利根川と江戸川が分かれる千葉県最北端の地、野田市関宿。ここにはかつて、戦国時代に関東の勢力図を左右した「関宿城」がありました。
現在は壮麗な御三階櫓を再現した博物館として、多くの歴史ファンや城好きが訪れています。
本記事では、小田原北条氏が執着した激戦の歴史から、江戸の物流を支えた関所、そして御城印情報まで、現地を歩いて徹底レポートします!
目次
関宿城とは?戦国・江戸時代の重要拠点としての歴史
関宿合戦:小田原北条氏が「一国にも代えがたい」と評した激戦地
到着して駐車場を出るとすぐに、本格的な天守閣風の建物が目に入ってきました。

施設紹介のその前に、まずは関宿(せきやど)城がどんな城だったのか?その歴史を振り返っておきましょう。
関宿城の歴史概略
■元々の起源は不詳ですが、長禄元年(1457年)に古河公方家臣である簗田(やなだ)氏がこの地に城を築城し、その後、梁田氏が100年程当地を支配しました。
■天正2年(1574年)には小田原北条氏が支配する城となります。
■天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐において、前田利家・上杉景勝・宇喜多秀家らの大軍包囲に屈して開城します。
■その後、徳川家康の関東移封に際し、家康の実弟・松平康元(やすもと)が関宿藩主として2万石の領地を与えられて入封。その後も藩主には譜代大名が配されました。
100年続いた簗田氏の支配ですが、実はこれは決して平穏な期間ではありませんでした。
関宿城が関東平野中心部に位置する河川交通の要衝にあったことから、戦国時代には激戦の地となった。
特に簗田氏と小田原北条氏との間で起きた3度の「関宿合戦」は、約10年間もの期間に渡る激しい戦いとなりました。
関宿合戦
■第一次関宿合戦(1565年〜):永禄8年(1565年)、北条氏康・氏政父子が岩付城・江戸城を拠点に、関宿城の攻撃を開始。簗田晴助の堅固な守りと、上杉謙信の関東進出の報を受けた北条方の撤退により、簗田氏が死守。
■第二次関宿合戦(1568年〜) 永禄11年(1568年)、北条氏照が関宿城至近の栗橋城から攻撃を仕掛けた。しかし北条氏が武田信玄の侵攻を受け三方に敵を抱えたため、越相同盟の成立に伴い上杉謙信の仲介で休戦。
■第三次関宿合戦(1573年〜1574年):天正元年(1573年)から北条氏照が再度攻撃を開始し、翌年には北条氏政も加わる総攻撃となった。3万超の軍勢に包囲され兵糧も尽きた簗田氏は城を明け渡し、長年にわたる関宿支配は終焉を迎えました。
北条氏には異常なまでの関宿城への執着ぶりが感じられますが、北条氏康は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」と評する程、関宿城を重要していました。
事実この勝利は、北条氏の北関東進出への大きな足掛かりとなります。
江戸近郊を守る重要拠点として、譜代大名を配置
現在の関宿城跡は千葉県県立関宿城博物館となっています。

関宿城博物館の入口
入口には木橋風の太鼓橋が架かり、その先に高麗門が控えるという雰囲気のある造りだ。

関宿城は江戸時代になると、佐倉城(千葉県)・忍城(埼玉県)などとともに、江戸近郊を守る重要拠点の一つとなります。
初代藩主には、徳川家康の異父弟である松平康元が入城。その後も牧野氏・板倉氏・久世(くぜ)氏など、譜代大名が配されました。
中でも統治した時代が最も長かったのが久世氏。老中などの要職にも就き、幕政においても重要な位置を占めていました。
門の屋根下についているマークも「久世鷹の羽」と呼ばれる久世氏の家紋なので、久世氏の時代の城郭がイメージされているのでしょう。
現在の見どころ:「関宿城博物館」関宿城と関東の河川整備の歴史を知る
関宿城博物館は御三階櫓を再現した博物館施設
関宿城博物館が開館されたのは平成7年(1995年)11月。利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防(高規格堤防)上に建てられています。

建物はかつて天守の役割をしていた御三階櫓を、鉄骨鉄筋コンクリート造で再現したもの。
見本となった御三階櫓は、寛文11年(1671年)に江戸城の富士見櫓をモデルに再建されたものだったとのこと。
ちなみに櫓が建っていた本丸は実際はもっと南側にありました。後程そちらにも立ち寄ってみます。
関宿城博物館:関東近郊の治水や水運の歴史を知ることができる施設

関宿城博物館は「河川とそれにかかわる産業」がテーマの博物館。
関東近郊の河川改修や水運の歴史を中心に、関宿城や関宿藩の歴史についても展示・紹介がされています。

入口に置かれていた蛇籠(じゃかご)と呼ばれる籠状のものは、河川工事に使用される器具。
水害復旧や河川改修の際、これに石などを詰め込み川底に入れて、流れを調整するんだそうだ。
昔は竹で編まれたものが使われていましたが、素材を変えつつ、現在も使用されている手法とのこと。
普段知る機会が少ない分野ゆえ、勉強になりますねえ。

