2026年3月、約4年ぶりにリニューアルオープンした江戸東京博物館。
江戸の町や人々の暮らしを知ることができる「えどはく」を見学し、そのあと今度は実際に両国の街を歴史散策してみませんか。
明暦の大火と回向院、赤穂浪士が討ち入った吉良邸跡、そして幕末を生きた勝海舟の生誕地。
江戸東京博物館で得た知識を手がかりに史跡をめぐれば、両国の街が歩く歴史博物館のように見えてきます。
今回は、江戸から幕末・明治へと時代をたどりながら、江戸東京博物館と両国の歴史スポットを訪ねます。
目次
相撲の歴史が息づく街、両国

JR両国駅に到着し、改札に向かう途中にさっそく目に入ってくるのが、壁に架かった4枚の大きな横綱力士の写真パネル。お~、さすが相撲の街・両国だ。

写真の下には、35代横綱の双葉山から70代の日馬富士に及ぶ、36人の横綱の手形が飾られている。
手形に自分の手を合わせた子供の、「わぁ、でかいなぁ」という驚きの声が聞こえてきましたわ。

駅を出るとすぐに目に入ってくるのが、駅の隣にある、大きな屋根が印象的な両国国技館。
昭和54年(1984年)に完成した現在の国技館は、東京で開催される大相撲本場所の舞台として、両国を象徴する存在となっています。
ちなみに、両国駅と国技館の間にある路地を進んだ先に、江戸東京博物館があります。

おっと。江戸東京博物館に向かう道すがら国技館側をのぞくと、相撲の稽古をしている様子が!
という感じで、”相撲の街”のイメージであふれている両国ですが、本日は相撲にとどまらない両国の歴史を深堀りしてみたいと思います。
「江戸東京博物館」約4年ぶりにリニューアルオープン(令和8年3月)
江戸東京博物館は江戸から東京へと移り変わってきた都市の歴史と文化を紹介する、平成5年(1993年)に開館した都立の博物館です。
徳川家康の江戸入府から現代までの約400年間を中心に、実物資料や復元模型などを通して、江戸の町並みや人々の暮らし、文化、東京の発展を紹介しています。

鳥居をイメージした正面入口へのアプローチ
その江戸東京博物館では令和4年(2022年)4月から、開館以来初となる大規模な改修工事がおこなわれ、令和8年(2026年)3月31日に4年振りのリニューアルオープンがされました。
改修の目的は古くなった諸施設の更新と、展示のレベルアップを目的としたもの。
一新された姿がお目見えされたばかりの、江戸東京博物館の訪問となります。

江戸東京博物館の施設概要
施設は7階建ての建物。
■5階/6階が展示室。入口は6階、出口は5階に配置。
・江戸ゾーン(5F・6F)、東京ゾーン(5F)、体験展示(5F・6F)、企画展示室(5F)など
■1階:エントランス・ホール・各種施設
・総合案内・チケットうりば、特別展示室、大ホール・小ホール・会議室・学習室、ミュージアムショップ、レストランなど
■3階:江戸東京ひろば
■7階:図書室・映像ライブラリー
特徴的なフォルムを持つ建物の設計は、戦後の日本を代表する建築家の一人である菊竹清訓(きくたけ きよのり)によるもの。
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江戸東京博物館から始める、江戸と両国の歴史散策
大型模型などで江戸の町と暮らしが体感できる「えどはく」
江戸東京博物館の大きな特徴に一つは、江戸の町並みや人々の暮らしが大型模型などで再現されており、当時に町に入り込んだような没入感が味わえること。

展示エリアへも、長さ約28mの巨大な木橋を渡っての入場。
橋はかつての日本橋が半分のサイズで復元されたもので、「これから江戸の町に入るぞ」という気分を盛り立ててくれます。
ちなみに、展示室に再現された銀座4丁目の服部時計店の高い時計塔と、かつては暗かった空に青空が広がっている演出は、リニューアル後に加わったものだ。
江戸城の整備から「江戸の町のはじまり」をイメージしてみる
天正18年(1590年)、豊臣秀吉により小田原北条氏が滅ぼされると、関八州(関東八か国)を与えられた徳川家康が同年8月1日に江戸に入城します。
そして家康による近世の江戸の町の整備は、まず江戸城の整備から始まりました。

