江戸時代の武士たちは、どんな家でどんな暮らしぶりを送っていたのでしょう?
それを体感できるのが、日本100名城の一つである佐倉城の城下に残る「佐倉武家屋敷」です。
関東に残る武家屋敷群としては最大級のもので、土塁と生垣が続く武家屋敷通りにある3棟の屋敷が公開されています。
屋敷から佐倉城に向かう際に藩士が歩いた竹林の小道、「ひよどり坂」などもあわせて紹介。
目次
『佐倉武家屋敷通り』 関東に残る最大級の武家屋敷群
「佐倉城」 9人の老中を輩出した重要拠点

鏑木小路は佐倉武家屋敷がある場所(佐倉武家屋敷のパンフレットより)
江戸時代の佐倉城は、関東における重要な位置付けにある城でした。
佐倉藩と佐倉城
慶長8年(1603年)に、徳川家康の重臣だった土井利勝が佐倉藩藩主として入封します。
土井利勝は7年の年月を掛けて佐倉城を近世城郭へと改築し、城下町の整備をおこないました。以後、佐倉城は江戸の東に位置する重要拠点となります。
藩主には幕政の中枢を担う大名もしばしば配置され、藩主からは9人もの老中を輩出。そのことからも、佐倉城の重要性が伺えます。
中でも歴史上良く知られるのが堀田正睦(ほったまさよし)で、老中として開国政策に関与するなど幕政に大きな影響を与えました。
現在の佐倉の町割や道筋は、基本的に江戸時代のものから変わらず残っているそうです。
「佐倉藩総鎮守 麻賀多神社」 堀田正睦再建の社殿が残る

佐倉武家屋敷へは、京成佐倉駅から徒歩で訪問。距離はだいたい1km程度ですね。
武家屋敷の少し手前に佐倉藩総鎮守「麻賀多(まかた)神社」があるので、まず立ち寄って参拝しました。当社は平安時代の延喜式内社でもある、歴史ある神社です。

かつての大手門の近くに鎮座しており、歴代の佐倉城城主や家臣より篤い崇敬を受けました。
現在の社殿は、天保14年(1843年)に藩主・堀田正睦により再建されたもの。神社には堀田家の甲冑などが宝物として残っています。
「居住の制」で身分毎の屋敷様式を厳しく規定

そしてこちらが佐倉武家屋敷のある、「鏑木小路(かぶらきこうじ)」と呼ばれた武家屋敷通りです。
城下の東に位置しており、家老をはじめ、かつて佐倉藩藩政をささえた上級・中級武士の屋敷が立ち並んだ武家屋町でした。
屋敷の大半は取り壊されましたが、土塁や生垣が当時の面影を残しています。関東ではこのような武家地の景観は、なかなか見れないですよね!貴重。
明治になると佐倉城跡には陸軍兵営が設置されましたが、武家屋敷もそのまま軍人屋敷に転用されたため、更地にならずに済んだそうですよ。

当時は幕府が”天保の改革”などの経済緊縮をおこなった時代で、佐倉藩でも堀田正睦により「天保の御制」と呼ばれる藩令が定められました。
その中の「居住の制」では、身分による屋敷の規模・様式がかなり細かく決められていた。

(佐倉武家屋敷のパンフレットより)
制約の一覧を見ると、かなり細かい点まで決められているのに少々驚きますよね!
公開されてる3棟の屋敷はそれぞれ大屋敷・中屋敷・小屋敷にあたるので、その違いに注目しながら見学してみたいと思います。
「旧河原家住宅」 三百石以上の武士が住んだ大屋敷

屋敷の見学は有料なので、旧河原家住宅入口で入場券を購入してのスタートです。
最初の「旧河原家住宅」は、三百石以上の武士が住んでいた大屋敷にあたるもの。
大屋敷というと長屋門でもばーんと建ってそうですが。。。、案外簡素ですねえ。建物は千葉県の有形文化財に指定されています。
ちなみに「居住の制」は、”家つくりは如何にも軽くいたし、造作なども面々に応じ美麗に及ぶべからず”という厳しい序文で始まっているとのこと。

入口に面した場所には、「座敷」と呼ばれる客間がある。客人を招くことは藩士の大事な仕事の一つだったそうだ。
こちらの屋敷は他の場所から移築されたもので、その際、欠落していた客座敷と玄関が復元されているとのこと。
受付窓口で、「屋敷の格の違いは、外壁の色に注目してみて下さい」とのアドバイスを頂いていた。どれどれ、最初の大屋敷は漆喰で仕上げられた白壁ですね。

