埼玉県吉見町にある遺跡「吉見百穴」の前に立つと、崖面に無数の穴が開いているその異様な風貌に圧倒されます。
百穴と言いつつその穴の数は200個を超える数に及び、また並び方にも実は不思議な規則性があったりもするんですよ。
昔よりミステリアスな場所として謎を呼んでいた吉見百穴の正体、そして、その歴史と見どころなどを紹介。
目次
「吉見百穴」 古代のロマンあふれる遺跡を歩く
吉見百穴の正体に関する論争の歴史
入口前に立つと、すでに穴っポコが並んだ、異様な景色が見え隠れしていますね!
こちらが「吉見百穴」です。
これ、一体何だと思います?
実は吉見百穴は昔から「これ何?」って論争が続いた、実にミステリアスなスポット。
まずはその歴史をさかのぼってみましょう。
吉見百穴の歴史
■ 江戸時代:既に穴に関する記録あり。しかし正体は不明だった。
■ 明治20年(1887年):6か月間の発掘全面調査により、237基の横穴が発見される。
発見後、学会では「コロボックル居住説」と「墳墓説」に分かれての論争となる。
*コロボックルはアイヌの伝説に登場する小人。
■大正時代:6世紀末~7世紀後半の古墳時代に作られた横穴墓(ぼ)、という説で落ち着く。
大正12年(1923年)には国の史跡に指定される。
とうことで、古墳時代に造られた横穴式の墓(ぼ)というのが、この穴ぼこだらけの遺跡の正体となります。
入場料を払い中へ。
全景がこちらですが、やはり不思議な光景ですなあ。
「吉見百穴」の読みなんですが、”ひゃっけつ”とも、”ひゃくあな”とも呼ばれています。
地元では、”ひゃくあな”と呼ばれることが多い。
しかし、文化庁のデータベースでは”ひゃっけつ”の読み仮名が付いていたりと、なんだかややこしい。。。
本稿では読み仮名を振りませんので、お好きな方で読み進めて下さい(苦笑)。
トンネル内にかつての軍需工場跡が
まず地上部分を見て進むと、「軍需工場跡」の表記が目に入ってきます。
実は太平洋戦争末期に地下に巨大トンネルが掘られ、軍需工場が造られた。
この際、残念ながら当初発見された横穴の一部が破壊されています。(237基から219基へ減少)
戦闘機のエンジン部品を空襲をさけて生産するための工場でしたが、本格稼働への移行前に終戦を迎えたとのことです。
確かに秘密工場にとしては、適所に見えたかもしれませんねぇ。
工場の入口が残っていますが、現在は点検・調査により立ち入り禁止。
以前は入場できて、一部見学できたのですが。
柵越しのトンネル内部。
岩盤質の壁面は、掘削が大変だったと想像できます。
関東では珍しいヒカリゴケの自生地(天然記念物)
さらに吉見百穴は、実は天然記念である「ヒカリゴケ」の自生地だったりもします。
へぇ~ですよね。
ヒカリゴケはその名の通り、黄緑色の光を放っているように見えるコケ類の植物。
中部以北の山地に生息が見られますが、関東平野で見れるのは珍しいらしいです。
穴の中の冷涼な環境により自生しているという、稀有なパターンなんだそう。
思わぬところに百穴効果ですね、ふ~む。
のぞいたら確かに、うっすらと緑色に光るコケが見えましたよ!
ヒカリゴケ自体の写真は暗すぎて撮影できず。
こんな風に見学するんですよ、という説明写真のみでゴメンなさいよ。
百穴のレイアウトにも不思議が
百穴がある岩肌には階段が付いているので、こいつを登りつつ見学します。
頂上までの高さは約50mです。
階段は結構急なんで、慎重に進みます。
コケて墓穴に落ちたら、シャレにならんので(苦笑)。
穴の並びは一見不規則に見えます。
しかしながら、実はよ~く見ると傾斜約45度を保ちながら、左右の並びに規則性があるんですね!
古墳時代にそんな緻密なレイアウトがされたというのが、古代の不思議。
ぽっかりと口を開ける穴は、近くで見るとちょっと不気味な感じもします。
横穴墓に入って棺座の見学もできる!
穴に入って、横穴墓の構造が見れる個所がありました。
元々は穴墓入口に、石の蓋が立っていたそう。
蓋を外せば再び石室内に入れる構造なので、一般的な古墳と違い追葬が可能でした。
ふ~む。現代のお墓に近い、機能的な構造ですね。
穴墓の中に入ってみた。
横穴墓の中には「棺座(かんざ)」という、遺体を埋葬するための仕切りが設置されている。
ここは2つの棺座があり、遺体を2体納められる造りです。
棺座のないものや単棺座・三棺座の穴もあるそう。
排水用の溝を設けている墓もあり、当時の色々な工夫が見られる。
集団墓地の様なイメージですが、岩を掘る重作業を考えると誰でも、という訳にはゆかなかったと考えられる。
身分のある人物とその家族の埋葬場所、という見方がされています。
昔の人のお墓かぁ、ということをふっと思い出すと、急に落ち着かない気分になりそそくさと外に出ましたわ。
頂上は眺望も良く富士山が見える
吉見百穴の頂上は、結構見晴らしが良いです。
天気が良ければ、富士山や秩父の武甲山あたりまで見えるそうですよ!