6階展示室にある「江戸城本丸・二の丸の巨大模型」は江戸城の本丸に天守があった時代の復元で、本丸・二の丸に御殿が並ぶ様子を緻密に再現したもの。
所狭しと建物が並ぶ様は、ここだけでちょっとした町みたいな様相ですよね。
一方、家康が入封した当時の江戸は、日比谷まで江戸湾(現東京湾)が入り込んでいた湿地帯でした。現在からは想像できませんよね。。。
先のような立派な城郭へと至る最初の一歩として家康がおこなったのは、この日比谷入り江の埋立てです。
これは現在の東京の街の形成にも繋がっている、江戸・東京の街づくりの第一歩だったといえます。
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大手門前にあった、寛永期の越前福井藩主・松平伊予守忠昌の上屋敷
江戸城周辺の武家地には多くの武家屋敷があったが、これは武家諸法度により定められた「参勤交代制度」にともなうもの。
諸大名は1年おきに自領と江戸との行き来きを義務づけられ、江戸には妻子を人質として置かされた。
これには幕府への忠誠を示させると共に、大名の経済力を削いで謀反を防ぐ目的がありました。
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さらに江戸を「人が暮らす都市」として見てみる
展示室では江戸城や将軍・大名だけではなく、町人、職人、商人など、さまざまな人々が暮らした都市としての江戸の町を知ることができます。
町並みや人々の生活を再現した大型模型は、当時の都市空間を視覚的に理解するのに最適。

こちらは、江戸時代の日本橋の街並みを再現したジオラマ模型です。
ビッシリと隙間なく並んだ商家に挟まれた通りに、町人や武士たちが行き交う様子を再現。賑わう町の喧騒が、今にも聞こえてきそうですよね。

こちらは、駿河町にあった江戸を代表する呉服店の一つ、「三井越後屋」の天保3年(1832年)頃の「見世」部分を再現した模型。
従来は商人が得意先に行って商品を渡し、代金の支払いは利息を付けての後払いが主でした。
それに対し、店頭で客が反物を手に取って選ぶ「店前売」や、利息をかけない「現金・懸値無し」という革新的な新商法の導入で、賑わいを見せたそうです。

見るだけだはなく体験コーナーもあった。
天秤棒(てんびんぼう)担ぎの体験に挑戦しましたが、重い上に前後のバランスを取るのがなんともムズイ!
江戸っ子たちの苦労が体感できましたわ。
なぜ、両国周辺は江戸の市街地として大きく発展したのか?
幕府が開かれて江戸の町が急激に発展を見せ始めた当時、両国を含んだ本所と呼ばれる墨田川東側のエリアは、依然として湿地帯が広がったままでした。
しかし江戸に起きたある出来事がきっかけとなり、この地域は発展してゆきます。

明暦の大火罹災市街の図(明暦3年・1657年頃)
その出来事というのが、明暦3年(1657年)に発生した江戸最大の大火「明暦の大火」。
”振袖火事”とも呼ばれたこの火災は江戸市中の約6割以上を焼き尽くし、死者は約10万人に及んだといわれた。
江戸の中心部が甚大な被害を被ったこの大火をきっかけに、幕府は防災対策の観点から町のつくりを見直します。
その一環として、過密化していた江戸市中を分散化させるために、隅田川東岸の本所・深川方面の市街地化を進めたんですね。
市中にあった寺社や武家屋敷などの移転に伴い、本所周辺には寺社や武家地が形成されてゆきました。

両国橋と両国の町のジオラマ模型
隅田川に架かる両国橋は江戸の東西を結ぶ重要な交通路となりましたが、実はこの両国橋の架設も明暦の大火後のこと。
幕府はそれまで江戸の防備の観点から、千住大橋以外の隅田川への架橋を認めていなかった。
しかし明暦の大火の際、橋がなく逃げ場を失った犠牲者が多く出たことから、墨田川に架かる2番目の橋として両国橋が認められました。
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江戸の庶民文化にも注目してみよう
江戸の町の発展とともに、芝居、浮世絵、祭礼、そして相撲など、庶民が楽しむさまざまな文化が花開いてゆきました。その様子をのぞいてみましょう。

