埼玉県東松山市にある「岩殿観音正法寺」は、山間にあり山寺のような雰囲気を持つ、1300年以上の歴史がある古刹です。
鎌倉時代には将軍・源頼朝が妻・北条政子の守り本尊とするため、鎌倉殿の十三人の一人である比企能員に命じて再興させたと伝わります。
そんな歴史のある寺院の見どころを紹介。
比企能員ゆかりの地にも立ち寄ります。
目次
『岩殿観音 正法寺』
大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」と比企地域
令和4年1月から、大河ドラマ・鎌倉殿の13人が放送されています。
ドラマでは鎌倉幕府成立に至る戦いや、政権内部の権力争いが描かれてゆきます。
埼玉県のほぼ中央に位置する比企地域には、鎌倉幕府の創設や”鎌倉殿”と呼ばれた将軍を支えた、武蔵武士ゆかりの地が多くあります。
そんな中から、鎌倉幕府の有力御家人の一人である比企能員(ひきよしかず)ゆかりの東松山市「岩殿観音」を訪問しましたので、その見どころを紹介します。
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「仁王門」 坂東三十三所霊場10番
寺院の正式な名称は「巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)」。
奈良時代の開基とされる真言宗の寺院で、岩殿観音の名で親しまれています。
(以下、岩殿観音で表記。)
岩殿観音は、関東地方の33寺院を巡礼する観音霊場「坂東三十三所観音霊場」の10番霊場に数えられます。
場所はツツジの名所として知られる、標高135mの物見山公園に隣接。
山側にある場所柄、森に囲まれた山寺のような雰囲気がありますよ。
寺院の入口に立つ、雰囲気ある仁王門。
この右手に本堂や霊園がありますが、寺院の中心となる観音堂はこの先の急な石段を登った上にあります。
仁王門には元々は運慶作とされる仁王像があったそう。
ですが、運慶作の像は江戸時代に焼失していることが、近年の解体修理の際わかったそうです。
残念ですなあ。
現在の仁王像は、江戸時代の文化年間(1808~1814年)に再建されたもの。
奈良時代の養老2年(718年)、諸国を行脚する高僧・逸海上人が岩殿山に観音菩薩像を安置。
傍らに正法庵という草庵を結んだことが、岩殿観音の始まりとされています。
石段途中には、戦国時代の武蔵松山城主・上田朝直が岩殿山一帯の草木の刈り取りを禁じた旨の高札の復元がありました。
昔より神聖な山として扱われていた様ですねえ。
季節的は終わってますが、石段両側にはアジサイが植えられています。
「比企能員とのつながり」 源頼朝、政子とも
石段を登ると、観音堂などがあるエリアに到着。
岩殿観音は以下により源頼朝や妻・政子と繋がりがあり、頼朝の家臣だった比企能員とは特に関係が深かったといわれます。
- ■源頼朝は観音信仰に篤く、鎌倉時代初期に開設された坂東三十三観音霊場に深く関わったとされる。
- ■その際、比企能員の館が近くにあり能員が深く帰依していた岩殿観音が、第10番札所に選ばれた。
- ■頼朝の庇護のもと、比企能員が頼朝の妻・政子の守り本尊として諸堂の再建をし中興したと伝わる。
- ■頼朝没後の正治2年(1200年)には、政子によって堂宇の再建がされたと伝わる。
坂東三十三ヶ所霊場は鎌倉を起点に、現在の関東7県(神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉)の各地に点在している霊場です。
比企一族はこの比企地域一帯を領地としてましたが、鎌倉幕府内の政権争いにより一族もろとも誅殺されることとなりました。
石段を登った所から振り返ると、見事に一直線に延びている参道が見えます。
室町時代には観音巡礼が盛んになり、門前町として賑わいました。
戦国時代後期には大伽藍を構えていたそうで、門前には僧坊と呼ばれる僧侶の為の宿舎が66もあったそうですよ!
しかし、永禄年間(1558~1570年)には(武蔵)松山城合戦の戦火により、伽藍は焼失。
その後は江戸時代に向けて、徐々に再建がおこなわれたそうです。
「鐘楼と銅鐘」 古い木造建築
「鐘楼」は元禄15年(1702年)築で、東松山市内で最も古い木造建築とのこと。
屋根は萱葺き。市の指定文化財です。
「銅鐘」は、楼より更に古い元亨2年(1322年)に造られたもの。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による関東征伐の際、武将・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)がこの鐘を引きずりまわして打ち鳴らし軍勢の士気を鼓舞したとされます。
鐘についている傷は、その時についたものだそうですよ。
こちらは県指定文化財です。
「観音堂」 北条政子の守本尊
こちらが岩殿観音の中心的な建物である「観音堂」。
現在の観音堂は、明治時代に他所から移築されてきたものだとか。
江戸後期のものとされる建物は、年代を感じさせます。
お堂の正面には親切に、「北条政子の守本尊・千手観世音菩薩」の案内書きがありますね。
こちらが千手観音菩薩坐像です。
我々が拝める御本尊は前立本尊(まえだちほんぞん)と呼ばれるもので、奥の厨子に秘仏本尊が納められています。
秘仏本尊は室町時代作の青銅製で、12年に一度午歳(うまどし)の時にのみ直接拝むことができるそうなんですよ。
観音堂周囲では、彫り物の様々な装飾が目を惹きます。
舟から突き落とした状況がみょ~にリアルに伝わってくる彫刻ですが。
どういうシチュエーションですかね?
