埼玉県行田市にある忍城は、戦国時代に成田氏の居城として築かれた城です。
周囲を沼や湿地に囲まれた地形を巧みに利用したことから、城が水の上に浮かんでいるように見える「浮き城」と呼ばれました。
天正18年(1590年)には石田三成による水攻めを受けながらも落城せず、その名を全国に知られることになります。
復元された御三階櫓や土塁、堀跡などを手掛かりに往時の城の姿を想像しながら、現在は続日本100名城の一つにも数えられている、忍城の歴史散策を楽しみましょう。
目次
忍城はなぜ「浮き城」と呼ばれた?低湿地を利用した難攻不落の城
水城公園|自然の沼を堀に見立てた忍城の面影が残る
忍城城址公園訪問の前にまずやって来たのは、城址公園から約600m程南東にある「水城公園」。
市民の憩いの場であるこの公園は、街に近いわりには自然が感じられる郊外の雰囲気を持っており、散策するにはとても気持ちの良い公園です。

実はここ、忍城の外堀を水辺公園として残した場所で、水に囲まれていた城郭の面影が感じられるスポットなんですね。
堅城といわれた忍城の大きな特徴は巨大な石垣や高い天守ではなく、水と低湿地を利用した守りにありました。
北の利根川と南の荒川にはさまれた場所に立地していた忍城は、沼や小河川が多い地形を取り込んで築かれた城。
広大な沼地にある陸地に曲輪が造られ、外部からは攻め辛く難攻不落を誇り、戦国時代には関東七名城の一つにも数えられました。
本丸・二の丸・三の丸が並ぶ連郭式の縄張り

忍城址周辺の案内板にあったこの「忍城今昔地図」は、平成12年の地図と文政6年(1832年)の忍城絵図が重ねられており、当時の縄張りと現在の街が対比できるという優れもの。
城の配置は本丸から南に向かって二ノ丸・三ノ丸が一直線に並ぶ連郭式の縄張りで、その周囲は水堀で囲まれていました。
その水堀の周囲には城下町が築かれており、橙色だった部分はかつての武家屋敷です。
水城公園がある場所は地図でいうと、堀部分の最も南東に伸びている辺り。これから向かう忍城城址公園は、北側の本丸跡にあります。
城郭だったその他の場所は行田市市内の広範囲に渡りますが、その多くは市街地化されています。
水城公園
住所:埼玉県行田市水城公園1249(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR高崎線「行田駅」から市内循環バスで8分「水城公園前」下車
・秩父鉄道「行田市駅」から徒歩13分
車)
・無駐車場あり
忍城の水攻め。石田三成が攻めても落ちなかった「浮き城」
山内上杉家家臣の成田顕泰が忍城を築城

忍城城址公園へとやって来ました。
復元された忍城のシンボル「御三階櫓」が美しい景観を見せる忍城城址公園は、埼玉県内では最も城らしい景観が楽しめるスポットといえます。
ここからさらに忍城の歴史を追ってゆきましょう。
忍城の歴史概略
■文明10年(1478年)頃:山内上杉氏の家臣・成田顕泰(あきやす)が築城。
■天正2年(1574年):上杉謙信に攻められるも持ちこたえ、堅城ぶりを見せた。
■天正18年(1590年):豊臣秀吉の小田原征伐において石田三成による水攻めを受けるも、落ちなかった。その後、小田原城の降伏に伴い忍城も開城。
■寛永16年(1639年):将軍・徳川家光時代の老中・阿部忠秋が忍城主となり大改築に着手。御三階櫓や城門土塀が完成。
■文政6年(1823年):伊勢の桑名から松平忠堯(ただたか)が移封。松平忠誠の時に明治維新を迎えた。
■明治維新後:廃城となる。
忍城は成田顕泰(あきやす)が築城し、以降4代にわたり約100年間、成田氏の居城として続きました。
戦国時代には上杉謙信の関東侵攻を受けて成田氏もその勢力下に一時期入りますが、後に結びつきを強めていったのが小田北条氏でした。
天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐で石田三成軍率いる大軍が水攻めを敢行
小田原北条氏配下の城として迎えたのが、天正18年(1590年)におきた豊臣秀吉による小田原征伐。
天下統一を目指す秀吉に従わなかった小田原北条氏に対して、宣戦布告をしました。