こちらは江戸時代を代表する歌舞伎の芝居小屋、「中村座」の復元。
人気役者による歌舞伎を上演した中村座は、市村座・森田座とともに「江戸三座」の一つとして発展しました。
芝居見物は江戸の庶民にとって、大きな楽しみの一つとなりました。

正徳3年(1713年)に、2代目・市川團十郎が初演した、江戸歌舞伎の代表演目「助六」。
のちに7代目・市川團十郎が「歌舞伎十八番」の一つに選定定着させ、今日まで受け継がれています。

復元された神田明神の山車
神社の例祭としておこなわれた祭りも、庶民の楽しみの一つ。
特に江戸を代表する大きな祭は神田明神の「神田祭り」と日枝神社の「山王祭り」で、江戸城内への練り込みが許されたため天下祭りと呼ばれた。
当時のそれらの祭りの主役は、写真にあるような巨大な山車でした。

浮世絵や書物も、庶民の身近な娯楽として広まります。
浮世絵は役者や美人や名所などを題材とし、歌舞伎や相撲などの人気文化とも結びついて発展。
また、庶民向けの書物も数多く出版され、物語や旅、料理、実用的な知識など、その分野は多岐にわたりました。
以上、ご紹介したのは江戸東京博物館における展示物のごく一部ですが、教科書で学ぶような歴史だけでなく、江戸で暮らした人々の日常を具体的に感じられる興味深い博物館でした。
江戸東京博物館の詳細・アクセス
江戸東京博物館
公式サイト
住所:東京都墨田区横網1丁目4-1(GoogleMapで開く)
開館時間:通常 9:30~17:30(土曜日 9:30~19:30) *入館は閉館の30分前まで
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合はその翌日)、年末年始(年始臨時開館あり)
常設展 通常観覧料:一般 800円、65歳以上 400円、大学生 480円、高校生 300円、中学生以下 無料 *企画展・特別展の観覧料は催事ごとに異なります。
アクセス:
電車)
・JR総武線 「両国駅」下車、西口から徒歩3分、東口から徒歩7分
・都営地下鉄大江戸線「両国駅(江戸東京博物館前)」下車、A3・A4出口から徒歩1分
車)
・来館者専用駐車場あり(有料)
江戸の歴史と庶民文化を伝える「回向院」を歩く
江戸東京博物館を見学したら、今度は江戸の歴史が詰まっている両国の街へと出かけてみましょう。
明暦の大火と回向院。両国の歴史はここから始まった

両国駅から歩いて5分程の場所にある「回向院」は、両国の歴史を語るうえで欠かせない寺院の一つです。

寺院の起源は、明暦の大火にさかのぼります。
明暦の大火では多くの犠牲者が出ましたが、身元の分からない人々や引き取り手のない遺体も多かった。
そこで徳川4代将軍・家綱がその供養のために建立させたのが、回向院の始まりです。

境内には延宝3年(1675年)頃に被災者の方々の供養のために建立された、「石造明暦大火横死者等供養塔」が今も残ります。合掌。
鼠小僧の碑。江戸庶民の記憶が残る寺
以降、回向院は庶民の信仰を集める寺院へと発展してゆき、境内には奉納された多くの石碑類が残っています。