木製のお地蔵さんが、お堂の隅からにこやかに参拝者を見守ってくれています。
「石仏」 日本百観音の写し本尊
岩殿観音の名の通り、観音堂裏手の山肌を露出させた切り通しが独特の景観を造っています。
さらには、岩肌に無数の石仏が並んでおり、独特の雰囲気があります。
こちらには四国八十八ヶ所と日本百観音の写し本尊が納められており、参拝するとその全てを巡礼したのと同じ功徳が頂けるそうです。
「日本百観音」は、西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所の計100箇所観音巡礼のこと。
長野の善光寺がその番外札所に設定されており、日本百観音を巡礼した後、善光寺を参拝するという習わしがあるそうです。
一ヶ所で各所の功徳が頂けるとは便利な、もとい、ありがたい場所ですね。
「薬師堂」 薬師如来像開帳中
天正19年(1591年) に徳川家康より寺領25石の寄進を受け、その際に建立された「薬師堂」。
病気平癒などの効験を持つ、薬師如来像を安置するお堂。
元の薬師堂は寛永年間(1624~1645年)に焼失、その後再建されたのが現在の堂です。
薬師如来像の御本尊は寅年に御開帳される習わしで、直接拝見できました。
右側の金色に輝く御本尊が薬師如来像で、その周囲には薬師如来を守護する、勇ましい十二神将(じゅうにしんしょう)が安置されてました。
左側の閉じられた厨子(ずし)の中には、明治20年に信州善光寺より分身安置された一光三尊阿弥陀如来が安置されています。
令和4年は7年に一度の信州善光寺の如来が御開帳となりました。
それに併せてこちらの善光寺如来も開帳されたそうです。
両尊が同時に御開帳されるのは、なんと84年に一度だそうです。
善光寺如来の開帳は令和4月3日~6月29日までで、訪問日の本日は7月3日。
一週間早く訪問してれば。。。、う~む、残念!
「百地蔵堂」 空海作の地蔵菩薩
薬師堂の右手にある「百地蔵堂」。
中央に弘法大師空海の作とされる地蔵菩薩が祀られ、それを囲むように100体のお地蔵さまが祀られています。
こちらも御本尊は厨子のようなものに入っていて、直接は見えないですなあ。
「大銀杏」 樹齢700年越
観音堂傍の「大銀杏」は推定樹齢700年越えのご長寿大木!
健康長寿の御利益があるとされてます。
根の部分は迫力ある状態で、精霊でも住んでそうな雰囲気ですねえ。
東松山市の指定天然記念物に指定されています。
岩殿観音 正法寺の詳細情報・アクセス
岩殿観音 正法寺
公式ページ
住所:埼玉県東松山市岩殿1229(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)・東武東上線「高坂駅」下車、西口から鳩山ニュータウン行きバス「大東文化大学」下車、徒歩10分
車)・関越自動車道「東松山IC」から川越・川島方面へ20分
坂東三十三観音と他の寺をあわせた、関東の百寺を紹介。
「地球の歩き方シリーズ」なのでしっかりした内容!
『判官塚』 比企能員追福の塚
岩殿観音の参拝を終えて参道へ。
参道沿いの各戸では、屋号を掲出して往年の門前町の雰囲気を偲ばせる工夫がされているそうだ。
比企能員のゆかりの場所が近くにあるということで、立ち寄ってみます。
参道を数百メートル進んだ場所に、「判官塚」の小さな看板を発見。
駐車スペースもありました。
看板の矢印に従いこちらの小山を登って行きます。
小山を登ったひっそりとした場所に、「比企大神」の額が掛かった石の鳥居が現れます。
その先に石の小さな祠。
こちらが「判官塚」。
判官とは比企能員の役職名で、判官塚は健保6年(1218年)頃、岩殿山に居た能員の孫・員茂が観音堂の東南の地に塚を築き、能員の菩提を弔ったものといわれます。
その場所は現在は大東文化大学の敷地内にあたり、大学建設の際にこの場所に移設されたそうです。
『武蔵野うどん 竹國』 昼ごはん
最後に昼食で立ち寄った、地元で人気の武蔵野うどん「竹國(たけくに)」を紹介。
車で行きましたが岩殿観音からは1.5km程離れた場所で、県内最大級の動物園・こども動物自然公園の入口の真ん前にありました。
武蔵野うどんは、東京多摩~埼玉西部の武蔵野台地生産の小麦粉を使用したうどんのこと。
太めでコシがあるのが特徴で、温かい肉汁うどんで食べるのが一般的。
最近この肉汁うどんがプチ・マイブームで、うどんもサクサクの天ぷらも美味しく頂きました。
ちなみにこちらのお店、麺・天ぷら・白米・漬物が食べ放題というサービスが人気の理由の一つでした。
太っ腹だわ。
\東松山の名物は、辛味噌で食べる焼き鳥!/
岩殿観音へでかけてみませんか?
鎌倉殿の十三人の一人である比企能員ゆかりの古刹「岩殿観音」を紹介しましたが、いかがでしたか?
比企能員は正直、歴史上それほど知られている武将では無いと思います。
しかし、大河ドラマの波及効果により関連する隠れた歴史スポットがクローズアップされて、その土地に出かけ行く楽しみにつながるのは嬉しい事ですね。
鎌倉殿の十三人に関連する武蔵武士のゆかりのスポットに、出かけてみませんか?
記事の訪問日:2022/7/3
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