日光街道の宿場町としては千住宿に次ぐ規模を誇った「越ヶ谷宿」は、街道と河川が交わる交通の要所にあったため、舟運による物資の集積所として発達していた。
そんな宿場町があった旧街道沿いには、今も比較的古い建物が残っており、かつての街道風情を感じることができます。
また、越ヶ谷にはかつて将軍の御殿もあり、徳川家康や秀忠がしばしば鷹狩りで訪れた地でもあった。
そんな歴史を振り返りながら、旧街道を歩きます。
目次
かつて越ヶ谷宿と御殿があった越谷を歩く
越ヶ谷宿は千住宿に次ぐ規模の日光街道の宿場町

東武線越谷駅
江戸時代の五街道のひとつである日光街道は、江戸日本橋から徳川家康公を祀る日光山東照宮への主要道路として整備された、全長約142kmに及ぶ街道です。
日本橋を出て千住宿を過ぎると、次の宿場町からは現在の埼玉県域に入り、草加宿・越ヶ谷宿・粕壁宿・杉戸宿・幸手宿・栗橋宿と続いた。
「越ヶ谷宿」は日光街道の3番目の宿場町で、日光街道の宿場町の中では千住宿に次ぐ大きな宿場町でした。
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宿場は越ヶ谷宿と大沢宿で構成

東武越谷駅東口から1~2分程歩くと旧日光街道にぶつかりますが、かつてこの街道沿いに越ヶ谷宿が続いていました。
慶長7年(1602年)の伝馬継立所としての町並み整備により、越ヶ谷宿が始まります。
越ヶ谷宿は現在の越谷市越ヶ谷から1km程続いた旧越ヶ谷町エリアと、さらに元荒川を越えた先に約1km続く旧大沢町エリアで構成された、約2kmに渡る宿場町でした。
天保14年(1843年)頃の調査記録による越ヶ谷宿の規模は、家数は1,005軒、本陣が1軒、脇本陣が4軒、旅籠が52軒あり、4,603人の人々が暮らしていました。
エリアの特徴で見ると、古くから栄えていた越ヶ谷町側は商家の比率が高く、大沢町側には本陣・脇本陣や旅籠などの宿場機能が主に置かれたようです。
越ヶ谷宿は農産物の集積地としても発展した

出典:越谷市デジタルアーカイブ(越ヶ谷宿村絵図)
江戸から約30kmの距離にあった越ヶ谷宿は、旅人や参勤交代の大名行列が休息を取るのに重要な地点でした。
さらに元荒川の水運を活用した物流拠点としての発展が、越ヶ谷宿の繁栄に寄与。周辺地域の農産物や物資の集積地として機能しました。
写真は江戸時代の越ヶ谷町の絵図ですが、中央に通っている日光街道の両側が畑や田んぼなのが特徴的です(緑の部分)。

田中米穀店
ということで旧日光街道を北に向かって歩きだすと、街道沿いの面影を残す古い建物がポツリポツリと現れます。
「田中米穀店」は、昭和初期に建てられた築90年以上の木造建築物。2階の雨戸を収める戸袋が緑色の銅板製なのが特徴的です。

行徳屋
似た様な銅板戸袋が見られるこちらの「行徳屋(ぎょうとくや)」も、田中米穀店と同時期の建物なのかな。
ちなみに越ヶ谷宿は、江戸時代から明治時代にかけて数度の大火に見舞われています。
江戸時代の享保14年(1729年)の大火では、宿場の大半が焼失し再建に時間を要した。さらに天保14年(1843年)の大火では越ヶ谷宿の約6割が焼失している。
明治に入っても、明治7年(1874年)と明治32年(1899年)の2回にわたり大火が発生しました。
そのため明治以前の木造建築物の多くは焼失しており、残念ながら宿場に関する詳しい記録も多くは残っていないようだ。
「油長内蔵」 曳家工法で蘇った江戸末期の内蔵

やけに惹かれるレトロな建物が登場!こちらの洋風建築は、昭和10年(1935年)に越谷郵便局として建築されたものとのこと。
現在でも「横田診療所」として現役で使われている建物。雰囲気あるなあ。

そして今度は住宅街の中に建つ、蔵造りの建物を発見。暖簾が掛かっているので店だろうか?
「油長内蔵(あぶらちょう うちくら)」は江戸時代末期の旧家の内蔵を、解体せずにそのまま移動する曳家(ひきや)と呼ばれる工法で移動し、その後改修された建物。
外装の漆喰を塗り替え、屋根はもとの瓦が使われているそうだ。
分譲住宅として開発予定だった一帯に、内蔵・米蔵・粕蔵で構成された古い蔵がポツンと残っていた。
そのうちの保存状態の良かった内蔵を、町のシンボルとして修繕・保存しよう、という試みにより残されたものなんだそうだ。素晴らしいですね!

