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江戸東京たてもの園で辿る『東京建築史』、二・二六事件の現場から看板建築まで。【東京都小金井市】

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今回ご紹介する「江戸東京たてもの園」は、単なるレトロな観光地ではありません。

関東大震災の後に商人たちが復興の夢を託した看板建築や、人々を元気づけた東京型銭湯。
戦時下の逆境が生んだ木造モダニズム建築、そして「二・二六事件」惨劇の舞台となった高橋是清邸など。

ここは再開発などにより消えるはずだった東京の「記憶の断片」が、移築復元によって命を繋ぎ止めた終着駅なのです。

建築ファンならずとも知っておきたい、細部の意匠に隠された「東京建築史の真実」を紐解いてゆきましょう。

目次

「江戸東京たてもの園」小金井に眠る”失われた東京”の断片たち

1日で東京の約400年の建築史を俯瞰してみる

東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」は、現地保存が困難な都内の歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示をする野外博物館です。
貴重な文化財の継承を目的として、平成5年(1993年)に都立小金井公園内に設置されました。

江戸東京たてもの園 ビジターセンター(東京都小金井市)
ビジターセンター(旧光華殿)

江戸東京たてもの園は都立・東京江戸博物館の分館という位置付けの施設で、約7ヘクタール(東京ドーム約1.5個分)の敷地において、30棟の復元建造物と29の野外展示物が公開されています。

ここにある建物の多くは、都市開発や老朽化により本来は消失する運命にありましたが、高い技術と熱意による「移築」を経て小金井の地で再生されたものです。

江戸時代の将軍家関連の建物、明治の西洋建築、昭和の看板建築などなど……本日はそれらの建造物を通じて、1日で東京の約400年の建築史を俯瞰してみます!

江戸東京たてもの園はスタジオジブリとも関係が深い

江戸東京たてもの園 宮崎駿がデザインしたマスコットキャラクターの「えどまる」(東京都小金井市)

園内の案内図の左上に描かれているのは、江戸東京たてもの園のマスコットキャラクターの「えどまる」。実はこれ、映画監督の宮崎駿氏が制作したものなんです。

スタジオジブリは本社が江戸東京たてもの園と同じ小金井市にあるのですが、ご近所さんということを越えた繋がりもあるんですよ。それについては、記事中で紹介してゆきます。

園内は、センター・東・西の3つのゾーンで構成

江戸東京たてもの園マップ
園内マップ(江戸東京たてもの園)

園内は「センター(地図中央)」「東(地図右手)」「西(地図左手)」の3つのゾーンで構成されています。

今回は時代別に巡ってゆく関係で若干見学場所が前後しますが、建物にゾーン名・No.を振っていますので所在の目安にしてみて下さい。

【江戸~明治】武蔵野の原風景と洋風建築の出現:茅葺き民家と旧自証院霊屋、デ・ラランデ邸

「茅葺きの民家」囲炉裏で燻すという生活の知恵

西ゾーン:W8

西ゾーンの西端に向かうと、江戸時代まで遡ることができます。

江戸東京たてもの園 綱島家(農家)(東京都小金井市)
綱島家(農家)

大きな茅葺き屋根が印象的な「綱島家」は江戸時代中期に建てられた農家の屋敷で、元々世田谷区にあったものが移設されました。

現在は住宅密集地のイメージがある世田谷区ですが、当時は武蔵野台地の雑木林と田畑が広がる景色の中に、農村と武家地が混在したエリア。
”完全な田舎でもなく、江戸の一部でもない中間地帯”、といった感じでした。

江戸東京たてもの園 綱島家(農家)(東京都小金井市)

広間型の間取りが特徴の屋内では、ボランティアの方による囲炉裏の実演がおこなわれていた。

調理をする、灯りの役割、暖をとる、それらが囲炉裏の主な使用目的なのですが、茅葺き屋根においては、煙で燻すことが耐久性向上にもつながる、という二次的な効果もあったりします。

「旧自証院霊屋」徳川家光の側室の霊を祀る

センターゾーン:C2

こちらは藁葺屋根の家屋とは対照的な、徳川将軍家とも関りのある建物です。

江戸東京たてもの園 旧自証院霊屋(東京都小金井市)

