埼玉県行田市にかつてあった「忍(おし)城」は、戦国時代は難攻不落を誇る堅城でした。
特に豊臣秀吉の小田原征伐の際、石田三成軍の水攻めに落ちなかったことは語りぐさで、映画「のぼうの城」の題材としても取り上げられています。
現在は続日本100名城の一つにも数えられている忍城の歴史を振り返りつつ、城址公園やかつての外堀跡である水城公園などをめぐり、かつての城の面影を探してみました。
目次
「水城公園」忍城の外堀跡の面影
利根川と荒川にはさまれた湿地帯に立地

まず最初にやって来た忍城の関連スポットは、忍城址から約600m程南東にある「水城公園」です。
ここは忍城の外堀を水辺公園として残した場所で、水に囲まれていたかつての城の面影を感じさせます。
忍城は北の利根川と南の荒川にはさまれた、低地の湿地帯に立地した城。
広大な沼地の中の陸地に曲輪が造られ、外部からは攻め辛く難攻不落を誇り、戦国時代には関東七名城の一つにも数えられました。
山内上杉家家臣の成田顕泰が忍城を築城

忍城は、室町時代の文明年間(1469~1487年)にこの地を治めていた成田氏が築城しました。
山内上杉氏の家臣だった初代城主・成田顕泰(あきやす)以降、4代にわたり約100年間、成田氏の居城として続きました。

公園の南端にある「三重櫓跡」の石碑。
忍城址に御三階櫓が復元されていますが、元々あった場所は三ノ丸東側にあたるこの辺りだったようです。
水城公園
住所:埼玉県行田市水城公園1249(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR高崎線「行田駅」から市内循環バスで8分「水城公園前」下車
・秩父鉄道「行田市駅」から徒歩13分
車)
・無駐車場あり
「忍城」 石田三成の水攻めに屈しなかった堅城
水堀に囲まれた連郭式の縄張り

上記の地図は、平成12年の地図と文政6年(1832年)の忍城絵図を重ねた「忍城今昔地図」です。
城の配置は本丸から南に向かって二の丸・三の丸が並ぶ連郭式で、その周囲は水堀(沼?)で囲まれていました。
水堀の周囲には城下町が築かれており、橙色部分は武家屋敷だったエリアです。かつて城郭だった敷地は、現在の行田市市街の広範囲に渡っています。
「御三階櫓」 お城然とした景観を感じさせる

東側にシンボルである「御三階櫓」が建っている城址公園にやってきました。このようなお城然とした景観が楽しめるのは、忍城が県内唯一のスポットだと思います。
明治の廃城後は城内の構造物はほとんど撤去され、本丸エリアは公園として残されました。
その後は、昭和63年(1988年)に行田市郷土博物館の一部として御三階櫓が鉄筋コンクリート製で外観復興されるなど、城址公園として整備されてゆきます。
ここで改めて忍城の歴史を振り返ってみましょう。
忍城の歴史概略
■文明10年(1478年)頃:山内上杉氏の家臣・成田顕泰(あきやす)が築城。
■天正2年(1574年):上杉謙信に攻められるも持ちこたえ、堅城ぶりを見せた。
■天正18年(1590年):豊臣秀吉の小田原征伐において石田三成による水攻めを受けるも、落ちなかった。その後、小田原城の降伏に伴い忍城も開城。
■寛永16年(1639年):将軍・徳川家光の老中・阿部忠秋が忍城主となり大改築に着手。御三階櫓や城門土塀が完成。
■文政6年(1823年):伊勢の桑名から松平忠堯(ただたか)が移封。忠誠の時に明治維新を迎えた。
■明治維新後:廃城となる。
忍城は現在は続日本100名城の一つに数えられています。
映画「のぼうの城」でも知られる石田三成の水攻め

堅城を誇る忍城の歴史の中でも良く知られるのは、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原北条氏(後北条氏)を攻めた小田原征伐における戦いでしょう。
北条氏側に付いていた忍城も、豊臣軍と対立することになります。

天正18年(1590年) 4月、秀吉は総勢24万ともいわれる大軍を派遣。小田原城を包囲するとともに、北条方の関東地方の諸城を次々と攻め落としました。
6月初旬、秀吉は石田三成を総大将として、以下、佐竹義宣・宇都宮国綱・多賀谷重経・水谷勝俊・結城晴朝による軍勢で忍城攻めを命じました。
忍城の戦い
石田三成の軍勢が忍城を攻めた際、忍城主・成田氏長と弟の泰親(やすちか)は将兵を率いて小田原城に籠っており、忍城を守っていたのは城代・成田泰李(やすすえ)や正木利英らの家臣でした。
兵数約2万人といわれる石田軍に対し、忍城側に立て籠ったのは兵と領内の農民を合わせた3千人程だったといわれています。
堅城振りを見せる忍城に対し攻略が長引くなか、三成は水攻めを決行。一週間程度で城の周囲に大堤防を築造し、そこに利根川・荒川からの水を流し込みました。
しかし忍城はこれにも耐え落城しなかったことから、後世には「浮き城」と呼ばれるようになりました。
その後、小田原城の開城にともない忍城も開城しましたが、忍城を象徴する戦いとなっています。
この浮き城のエピソードは、平成24年の映画「のぼうの城」の題材にも取り上げられました。
忍城の総大将役を飄々と演じた野村萬斎が印象的だったこの映画は、第36回日本アカデミー賞では作品賞をはじめ10部門で受賞。映画をご覧になった方も多いかと思われます。
\ 石田三成の水攻めの詳細や遺構についてはこちらへ!/
「東門」 雰囲気のある復元門