見学料の300円を払って館内へ。外観の見た目よりも中は広そうだ。
4階建ての館内はエレベーターも完備されており、各所でバリアフリー対応されている近代的な施設となっています。
1階は常設展示室。
第一展示室・第二展示室では近現代・近世における房総の河川や、利根川・江戸川整備の歴史などが紹介されています。
利根川東遷とは?伊奈氏による江戸を救った世紀の大事業
こちらは江戸時代を中心におこなわれた、「利根川東遷(とうせん)事業」の紹介。

近世初頭の利根川の本流(赤線)
当時の利根川の本流は現在と違い、写真のパネルにあるように関東の中心部を南下して、東京湾(江戸湾)へと流れていた。
そのため、ひとたび大雨になると合流する荒川などと共に、江戸周辺に甚大な水害をもたらしました。
伊奈氏による利根川東遷事業
徳川家康は江戸の治水と利便性向上を目的に、大規模な河川改修事業をおこないます。
その中核を担ったのが、関東代官・伊奈忠次(ただつぐ)を中心に進められた利根川東遷(とうせん)事業です。
これは利根川の流路を東へ変え、最終的に銚子から太平洋へ注ぐようにするという壮大なもの。工事には利根川・荒川の分流、さらに小貝川や渡良瀬川の改修も含まれました。
事業は忠次の死後も子の伊奈忠治に引き継がれて続き、約60年の歳月をかけ17世紀中頃までに現在の流路がほぼ完成しました。
この事業によって大きく3つの効果が得られました。
■その1:江戸を直撃していた洪水被害が劇的に軽減され、都市の安全性が確保された。
■その2:湿地帯だった広大な関東平野が干拓され、大規模な新田開発によって幕府の経済基盤が支えられた。
■その3:東北と江戸を繋ぐ水運網が整備され、関宿城などの拠点を経由して物資が安定供給されるようになった。
現在の関東圏の生活基盤にも繋がっている、日本の国土軸を書き換えた世紀の大事業だったといえそうですよ。
\ 江戸の治水ヒーロー・伊奈氏の足跡を辿るならこちら!/
「関宿関所」関宿藩が利根川・江戸川の交通を監視

江戸川は、利根川東遷事業の一環で人工的に開削・整備された河川でした。
利根川から分流させ、東京湾へと至る南北の水路を確立したことで、東北方面の物資を江戸へ運ぶ水運の幹線ルートとなります。
その利根川と江戸川のちょうど分岐点に位置していたのが関宿。
江戸・地方間を往来する船が必ず通る場所だったため、江戸川に突き出た「棒出し」と呼ばれる堤防の上に、江戸幕府による「関宿関所」が設置されました。

棒出し築造に、蛇籠が大量に使用されているのが分かる
関所の通行には通行手形が必要とされ、関宿藩による管理のもと、舟の積み荷も厳しく改められました。
そもそもの関所は軍事・政治統制のための施設ですが、関宿関所は水運・物流・治安監視をおこなう「物流統制拠点」としての役割が色濃かったようだ。
ちなみに棒出しが造られたそもそもの目的は、利根川・江戸川の水量調節。昭和の水閘門が完成するまで、棒出しは残っていたそうです。
蔵の街並みや高瀬船を再現した展示室
第三展示室に再現された水運のある町は、なかなか雰囲気がありました。

中央に置かれている模型は、地方と江戸間の河川舟運で活躍した高瀬船。浅瀬でも航行できるよう、船底が平らなのが最大の特徴だ。
風がある時は帆を使用し、川を上る際は岸から人が「曳舟(ひきふね)」をおこなう人力併用の運行だった。

2階では江戸時代を中心とした地図の変遷を紹介する、「地図は世につれ人につれ」という企画展示展が開催されていた。
3階の多目的室では、関宿藩士が所用していた江戸時代の甲冑などを展示。

天守閣の4階最上階は展望室となっており、河川敷ならではの広々とした周囲の眺望が望めます。
本日は、見慣れた河川の風景も先人達の努力によって築かれたものと知り、見学の後は少し違った風景に見えてきました。
城好き必見!本物の”本丸跡”を訪ねる
博物館から堤防沿いに徒歩10分、真の「関宿城跡」へ
冒頭に少し触れましたが、元々の本丸があった場所は博物館から少し離れた場所で、700mほど南に歩いた所にあります。

こちらが元々の本丸跡。
江戸時代には本丸を中心に二の丸・三の丸が配置され、そこには侍屋敷などの多くの建物が建ち並んだといいます。

敷地の広さは本丸・二の丸・三の丸部分だけでも、約6千坪もあったとのこと。

明治時代になると関宿城は廃城となり、明治8年(1875年)末には全て破却されます。
さらに明治以後の河川改修により、城の約3分の2は堤防の下に埋もれました。
江戸時代に重要視された城の痕跡が石碑のみ、というのは非常に残念。
関宿城博物館休憩所、御城印の販売も

