江戸時代に草加市にあった宿場町「草加宿」は、日光街道の宿場町のなかでは比較的規模の大きな宿場町でした。
草加宿の歴史をたどりながら、かつての宿場町の面影を探しつつ旧街道を歩きます。
さらに旧街道の綾瀬川沿いには、かつてこの地を訪れた松尾芭蕉にちなんだ「おくのほそ道の風景地 草加松原」として整備されており、国指定の名勝にもなっている風光明媚な景観が広がります。
目次
『草加宿、旧日光街道を歩く』
日光街道は江戸時代に整備された、五街道のひとつです。
江戸日本橋から徳川家康を祀る日光山への主要道として整備され、全長は約142kmに及びます。
日本橋を出て千住宿を過ぎると次の宿場町から現在の埼玉県に入り、県内では草加宿・越ヶ谷宿・粕壁宿・杉戸宿・幸手宿・栗橋宿と、6か所の宿場町が続きました。
草加宿は日光街道の2番目の宿場町で、埼玉に入って最初の宿場町になります。
草加せんべいで有名な町
宿場町だった草加市は埼玉の県南に位置しており、東京都足立区に隣接しています。
今回は電車での訪問でした。
草加は初めての訪問でしたが、東武線の草加駅前には商業ビルがドンと立ち、利便性が良さそうな雰囲気です。
草加市のイメージは?と聞かれれば、「草加せんべいで有名」と市外の人は私と同様に答えるだろうなあ。
訪問時も駅前のベンチに誰か座っているなと思ってよく見たら、せんべいを頬張る女の子の像だった!
人だと思ったのでちょっとビックリした、マジで(苦笑)。
ということで、まずは宿場町があった旧日光街道に向かって歩いてみます。
「藤城家」 江戸時代の商家
草加駅東口から真っすぐ5分程歩くと、かつて草加宿があった旧日光街道にぶつかります。
宿場町の起点は500mほど南側の草加市役所前で、そこから北に約1.5kmほど宿場町が続きます。
旧街道を歩きだすとすぐに目に入ってきた古い建物が、こちらの「藤城家」。
綺麗にお屋敷が一式残っていますね。
通りに面した2階建ての店舗は、昭和初期の商家造り。
張り出した庇部分が特徴の1階は土間と畳敷きがある帳場で、2階は畳敷きの座敷だそうです。
後方には、母屋と繋がった土蔵造りの「内蔵」が続きます。
その横には明治初期建造の「外蔵」が並びます。
藤城家は宿場町の面影を伝えるものとして、国有形文化財に登録されています。
ちなみに建物は現在も使用されており、内部の見学はできません。
日光街道の宿場では規模が大きかった草加宿
江戸時代末期の天保14年(1843年)頃の草加宿の規模は、戸数723戸で人口は3,619人でした。
軒を接して家屋がならび、本陣・脇本陣が各1軒、そして旅籠屋の数は67軒あったといいます。
これは城下町を除いた日光街道の宿場町の中では、千住・越ヶ谷・幸手に次ぐ規模でした。
旧宿場町のちょうど真ん中辺りに、本陣の跡碑が立っています。
本陣はひらたく言うと、一定の身分の人が泊るための高級旅館ですね。
「大川本陣」は宝暦年間(1751年~1764年)に置かれた本陣とのこと。
道の向かいには「清水本陣」の跡碑が立ちます。
宝暦年間以降、明治時代まではこちらが本陣の役割を担いました。
ちなみに草加には、天明4年(1784年)と明治3年(1870年)の2度にわたり、記録に残る大火が発生しています。
特に明治の大火では宿内の85%が被災し、焼失家屋は450軒ほどに上りました。
そのため草加宿の古い建物は、残念ながらほとんど残っていません。
草加宿を起こした大川図書と「東福寺」
通りから少し奥まった場所に「東福寺」があります。
ここは草加宿の祖とされる大川図書(ずしょ)が慶長11年(1606年)に創建した寺で、境内には大川図書の墓もあります。
山門や鐘楼、そして本堂の外陣の彫刻欄間が、市指定有形文化財となっています。
門には繊細で柔らかいタッチの見事な彫刻には、元治2年(1865年)の銘があるそうです。
ここで大川図書と草加宿の歴史を紐解いてみましょう。
草加宿が成立する前の日光街道は、日本橋を出たのち最初の宿場町の千住宿を過ぎると、次の宿場町は現埼玉県の越ヶ谷宿でした。
当時この千住宿と越ヶ谷宿間には沼地が多く、大きく迂回する必要がありました。
慶長11年(1606年)、これを大川図書が沼を埋め立てし、真っ直ぐに通行できる新道を開いたといわれます。
その後、幕府により千住・越ヶ谷間の宿場設置が命じられ、寛永7年(1630年)に草加宿が設置されました。
この功績から、大川図書は草加宿の開拓者とされています。
元々は大川図書は土本氏を名乗る武士として、小田原北条氏(後北条氏)に仕えていた人物とのこと。
鐘楼は文久2年(1862年)の刻銘があり、時代が明記された貴重な建造物です。
鐘楼に木鼻の彫刻があるのも珍しくないですか?