綺麗にリノベされた蔵造の建物は、見ごとに町並みに溶け込んでいた。
現在はNPO法人の運営によるコミュニティ施設として使用されており、住まいの相談を受けているほか、まち蔵カフェも運営されています。
歴史とデザインを継承しつつ、新たな付加価値を見出すまちづくりを推進している、というこちらの活動には今後も注目したいですね!
まちづくり相談処 油長内蔵
公式ページ
住所:埼玉県越谷市越ヶ谷三丁目2-19-5 (GoogleMapで開く)
開館時間:10時~17時 ※イベント開催時には変更する場合があり。
休館日:水曜日、年末年始 ※その他随時に休館することもあり。
「中町浅間神社」 市内最大の樹齢600年のケヤキ

車の往来も多い青葉通りにぶつかると、その道筋にポツンと「中町浅間神社」が鎮座。少し盛り上がった鎮座地は、富士山を表現しているのかもしれない。
中町浅間神社には、富士山をかたどった丸い木型を銅板を張り付けた「懸仏」が残っているそうだ。応永32年(1425年)の年号の添え書きがあるとのこと。
そのことからも、室町時代以前からの古い由緒を持った古社なのが分かる。
懸仏は文字通り懸けるタイプの仏様で、江戸時代までは結構作られていたそうだ。現在残っている物は少ないので貴重だとのこと。

浅間神社のケヤキは越谷市内で一番大きなケヤキで、越谷市の記念物なんですって。
その樹齢は約600年といわれるので、越谷の町の歴史を見守り続けてきた古木ということになります。
「木下半助商店」 国登録文化財指定

青葉通りを越えた辺りからは、結構古い建物が集中して並んでます。
こちらの「木下半助商店」の建築物は、国登録有形文化財に指定されている貴重な建造物。
江戸時代創業の店ですが建物は明治の大火以降のもので、明治期の商店の特徴をよく残しているもの。
通りに面した部分の幅は狭く、奥に長い「短冊形」の配置が街道沿いの商家の特徴。前面に店舗と土蔵を構え、背後に外壁を銅板張とした2階建ての土蔵が続きます。

現在でも金物屋として使用されている店舗以外は、一般公開されていません。

中町浅間神社の駐車場の塀越しに、木下半助商店奥の建物群がチラ見できました。
右手が街道側の正面ですが、おー、通りから奥に長い造りなのが良く分かりますね。
「小泉家」 越ヶ谷宿で唯一店舗と蔵が並んで現存

小泉家
こちらの「小泉家」には、古い建物が綺麗に一式で残っていますね!店舗と蔵が横並びで現存するのは、越ヶ谷宿では唯一ここのみとのことだ。
江戸時代末期には、こんな感じの屋敷がずらっと並んでいたんですかね。

小泉家
蔵部分は明治の大火以前の建物ですが、燃えずに残りました。店舗と自宅は、大火後の明治32年(1899年)に再建されたもの。
小泉家は江戸時代から続く呉服商でした。

鍛冶忠商店
こちらの「鍛冶忠(かじちゅう)商店」は、江戸時代末期創業のお店。ピンクの扉に目がとまりますね。新旧入り混じった感じの建物。
明治33年(1900年)に建てられたもので、現在も店舗として使用されています。

米長乾物店
そして「米長(こめちょう)乾物店」の建物が見えてくると、この辺りが旧越ヶ谷宿の一番北側の端にあたる。
建物は明治32年(1899年)以前からあったので、築120年近くとなります。
元荒川を利用した江戸への舟運が発達

元荒川
米長乾物店を過ぎた先には元荒川が流れ、大沢橋を渡ると旧大沢宿に入ります。
江戸時代の越ヶ谷宿は、この元荒川と日光街道が交差する交通の便の良い場所でした。
越ヶ谷宿にで集積された農産物や物資は、元荒川・綾瀬川・中川などを利用した舟運により江戸へと運ばれた。
特に江戸で取引されたのは、近隣農村で生産された米・麦・大豆、酒、木材、藍などの染料、薪炭など。江戸の生活を支えた物資を供給する重要な物流拠点でした。
「越ヶ谷御殿」徳川家康や秀忠が鷹狩りで滞在

大沢宿エリアに入る前に、大沢橋から元荒川沿いを東に500mほど離れた場所にある「越ヶ谷御殿跡碑」にやってきた。
実は江戸時代初期の越谷には、徳川将軍家の御殿がありました。
「越ヶ谷御殿」は、徳川家康により慶長9年(1604年)に建てられた御殿。御殿は徳川将軍家の別荘ですね。
徳川家康や秀忠は鷹狩りの際に、頻繁に越ヶ谷御殿を訪れました。秀忠は家臣とともに、一ヶ月以上滞在した記録もあります。
明暦3年(1657年)に江戸に起きた「明暦の大火」では江戸城が全焼しますが、その際に越ヶ谷御殿の建物は江戸城二の丸に移され、将軍の仮殿として使われた。
現在でもこの地には御殿町の住所名が残り、御殿の敷地の広さはその御殿町のほぼ全域に及ぶといわれる。
2代将軍秀忠・3代将軍家光は鷹狩の際に、近隣の「久伊豆神社」にも立ち寄りました。
\ 久伊豆神社の詳細はこちら!/

越ヶ谷御殿跡碑の近くにある「建長元年板碑」は、鎌倉時代の建長元年(1249年)の年号が刻まれている市内最古の板碑とのこと。
越ヶ谷御殿
住所:埼玉県越谷市御殿町2(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武「越谷駅」もしくは、「北越谷駅」より徒歩約18分(1約.3Km)
車)
・駐車場なし
「香取神社」旧大沢宿の鎮守、本殿の彫刻が凄い!