敷地内には遊具が設置された「関宿にこにこ水辺公園」があり、子供連れの憩いの場となっていました。
そのほか動物のオブジェがあるアートな空間や、無料で見学できる日本庭園があったりと、博物館意外にも案外見るものがあった。
また、北側の江戸川沿いの川べりにある「中之島公園」からは、昭和2年竣工の「関宿水閘門」を見ることができます。
河川敷はサイクリングコースとしても人気ですよ。

こちらは無料の休憩所、兼みやげ物屋。
営業時間は9:30~16:00で、博物館の休館日は定休日です。

休憩所で発売されていた御城印を記念に購入。
関宿城博物館と富士山をあしらったデザインのもので、1枚300円。
実は関宿城博物館は「関東の富士見百景」の一つで、特に冬の晴れた日には天守閣越しの富士山という、実にフォトジェニックな景色に出会えるそうですよ!
無料駐車場も完備!アクセス詳細と近隣立寄りスポット
関宿城博物館の詳細情報・アクセス
関宿城博物館
公式サイト
住所:千葉県野田市関宿三軒家143-4(GoogleMapで開く)
開館時間:9:00~16:30
休館日:毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)、年末年始
入場料:一般 200円、高・大生100円 *企画展開催中の入場料 一般 300円、高・大生150円
※次の方は入場無料。中学生以下、65歳以上の方(年齢を証明できるものをご提示)、身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳・療育手帳をお持ちの方及びその介護者
アクセス:
電車)
・東武アーバンパークライン「川間駅」北口から朝日バス(境町行き)約32分、「新町バス停」下車、徒歩15分
・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)「東武動物公園駅」東口から朝日バス(境車庫行き)27分、「新町バス停」下車、徒歩15分
車)
・圏央道「境古河IC」から13分、「五霞IC」から15分
・国道16号線中里陸橋から25分
・新4号バイパス幸手市菱沼交差点から10分
・無料駐車場有り(100台)
おすすめの近隣立寄りスポット
関宿城跡を見学した後に、あわせて立寄りたい関連スポットを紹介します。
関宿関所跡

江戸川堤防のたもとには「関宿関所跡」の跡碑があり、かつてこの辺りに関所があったことを偲ぶことができます。
住所:千葉県野田市関宿江戸町150(GoogleMapで開く)
実相寺
簗田氏が関宿城に入ったときに水海村(茨城県総和町)から移したと伝わる寺院。境内に関宿城本丸から移築した客殿があり、貴重な建物の遺構を見ることができます。
本堂には久世家歴代の藩主と奥方の位牌を安置。また墓地内には終戦時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎氏などの墓があります。
住所:千葉県野田市関宿台町2140(GoogleMapで開く)
逆井城跡公園
公園内には関宿城から移築されたと伝わる、薬医門が残っています。堀切なども残っており、城跡としての見どころも多いです。
住所:茨城県坂東市逆井1262番地(逆井城跡公園内)(GoogleMapで開く)
周辺の食事処・カフェスポット
関宿城周辺は飲食店が限られるため、食事処やカフェスポットに迷ったらチェクしてみて下さい。
【食堂】けやき茶屋
博物館のすぐ足元にあり、城を眺めながら食事ができる最も便利なスポット。「もつ煮定食」や、サイクリストに人気の「そば・うどん」が楽しめます。
住所:千葉県野田市関宿三軒家233(GoogleMapで開く)
【蕎麦】長命庵
地元で人気の蕎麦処で、こだわりの十割蕎麦や天ぷらが評判。落ち着いた雰囲気で食事を楽しみたい歴史ファンにおすすめ。
住所:千葉県野田市関宿台町1674(GoogleMapで開く)
【カフェ】HOSHIIMONO 100Cafe(ほしいもの100カフェ)
関宿から橋を渡った対岸(茨城県境町)にあり、特産の干し芋を使ったスイーツが楽しめる。建築家・隈研吾氏によるデザインの建物も一見の価値あり。
住所:茨城県猿島郡境町1459-1(GoogleMapで開く)
【記事の参考にした情報】
・千葉県立関宿城博物館
・関宿と梁田氏 千葉県野田市・茨城県境町・茨城県五霞町
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
タモリさんならではの視点で、成田山の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
野田市のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!

気軽にお城気分が味わえる関宿城は、日帰りドライブの穴場スポット!
壮麗な再現櫓に目がゆく現在の関宿城博物館ですが、その周囲に広がる景色にも目を向けると、戦国大名たちが奪い合った「水運の要衝」としての記憶が重なってくる。
かつてこの地で北条氏の野望を阻み続けた梁田氏の知略や、江戸の町を水害から救った伊奈忠次の情熱に思いを馳せながら歩いてみると、何気ない堤防の風景も違ったものに見えてくるはずです。
関宿城を訪れた後は、ぜひ江戸の治水を支えた伊奈氏ゆかりの「赤山陣屋」や、同じく千葉の要衝である「佐倉城」の記事もチェックしてみてください。
関東の歴史が点と線で繋がり、城歩きがさらに楽しくなるはずですよ!
記事の訪問日:2023/11/4



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