木橋を渡り城内へ。東門は御三階櫓や木橋とともに、城跡らしい雰囲気を感じさせます。

薬医門と呼ばれる形式の門。両側の小さな袖扉から城内へと入城。
かつて二ノ丸にあった鐘楼が現存

公園の北側には「鐘楼(しょうろう) 」が建っていますが、これは忍城の貴重な現存遺構の一つです。
江戸時代の鐘楼は、本丸ではなく二ノ丸の東側隅に所在していました。明治の廃城後は、当時の進修館小学校の校庭に移設された。
昭和になって一旦城址公園向かいの東照宮へ移転。その後の平成4年に、こちらに移設されました。
転々としましたが、城址公園に所在が落ち着いて良かったですね!
宝暦14年(1764年)に鋳造された鐘は、市指定有形文化財として郷土博物館内で展示されています。
「進修館表門」 忍藩藩校の表門が現存

公園内の郷土博物館は後ほど見学することにして、南側の外周を抜けて西側に向かってみます。
城内側の土塁上には、弓や鉄砲で狙うための狭間(さま)と呼ばれる穴が設けられた白壁が続いており、なかなか雰囲気のある小径でした。ちなみにこの辺の土塁や塀は、公園整備の際に造られた後世のもの。

公園の西側に立っているこちらは「進修館表門」です。
江戸時代に武士の子弟を教育する忍藩藩校「進脩館」が設けられましたが、これはその表門と伝わります。
行田市に現存する唯一の武家屋敷の表門で、天保3年(1832年)の墨書銘が残っており、建築時期が分かる点でも貴重とのこと。
「本丸土塁跡」 数少ない現存土塁の遺構

さらに、ちょっと見逃がし注意な遺構がこちら!進修館表門の袖の辺りから続いている当時の土塁跡です。

本丸西側を囲んでいた土塁の一部で、二の丸と西の土蔵曲輪とは橋で結ばれていました。
ちなみに訪問時は草ボーボーでした(苦笑)。土塁見学のベストシーズンは秋から冬に掛けてでしょうね。
櫓の石垣石の展示

進修館表門から敷地内に入った先には、かつて櫓台に使われていた石垣石が野外展示されていました。
石は綺麗に整形されていたことが見て取れます。

建物の礎石に使われたらしい、天面に穴が空いた石もあった。
「行田市郷土博物館」 三階櫓にも入場できます

公園内を一通りめぐったので「行田市郷土博物館」を見学します。続日本100名城のスタンプの設置や御城印の販売もこちら。

博物館は忍城の歴史をはじめ、行田市全般の歴史を紹介する施設です。
近年では、令和2年に市内の「埼玉古墳群」が国指定特別史跡に指定され、さらに「足袋製造用具及び関係資料」が国重要有形民俗文化財に指定されました。これにあわせた資料展示がおこなわれていました。
行田は歴史に感する話題がホントに豊富だ。
見学は有料なので入場料200円を支払い館内へ。ちなみに展示物は撮影禁止でした。

御三階櫓とは渡り廊下でつながっており、櫓内の見学もできます。
櫓内は、2階は「忍城と城下町」・3階は「近・現代の行田」に関する資料の展示があり、4階は展望室です。

御三階櫓内の展望台からの眺望は、なかなか見晴らしが良いです。
櫓内の展示物については実はさほど期待してなかったのですが、実際に使用された人力車の籠や御三階櫓の鯱(しゃちほこ)のレプリカ等々あり、案外興味深く見学できました(失礼しました!)。
中でも面白かったのが「石城日記」の展示(複製)。
これは江戸末期の忍藩にいた下級武士・尾崎石城という人物が、日々の生活を綴った絵日記なんですね。絵心豊かに記されており凄く面白かった!
「御城印」 博物館内で購入

博物館で御城印を購入しました。1枚200円也。
御城印は行田市商工センター内の観光物産館「ぶらっとぎょうだ」でも購入できます。
「諏訪神社・東照宮」 旧諏訪曲輪にある神社
忍城廃城時はことごとく取り壊しが命ぜられた