こちらの「鼠小僧供養墓」は、かの盗賊「ねずみ小僧 次郎吉」の供養塔。
ねずみ小僧は実在したとされる盗賊で、大名屋敷を狙って盗みに入り、盗んだ金を貧しい人々に分け与えた”義賊”として後世に広く知られている人物。最期は罪人として、文政10年(1827年)に処刑されました。
この鼠小僧伝説は良く知られる話ですが、それは多くの歌舞伎や狂言の題材となったことがその背景にあり、庶民文化を象徴する伝承の一つといえます。
ちなみに、鼠小僧伝説の「貧しい人に金を配った」という部分は、史実としては定かではないようだが。。。
なぜ両国に国技館ができた?勧進相撲の歴史について
そして回向院は、両国が相撲の町となった歴史にも関わっています。
江戸時代、寺社の建立・修復などの費用を集めるために、興行相撲である「勧進相撲」がおこなわれました。
回向院の境内では明和5年(1768年)に初めて勧進相撲が開催されましたが、以来、回向院が勧進相撲興行の中心地となったんですね。
これは「回向院相撲」とも呼ばれ、明治42年(1909年)に旧両国国技館が完成するまでの76年間にわたり、開催が続きました。

そして明治42年(1909年)に旧両国国技館が建てられた場所というのが、回向院の隣の地(当時の境内地)。
建物は残っていませんが、”大鉄傘”の愛称で呼ばれたドーム型の大型施設の様子を、案内板の写真で見ることができます。かつてこんな巨大な施設がここに建っていたんですね、へぇ~って感じです。
施設は昭和58年(1983年)に解体されました。
回向院は両国の町の始まりと人々の信仰、庶民が親しんでいた娯楽などにも触れることができるスポットです。
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回向院へのアクセス
回向院
公式サイト
住所:東京都墨田区両国2丁目8−10(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR総武線「両国駅」西口より徒歩約3分
・地下鉄大江戸線「両国駅」より徒歩約10分
車)
・一般参拝者向けの専用駐車場なし
「吉良邸跡(本所松坂町公園)」でたどる忠臣蔵の舞台
かつてここにあった吉良邸に赤穂浪士が討ち入った

次にやって来た本所松坂町公園は、かつて元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士が討ち入った「吉良(きら)邸跡」です。
現在見ることができるのは小さな広場のような公園ですが、ここは当時広大な屋敷だった一部にあたる場所。
江戸時代の吉良上野介(きら こうずけのすけ)の屋敷の敷地は2550坪におよび、周囲も武家屋敷が立ち並ぶエリアでした。
なぜ赤穂浪士は吉良邸を襲ったのか?

吉良上野介義央公の像
吉良邸跡を訪れるなら、赤穂浪士がなぜここへ討ち入ったのかを簡単に知っておきたいところです。
赤穂浪士による吉良邸討ち入り
■事件の発端(元禄14年・1701年):江戸城内で赤穂藩主・浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)が吉良上野介に斬りつける事件が発生。
幕府は浅野に即日切腹と改易を命じた一方、吉良にはお咎めなし(喧嘩両成敗の不適用)としたため、赤穂藩士らに強い不満が残った。
■復讐の決意:お家再興の望みが絶たれた後、筆頭家老・大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を中心に旧藩士(赤穂浪士)が結集。密かに江戸へ集まり、吉良への報復計画を進めた。
■討ち入りの決行(元禄15年・1702年12月14日未明):大石率いる47士が本所・吉良邸へ突入。表門と裏門から二手に分かれて邸内に侵入し、炭小屋に潜んでいた吉良上野介を探し出して打ち取った。
■結末と影響:亡君の墓がある泉岳寺へ吉良の首級を奉納後、幕府に出頭。
翌年、46名(1名は失踪・離脱説あり)に切腹が命じられました。
赤穂浪士は「義士」として庶民の評判を呼び、「忠臣蔵」として現代まで語り継がれています。

園内に「吉良の首洗いの井戸」が残っているのが生々しいですねぇ。合掌。
今なお語り継がれている忠臣蔵の舞台であったことが、ヒシヒシと感じられるスポットでした。
吉良邸跡(本所松坂町公園)へのアクセス
吉良邸跡(本所松坂町公園)
住所:東京都墨田区両国3丁目13−9(GoogleMapで開く)
開園時間・開園日:常時開園
アクセス:
電車)
・JR総武線両国駅より徒歩約7分
・地下鉄大江戸線「両国駅」より徒歩約8分
車)
・専用駐車場なし
「勝海舟生誕地」江戸から明治への転換期を歩く
勝海舟は両国で生まれた――江戸を生きた幕末の人物