写真の前方左手に見える森は、国指定の史跡「松山城跡」。
百穴からすぐ近い距離にあるので、立ち寄ってみるのも良いと思いますよ。
頂上はこんな感じ。
お店っぽい建物がありますが、営業してない感じでした。
頂上の両脇には緩い階段もあるので、帰りはこちらから下りました。
「吉見町埋蔵文化財センター」 近隣史跡情報も入手可
敷地内には休憩所(右手)や、資料館「吉見町埋蔵文化財センター」(左手)があります。
埋蔵文化財センターの見学は無料です。(吉見百穴の入場料は必要)
埋蔵文化財センターの入口には、吉見町のゆるキャラ”よしみん”の埴輪風の像。
顔型は吉見町名産のイチゴなのはわかるが、お腹の2537って何だい?
帰って調べたら、吉見町と鴻巣市にまたがる、川幅日本一を誇る荒川の川幅の距離だった。
そんなマニアックなのわからんなあ(苦笑)。
せめてm(メートル)とか入れてください。
センター内では、出土品などの関連資料を展示。
吉見百穴情報の他、松山城跡や吉見観音などのリーフレットもあり、地元スポットの情報収集場所として貴重。
”埴輪づくり”や”勾玉づくり”など、体験学習メニューもあるようだ。
ファミリーでの訪問も良さそうですね。
隣の休憩所にあった、かつての軍事工場の内部地図。
蜘蛛の巣のように張り巡らされてますね。
平成16年(2004年)に町の記念行事として造られた、正岡子規の俳句の石碑。
正岡子規が明治24年(1891年)に当地を訪問し、その際に詠まれた俳句が刻まれています。
「神の代は かくやありけん 冬籠」
関東60カ所の古墳・古墳群を、わかりやすい実測図掲載にて紹介!
各県とも結構見応えのある様々な古墳があるんですね!
名物 五家宝の変わりダネが旨かった
場内には、そば・うどんなどの食事もできる土産物屋が2軒ありました。
当地は五家宝が名物でかなり品揃えが充実。
一般的なきな粉の他に、チョコレート・オレンジ・レモン・クランベリーなどの変わりダネがあり、へえ~という感じ。
一本売りもしてるので、クランベリーを購入。
甘酸っぱい感じで、これは美味しいですね!訪問されたら、お試しあれ。
吉見百穴の詳細情報とアクセス方法
吉見百穴
埋蔵文化財センターの案内ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324(GoogleMapで開く)
営業時間:8:30〜17:00(年中無休)
入場料:中学生以上 300円、小学生 200円、小学生未満 無料
アクセス:
電車)
・東武東上線「東松山駅」下車、川越観光バス「免許センター行」約5分、「百穴入口」下車徒歩約5分
・JR高崎線「鴻巣駅」下車、川越観光バス「東松山駅行」約25分、「百穴入口」下車徒歩約5分
・川越観光自働車のページにて路線バスの時刻表が見れます
車)
・関越自動車道「東松山IC」から鴻巣方面へ約5km
・圏央道「川島IC」から東松山方面へ約8km
・国道17号より鴻巣天神2丁目交差点から東松山方面へ約10km
周辺おすすめスポット(岩殿山 安楽寺ほか)
~近隣スポット~
岩室観音堂
吉見百穴の向かいにある観音堂。
懸造りと呼ばれる建築物で、崖にもたせかけて造られたその様相にはビックリ!
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松山城跡
戦国時代の城郭跡。
吉見百穴の向かいの高台にあり、百穴訪問の際にあわせて歩いてみるのも一考。
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岩殿山 安楽寺
源頼朝の弟・源範頼が幼少期に身を隠したのがこちらといわれる。
江戸時代には、息障院ともに大寺院を構成していたという。
約1.5kmの近隣にあるので、こちらも是非立ち寄ってみたいスポット。
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岩殿山安楽寺(吉見観音)
住所:埼玉県比企郡吉見町御所374(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:バス停「百穴入口」から「久保田」までの乗車時間は約7分、そこより徒歩約30分
岩殿山 息障院光明寺
源範頼が館を築き住んでいた場所と伝り、館の名残りとされる空堀が今も残る。
場所も近く、立ち寄ってみたいスポットの一つです。
~食事・土産処~
名代 四方吉うどん
息障院から約1.2kmの近隣にある、人気のうどんや「四方吉(よもきち)」。
太くコシが強い麺を、アツアツのつけ汁で頂くのが武蔵野うどんスタイル。
道の駅 いちごの里よしみ
農産物の直販所や、お土産屋などがある。
名産の吉見産の苺を使った加工品もあります。
道の駅 いちごの里よしみ
公式ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町大字久保田1737番地(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:バス停「百穴入口」から「いちごの里よしみ」までの乗車時間は約7分
吉見周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\ コカコーラの工場があるので、缶チューハイなんかがあったり! /
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不思議スポット、吉見百穴にでかけてみよう!
不思議な遺跡、吉見百穴をご紹介しましたが、いかがでしたか?
「吉見百穴」は吉見町と言えば。。。という代名詞の様なスポットです。
でも実はそれだけでなくて、周囲には歴史が好きな人なら興味を持ちそうなスポットが結構あるんですよ!
吉見百穴のすぐ近隣の「岩室観音堂」や「松山城跡」などは百穴から歩いて行けます。
ちょっと不思議なスポット「吉見百穴」と、その周辺に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2021/5/9
関東近郊へは、気軽なバス旅で出かけてみない?
古代遺跡スポットをさらにチェック!
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