かつて武蔵国と呼ばれた地域にあった埼玉県には、実はかなり多くの城がありました。それらの城の歴史を紐解いてゆくと、埼玉における戦乱の時代の歴史も見えてきますよ。
そんな数ある城跡の中から最初に訪問するのにおすすめの、埼玉を代表する8つの城跡を紹介します。城跡とその周辺を歩く楽しみなどもありますので、マップを片手に出かけてみませんか?
目次
「比企城館跡群の4城」
~公方足利氏・山内上杉氏・扇谷上杉氏による戦乱の地~

松山城跡全景
まずは埼玉県中央部に位置する、比企地域にあった4城館を紹介します。
戦国時代初期の関東では、公方(くぼう)足利氏、山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)、扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)らによる争乱が激化・長期化しました。
その3つの勢力が交差した比企地域は特に城が多かったエリアで、なんと69ヶ所もの城館跡が確認されているんですよ!
その内の代表的な4城館として、松山城跡(吉見町)・菅谷館跡(嵐山町)・杉山城跡(嵐山町)・小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)が「比企城館跡群」として国指定史跡となっています。
いずれの4城跡とも土塁(どるい)や空堀(からぼり)といった、戦国時代の城の造りが分かる遺構が良好に残っています。
「菅谷館跡」博物館併設、畠山重忠の旧屋敷地(嵐山町)

本郭跡
嵐山町にある「菅谷館跡」は台地状の地形を生かして築城された平城跡で、続日本100名城の一つです。
名称に”館跡”が付きますが、元々この地が鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠の屋敷地だったことに由来します。
15世紀後半に山内上杉氏が戦国時代の城郭として改修し、16世紀後半には小田原北条氏(後北条氏)の重要拠点として使用されました。
城郭跡には当時の郭や土塁、そして空堀などが良好な状態で残っています。
敷地内に併設されている「埼玉県立嵐山史跡の博物館」では、菅谷館跡や比企城館跡群の概要について知ることができるので、比企城館跡群の中では最初の訪問をオススメしたい城郭跡です。
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「杉山城跡」山内上杉氏が築いた”築城の教科書”(嵐山町)

南二の郭の虎口から
菅谷館跡と同じく嵐山町にある「杉山城跡」は山内上杉氏が築城したとされる山城で、続日本100名城の一城です。
杉山城は戦国時代の城における基本的な技巧が詰まっている城で、城ファンからは「築城の教科書」などと呼ばれる人気の高い城跡です。
山の高低差を巧みに利用した縄張(=設計)で、敵兵になったつもりで大手口から入城すると、常に上からの横矢を受ける造りや、何度も方向転換させられるような計算し尽くされた構造には脱帽します!
主要箇所の高木が伐採されており遺構が見やすく、道にも木製チップが撒かれているなどで歩きやすく、見学者に優しい造りなのも見逃せません。
コンパクトにまとまって分かりやすい城郭跡なので、山城歩き初心者には特におススメしたい城跡です。
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「小倉城跡」珍しい石積みのある北条氏配下だった山城(ときがわ町)

郭1(本郭)への虎口
「小倉城(おぐらじょう)跡」は嵐山町のお隣のときがわ町にある山城跡で、小田原北条氏の重臣だった遠山光景が築城した城といわれます。
河川や陸路の交通の要所にあるため、それらの監視の目的で築城された城と考えられます。
土塁や堀などによって城の守りが固められていますが、小倉城の最大の特徴は石積みを使っている山城という点。関東では石積み・石垣のある山城は珍しいので、貴重な遺構といえます。
城跡の中心部は約140mの低山の上部にあり、杉山城と比べてより山城らしい雰囲気を感じられる城跡です。山城といっても散策路は良く整備されているので、ハイキング気分で歩けますよ!
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「松山城跡」北条氏配下が長かった戦乱の城(吉見町)

本曲輪とニノ曲輪の間の深い空堀
吉見町にある「松山城跡」は比企丘陵地帯のヘリあたる台地に築かれた平山城で、市野川を天然の堀として利用した立地にあります。
松山城は、扇谷上杉氏・小田原北条氏・甲斐武田氏・越後上杉などの争いにより、絶えず戦乱の舞台となりりました。なかでも小田原北条氏勢力の支配が長く続いた城です。
比企城館跡群の4城の中では最も文献資料等が豊富な城なので、歴史をたどってみるのが面白い一城でもあります。
城址内では曲輪や土塁などの遺構が綺麗に残り、堀底歩きなどが体験できます。
ただ、木々が茂って遺構が確認しづらい部分もあるので、山城初心者がいきなり歩くと少し分かりづらい城跡かもしれません。
近隣には国史跡・吉見百穴もあり、一日中歴史めぐりができるエリアでもあります。
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「鉢形城跡」断崖絶壁に立つ北条氏の広大な城跡(寄居町)