天正18年(1590年) 4月、秀吉は総勢24万ともいわれる大軍を関東に派遣。
小田原城を包囲するとともに、北条方の諸城を次々と攻め落として進みましたが、ここで忍城の歴史上最も良く知られる戦いが繰り広がられました。
小田原征伐における忍城の戦い
■6月初旬、秀吉は石田三成を総大将として、佐竹義宣・宇都宮国綱・多賀谷重経・水谷勝俊・結城晴朝による軍勢で忍城攻めを命じました。
■石田三成の軍勢が忍城を攻めた際、忍城主・成田氏長と弟の泰親(やすちか)は将兵を率いて小田原城に籠っており、忍城を守っていたのは城代・成田泰李(やすすえ)や正木利英らの家臣でした。
兵数約2万人といわれる石田軍に対し、忍城側に立て籠ったのは兵と領内の農民を合わせた3千人程だったといわれています。
■堅城振りを見せる忍城に対し攻略が長引くなか、三成は水攻めを決行。一週間程度で城の周囲に大堤防を築造し、そこに利根川・荒川からの水を流し込みました。
しかし忍城はこれにも耐え落城しなかったことから、後世には「浮き城」と呼ばれるようになりました。
その後、小田原城の開城にともない忍城も開城されましたが、落ちない城・忍城を象徴する戦いとなりました
映画「のぼうの城」でも描かれた三成による水攻めの真実とは?
この石田三成による水攻めと浮き城のエピソードは、平成24年の映画「のぼうの城」の題材として取り上げられています。
忍城の総大将役を飄々と演じた野村萬斎が印象的だったこの映画は、第36回日本アカデミー賞では作品賞をはじめ10部門で受賞。映画をご覧になった方も多いかと思われます。

石田堤の遺構
一方、「そんな大掛かりな水攻めがあったって、史実なの?」と、ちょっと疑問を抱いた方もいるのではないか。
石田三成が築いた石田堤
三成は水攻めに際して城の周囲を土手で囲み、そこに水を流し込んだという。実はこの「石田堤」と呼ばれる堤の遺構が一部残っています。
忍城城址公園からは約6kmほど南東に離れた行田市と鴻巣市にわたる場所に、それぞれに約300mずつの長さで残っている堤がその実態を物語るもの。
埼玉古墳群の丸墓山古墳付近にも、堤の遺構が残っています。
全長規模に関しては約14kmとする説が有力で、これを約5日間で築いたというのが秀吉勢のスゴイところ。
これは結局作戦失敗に至りますが。。。
\ 石田三成の水攻めや石田堤についての詳細はこちらへ!/
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戦国の城から「忍藩十万石」の城へ。御三階櫓・土塁から往時の姿を紐解く
明治時代に入り廃城となった忍城城内の構造物はほとんど撤去され、本丸エリアは公園として残されました。
その後、昭和63年(1988年)に本丸エリアに行田市郷土博物館の一部として御三階櫓が鉄筋コンクリート製で外観復興されるなど、城址公園として整備されてゆきました。
そんな城址公園をめぐって、往年の忍城の姿を紐解いてみましょう。
御三階櫓|復元された忍城のシンボル
徳川家康の関東入封後、城主には徳川秀忠の弟にあたる松平忠吉が10万石で入封。
その後も江戸近郊の城として重要視され、幕府老中の阿部忠秋が城主となり、近代城郭への大改築に着手。「御三階櫓」や城門土塀を完成させました。