尾張藩は徳川御三家の一つであるが、その2代藩主・徳川光友の正室・千代姫が、母・お振の方(おふりのかた)を供養するために建立した霊屋(おたやま)がこちら。

お振の方は徳川3代将軍・家光の側室で、家光にとって初めての子である千代姫を産んでいます。自証院は法名。

建物は慶安5年(1652年)に、現在の新宿区富久町に建てられたものです。
極彩色に彩られた模様や木鼻にいる金色の象など、華やかな装飾で彩られています。

「デ・ラランデ邸」緻密な再生手術で輝きを取り戻した明治期の洋風建築

西ゾーン:W10

江戸東京たてもの園 デ・ラランデ邸(東京都小金井市 )

そして時代が明治に移ると、西洋建築様式が見られるようになります。

「デ・ラランデ邸」は元々は平屋の洋館だった建物を、明治43年(1910年)頃にドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが3階建てに大規模増築したもの。
平成11年(1999年)までは新宿区信濃町に建っていたそうで、最期の所有者はカルピス社の創業者・三島海雲氏でした。

江戸東京たてもの園の公式サイトではこのデ・ラランデ邸の復元工事記録が紹介されており、それを見ると移築は単に「家を運ぶ」作業ではないことがわかります。

●建物は一度バラバラのパーツに分解され、全ての部材に番記が振られる。
●旧材の確認および補修。傷んでいる部分も使用できるものは新規材で補修して使用。
●建具の既存の塗装材は一旦落とされ、創建当時の色を塗装。

現代の職人の緻密な「再生手術」により、”建物が最も輝いていた時代”の姿へと時間を巻き戻す作業がおこなわれていたんですね。

江戸東京たてもの園 万世橋交番(東京都小金井市)
万世橋交番

東ゾーン:E8

懐かしい丸型ポストとのセットで絵になるこちらは、かつて神田の万世橋のたもとにあった、明治末期に建てられた交番です。

都市化が進む東京において、こういった小さな建築物は本来「障害物」として解体・破棄される運命だったもの。
それが専門家たちの強い執念により、小金井の地への「避難」が実現。東京の街の”空気感”が、こうして後世に残されているわけです。

ちなみにこの交番は、トレーラーでそっくりそのまま運ばれてきたらしいですよ。

【大正・昭和初期】震災復興が生んだ「看板建築」の美学:武居三省堂にみる商人たちの意地

東ゾーンにレトロな昭和の下町が出現!

江戸東京たてもの園が楽しいのは、街並みを再現する様に建物がレイアウトされていること。

東ゾーンには商家の建物をはじめ、銭湯や居酒屋など暮らしに関わる店舗が並び、昭和初期の街並みが生き生きと再現されています。

江戸東京たてもの園 小寺醤油店(東京都小金井市)
東ゾーン:E2 小寺醤油店

店内も当時の様子がリアルに復元されています。

ちなみにスタジオジブリはアニメ映画「千と千尋の神隠し」の製作に際して、この江戸東京たてもの園を”大いに参考にした場所”として挙げているんですね。(スタジオジブリ公式ページ・Q&Aに書かれています。)。

参考の中心は東ゾーンの景観だったと思われるので、千と千尋の世界観をなぞりながら歩いてみるのも、こちらでの楽しみの一つといえます。

「武居三省堂」関東大震災からの復興が生み出した看板建築

昭和初期に流行した、”看板建築”と呼ばれる様式の建物が並んでいます。

江戸東京たてもの園 武居三省堂(東京都小金井市)

看板建築は大正12年(1923年)に発生した関東大震災の復興期に広まった様式で、商業性と防災性を同時に満たす建築様式として定着しました

看板建築の特徴
防火を意識した外観
・震災で木造市街地が延焼した反省から、正面をモルタル塗りや銅板張りにより不燃・準不燃化を図ったもの。
・木造下地は残しつつ正面のみの防火対応という折衷案が、復興期の現実的対応としてマッチしました。
広告性と復興の象徴
・洋風意匠(アール・デコ風の幾何学装飾や縦長窓など)を採り入れることにより、商売繁盛と近代性が強く打ち出され、復興都市の“顔”として視覚的訴求力を高めた。
・これらの建物が連続して並ぶことにより商業性が高まるとともに、火の回り込みを抑える効果も期待されました。

独自の建築様式が出現した裏側には、建築技術の高まりだけではなく、復興に向けた商人たちの熱い意地があったようですね。

江戸東京たてもの園 武居三省堂(東京都小金井市)

東ゾーン:E6

「武居三省堂」も震災後の昭和2年(1927年)に建てられた看板建築で、前面がタイル貼りです。
武居三省堂は明治初期開業の文具店で、千代田区神田にあった建物。

ちなみに神田神保町にある老舗の三省堂書店とは、関係のない建物とのこと。

江戸東京たてもの園 武居三省堂(東京都小金井市)

店内に入ると、200本近くの筆が収納できるという桐箱がずらっと並ぶ様が圧巻!

