日本100名城の一つに数えられる白河小峰城は、東北地方では珍しい総石垣の城です。
本丸を中心に石垣に囲まれた城内を歩くと、その堅牢な造りに圧倒されますよ。
さらに本丸には、江戸時代に測量された絵図に基づいた三重櫓が、木造でリアルに復元されています。内部の見学もできるんですよ。
そんな白河小峰城跡の見どころを、その歴史をたどりながら紹介。
目次
「白河小峰城跡」 東北では数少ない石垣を多用した城
東北三名城にも数えられる日本100名城の一城

今回は電車で白河小峰城にアクセスしました。
最寄り駅である東北本線・JR白河駅は、レトロな雰囲気の可愛らしい駅舎ですね。
駅周辺エリアは、白河小峰城のかつての三之丸にあたります。

城山公園は駅の反対側ですが、駅東側には城門風の地下道が設置されています。
雰囲気抜群のこの地下道内には城の紹介パネルがあり、それを楽しみながら抜けると、すぐに城山公園に到着です。

城山公園に入ると、かつての「二之丸跡」だった芝生広場が広がり、その先の高台にそびえる三重櫓が見えてきましたよ。
現在は本丸・二の丸跡にあたる約16万3千m2が城山公園として整備されていますが、かつての白河小峰城の敷地面積は約54万m2に及ぶ広大なものでした。

白河小峰城の概要
白河小峰城は、阿武隈川(あぶくまがわ)南側の小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い丘陵地に築かれています。
標高370mの陵の西端部に本丸をもうけ、東側・南側に二之丸・三之丸を配置した、梯郭式(ていかくしき)と呼ばれる平山城です。
本丸周辺が総石垣で固められているのをはじめ、至るところで石垣を多用。
東北地方では総石垣造りの城は少なく、盛岡城・会津若松城と共に「東北三名城」とも呼ばれます。
国史跡に指定されているほか、日本100名城の1つにも数えられます。
「清水門」本丸エリアへの入口

清水門跡
本丸エリアの手前には内堀があり、二之丸と本丸とは土橋でつながっています。
土橋の先にはかつて「清水門」がありましたが、現在残るのは高さ約4.5mの櫓台のみ。
簡素な冠木門が立っていますが、当時は本丸エリア入口に相応しい、大手門とならぶ城内最大級の渡櫓門があったそうですよ。
現在は清水門の復元事業が進んでいるそうで、高さ約11mの巨大な渡櫓門がお目見えする予定があるとのこと。これは楽しみですよね!

本丸と二之丸間の水堀
本丸に向かう前に、白河小峰城の歴史概要をふり返っておきましょう。
白河小峰城の歴史概要
■南北朝時代の興国・正平年間(1340~1369年)頃、白河地方を支配した白河結城(ゆうき)氏の2代目当主・結城宗広(ゆうき むねひろ)の嫡男、親朝(ちかとも)が築城したとされます。親朝は別家の小峰氏を創設。
■天正18年(1590年)、白河結城氏12代目・小峰義親(よしちか)の時代に、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず奥州仕置にて所領を没収され改易となる。以降、白河は会津領となり小峰城には城代が置かれました。
■江戸時代の寛永4年(1627年)に白河藩が成立。初代藩主・丹羽長重(にわ ながしげ)が幕府の命で城を改修。寛永9年までに本丸・二之丸を総石垣で固め、三之丸を石垣積みにした。
丹羽長重の子・光重の後は、榊原・本多・松平(奥平)・松平(結城)・松平(久松)・阿部家など、徳川親藩・譜代大名(7家21代)の居城となり、奥州の要衝としての役割を担った。
■慶応3年(1867年)、城主・阿部氏が転封されると白河藩は幕領となり、白河小峰城も幕府管理となります。
■翌年の戊辰戦争で白河をめぐり奥羽越列藩同盟軍と新政府軍が戦う。これにより小峰城内の建物の多くは焼失。
現在残っている遺構は、江戸時代の初代藩主・丹羽長重により改築されたものが基本となっています。
本丸石垣の”落とし積み”はまるでアート!

