群馬県太田市にあった「金山城」は、関東では珍しい石垣を持つ戦国時代の山城でした。
縄張りがほぼ山全体に展開されている城跡で、石積土塁に囲まれた大手虎口に圧倒されるのをはじめ、堀切を使った防御の技巧が随所で体感できます。
越後上杉氏、甲斐武田氏、相模小田原北条氏などの有力大名からの攻撃を受けながら落ちなかった金山城は、日本100名城の一つにも数えられます。
目次
金山城で石垣を多用した堅城を体感する
由良氏が上杉・武田・北条らと渡り合った戦国時代の城
まずは金山城の歴史概略を振り返ってみましょう。
金山城の概略年表
■文明元年(1469年):岩松家純が金山城築城。
■享禄年間(1528~1532年):下剋上により横瀬氏(後の由良氏)が城主となる。
■永禄8年(1565年):小田原北条氏に攻められたが、由良成繁が撃退。
■天正2年(1574年):上杉謙信に攻められたが、由良国繁が撃退。
■天正12年(1584年):金山城が小田原北条氏の支配下となる。
■天正18年(1590年):豊臣秀吉により小田原北条氏が滅ばされ金山城も開城。その後廃城となった。
戦国時代の上野(現群馬県)では、領地をめぐり越後上杉氏、甲斐武田氏、相模小田原北条氏などの有力大名の抗争が多発しました。
金山城は10数回の攻撃を受けますが、一度も城の中枢部に攻め込まれず、その堅牢さを誇ったといわれます。
現在城跡は国指定の史跡であり、日本100名城の一城にも数えられています。
金山城の縄張り概要
金山城は標高約236mの金山の山頂の実城(みじょう)を中心に構成された、連郭式の山城です。
北・南・西の3方の尾根に配置された主要部を中心に、縄張りされています。
要所はそれぞれ大小の堀切により分断され、各所には土塁や曲輪が配置されました。
約360haの面積を持つ金山の約8割強のエリアに防御施設を持っていたとのこと。
ほぼ山全体が城という感じですね。
その防御施設には、石垣が多用されていたのが最大の特徴です。
一般的に東日本の戦国時代の山城に石垣はない、といわれるので希少な城となります。
「史跡金山城跡ガイダンス施設」隈研吾の設計
電車での訪問だったのですが、最寄りの太田駅から城跡までの公共交通機関がないんですわ。
城跡までの距離は3km程度だったんで、駅の観光案内所で電動アシスト自転車を借りて、それで攻めてみた。
が、これは正直失敗でした。
城周辺の急斜面の激しい洗礼を受け(苦笑)、やはりケチらずタクシーが正解だったと後悔しました。
汗だくでまず到着したのが、こちらのスタイリッシュな建物の「史跡金山城跡ガイダンス施設」。
なんと建物の設計者は隈研吾氏だって!やるな、太田市。
外観は金山城の石垣のイメージがモチーフとのこと。
ガイダンス施設では解説動画や展示物により、金山城の概要が分かりやすく解説されています。
展示物の撮影はNGでした。
金山城跡ガイダンス施設
開館時間:9~17時(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
*日本100名城スタンプは設置されていません。スタンプは南曲輪休憩所にあります。
「西城」には北条氏支配下の遺構が残る
ガイダンス施設からに少し上った駐車場(モータープール)が、一般的な見学ルートのスタート地点。
ガイダンス施設から徒歩で約15分、車で約5分程の場所です。
ここは西城と呼ばれる西側最前線だったエリアで、小田原北条氏により整備されたとされる土塁などの遺構が良く残っています。
興味深いエリアですが、体力・時間と相談しつつ、ソコソコの見学で先に進みます。
「西矢倉台西堀切」通路としても利用
北東に歩くと、地図入りの案内板と史跡金山城の石碑が出現。
こちらが実城への散策ルートの入口となります。
現在は地図の一番左の地点にいます。
西城から実城(本丸)までの距離は片道約700mで、往復時間の概算は約60~90分とされます。
標高差は約50mです。
ではスタート!