大沢橋を渡って旧大沢宿にあたる辺りを、隣駅の北越谷駅辺りまで歩いてみた。
しかし古い建物などはほとんど残っておらず、本陣跡などの史跡碑も見つけらなかった。
北越谷駅からも程近い場所に、大沢鎮守の「香取神社」があったので立ち寄ってみた。落ち着いた雰囲気の参道が良い感じです。

拝殿
室町時代の応永年間に創建されたと伝わる香取神社は、古くから地元の鎮守神として信仰されてきた神社。
江戸時代には街道沿いの場所柄、旅の安全を祈願しつつ参詣休憩する人が多かったという。

拝殿は比較的新しそうだが、慶応2年(1866年)に築造された本殿は歴史を感じさせるものだった。

本殿
木組みによる建物も美しいが、板壁に施されたこの彫刻の細やかさは凄い!
大黒天や龍などの彫刻のほか、紺屋の作業を表現した彫刻などもあり、民俗資料としても貴重なんだそうだ。なかなか良い物が見れた。
「はかり屋」 古民家複合施設でランチ!

紹介順が前後しますが、越ヶ谷宿側北端にあった米長乾物店から少し南に戻った場所に「秤屋(はかりや)」という建物がある。こちらでランチをとりました。
「秤屋」は秤(はかり)を販売していた商家の屋敷である、明治38年(1905年)築の旧大野邸をリノベーションした古民家複合施設です。
こちらでは平成30年(2018年)よりレストランやショップが営業されています。
正面の主屋と敷地内の土蔵の2件は、「旧大野家住宅」として国有形文化財に登録されているもの。

敷地に入るとかつての宿場町を思わせる、ノスタルジックな空間が現れる。
油長内蔵の活動にもあったように、越谷では古い建物が積極的にリノベして活用されていますが、はかり屋はその集大成的な存在といえそうです。
レストラン「modest」(閉店)

※modestは2024年5月をもって閉店となっています。
こちらは本格的なフレンチ料理のお店。
和の古民家とフレンチの組み合わせも、なかなか洒落た感じですね。本日は残念ながら予算的にスルーでしたが。
modest閉店後、2024年5月より日本料理「すぎ多」が入店しています。

各建物内はつながっておりトイレなどは共用。内蔵が残っている特徴ある造り。
越谷旬野菜「遊佐農場」

「遊佐(ゆさ)農場」という、地産地消を目指す無農薬野菜を扱った直販所なんかもあった。店内には加工品もあり、のぞいてみると色々楽しい。
*定休日:水曜日
「ミネット」キッシュとフレンチ惣菜(閉店)

※ミネットは2021年4月30日をもって閉店となっています。
こちらは国登録有形文化財の土蔵内で営業されている、「ミネット」という店。
キッシュとフレンチ惣菜を提供しているので、こちらでランチにしました。

店内が一杯なのでテラス席にて。
キッシュとドリンクの他に総菜が2種とサラダとスープ、バケットのセットを頂いた。見た目の可愛らしさに反して、キッシュはズシっと食べ応えがありけっこう満たされましたわ。
ミネット閉店後、2021年6月より肉とワインとジビエの古民家ビストロ「ウエトロ」が入店しています。
はかり屋
公式ページ
住所:埼玉県越谷市越ヶ谷本町8-8(GoogleMapで開く)
営業時間・休業日:店鋪によって異なります
アクセス:
電車)東武「越谷駅」より徒歩8分
車)近隣のコインパーキングは駐車できる数に制限があります。
「ガーヤちゃんの蔵屋敷」 御宿場印も販売

帰りには越谷駅東口にある観光物産拠点施設「ガーヤちゃんの蔵屋敷」に立ち寄り。
日光街道の訪問記念の「御宿場印」を購入しました。1枚300円ナリ。この時は越谷の名産品のだるまがオマケで頂きました!
ガーヤちゃんの蔵屋敷(観光物産拠点施設)
住所:埼玉県越谷市弥生町505-2(越谷駅東口高架下)(GoogleMapで開く)
営業時間:9:30~19:30
休館日:月2回、年末年始
日光街道や奥州街道を歩いてみませんか?
持ちやすさや見やすさを考慮した、ハンディサイズがありがたいガイドブック。
越谷へのアクセス
越谷へのアクセス
電車)*最寄り駅は東武「越谷駅」
・東武スカイツリー線「北千住」から「越谷駅」まで急行で約17分
・東武アーバンパークライン「大宮駅」から「春日部駅」まで急行で約21分、東武スカイツリーラインに乗換で「越谷駅」まで急行で約10分
車)
・東京外環道「草加IC」から約5km、東北道「浦和IC」から約7km、常磐道「三郷IC」から約10km
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住所:埼玉県越谷市越ヶ谷1700(GoogleMapで開く)
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