凝った彫刻も見応えがあります。
「せんべい屋」 手焼き体験も楽しい!
旧街道周辺には、やはり名物のせんべい屋が沢山ありました!
手焼き体験ができる店もあるので、色々立ち寄ってみるのも楽しそうです。
せんべい屋だけじゃなくて、新しい感じのお店もあります。
こちらは行列ができる人気のパン屋でした。
無料休憩所「草加宿神明庵」、御宿場印も販売!
旧草加宿の北側にある「草加宿神明庵」は、無料休憩所を兼ねた観光案内所。
江戸時代末期の町家建築物が、リノベーションされて使われています。
市民ボランティアの方によって運営されており、アットホームな雰囲気でした。
お茶をごちそうになり、ちょっと一息つけました。
2階はちょっとしたギャラリーになってます。
訪問後日の話になりますが、日光街道の旧宿場町で訪問記念の「御宿場印」の販売が始まりました。
草加宿の御宿場印はこちらの神明庵で販売開始されましたので、後日再訪問して購入しました。
1枚300円でした。
これはさらに宿場町歩きが楽しくなりますね!
\ 日光街道の御宿場印については、こちらの記事へ!/
無料休憩所 草加宿神明庵
公式ページ
住所:埼玉県草加市神明1-6-14(GoogleMapで開く)
営業時間:11時~16時
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日が休館)、年末年始
「神明宮」草加宿の総鎮守
そして旧街道が県道足立越谷線にぶつかる手前の「新明神社」が、草加宿の北側の終点になります。
元和元年(1615年)に創建され、正徳3年(1713年)に宿の総鎮守として現在地に移転されたと伝わります。
『おくのほそ道の風景地 草加松原』名勝地で街道風情を楽しむ
河合曾良の像と「おせん公園」
県道足立越谷線の手前の広場に、松尾芭蕉の門人で、おくのほそ道紀行で旅路を共にした河合曾良(かわいそら)の像がありました。
どうやら先を行く芭蕉に、何か声掛けしているように見えますね。
そしてその向かいには、「おせん公園」なる公園がありました。
「草加せんべい発祥の地」の石碑がせんべい形なのはなんとなく分かったが、背後の棒状の碑はせんべいを焼く箸の形だ、っていうのはちょっとマニアックすぎますね(苦笑)。
それはともかく、草加せんべいのルーツに関する解説板があった。
・日光街道草加松原にあった茶屋では、おせんさんの作る団子が評判だった。
・おせんさんは団子が残ると捨てていたが、それを見た侍が「つぶして乾かし、焼餅として売っては?」と提案。
・おせんさんがそれをつくり売りだしたところ大評判で、日光街道の名物となった。
なるほど。
色々疑問点も湧きましたが、本日の本題ではないのでここまで。
「札場河岸公園」 江戸時代の舟運河岸を再現
草加市の中心部の南北には綾瀬川が流れます。
旧日光街道はその川筋に沿って続きますが、その川沿いは「おくのほそ道の風景地 草加松原」として整備されています。
おせん公園から道路を隔てた場所には、かつての河岸の面影を再現した「札場河岸(ふだばかし)公園」があるのでまずはそちらへ。
入口に架かる橋は、レトロな雰囲気でなかなか良い感じです!
江戸時代の綾瀬川は草加と江戸をむすぶ重要な運河として、多くの舟が行き交っていました。
当時の河岸を再現したのが、この札場河岸になります。
こちらの五角形の立派な望楼(ぼうろう)が、公園のランドマークとなっています。
特定の建物の復元物ということではないようです。
それでもってこの建物、けっこう凝った造りになってますよ。
建築材には埼玉県産のスギ・ヒノキを使用し、内部は螺旋式階段になっており、おお~って感じです。
9時~17時までは建物内に入ることができます。
高さ約11mの望楼の頂上階からの展望。
川沿いに桜並木があるので、桜の季節には絶景が拝めそうですね!