天守がなかった忍城において、その代わりの役割をしていたのが御三階櫓。復元された御三階櫓とその手前にある木橋と門が建つ姿は、近世における忍城往年の姿を感じさせます。
フォトスポットとしても、この辺りが一番フォトジェニックなショットが狙える場所ですね。
その一方、実は元々御三階櫓があった場所は本丸でなく、三ノ丸のさらに南東。現在の水城公園の北側に御三階櫓の跡碑が立っています。
御殿は二ノ丸にあったことからも、江戸時代の本丸は、政務的にはあまり重要視されていなかった場所なのかもしれません。
東門|雰囲気のある復元・薬医門

木橋を渡り城内へ。
御三階櫓や木橋とともに、城跡らしい雰囲気を盛り立てているのが復元された「東門」。

薬医門と呼ばれる形式の門で、両側の小さな袖扉から城内へと入城します。
鐘楼|二ノ丸にあった鐘楼が鐘とともに現存

園内に入ると公園北側に「鐘楼(しょうろう) 」が建っていますが、これは現存建造物の一つ。元々は二ノ丸の東側隅に所在していたものです。
明治の廃城後は、当時の進修館小学校の校庭に移設。昭和になると、城址公園向かいにある東照宮へと移り、その後、平成4年に城址公園に移設されてきました。
転々としましたが、無事に残っており何よりですね!
宝暦14年(1764年)に鋳造された鐘も市指定有形文化財として、郷土博物館内で展示・保存されています。
進修館表門|忍藩藩校の表門が現存

公園外の南側は雰囲気のある小径となっており、見上げると土塁上の白壁が続くなかを散策できます。
白壁には弓や鉄砲で外敵を狙うための、狭間(さま)と呼ばれる穴が設けられているのも見える。
ちなみにこの辺の土塁や塀は、公園整備の際に造られた後世のものです。

そして、西側の入口に立つこちらの門は「進修館表門」。
江戸時代に武士の子弟を教育する忍藩藩校「進脩館」が設けられましたが、これはその表門だったと伝わるものです。
行田市に現存する唯一の武家屋敷の表門で、天保3年(1832年)の墨書銘が残っており、建築時期が分かる点でも貴重。
本丸土塁跡|見逃しに注意!数少ない現存土塁の遺構

そして見逃がし注意な遺構がこちら!進修館表門の袖の辺りから続くこれ、当時の現存土塁跡なんですよ!

遺構は本丸西側を囲む土塁の一部だったもの。
ちなみに訪問時はご覧のように、草ボーボー(苦笑)。土塁見学のベストシーズンは秋から冬に掛けてでしょうね。
石垣石の野外展示|櫓台に使われていた整形された石垣石

進修館表門から敷地内に入った先にあるのは、櫓台に使われていた石垣石の野外展示。
石は綺麗に整形されたもの。一部、石垣も築かれていたのですね。

こちらは建物の礎石に使われていたと思われる、天面に穴が空いた石。
城内を鎮護した「諏訪神社・東照宮」にも立寄ろう
忍城に残っている遺構が少ないのはなぜか?

道路を挟んだ向かいにある「諏訪神社」にも立寄り。
神社の鎮座地もかつての城郭の一部で、本丸の北側・東側を囲む形状だった諏訪曲輪に位置していました。
諏訪神社は成田氏が忍城を築城した際、行田市持田村の諏訪社を城鎮守としたのに始まると伝わる古い神社です。

ところで境内の案内板には、忍城廃城の際に関する興味深い記載がありました。
忍城廃城後の取り壊しについて
忍城は江戸に一番近い親藩だったため、明治4年(1871年)の府県官制の際には、何物も残さず取り壊しが命ぜられました。
しかし建物の数が多く取り壊しの費用もなかったため、入札形式での払い下げをもって取り壊しの費用とされた。忍藩への貸金などをしていた家は、それで棒引にされたりもしたとのこと。
そんな経緯もあり、忍城の建物を家の門や倉として使っていた家が近年まで多かったらしい。
なるほど。遺構が少ないという背景には、「入念なる破却」の指示があったわけですね。
一方、払下げられた建物の現存も今は少なくなっており、加須市にある総願寺・黒門だけが唯一完全な形で残っているものといわれます。
諏訪神社境内には土塁跡が残る