実はこの店舗、千と千尋の神隠しのボイラー室の場面の参考になった、といわれています。
映画内では壁一杯の引き出しから、釜爺が6本の手で(!)器用に薬草を取り出していましたね。

江戸東京たてもの園 武居三省堂(東京都小金井市)

正面のタイル調の洋風の外観に対し、木造家屋ならではの重厚な雰囲気の室内の様子が、看板建築ならではのギャップが感じさせます。

【庶民の社交場】東京型銭湯「子宝湯」:なぜ豪華な銭湯が出現したのか?

「子宝湯」関東大震災後に流行った東京型銭湯

東ゾーン:E4

昭和の下町の街並みを進むと、突き当りにあるのが銭湯「子宝湯」。

江戸東京たてもの園 子宝湯(東京都小金井市)

これが入口に唐破風まで付いた、まるでお寺のような立派な建物なんですね。
足立区千住で営業していた、昭和4年(1929年)開業のちょっと驚きの佇まいの銭湯です。

江戸東京たてもの園 子宝湯(東京都小金井市)

子宝湯は当時流行った”東京型銭湯”と呼ばれるスタイルの銭湯で、外観は宮造りの寺院建築、内部は吹き抜けを持つ広々とした空間となっています

この東京型銭湯の発祥も、関東大震災と大いに関係するものでした。

関東大震災で焼失した下町の生活基盤を立て直す復興期において、銭湯は衛生・防災・共同体再生を担う重要施設として急速に再建されました。
その再建の主役となったのが、社寺建築で培った高度な木工技術を持つ宮大工。

彼らは唐破風や入母屋の堂々たる玄関、精緻な彫刻といった意匠を銭湯に取り入れ、被災者の心を鼓舞する”町のシンボル”を生み出しました。

浴室は高い天井で湯気を逃がし、耐久性の高い木組みで構造を安定化するなど、防災面にも配慮。
モルタル壁やタイルなどの新素材も積極的に取り入れられました。

伝統技術と震災復興の合理性によって生まれた東京型銭湯には、震災から立ち上がるぞ!という、当時の人々の強い意志が刻まれているんですよ。

江戸東京たてもの園 子宝湯(東京都小金井市)

浴室の見学ができるのも楽しく、けっこう深さのある浴槽を見ると思わず中に入ってみたくなります。
皆さんもそうみたいですね(笑)。
女湯・男湯の仕切りが随分低いのが、少し気になりましたが。。。

ちなみに子宝湯も、千と千尋の神隠しの参考になっているようですよ。

「鍵屋」内田百閒も通った味のある居酒屋

東ゾーン:E3

ひとっ風呂浴びた後には、ちょっと一杯飲みたくなりますねえ。
子宝湯の横にある、そんなおあつらえ向きの居酒屋「鍵屋」に立ち寄ってみましょう。

江戸東京たてもの園 鍵屋(東京都小金井市)

鍵屋は台東区下谷の言問通りにあった店で、安政3年(1856年)に酒問屋として創業し、昭和24年(1949年)から居酒屋として営業を始めています。

下見板張りによる壁と2階の切り子格子が相まって、全体的に直線的なデザインなのが印象的です。

江戸東京たてもの園 鍵屋(東京都小金井市)

建物の内外は昭和45年(1970年)頃の姿に復元されていますが、う~む、これはなかなかシブイ雰囲気の飲み屋ですねえ。

手頃な値段で静かに飲める鍵屋は人気店だったようです。
多くの著名人にも愛され、小説家の内田百閒(うちだ ひゃっけん)も通っていたらしいですよ。

【近代史の舞台】高橋是清邸: 二・二六事件の記憶を刻む建築の重み

「高橋是清邸」二・二六事件の暗殺現場がここにある!