次に吉良邸跡から歩いて3分程の場所にある、「両国公園」にやってきました。
江戸時代中期が舞台だった忠臣蔵ゆかり地から、時代は幕末期に移り、こちらは幕末から明治にかけて活躍した勝海舟の生誕地だった場所です。

公園の一画には「勝海舟の生誕地之碑」が立つとともに、壁面に描かれた「勝海舟幕末絵巻」によって勝海舟という人物の足跡をたどることができます。
勝海舟(1823~1899年)
幕末から明治にかけて活躍した幕臣・政治家。江戸・本所に生まれ、蘭学や西洋の兵学を学び、海軍の育成にも尽力しました。
万延元年(1860年)には咸臨丸で太平洋を渡り、アメリカを訪問。幕末の動乱期には幕府側の代表として新政府軍との交渉にあたり、江戸城の無血開城を実現するうえで重要な役割を果たす。
明治維新後も政府に仕え、旧幕臣の救済や海軍の発展などに尽力しました。
江戸城無血開城へ――勝海舟が見た幕末の江戸

刀を携えたユニークなベンチ
勝海舟の名を歴史に刻んだ出来事の一つが、江戸城無血開城です。
戊辰戦争のさなか、江戸城総攻撃を前に新政府軍の西郷隆盛と交渉し、江戸における大規模な戦闘を回避させたというもの。
これにより江戸城は新政府軍に明け渡され、名実ともに徳川幕府は終焉を迎えました。
以上。江戸東京博物館にて江戸の町の始まりからスタートしましたが、200年以上続いた江戸幕府の終わりに立ち会った勝海舟の生誕の地訪問にて、本日の「江戸・両国の歴史散策」を終わりにします。
勝海舟生誕の地 記念碑(両国公園)へのアクセス
勝海舟生誕の地 記念碑(両国公園)
住所:東京都墨田区両国4丁目25-12(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR総武線両国駅より徒歩約8分
・地下鉄大江戸線「両国駅」より徒歩約6分
車)
・専用駐車場なし
江戸NOREN|両国の歴史散策の起点。パンフ入手やグルメを堪能

最後に両国を歴史散歩するならぜひ立寄りたい、「江戸NOREN」をご紹介。
こちらはJR両国駅に隣接しており、両国駅旧駅舎を改葬して造られた施設です。

入場すると高い吹抜け天井のある空間が現れ、その中央にどど~んと置かれているのが巨大な土俵。
あたかも国技館内に入った様な気分が味わえますよ!
2階建ての建物の中には観光案内所やお土産屋をはじめ、地元両国にちなんだグルメが楽しめる飲食店が並ぶびます。
こちらを街歩きの拠点にして、情報収集や腹ごしらえをしてから両国散策へでかけましょう!
両国江戸NOREN(江戸のれん)
公式サイト
住所:東京都墨田区横網1丁目3-20 1階(GoogleMapで開く)
開館時間:10~23時、 休館日:1月1日・2日、施設点検日(不定)
両国ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
江戸時代に歌川広重が描いた名所江戸百景を、現在の写真や地図と対比して解説したガイドブック。
東京歩きが楽しくなる1冊!
【記事の参考にした情報】
・回向院公式サイト
・すみだまち歩き・モデルコース 墨田区観光協会
・古地図であるく江戸・東京 「江戸楽」編集部著
江戸東京博物館から歩けば、両国の歴史がもっと面白い
江戸東京博物館で江戸東京の歴史を学んだら、ぜひ実際の両国の街を歩いてみましょう。回向院では江戸庶民の信仰と文化、吉良邸跡では忠臣蔵の舞台、勝海舟生誕地では幕末から明治へ向かう時代の変化をたどることができます。博物館の展示で得た知識を、実際に残された史跡や街並みと重ね合わせてみることで、歴史はより身近なものになります。「江戸を知る」だけでなく「江戸を歩く」。そんな楽しみ方ができるのが、両国歴史散策の魅力です。
記事の訪問日:2026/6/7




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