東照宮 本殿
敷地内には「東照宮」も祀られています。
この東照宮は文政6年(1823年)、桑名藩(現、三重県)より松平忠堯が藩主として移った際に、忍城内に遷座させたもの。

諏訪神社境内の北側には、木々に覆われて分かりづらいですが、当時のものと思われる土塁が残っています。
当時の城の縄張りをたどりつつ、諏訪神社・東照宮の参拝に立寄るのも良いかと思います。
行田市郷土博物館|御三階櫓内の展望台からの眺望を楽しむ

公園内とその周辺を一通りめぐったら、公園内にある「行田市郷土博物館」を見学しましょう。
続日本100名城のスタンプの設置や、御城印の販売もこちらにありますよ。

博物館では忍城の歴史をはじめ、行田市全般の歴史が紹介されています。
近年の行田市の文化財の話題としては、令和2年に「埼玉古墳群」が国指定特別史跡に指定され、さらに「足袋製造用具及び関係資料」も国重要有形民俗文化財に指定されたこと。
訪問時はこれに合わせた資料展示がおこなわれていました。
行田は歴史に感する話題がホントに豊富ですよね。
展示物の見学は有料となっており、入場料200円を支払い館内へ。ちなみに展示物は撮影禁止でした。

博物館から御三階櫓へは渡り廊下で移動することができ、櫓内の見学もできます。
櫓内は2階に「忍城と城下町」・3階に「近・現代の行田」に関する資料展示があり、4階は展望室です。

展望台からは、なかなかの眺望が望めました。
実は櫓内の展示物に関してはあまり期待してなかったのですが、これがなかなか興味深かった。
実際に使用された人力車の籠や、御三階櫓の鯱(しゃちほこ)のレプリカ等々。
中でも面白かったのが「石城日記」の展示(複製)。
これは江戸末期の忍藩の下級武士・尾崎石城という人物が、日々の生活を綴った絵日記。絵心豊かに記されており、とてもユニークだった。
登城記念に「御城印」を購入しよう!