屋内での注目ポイントは畳。
ヘリが付いている畳を客間に使うのはOK!一方、生活空間ではヘリのない畳が使用されました。大屋敷といえども肩身が狭いですなあ。。。
武家屋敷の大半は藩が所有しており、それを藩士に貸し与えていた。いわゆる社宅ですね。
藩士の身分の変化や転封の発生などにより、住人が変わることも多々あったそうです。
ちなみに、旧河原家住宅の見学は通常は外側からのみとなります。

座敷の奥には次の間・居間が続く、奥行きのある造りです。
建築年代は不詳ですが、建築様式や構造・部材などから、佐倉に残る武家屋敷では最も古いものとされています。

当時の姿をとどめる茅葺屋根。

裏手の土間にある竈(かまど)が置かれています。その先の茶の間にはヘリなしの畳が見える。

屋敷の裏手には、菜園などが設けられました。
隣の屋敷との境目には木が植えられ、屋敷背後の斜面は竹林となっています。

風呂はちょっと狭そうだなあ。。。
「旧但馬家住宅」 甲冑の展示で雰囲気満点!

次の「旧但馬家住宅」は百石以上の武士が住んだ中屋敷ですが、門構えは旧河原家住宅と似たような感じですね。
屋敷の建物は、佐倉市の有形文化財に指定されています。

旧但馬家住宅は元々この場所に建っていたので、屋敷地の形状や植栽などがより当時のまま残っている点が見どころとなります。
先の旧河原家住宅は直線的な建物でしたが、こちらは庭を囲むようなコの字型の間取りですね。敷地内の庭には見学者向けの休憩スペースがありました。

壁のつくりに注目して見ると、なるほど、こちらは土壁が露出していますね。白壁ではないので、ちょっとグレードが落ちる感じかあ。屋根はこちらも茅葺屋根。

旧但馬家住宅と次の旧武居家住宅は、屋敷内に上がっての見学ができます。こちらは客人を迎える「座敷」。

そしてこちらの甲冑の展示が、武家屋敷の雰囲気を盛り上げてくれます。これは佐倉藩士が使用していた、当世具足(とうせいぐそく)と呼ばれる甲冑の復元品です。
甲冑は武士の備えとされましたが、江戸時代においては実戦での使用はほとんどなかったようですね。
特別公開と甲冑試着会について
年に数回、下記の特別イベントがおこなわれます。
・通常上がれない旧河原家住宅の座敷に上がっての見学。
・旧但馬家住宅で、復元した佐倉藩士の甲冑を試着できる。大・中・小の甲冑があり、親子そろっての体験も可!
<<実施予定>>
2月11日(建国記念日)、4月29日(昭和の日)、5月5日(子どもの日)、9月第3月曜日(敬老の日)、11月3日(文化の日)、11月第4土曜日(*甲冑試着の実施は無し)
※日程は変更される可能性あり。佐倉市ホームページ等で確認してからお出かけ下さい。
「旧武居家住宅」 武家屋敷に関する資料展示

最後は百石未満の藩士が住んだ小屋敷である「旧武居家住宅」。門は脇板がなく、より簡素な造りだ。
現在はこの門からは入場できず、旧河原家住宅の裏手から入る経路でした。

旧武居家住居は、江戸末期における小規模な武家屋敷の典型例として貴重なんだそうだ。そのため、国登録有形文化財に指定されているとのこと。
屋敷の格式は他の2軒より下ですが、文化財としては格上だったりするのね。
こちらも他所より移設・復元された建物で、その際に茅葺き屋根が銅板葺きに変更されています。

入口に土壁の構造見本があった。旧武居家住居の壁も、漆喰仕上げのない土壁でした。

入った先に「天倫の桜」という、スマホゲームのキャラクターのボードがあった。
天倫の桜は佐倉市が提供するサムライRPGゲーム。佐倉市への関心を高めるために、製作されたんだとか。へえ~、という感じ。若者への認知度アップにつながっていると良いですな。
「佐倉市サムライRPG・天倫の桜」のページ