清水門跡を抜けて直進した先にあるのは、一段高い位置にある本丸周囲の高さ10mの石垣。
この突き当りを右手に進むと本丸の正面口へ、左手に向かうと本丸周囲を取り囲む帯曲輪に通じます。
当時は番所などが置かれていたとのこと。枡形門が形成されていたのかもしれませんね。

そして白河小峰城跡の名物ともいえるのが、こちらの「落とし積み」と呼ばれる石積み。
小さめの石を斜めに積み、中央部に半同心円状を描いている様はもはやアート!思わずニンマリしてしまいますね。
この「落とし積み」は、城内の数か所で見ことができます。
城内における石垣の積み方は箇所によりマチマチで、石を整形して隙間なく積む「切込み接ぎ」や、同じ大きさの石を目地を通して布積みし、隙間に石を打ち込む「打込み接ぎ」などがみられます。
清水門・矢之門の開放時間:8:30~17:30(10月~3月は16:30まで)。入場は無料。
「竹之丸」本丸正面を守る曲輪

本丸入口側にある曲輪「竹之丸」から、清水門側を望んでいます。
石垣に沿って右折すると本丸正面ですが、清水門側からは死角なので入口がどこかはわからないですね。

竹之丸
本丸の入口正面にある「竹之丸」の外周には、二つの櫓が建っていました。
「前御門」復元された渡櫓門

石垣に沿って石段を上がると、復元された「前御門(まえごもん)」と「三重櫓」が目の前に現れました!お~、これはお城然とした良い景観ですね。
門と櫓が一体化した構図が楽しめる、イチ押しポイントの一つとなります。
高さが約13mあった三重櫓は城内最大規模の櫓であり、天守の代わりの役割でした。

本丸正面入口の「前御門」は平成6年(1994年)に復元されたもので、右手の多門櫓と連結された形状の渡櫓門でした。
「御本城御殿」707畳もの畳数があった御殿

前御門を抜けて、いよいよ本丸内へ。
本丸の北側には土塁が設けられていますが、三重櫓は土塁上の隅櫓として設置されていました。

かつて広々とした本丸の平地には、藩主の居所であり政務の場にもなった「御本城御殿」がありました。
松平定信が藩主だった文化5年(1808年)頃の御殿には707畳の畳数があったそうで、かなりの規模の建物だったことが伺えます。

北側の土塁の高さは約10m。

土塁上から本丸北側を望みます。
本丸周囲は一段低い「帯曲輪」に囲まれており、その外側には外堀がめぐらされています。
外堀の水源であった阿武隈川(あぶくまがわ)は、北側の自然の要害としても機能したことでしょう。

北西隅の土塁上にある「雪見櫓」跡からの本丸全景。
本丸内には北東隅の三重櫓、北西隅に雪見櫓、南東隅に多門櫓、南西隅に富士見櫓と、4つの櫓が設けられていました。

富士見櫓跡からは遠くの山々まで見通せて、なかなかの景観ですね。
ところで、本丸には一風変わりダネの歴史の痕跡もありましたよ。
1つは、明治9年(1876年)に明治天皇が奥州巡幸した際に催された「天覧産馬」の碑。
案内板では相当数の馬が集まっている写真が紹介されていましたが、江戸時代から白河は馬市やセリが盛んな地だったそうなんです。
もう一つは明治20年(1887年)に皆既日食が発生した際、明治政府が観測地の一つとして使用した、というものでした。
「三重櫓」藩主・松平定信時代の櫓を木造で復元

文化5年(1808年)に、当時の城主・松平定信が城内の門・櫓などの37の建物の実測を命じています。
それを記録した「白河城御櫓絵図」が、当時の貴重な資料として残っているんですね。
三重櫓はこの絵図や発掘調査を元に、平成3年(1991年)に木造で忠実に復元されたものです。
壁面には黒塗りの板を使って、耐久性の高い下見板張で張られています。
松平定信(1759~1829年)
江戸時代中期の老中・陸奥白河藩主。徳川吉宗の孫にあたり、将軍補佐の地位にもありました。
老中首座として寛政の改革を主導。財政再建と風紀粛正を目的に、倹約令や農村復興策、学問奨励策(昌平坂学問所の充実など)を推進。
老中失脚後は白河藩の藩政に専念しました。

そして三重櫓は内部の見学ができます。入場が無料なのも嬉しいですね。
一階は約12m四方の正方形の空間で、日本100名城スタンプが置かれていました。
戊辰戦争時の鉄砲玉が残る建築材

幕末期に起こった戊辰戦争において、白河では「白河口の戦い」が約100日間にわたり繰り広げられました。
なかでも近隣の稲荷山では、激しい砲撃・銃撃戦があったとのこと。
その稲荷山で三重櫓復元のための杉材を伐採したところ、戦闘時の弾丸が数多く発見されました。
その杉材をそのまま使用している、というのが大変興味深いです。
白河口の戦い(戊辰戦争)
慶応4年(1868年)4月、会津藩・仙台藩など奥羽越列藩同盟軍と、新政府軍(薩摩・長州・土佐など)が、東北と関東を結ぶ要衝である白河城周辺で激突しました。
約3ヶ月にわたる熾烈な戦いがおこなわれましたが、新政府軍が優位な兵力と装備をもって白河城を陥落させ、同盟軍は敗走。
この勝利により新政府軍は会津へ侵攻する足がかりを得て、戦局を大きく有利にしました。