博物館で記念に御城印を購入、1枚200円也。
御城印は行田市商工センター内の観光物産館「ぶらっとぎょうだ」でも購入できます。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
忍城跡へのアクセス、市内の移動手段、立寄りスポット
忍城跡へのアクセス
行田市郷土博物館
住所:埼玉県行田市本丸17-23 (GoogleMapで開く)
一般入場料:大人 200円、大学・高校生 100円、中学・小学生 50円
開館時間:9:00~16:30(最終入館受付16時まで)
休館日:毎週月曜日(祝日・休日は開館)、祝日の翌日(土曜日・日曜日は開館)、毎月第4金曜日(テーマ展・企画展の開催中は開館)、年末年始、その他の臨時休館日
*忍城址は終日営業・年中無休・入場無料。ただし、忍城御三階櫓内は郷土博物館の営業日のみ入場可。
アクセス:
電車)
・JR高崎線「行田駅」東口から: 市内循環バス・西循環コース(右回り)「忍城址・郷土博物館前」下車すぐ。又は、市内循環バス・西循環コース(左回り)「行田市バスターミナル」下車徒歩約5分。又は、市内循環バス・観光拠点循環コース(右回り)「行田市バスターミナル」下車徒歩約5分
・JR高崎線「吹上駅」北口から: 行田折返し場・行田市駅・総合教育センターゆき朝日バス(前谷経由)「忍城」下車すぐ。又は、行田折返し場・総合教育センター・工業団地ゆき朝日バス(佐間経由)「新町1丁目」下車西へ徒歩約10分
・秩父鉄道「行田市駅」南口から徒歩約15分
車)
・東北自動車道「羽生IC」より約25分、関越自動車道「東松山IC」より約40分、圏央道「桶川北本IC」より約30分
行田市内の移動について
バスによる移動について
公共交通機関で訪問する場合は,、バスを上手く利用すると移動が便利です。市内循環バスには「観光拠点循環コース」も設定されています。
行田市の市内循環バスのページ
朝日自動車のページ
観光レンタサイクルについて
市内4カ所で観光レンタサイクルの貸出がおこなわれています。4カ所間での乗り捨て返却も可なので、利用してみてはいかが?
レンタル場所:忍城バスターミナル観光案内所、JR行田駅前観光案内所、観光物産館ぶらっとぎょうだ、はにわの館(埼玉古墳群内)
料金:シティサイクル(2人乗り含む):500円/1日、クロスバイク:800円/1日、電動アシスト:1,000円/1日
貸出・返却施設の営業時間:9:30~16:30(冬期は10:00~16:00) ※ぶらっとぎょうだとはにわの館は9:30~17:00で年間一律
定休:なし ※12月29日~1月3日は休館
予約用ページ:行田市公式観光サイト内
行田ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
おすすめ立寄りスポット
【観光案内・お土産処】観光情報館ぶらっとぎょうだ
商工センター内にある観光案内やお土産を販売する施設。
足袋とくらしの博物館に訪問する際には、こちらの駐車場が使用できます。
住所:埼玉県行田市忍2丁目1(GoogleMapで開く)
営業時間:9時~17時
定休日:年末年始(12月29日〜1月3日)
アクセス:
電車)
・JR高崎線「吹上駅」北口下車、バスで佐間経由「新町一丁目」下車(所要約20分)、徒歩3分、又は、バスで前谷経由「商工センター」下車(所要約20分)、徒歩1分
・秩父鉄道「行田市駅」南口下車、徒歩6分
車)
・圏央道「白岡菖蒲IC」より約50分
・関越道「東松山IC」より約45分
・東北道「羽生IC」より約35分
・駐車場50台(行田市商工センター)
足袋とくらしの博物館
行田は足袋の町。全盛期の足袋工場を再現した施設で、足袋作り体験などもできますよ!
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公式サイト
住所:埼玉県行田市行田1-2(GoogleMapで開く)
※忍城址から徒歩で約10分(約800m)。専用駐車場なし(商工センターの駐車場を利用可)。
石田堤史跡公園
石田三成が忍城を水攻めした際の堤が保存されている公園。
この近隣で堤が決壊し、水攻め敗因につながったといわれます。
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住所:埼玉県鴻巣市袋326-1(GoogleMapで開く)
※忍城址から車で約15分。徒歩で約70分(約5km)。最寄り駅はJR高崎線の「吹上駅」、または「北鴻巣駅」。
埼玉古墳群
全国でも有数の大型古墳群で、特別史跡にも指定されています。
稲荷山古墳で発見された鉄剣は国宝指定されており、併設の博物館で見ることができます。
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さきたま史跡の博物館の公式サイト
住所:埼玉県行田市埼玉(GoogleMapで開く)
※忍城址から車で約10分。徒歩で約46分(約3.5km)。
※バス利用)
①市内循環バス:「忍城バスターミナル」より東循環コース乗車(左回り:乗車4分/右回り:乗車61分)、「地域文化センター入口」下車。徒歩約10分。
②朝日バス:忍城址より徒歩約8分、「新町一丁目」より佐間経由 吹上駅行乗車約4分、「産業道路」下車、徒歩約15分。




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「浮き城」の歴史を感じながら、忍城から行田を歩いてみよう
忍城は、御三階櫓を見て終わるだけでは少しもったいない歴史スポットです。
城を取り巻いていた水や湿地、残された土塁や石垣に目を向け、さらに石田堤や丸墓山古墳まで歩けば、1590年に繰り広げられた忍城水攻めの舞台がより具体的に浮かび上がってきます。
『のぼうの城』をきっかけに訪れるのもよし、古絵図を片手に江戸時代の城の姿を想像するのもよし。
歴史を知ってから歩くことで、現在の行田の街並みも違って見えてきます。
週末の歴史散策に、ぜひ「浮き城」忍城を歩いてみてはいかがでしょうか。
記事の訪問日:2021/8/28

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