すぐに山道っぽいルートに入ってゆきます。
散策路は整備されていて歩きやすかったです。
右手に当時の旧道跡がある箇所がありますが、こちらはけもの道みたいですな。
道を上がり切ったところに、「西矢倉台西堀切」が現れます。
これは西城から実城間では、最も西寄りにある堀切です。
堀切は尾根を断ち切り敵の通行を妨げる目的の物ですが、城内では通路としても活用されました。
この堀切も敷石の跡など、通路として活用された痕跡が残っていました。
堀切の突き当りの山の斜面には、崖に丸太を架けた桟道(かけはしみち)があったそう。
敵に発見された際には丸太を外せるような、簡易的な道だったようだ。
桟道は西側の「西矢倉台」近辺を抜け、中心部に通じる通路に合流していました。
「物見台下虎口と竪堀」堅牢鉄壁な守り
再び山城らしい山道を進むと、やがて平らで開けた場所にでた。
おー、立派な石垣を備えた「物見台下虎口」が現れましたね!
この辺りは防御のための施設や工夫があり、見どころが多いエリアです。
虎口の先は道が屈折しており、見通しが悪い。
絶好の待ち伏せポイントですなあ。
当時の虎口には門と櫓があり、行く手は堅く阻まれていたようです。
左手には岩場を人工的に掘削した堀切があります。
良く削ったなあ。。。
堀切を造った際の石も、石垣石に利用したのだろうなあ。そう思わせる硬そうな岩盤だった。
ここは物見台下虎口と呼ばれるように、この岩場の上の曲輪には物見台があった。
虎口を抜けると、竪堀に架かった木橋が現れる。
幅が狭いので、一気には攻め込めないですね。
さらに丸太をゴロゴロっと崩されれば、橋自体も容易に外れそうです。
斜面を縦にえぐった竪堀は、谷底まで続いていました。
橋の先方から攻撃されたら、谷底に落とされるか後退しかなさそうですね。
「馬場下通路」死角や行止まりで敵を錯乱
木橋を抜けると幅の狭い「馬場下通路」にでる。
この先に上り口が見えますが、当時は手前に建物を配して死角を作っていた。
その建物の礎石が残っています。
さらに上り口を見逃し直進すると、その先は行き止まりという罠。
敵を狭い空間に押し込め、右往左往させるための工夫が施されています。
「物見台」赤城山を望む
馬場下通路から上部へ抜けると、開けた曲輪がありその端に物見台跡があります。
基壇中央に4本の柱穴が発見されており、周囲からは火縄銃の弾丸なども出土されています。
現在は見晴らし台が設置されています。
見晴らし台に上がると、先程通って来た物見台下虎口が丸見えです。
これじゃあ狙い撃ちですねぇ。
北側は視界が開けており、なかなかの良い眺望。
中央部遠方に見えるのは赤城山。
城郭は広大で死角も多かったため、実城との中間地点に物見台が設置されたようだ。
「大堀切」大手虎口前の防御
物見台の東側は「馬場曲輪」。
240個以上もの柱穴の発見により、建物や柵列があったことが分かっています。
大手虎口が近いので、多くの兵が控えてた曲輪なんでしょう。
この馬場曲輪と東側の大手虎口側との間には、「大堀切」があります。
長さ約46m・掘り幅約15m・深さ約15mの大規模な堀切です。
現在は当時よりも土で埋まって(埋めた?)浅くなってます。
草ボーボーでちょっと見づらかった。
堀底には長さ約7m・高さ約1.5m・幅約1.8mの石積みによる畝状の障害がありました。
「月ノ池」石積みの人工池
大手虎口の手前には、「月の池」と呼ばれる石積みの人工的な池があった。
斜面から流れてきた水や浸透水をためるもので、飲料水や生活用水の確保が設置目的だったようだ。
「大手虎口」石垣土塁の堅牢な防御
そして、金山城の象徴で最大の見どころでもある「大手虎口」に到着です。
いやぁ、いかつい虎口ですね!