石階段と四脚門
寄居町にある「鉢形城跡」は戦国時代の代表的な城郭跡として国指定史跡であるとともに、日本100名城の一つにも数えられています。
荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれた平山城で、まさに自然の地形を生かした城郭といえます。
山内上杉氏の家臣が築城し、その後、扇谷上杉氏の主力拠点の一つとなりましたが、やがて小田原北条氏の支配が長らく続きました。
城跡には小田原北条氏が築いた巨大な空堀跡をはじめ、多くの遺構が残ります。また、石積土塁や門の復元などによって当時の様子が再現されています。
広大な範囲にわたるスケールの大きい遺構なので、周囲の自然も楽しみつつ、じっくりと時間を掛けてめぐりたい城跡です。
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これから山城歩きをする人は、東京都にもタフな山城があったりするのには超驚くと思いますよ!
「忍城跡」石田三成の水攻めに屈しなかった浮き城(行田市)

御三階櫓
「忍城」は行田市にあった平城で、かつては関東七名城の一城ともいわれた堅城。現在は続日本100名城の一つに数えられます。
北に利根川、南に荒川の天然の要害を持つ立地にある上、湿地帯に囲まれた攻めづらい城でした。
近隣にある水城公園は忍城の外堀跡を公園化した水辺公園で、かつての忍城の面影を感じさせます。
忍城の歴史において最も良く知られるのが、豊臣秀吉の小田原征伐における忍城での合戦です。
小田原北条氏側についた忍城は、秀吉勢の石田三成軍による水攻めを受けますが、これに屈しせず城は落ちませんでした。
これにより”浮き城”の異名が付き、この話は「映画・のぼうの城」の題材にもなっています。
城址公園内には御三階櫓が復元されており、お城然とした雰囲気が楽しめるスポットとして県内では貴重な城跡です。
併設されている行田市郷土博物館からは、御三階櫓内にも入場できますよ!
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「岩槻城跡」江戸近郊の重要拠点だった城(さいたま市)

城門遺構(黒門)
さいたま市にあった「岩槻城」は、室町時代末期に太田道真・道灌父子が築城したといわれますが、近年は忍城城主・成田氏による築城説も浮上しているようです。
その後は戦国時代後期の小田原北条氏の支配期を経て、関東に入封した徳川家康配下の城となります。
江戸時代には江戸近郊の城として重要視され、日光社参の際には将軍の休憩所にもなりました。
城跡の一部は城址公園となっており、公園内ではかつての城門の一部や空堀・土塁などの遺構を見ることができます。
岩槻城の大きな特徴は、城下町の周囲を巨大な土塁と堀が囲む”大構え”と呼ばれる造りで、城と町が一体化していました。
かつての城下町の主要箇所には案内板が設置されているので、それを辿っての街歩きも楽しいですよ。
特に現存する旧岩槻藩校の建物や、時の鐘などは必見です。
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岩槻城下町には江戸時代の藩校跡が残り、今も時の鐘が鳴り響く【埼玉・さいたま市】
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「川越城跡」本丸御殿が現存する城(川越市)

本丸御殿
最後に紹介するのは川越市にあった「川越城」で、こちらは日本100名城の一つに数えられています。
太田道真・太田道灌親子が、江戸城や岩槻城と同じ頃に築城したといわれる城です。
戦国時代は多くの戦乱があった城で、良く知られるのが「河越夜戦」。
当時、小田原北条氏の支配下にあった川越城を扇谷上杉家が襲撃しましたが、逆に奇襲で返り討ちにあいました。
これが、小田原北条氏の関東支配を決定付ける出来事にもなっています。
現在は、江戸時代に建てられた本丸御殿の一部が残っており、一般公開されています。現存する御殿は全国的に見ても少なく貴重なものです。
本丸御殿以外で残っている城の面影は僅かですが、中ノ門堀跡や富士見櫓跡などは御殿と併せて立ち寄りたい遺構です。
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明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
日本100名城と続日本100名城をめぐろう!
「日本100名城」は地域の歴史的シンボルであり、日本の文化遺産として多くの人に訪問してもらうことを目的に、財団法人日本城郭協会が文部科学省・文化庁の後援を得て選出したものです。
日本100名城・続日本100名城においてはスタンプラリーが設定されており、スタンプ帳を持参すると、城めぐりがより一層楽しくなりますよ!
日本100名城と続日本100名城の紹介と公式スタンプ帳が一冊にまとまっており便利!
埼玉の城跡にでかけませんか?
ご紹介した中では御三階櫓のある忍城が、唯一一般的なお城のイメージに近い感じですかね。残念ながら、関西にある石垣や天守がそびえる城郭跡はありません。
ですが、戦国時代の城の仕掛けを体感できる山城歩きや、城の痕跡を探しつつめぐる街歩きは、実際歩いてみると「なるほど!」と思う楽しがあり、ハマる人はハマると思いますよ。
そんな埼玉の城郭跡を歩きに出かけてみましょう!

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