梁の表面の仕上にも、当時の工法が用いられています。

一層目と二層目には「石落し」が設けられています。

二層目は約8m四方の部屋。階段は結構急な造りでしたよ。

天井の構造が見えるのも、木造での復元ならではのリアルさを感じる部分。

最上階の三階は約4m四方の部屋。

弓矢や鉄砲で攻撃するための「狭間(さま)」と呼ばれる小窓。
外側に狭間をふさぐための板が付いており、弓や銃を仕掛ける際に前面に押し上げて使用します。

窓からの白河駅方面の眺望。
櫓には大きな窓が付いていないので、狭間からの眺望とあまり大差なかったりします(苦笑)。
三重櫓の開放時間:9時~17時(10月~3月は16時まで)。入場は無料。
「桜之門跡」藩主の出入に使われた門

本丸の南側にある、もう一ヶ所の出入り口だった「桜之門跡」。かつては高さ約7mの櫓門が建っていたとのこと。

門は藩主の居住区に近いため、藩主が利用していたと考えられています。
この辺りの石垣は同じような大きさの石を使い、目地を通して布積みされていますね。
帯曲輪の「月見櫓跡」「帯曲輪門」

こちらは帯曲輪の南側の出入口にあたる「帯曲輪門」の跡。この辺りは古城の雰囲気が漂いますねえ。
それにしても、次から次へと現れる石垣群には圧倒されます。

張り出した位置にある「月見櫓門」跡には、二之丸全体を見渡せる2階建ての櫓が建っていました。
東日本大震災の落石から復活した石垣群

帯曲輪から見た本丸北側の石垣
平成23年(2011年)の東日本大震災において、白河小峰城では10箇所に及ぶ石垣の崩落が発生しました。
崩落した石材は1201個を数え、この本丸北側でも2箇所の崩落が発生したとのこと。

石垣の復旧は2013年から始まりましたが、まずは1石ごとの大きさ・重さやなどの情報を記録した「石材カルテ」が作成されたそうだ。これは気の遠くなりそうな作業ですね。。。
カルテに基づき、石材はできるだけ再加工せずに、江戸時代の工法にて修復されたそうです。
工事は2018年に完了。根気強くおこなわれた修復作業のお陰で、石垣は崩落前の美しい姿を取り戻していましたよ!
こうした白河小峰城の再生は、白河市の震災復興のシンボルとなっています。
小峰城最古の石垣が残る

三重櫓の北側を見ると、一層部の左手に石落としが突き出ているのが良く分かります。

櫓台の一部には、大型で不揃いな石を使用した箇所が見られます。
これは慶長年間(1596~1615年)頃に築かれた、白河小峰城跡の最古の石垣なんだそうです。

本丸を囲む帯曲輪の北東の出入口「矢之門」。
こちらには2階建ての渡櫓門がありましたが、その横の石垣に上にあった、2階建ての櫓と連結された形状だったとのことです。
二之丸の空堀跡と小峰城歴史館

二之丸跡の西側には空堀跡がありますが、深さはだいぶ浅いので見学用に埋められているようですね。

空堀の近くに野外展示されてた「大手門跡の礎石」。
城の正面入口にあたる大手門は、三之丸の南側中央部に位置していました。
その礎石が平成5年の市街地の発掘調査で発見され、その時の配置のまま移設したものとのこと。よく残ってましたねえ。

小峰城歴史館
二之丸エリアに設置されている「小峰城歴史館」では、城の概要や歴史が分かりやすく紹介されています。
展示室の入場は有料で一般300円です。

歴代城主の紹介や、そのゆかりの古文書・美術品などの展示が中心。
印象的だったのは、3面スクリーンの立体的な映像とともに江戸時代の城内を歩くVRシアター。
これはなかなか秀逸で、臨場感がありとても良くできていました。
小峰城歴史館
公式ページ
住所:福島県白河市郭内1-73(城山公園内)(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで) ※企画展開催中は時間が変更となる場合あり。
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)
※展示替え期間は、展示室1のみの開館となります。
※その他、臨時に開館・休館することがあります。(日程等の詳細は公式ページの開館日カレンダーを参照下さい)
入館料:一般 300円、小中高生 100円、障がい者100円 ※文化の日(11月3日)は入館無料
「二ノ丸茶屋」御城印を購入