当時はここに櫓門が架かっていたとされます。
虎口の先も間口が狭く、大軍では攻めずらい通路が続きます。
両側の石垣積み土塁から、横矢を受ける様子が目に浮かびますなあ。
正面一面にも、ひな壇状の石垣土塁がドンと構えてますね。
入口から見た通路は右にカーブしつつ、延々と奥まで続くようにも見えます。
しかしよく見ると、進むにつれて間口の幅が狭くなっているんですね。
遠近法による錯覚を使い、実際以上に通路を長く感じさせる技巧が使われている。やりますね。
通路両側に排水路があり、水捌けにも配慮されてます。
「大手虎口北下段曲輪」
虎口北側の曲輪全景。
城兵が移動できる、いわゆる「武者走り」が数段ある特徴的な造り。
この曲輪の上方北側には三ノ曲輪・二ノ曲・実城と続くので、いざという時に兵を張るための形状なのかと。
この石階段は、発見当時のままの形状を残しているとのこと。
若干不揃いですが、しっかりした造り。
「南曲輪」休憩所に100名城スタンプも設置
北側から見た虎口と、虎口南側の曲輪全景。
虎口上の「南上段曲輪」では、井戸や石敷きされた建物の基礎が発見されています。
建物は武器庫兼兵の詰め所だったとされ、当時をイメージした建物が建っていた。
カマド跡も見つかっており、生活感が感じられる曲輪だったようです。
一段上の南曲輪には「日本100名城の石碑」があるので、記念写真は是非こちらで。
南曲輪には休憩所がありトイレも完備。
日本100名城スタンプもこちらに設置されています。
飲み物の自動販売機もあるので、実城を攻める前にこちらで一息した。ふう。
「日ノ池」 戦勝祈願をした場所か
大手虎口裏手にも人工的な「日の池」がある。
大手口近辺にこんな大池があるのも、不思議な感じ。
ここは戦勝や雨乞の祈願をおこなう場所としても、使用されたようです。
南曲輪休憩所
開場:8:30~17:00(6月~9月は18:00まで)
休日:年中無休(夜間は施錠)
「実城(本丸)」城の中心部がある山頂
南曲輪からさらに一段高いエリアに上がり、実城に向かいます。
少し進んだ先に石段が現れる。
石段を上がるとそこが金山山頂であると同時に、実城(本丸)跡となります。
こちらには、明治時代に建てられた金山神社が鎮座しています。
最後に本丸裏手に、当時のままの残存石垣があるというので、それを見て帰ります。
「天守曲輪裏馬場」残存石垣
実城西側には二の丸跡があり、実城との間の堀切も確認できました。
二の丸・三の丸は私有地らしく、中に入ることはできませんでした。
本丸裏手は「天守曲輪裏馬場」と呼ばれ、馬小屋があった曲輪だったそう。
こちらが残存石垣です。
石垣用材には、金山で採れる火山砕屑岩である金山石が使われている。
金山石は柱状に発達する特徴があり、小さい面を外側にして長手が奥に埋まっている。
そのため、石垣の積み方は野面積みだが、ゴボウ積みなどとも呼ばれるようだ。
金山で調達できる石といえども、山頂まで持ってくるのは大変だったことでしょう。
関東周辺の山城攻めをトレッキング視点でまとめた、ありそうでなかったタイプの城攻め本。
これから山城歩きをする人は、東京都にもタフな山城があったりするのには超驚くと思いますよ!
金山城跡の詳細情報・アクセス
金山城跡
公式ページ
住所:群馬県太田市金山町40-106ほか(GoogleMapで開く)
アクセス(ガイダンス施設まで):
電車)
・東武線「太田駅」から徒歩50分、又はタクシー10分
車)
・北関東道「太田桐生IC」から10分 「太田藪塚IC」から30分
・関越道「東松山IC」から60分、「花園IC」から60分
・東北道「館林IC」から45分、「佐野藤岡IC」から50分
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記事の訪問日:2022/7/18
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