小屋敷は他の2軒より、やはり簡素な感じの造りだ。畳のヘリ付は玄関と座敷のみ。

住宅内の半分は展示室になっており、武家屋敷やその復元に関する資料を展示。
復元では可能な限り伝統的な工法をとり、極力が古材が再利用されたそうだ。

江戸時代の佐倉城大絵図には、侍屋敷が160数軒描かれています。
右端の下の方が現在いる場所で、左手下の色塗り部分が集中している辺りが佐倉城城内です。

移築にともない出土された、陶磁器の展示。

胞衣埋納容器(えなまいのうようき)。
胞衣は出産後に排出される胎盤やさい帯(へその緒)のことで、それを埋納するため容器です。胞衣を大切にする習慣は日本古来よりがあったそうです。
佐倉武家屋敷のボランティアガイドについて
・10名以上の団体より受付。原則、見学希望日の10日前までに申請が必要。
・土曜日・日曜日・祝日は、ボランティアガイドが施設に常駐。個人で案内を希望する場合は、入館時に受付で申し出てください。
「侍の杜」 武家屋敷跡の緑地公園

3棟の武家屋敷の先には、「侍の杜」という施設があります。
これは武家屋敷2家分あった敷地を、市民緑地として無料公開しているもの。

入ってすぐあるこの脇道は、使用人や裏庭の畑を耕すための農民が出入りするための迂回路の跡。

敷地内には武家屋敷の植栽景観が再現されている。明治時代に建てられた武家屋敷の造りの建物もあります。
「ひよどり坂」 藩士が歩いた竹林の小道

武家屋敷を見学したのちに是非歩いてみたいのが、武家屋敷通りの西側外れにある「ひよどり坂」。

ここは藩士たちが、佐倉城城内に向かう際に通ったといわれる坂。竹林に囲まれた、なかなか雰囲気のある小径です。

この景観は江戸時代からほとんど変っていないとのこと。木洩れ日による独特な光の加減で、フォトジェニックな空間が楽しめます。
かつて藩士もここを歩いたんだな~、と思いつつ坂を抜けます。

ひよどり坂を下り切ったところ。
左手の道を進むと、大手門跡やその先の佐倉城城址公園へと通じる道に出ます。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
佐倉武家屋敷の詳細情報・アクセス
佐倉武家屋敷
公式ページ
住所:千葉県佐倉市宮小路町57番地(GoogleMapで開く)
開館時間:9~17時(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、年末年始(12月28日~1月4日)
入館料:
佐倉武家屋敷入館料:一般 250円、学生 120円
三館共通入館券:一般 600円、学生 300円
*土曜日・日曜日・祝日は小中学生は無料。
*三館共通入館券は、武家屋敷・旧堀田邸・佐倉順天堂記念館の3館が割安共通券。各館にて販売。
*三館共通入館券は当日限り有効、1人各館1回ずつ入館できます。
アクセス:
電車)
・「JR佐倉駅」下車、徒歩約15分
・「JR佐倉駅」下車、京成佐倉・田町車庫方面行バスにて「宮小路町」下車、徒歩約5分
・「京成佐倉駅」下車、徒歩約20分
・「京成佐倉駅」下車、JR佐倉駅方面行バスにて「宮小路町」下車、徒歩約5分
車)
・駐車場あり(普通車10台)
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周辺おすすめスポット(佐倉城址公園ほか)
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佐倉城址公園
土塁や空堀で守られた江戸時代の城跡で、多くの遺構が残り見ごたえがあります。
佐倉武家屋敷とともに訪問したスポットです。
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佐倉城址公園
住所:千葉県佐倉市城内町官有無番地(GoogleMapで開く)
※佐倉武家屋敷からは徒歩約20分(約1.5km)。バスにて最寄り「国立歴史民俗博物館入口」まで約13分。
国立歴史民俗博物館
佐倉城址公園に隣接した、日本の歴史や文化をテーマにした博物館。
国立の博物館だけあって、展示物はかなりのボリュームがある。時間の余裕を持って出かけたい。
\ 佐倉の返礼品は農産物や加工品が種類豊富で目移りする!/
佐倉にある貴重な武家屋敷を訪問しよう!
関東に残る最大級の武家屋敷群である、佐倉武家屋敷を紹介しましたがいかがでしたか?
こういう風情が残る場所が関東にもあったのかあ、とちょっと驚きました。
江戸時代末期の武士たちの、結構リアルな生活ぶりに触れることができました。時代を反映してか、
結構質素な暮らしぶりだったことに驚きました。
江戸時代にタイムスリップできる、佐倉武家屋敷に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/8/11




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