公園一角にある「甚左衛門堰(じんざえもんぜき)」は、綾瀬川と伝右川の間で用水量を調整する役割だった施設。
明治27年(1894年)から昭和58年(1983年)まで、約90年間使用された県指定の文化財です。
札場河岸公園には、江戸時代と明治時代の河川史跡が共存していました。
「松尾芭蕉像」 おくのほそ道紀行で草加に立ち寄り
「おくのほそ道の風景地 草加松原」で一貫したテーマになっているのが、かつて「おくのほそ道」の旅で草加宿に歩みを残している松尾芭蕉です。
札場河岸公園の北側には、松尾芭蕉の像があります。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは、江戸時代の元禄2年(1689年)。
江戸深川から舟で千住宿へ渡り日光街道を北上しますが、粕壁(現、春日部)へ向かう道中に草加宿が登場します。
この像は「おくのほそ道」旅立ち300年を記念して、昭和64年(1989年)に市民有志により製作されたものです。
この芭蕉の像、日光方面ではなく江戸の方角をふり返っています。
これは先ほどあった弟子の河合曾良(かわいそら)の像を思いやっての視線なのか、はたまた江戸にしばしの別れをつげている場面なのか。
「草加松原公園」松並木の街道を再現
札場河岸公園を起点として綾瀬川岸沿いの遊歩道があり、約1.5kmにわたるその両側に「草加松原」と呼ばれる松並木が続いています。
並木道は、江戸時代より日光街道の名所として知られてきたそうです。
現在は国指定名勝「おくのほそ道の風景地 草加松原」の名称で、都市公園として整備されています。
風光明媚な情景がとても素敵な場所です!
「矢立橋」 和風の太鼓橋
草加松原では、2つの和風の大きな太鼓橋が風情を感じさせてくれます。
コンクリート製ではありますが、茶色の木目調のデザインで雰囲気たっぷり!
橋に上がると、川沿いに続く松並木を俯瞰できます。
こちらの「矢立橋(やたてばし)」の橋名は、おくのほそ道の句からとられています。
東京スカイツリーの高さにちなむ634本の松並木
もう一つの太鼓橋「百体橋」の名も、おくのほそ道の句から命名されてます。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」。
常夜灯が古風なムードを添えています。
この松並木は、実は江戸時代から残っているものではないんですね。
明治時代に806本あった松は、戦後になると車の排気ガスや道路舗装で本数が減少。
地元関係者や市・埼玉県の整備による努力で、平成24年(2012年)に東京スカイツリーの高さにちなむ634本の松並木を復活させました。
味わいのある景観は、地元努力のたま物ということだったのですね。
植林する本数をスカイツリーにちなむのが、東武鉄道沿線の街ならではですな。
百代橋のたもとにの「松尾芭蕉文学碑」。
草加松原はとても気持ち良い散策路でした。
日光街道や奥州街道を歩いてみませんか?
持ちやすさや見やすさを考慮した、ハンディサイズがありがたいガイドブック。
草加宿街歩きマップ・ 草加へのアクセス
草加へのアクセス
電車)*最寄り駅は東武「浅草駅」
・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)「浅草駅」から「草加駅」まで約25分
・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・東京メトロ日比谷線「上野駅」から「草加駅」まで約25分
車)
・首都高速「八潮南IC」から草加市街まで約5キロ
・東京外環自動車道「草加IC」から草加市街まで約3キロ
草加ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\ 草加せんべいはもちろん!他にも日用品が充実しているみたい!/
周辺おすすめスポット(歴史民俗資料館ほか)
草加市歴史民俗資料館
草加駅近くにある歴史民俗資料館は、国登録有形文化財指定の大正時代の建物を見るだけでも価値あり。
資料館には草加宿の復元模型などもあり、草加宿を知るのに興味深い。
草加市歴史民俗資料館
案内ページ
住所:埼玉県草加市住吉1-11-29(GoogleMapで開く)
入場料:無料
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
草加神社
草加宿とも関りが深い草加総鎮守。静かな境内で落ち着いて参拝出来ます。
季節感のある御朱印が人気。
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草加神社
住所:埼玉県草加市氷川町2118-2(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「草加駅」西口より徒歩5分
車)
・外環自動車道「草加IC」10分
・首都高速川口線「新郷IC」より15分
・駐車場完備(15台分)
蔵カフェ 中屋
150年前の染料問屋の倉庫だった蔵を、リノベーションして営業している人気のカフェ・レストラン。
草加宿歩きの際にも立ち寄りやすい場所にあり、雰囲気もバッチリ。
蔵カフェ 中屋
公式ページ
住所:埼玉県草加市住吉1-1-1(GoogleMapで開く)
営業時間・営業日:ランチ&カフェ:11時〜18時(定休日:月・火曜日)・ディナー:18時~22時(水~土曜日)
日光街道 旧越ヶ谷宿歩き
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旧草加宿を街歩きしましたが、いかがでしたか?
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みなさんも、宿場町・草加に歩きに出かけてみませんか?
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