城址公園見学の後、道路を挟んだ向かいの「諏訪神社」を参拝。本丸の北側・東側を囲むような形状だった「諏訪曲輪」内にあった神社です。

諏訪神社は延徳3年(1491年)に成田氏が忍城を築城した際、行田市持田村の諏訪社を城鎮守としたのに始まると伝わります。
ところで、境内には忍城の廃城に関する興味深い説明板がありました。
忍城は江戸に一番近い親藩だったので、明治4年(1871年)の府県官制の際には、何物も残さず取り壊しが命ぜられました。
しかし建物の数が多く取り壊す費用もないので、入札形式での払い下げをもって取りこわしの費用としたそうだ。忍藩への貸金などもしていた家は、それで棒引にされたとのこと。
そんな経緯もあり、忍城の建物を家の門や倉として使っていた家が近年まで多かったらしい。
遺構が少ない背景には、入念に破却する指示があったわけですね。
払下げられた建物の現存物も現在は少なくなっているそうで、加須市の総願寺・黒門だけが唯一完全な形で残っているとのこと。
「東照宮」 松平家移封に伴い桑名藩より遷座

東照宮 本殿
敷地内には「東照宮」も祀られていました。
この東照宮は元々徳川家康の外孫である松平忠明が、大和国郡山城内に創建したもの。
松平家の移封に伴い各地に遷座の後、文政6年(1823年)に桑名藩(現、三重県)より松平忠堯が藩主として移った際に忍城内に遷座された。
その後、明治時代に城内から現在の地に移ったそうだ。

諏訪神社境内の北側には、当時のものと思われる土塁が残っています。木々に覆われて分かりづらいですが。。。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
忍城跡の基本情報・アクセス
基本情報・アクセス
行田市郷土博物館
住所:埼玉県行田市本丸17-23 (GoogleMapで開く)
一般入場料:大人 200円、大学・高校生 100円、中学・小学生 50円
開館時間:9:00~16:30(最終入館受付16時まで)
休館日:毎週月曜日(祝日・休日は開館)、祝日の翌日(土曜日・日曜日は開館)、毎月第4金曜日(テーマ展・企画展の開催中は開館)、年末年始、その他の臨時休館日
*忍城址は終日営業・年中無休・入場無料。ただし、忍城御三階櫓内は郷土博物館の営業日のみ入場可。
アクセス:
電車)
・JR高崎線「行田駅」東口から: 市内循環バス・西循環コース(右回り)「忍城址・郷土博物館前」下車すぐ。又は、市内循環バス・西循環コース(左回り)「行田市バスターミナル」下車徒歩約5分。又は、市内循環バス・観光拠点循環コース(右回り)「行田市バスターミナル」下車徒歩約5分
・JR高崎線「吹上駅」北口から: 行田折返し場・行田市駅・総合教育センターゆき朝日バス(前谷経由)「忍城」下車すぐ。又は、行田折返し場・総合教育センター・工業団地ゆき朝日バス(佐間経由)「新町1丁目」下車西へ徒歩約10分
・秩父鉄道「行田市駅」南口から徒歩約15分
車)
・東北自動車道「羽生IC」より約25分、関越自動車道「東松山IC」より約40分、圏央道「桶川北本IC」より約30分
行田市内の移動について
バスによる移動について
公共交通機関で訪問する場合は,、バスを上手く利用すると移動が便利です。市内循環バスには「観光拠点循環コース」も設定されています。
行田市の市内循環バスのページ
朝日自動車のページ
観光レンタサイクルについて
市内4カ所で観光レンタサイクルの貸出がおこなわれています。4カ所間での乗り捨て返却も可なので、利用してみてはいかが?
■レンタル場所:忍城バスターミナル観光案内所、JR行田駅前観光案内所、観光物産館ぶらっとぎょうだ、はにわの館(埼玉古墳群内)
■料金:シティサイクル(2人乗り含む):500円/1日、クロスバイク:800円/1日、電動アシスト:1,000円/1日
■貸出・返却施設の営業時間:9:30~16:30(冬期は10:00~16:00) ※ぶらっとぎょうだとはにわの館は9:30~17:00で年間一律
■定休:なし ※12月29日~1月3日は休館
■予約用ページ:行田市公式観光サイト内
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営業時間:9時~17時
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アクセス:
電車)
・JR高崎線「吹上駅」北口下車、バスで佐間経由「新町一丁目」下車(所要約20分)、徒歩3分、又は、バスで前谷経由「商工センター」下車(所要約20分)、徒歩1分
・秩父鉄道「行田市駅」南口下車、徒歩6分
車)
・圏央道「白岡菖蒲IC」より約50分
・関越道「東松山IC」より約45分
・東北道「羽生IC」より約35分
・駐車場50台(行田市商工センター)




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