センターゾーン:C3

センターゾーンに保存されている高橋是清邸は、園内における大きな見どころの一つとなります

江戸東京たてもの園 高橋是清邸(東京都小金井市)

邸宅の主であった高橋是清は、大正~昭和にかけて日本の政治を担った人物です。

高橋是清(1854~1936年)の主な政治的経歴
日本銀行総裁(第7代):明治44年(1911年)に就任。日露戦争時には外債募集に尽力し、日本の戦費調達を成功させた功績が高く評価されました。
大蔵大臣(通算6回):大正2年(1913年)に山本権兵衛内閣で初就任。以来、歴代の内閣で計6回の大蔵大臣を経験。「財政の神様」と称されました。
内閣総理大臣(第20代):大正10年(1921年)には原敬首相の暗殺を受けて首相に就任。

庶民的な人柄で、「ダルマ宰相(さいしょう)」の呼び名で親しまれました。

しかし軍部からは軍事費抑制にて反感を買い、昭和11年(1936年)の二・二六事件で反乱軍の青年将校らにより暗殺され、81歳でその生涯を閉じています。

江戸東京たてもの園 高橋是清邸(東京都小金井市)

元々の高橋是清邸は明治35年(1902年)に赤坂の6,600m2の敷地内に建てられたもので、展示されているのはその主屋部分を移築したもの。

複雑な屋根構成が特徴のほか、当時としては高価な硝子障子が縁回りの多くに使用されています。

江戸東京たてもの園 高橋是清邸(東京都小金井市)

そして実は高橋是清が二・二六事件で暗殺された場所というのが、この建物の2階!
歴史を揺るがした舞台が、まさに目の前にあるこの建物なのです。

時を遡り当日の経緯を追ってみましょう。

昭和11年2月26日、高橋邸が襲われたのは早朝の5時10分。
開かれてない表門を打破る音の後に、玉砂利を踏む靴音と銃声。鎮まり返っていた邸内が、一瞬にして騒然とした空気に包まれます。

反乱軍が行儀良く玄関から入るわけもなく、庭側の窓などを破壊して邸内に侵入したといいます。
丁度、写真のこの辺りからだったんでしょうかね?

江戸東京たてもの園 高橋是清邸(東京都小金井市)

高橋是清は2階のこの十畳の寝室で物音に静かに耳を傾けていましたが、兵士たちの乱入によって室内の様子は一変。
高橋是清は布団を被ったまま銃撃され、さらに軍刀で斬りつけられ絶命しました。なんとも無残。。。

「何をするツ!」の大喝一声が、最期の言葉だったといいます。

江戸東京たてもの園 高橋是清邸(東京都小金井市)

高橋邸ではその端正な佇まいに見惚れるばかりではなく、かつて運命を決した青年将校たちの怒号が響き、そして一人の大物政治家が最期を迎えた「歴史の現場」であることを、忘れてはいけないスポットでもあります。

「前川國男邸」戦時下でもモダニズムを貫いた”建築家の執念”

西ゾーン:W6

次に紹介する和風モダンな建物は、日本の近代建築の発展に貢献した建築家・前川國男の自邸として、昭和17年(1942年)に品川区上大崎に建てられたものです。

江戸東京たてもの園 前川國男邸(東京都小金井市)
前川國男邸

外観は切妻屋根の和風の佇まいで、内部は広々とした吹抜けを持つ居間などがあります。

施工されたのは第二次世界大戦中で、建築資材が思うように入手できなかった時期。
しかしながら、シンプルながらもスタイリッシュな仕上がりで、さすがはモダン建築の旗手としての執念を感じさせるもの。

前川事務所の出身者には後に日本を代表する建築家となる丹下健三などもおり、彼らによって前川國男のDNAは高度経済期の建築物へも引き継がれてゆきます。

前川國男(1905-1986年)
日本の近代建築を代表する建築家の一人。東京大学で建築を学び、卒業後はフランスに留学してル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築の理念を学ぶ。
帰国後、前川國男建築設計事務所を設立し、合理的構造と日本的感性を融合した建築を追求した。
代表作には東京都美術館・東京文化会館・国立国会図書館などがあり、公共建築の分野で大きな足跡を残しました。

\ 丹下健三の建築物についての詳しい記事はこちら!/

「都電車両7500系」かつては都民の足として活躍

東ゾーン

建物以外の展示物もあり、こちらで懐かしい雰囲気を醸し出しているのが都電の車両です。

江戸東京たてもの園 都電7500型車両(東京都小金井市)

都電の利用者のピークは昭和18年(1943年)頃。
当時は41もの系統が走り、1日約193万人の利用者がありました。

都民の足として永らく活躍した都電ですが、自動車交通の増大によって運行が困難となり、昭和42年以降になると次々と廃止。
現在は唯一、都電荒川線が運行されています。

江戸東京たてもの園 都電7500型車両(東京都小金井市)

展示されている車両は、昭和37年(1962年)製の7500系と呼ばれるタイプ。
当時は渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・神田須田町まで走っていました。

木製の床が時代を感じさせます。

\ 都営荒川線についての詳細はこちら!/

食事処と特別イベント(ライトアップ)の紹介

食事処「たべもの処 蔵」「デ・ラランデ邸」

「折角だから雰囲気のある建物で食事したいけど、食事処ってあるの?」
はい、ありますよ!