二ノ丸茶屋
二之丸には「二ノ丸茶屋」がありますので、休憩がてら立ち寄ってみましょう。
特産品などのお土産の購入や食事ができ、御城印も販売されていました。

御城印は御三重櫓と前御門、江戸時代の歴代城主の家紋がデザインされています。200円でした。
二ノ丸茶屋
住所:福島県白河市郭内1(城山公園内)(GoogleMapで開く)
営業時間:9時30分~17時(4月~10月)、9時30分~16時(11月~3月)
定休日:年末年始・毎週水曜日(11月~3月)
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
「吉田屋」名物・白河割子そばを頂く

白河小峰城の見学のあとはランチ。
白河といえば白河ラーメンが有名ですが、蕎麦も名物。
駅からも比較的近く、地元のお客さんで賑わっていた「吉田屋」へ。

白河割子そば(5段)を注文。いや~、なんか豪勢な感じで良いですね。
食べ方は、まず1段目にツユをかけて食べ、残ったツユを2段目にかける。これを繰り返しながら食べ進んでゆきます。
見た目も楽しく、蕎麦は喉越しも良くとても美味しかった。ラーメン以外でお探しならオススメしたいですね。
吉田屋(蕎麦屋)
住所:〒961-0905 福島県白河市本町北裏7(GoogleMapで開く)
営業時間:11:00~14:30、16:30~20:00
定休日:水曜日
※白河小峰城跡から徒歩約10分(約650m)
白河のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
白河小峰城の詳細情報・アクセス
白河小峰城
住所:福島県白河市郭内(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR「東北本線白河駅」から徒歩5分
車)
・東北自動車道「白河中央スマートIC」から約10分
・無料駐車場有り(約100台)
JR新白河駅経由のアクセスについて
新幹線でJR新白河駅にアクセスし、そこから城山公園最寄りのJR白河駅を目指すルートで訪問する方も多いと思います。
新白河駅から白河駅までは東北本線の郡山行に乗車して一駅ですが、時間帯によっては新幹線到着後、40分程時間が開く場合がある。
その際、白河駅にも停車する「ジェイアール関東バス」の路線バスが新白河駅東口から運行されているので、そちら利用を検討するのも良いと思います。
ジェイアール関東バスのページ

白河小峰城に出かけてみよう!
白河小峰城は、古い石垣に囲まれた古城の雰囲気満点でした。
清水門の復元計画があるそうで、今後も見どころが増えそうなスポットとして注目ですね。
東北新幹線を使えば、首都圏からでも比較的短時間でアクセスでき日帰りも可能ですよ。
石垣のある城跡が見たくなったら、出かけてみませんか?
記事の訪問日:2024/3/17



白河周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
石垣のある城跡スポットをさらにチェック!
あわせて読みたい
江戸城の遺構が残る皇居東御苑で、巨大な天守台や番所に圧倒!【東京・千代田区】
現在の皇居には、かつて徳川将軍の居城だった江戸城があったことは良く知られます。ですが城跡として皇居を訪問する人は、案外少ないのでは?もし城好き・歴史好きであ…
あわせて読みたい
「駿府城」に2つの天守台出現!?大御所時代の家康の居城探訪【静岡・静岡市】
徳川家康は江戸幕府を開いたことから江戸在住期間が長そうですが、実は生涯で最も長い期間を過ごしたのが駿府なんですね。そんなゆかり地にある、家康が大御所時代を過…
あわせて読みたい
天守から絶景!「小田原城址」、城らしい雰囲気や造りが楽しめる【神奈川・小田原市】
「小田原城址公園」にはかつての天守閣や城門が本格的に復元されており、実に城らしい雰囲気が楽しめるスポットです。水堀を越え門を抜けると枡形と呼ばれる形状や巨大…
あわせて読みたい
秀吉が築いた石垣山一夜城は、実は総石垣の本格的な城郭だった!【神奈川・小田原市】
戦国時代末期、豊臣秀吉は天下統一の総仕上となる小田原征伐において、小田原城を見下ろす石垣山に本陣を構えました。そこで築いた天守を一夜であっという間に築城した…
さらに「城」に関する記事を探す
<a href=”//ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=3694017&pid=890454465″ rel=”nofollow noopener” target=”_blank”><img src=”//ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=3694017&pid=890454465″ border=”0″></a>
クラブツーリズムはバスツアーやテーマ旅行が充実!