいる!?と思いちょっとびっくりしました。いやマジで(苦笑)。
かなりリアルな3体の人形により、家老たちが藩政を論じる場面が再現されています。広げている地図は、どうやら砲台の図面のようですね。
幕末にペリーの黒船艦隊ほか、襲来する外国船対抗策として品川に砲台が造られました(品川台場)。
当時の川越藩は、その一つである第一台場の警備を担当していたんですね。「う~む、黒船どうするかのう?」そんな内容の話をしているのでは?
\ 幕末の第三台場の遺構についてはこちらの記事で!/
川越城 本丸御殿の詳細情報・アクセス
川越城 本丸御殿
公式ページ
住所:埼玉県川越市郭町2丁目13番地1(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~17時(入館は16:30まで)
入館料金:一般 100円、大学生・高校生 50円、中学生以下 無料
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月3日)、館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く)
100名城スタンプ:受付窓口に設置(休館日は市役所の観光課で対応) アクセス:
電車)
・西武鉄道「本川越駅」東口から徒歩約25分・約2km
・東武鉄道「川越市駅」から徒歩約30分・約2.4km
・東武鉄道・JR「川越駅」東口から徒歩約35分・約2.8km
・「本川越駅・川越市駅・川越駅」からイーグルバス・小江戸巡回バス乗車、「博物館・美術館前」下車、徒歩約1~2分
・「川越駅」東口から市内循環バス「川越シャトル」乗車、「博物館前」下車、徒歩約1~2分
車)
・最寄り高速道路ICは関越道「川越IC」
・駐車場あり
「川越城富士見櫓跡」「三芳野神社」をめぐる
「川越城富士見櫓跡」天守の役割だった櫓台の跡

本丸御殿の見学の後は、御殿から南に5分程歩いた場所にある「川越城 富士見櫓跡」へ。
かつて富士見櫓があった場所で、約12mある台地の内の10mは江戸時代に盛土されたものとのこと。
ここはあまり知られてない気がしますが、はっきりと形を残した遺構として貴重です。
一帯は、この裏手にある県立川越高校とともに、「八幡曲輪」と呼ばれる曲輪にあたります。

台地の頂上付近に平らな空き地があり、かつてはここに櫓が建っていたのでしょう。
川越城には天守はなく、こちらにあった富士見櫓と呼ばれた三重櫓が天守の役割をしました。

その先は神社の境内となっており、左手が御嶽(おんたけ)神社、右手が浅間(せんげん)神社でした。

更に台地のヘリには富士見稲荷大神もあり、山の神様づくしでした。
かつてはその名の通り富士山が望めたとのこと。現在は木が茂っており、眺望は望めません。
川越城 富士見櫓跡
住所:埼玉県川越市郭町2丁目15(GoogleMapで開く)
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約5分。
「三芳野神社」城内にあった “とおりゃんせ”発祥の地

最後に本丸御殿の向かいに鎮座する「三芳野神社」を参拝。
三芳野神社は、かつて川越城城内に鎮座していた神社です。

社殿は結構立派なもので、境内は綺麗に整備されている感じが伺えました。
ところでこちらの神社は、童唄「通りゃんせ」発祥の地だといわれています。その起源は川越城とも深く関係があるようなんですよ。

平安時代の創建と伝わる三芳野神社は、川越城築城以前よりここに鎮座していました。
しかし城ができた結果、神社は城内の「天神曲輪」内に取り込まれてしまったんですね。
三芳野神社は「お城の天神さま」と呼ばれた、城内の神社となります。
一般人が参拝するには南大手門から城内に入り、いくつかの門を抜けて参道に至ります。
城内に入るため、帰りの際には密偵などの不審者が混じっていなかったか?の確認がおこなわれました。
それゆえ「帰りはこわい」という歌詞につながった、といわれています。
ふ~む、なるほどな、のシチュエーションですね。
三芳野神社
住所:埼玉県川越市郭町2丁目25-11(GoogleMapで開く)
アクセス:川越城本丸御殿から徒歩約1~2分。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
タモリさんならではの視点で、川越の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
川越城本丸御殿周辺 散策マップ
本日訪問した周辺マップです。

小江戸川越観光協会発行のパンフから抜粋
観光向け巡回バスについて
市内では、川越駅(JR・東武東上線)を出発地とする観光向け巡回バスが2路線運行されており、いずれも主要な観光スポットを経由します。
休日は市内の道路や駐車場は混雑しますので、巡回バスは効率良く巡るのに便利ですよ。
■小江戸巡回バス(イーグルバス株式会社) 公式ページ
■小江戸名所めぐりバス(東武バスウエスト株式会社) 公式ページ
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川越城跡の散策に出かけませんか?
本丸御殿をはじめ、旧川越城の面影を残すスポットをめぐってみました。
さらにつぶさに探せば、城の痕跡を残す小さな遺構や地形がもっと残っていそうな感じもしますね。
訪問の際には、本丸御殿周辺の公園化整備がおこなわれていましたので、整備後の訪問も楽しみですね。
川越城周辺散策に出かけてみませんか?
※記事作成時には、川越市立博物館発行「川越城が知りたい!」を参考にしました。
記事の訪問日:2022/3/13




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