江戸東京たてもの園 たべもの処 蔵(東京都小金井市)
たべもの処「蔵」

庶民的な雰囲気で気軽に食事するなら、東ゾーンにある「たべもの処 蔵」へ。

蔵造りの建物で頂けるのは、手打ちうどんや日替わり弁当など。1階には無料の休憩所もあります。

江戸東京たてもの園 デ・ラランデ邸(東京都小金井市)

優雅な気分で食事を楽しみたい方は、西ゾーンにある明治時代の洋館「デ・ラランデ邸」へ。

食事や喫茶ができるほか、ドイツビールも楽しめるという本格派な茶房があります。
天気の良い日はテラス席も気持ち良さそうですよ。

そのほかビジターセンターにカフェがあるほか、各所には缶飲料の自動販売機が設置されています。

「たてもののライトアップ」夜間特別開園

江戸東京たてもの園 ライトアップイベント(東京都小金井市)

訪問当日は「紅葉とたてもののライトアップ」の特別イベントが開催されていました(2020年11月22・23日の2日間)。
これは通常の閉園時間である16:30を20:00まで延長して、ライトアップによる夜間開園をおこなうというもの。

例年ライトアップイベントは夏と秋の2回開催されていますが、昼間とはまた一味違う街並みに出会えるのでオススメですよ!

江戸東京たてもの園 ライトアップイベント(東京都小金井市)

多くの方々のお目当てが、高橋是清邸庭園の紅葉のライトアップ。
「今年も良かったね!」という、楽しげな会話が園内では聞こえてきました。

ライトアップは季節限定のピンポイントなイベントですが、一方、ビジターセンターの展示スペースでは通年企画展示がおこなわれてます。
こちらの企画内容にあわせての訪問も良さそうです。
本日開催されていた「大銭湯展」も、なかなか興味深い内容でしたよ。


【記事の参考にした情報】
・江戸東京たてもの園 パンフレット
第7代総裁:高橋是清 日本銀行
スタジオジブリ


東京には素敵な名建築が沢山ありますが、そこでお茶できたり食事できたりすると素敵ですよね。
テレビ大阪,BSテレ東の真夜中の人気ドラマ「名建築で昼食を」の原案本!

古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!

「場所」を失っても「物語」を語り続ける建物たちに会いに行こう

建築にとって本来の土地から離れることは、悲劇なのかもしれません。
しかし、たてもの園という「避難所」に集結したことで、これらの建物は「東京建築史の生きた教科書」という新たな役割を手に入れました。

そして、江戸の封建時代の建造物、明治の洋風建築、昭和の木造モダニズムなど、これらが時代を超えて建ち並ぶ光景は、ここ小金井でしかあり得ない奇跡です。

「この建物を、この技術を、後世に残すのだ」という関係者たちの静かな情熱に支えられた博物館、江戸東京たてもの園へ出かけてみませんか?

江戸東京たてもの園の基本情報・アクセス

江戸東京たてもの園

公式ページ
住所:東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)(GoogleMapで開く
観覧料:一般:400円、65歳以上:200円、大学生(専修・各種含む):320円、高校生・中学生(都外):200円、中学生(都内在学または在住)・小学生・未就学児童:無料
休園日:毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)、年末年始
アクセス:
電車)
・JR中央線武蔵小金井駅、北口から西武バスで5分、「小金井公園西口」下車で徒歩5分。
 ※東久留米駅行(御成橋経由又は錦城高校経由)、又は清瀬駅南口行き又は滝山営業所行き
・ JR中央線武蔵小金井駅、北口から関東バスの 三鷹駅・武蔵野営業所行きで「江戸東京たてもの園前」下車で徒歩3分。(本数が少ないので注意)
・JR中央線東小金井駅北口からCoCoバス(小金井市コミュニティバス)で 6分、北東部循環「たてもの園入口」下車で徒歩10分。
・西武新宿線 西武新宿線花小金井駅南口から武蔵小金井駅行き西武バスで5分、「小金井公園西口」 下車で徒歩5分。
西武バス / 関東バスナビ / CoCoバス ホームページ
車)
・有料駐車場有

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記事の訪問日:2020/11/23

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